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昭和 玖拾質

今日は父の日か・・・。うわーんパパに会いたいよー。
会いに行ったらいいじゃないか?いや来なくていい?

今日はヨガの日ね。よーがある?

今日は日曜日。日曜日の心温まるお話


信用と信頼の話

前の記事で、市町村よりも都道府県、都道府県よりは国、こうした順で信用信頼度は上がると思うと書いた。
企業でも同様で、個人経営や家族経営よりは中小企業、中小企業よりは大企業のほうが一般的な信用信頼度は高い。
この信用信頼度に大きく関わっているのは見たままそのまま規模の大きさである。

大きいほど体力があるだろうということで信用を得やすい。
1億円の中で10万円失うのと、100万円の中で10万円失うのでは、自ずと意味合いが変わってくる。
また大きいほど中に多くの物や者を入れやすいこともある。
どんなに頑張っても100ミリリットルの容器に1リットルの水を入れることは出来ないのだ。
規模が大きいほど多くの人材がいて多様性が生まれる。
ひとりの小さな手何もできないけど~それでもみんなの手と手をあわせれば何かできる~♪ という状態が作れる。
また多様な人間がいるということは違った見方をする者がいるということで、間違いを指摘するなど軌道修正するチャンスがあり盲目に突き進み崖から転落することを防ぎやすい。

信用度にはこの多様性も大きく影響している。
どうして市町村が国より信用度が低いかと言えば、職員が限られたコミュニティの中から選ばれることが多いからである。また縁故採用なども非常に多い。
多様性という面からみると心許ない。
ただし地域的な信頼度という視点で見れば、それほど劣るものではない。
その地域をよく知っている者が縁故というしがらみの中で仕事をする、大きく外れないという意味でこれは悪いことばかりではないのだ。
最初から大きさなど期待していない。別のものを期待している。
そうした役割を持った職員に国家公務員や大企業の従業員と同一の役割を求めるのは違うと思うが、コンピューターやインターネットなどでそれら全てが繋がってしまったことが物事や役割分担を複雑にした。

これとは逆に多様性があると思われ信用されている国家公務員や大企業が実は多様性が無いということになればやはり問題を生じそうである。
同じ地域や同じ大学からしか採用しない、縁故採用を多用しているとなれば、やはり多様性というのは失われていくだろうと思う。
これは縦の話ではなく横の話であり、縦の話と横の話を混在されても困る。


国内消化の国債の表裏

日本が発行している国債はほとんど日本国内で消化(購入)されているから大丈夫という論理がある。
日本には国債を買い続けるだけの十分な貯蓄(資産)があるというわけだ。

しかしこれも見方を変えれば、多様性が全くない国と言える。
市場で売買される国債が日本国外から買われないということは、日本や日本円には信用や魅力がないとみることが出来るし、日本が非常に閉鎖的であり国内で買い占めているとみることも出来る。
グローバルな国を謳いながら内々で済まそうとしているということは、何か不都合なことを隠蔽しているのではないか、よほど体力がないのかと勘繰られても仕方ない。

最近では国内も国内、日本銀行が一人で買い占めているような状況である。


「ちから」とは何か?

日本という国が企業だとすれば、とっくのとうに破綻している経営状態にある。
それなのになぜ破綻せずに今日までやってこれたかと言えば、紙幣を造ることができるからであり、同時に実際のお金のやり取りの多くは現物紙幣を必要としないからである。
どうして破綻しないのだろうという疑問を持つよりは、どうしてこんな経常状態にありながら深刻な問題として扱われず、国の危機と報じられることがないのだろうという疑問を持つことのほうが適当かもしれない。
中小企業ならば許されないことが大企業ならば許される、大企業であっても許されないことが国家であれば許される。
国家であれば何でもよいというわけでもなく、許される国家と許されない国家がある。国家は選ばれる。
平等や公平なんてどこ吹く風。明らかに差別はある。
つまるところ、大きな権力があればどんな問題も握りつぶせるということなんだと思う。


システムというものを作り上げるのが権力ならば、そのシステムを何食わぬ顔で破壊するのも権力なのだ。
よくクイズの最後で大逆転もありますとかなんとか言って、それまで地道に積み上げてきた点数を一挙にひっくり返してしまうような点数を最後の問題にだけ与え、いままでの戦いはなんだったの?という状況になることがあるが、あれに似ている。
何千万、何億、何十億、何百億、何千億、、、会社の規模によってその負債金額は様々ではあるが、多くの会社が生まれては消えてきた。
ところが1000兆の負債を抱えても日本という国は倒れない。
誰に非難されるわけでもなく、誰に通告されるわけでもなく、さほど危機感も無く、改善もせず、赤字額を伸ばし、延々と続いてきたのだ。

そういう意味においては楽観視してよいのではないだろうか。
これまでそうだったように、これからも多分、日本という国は大丈夫なんだろうと思う。

そんな日本が何より怖いのは「力による現状変更」なのではなかろうか。
最近やたら耳にすることが多くなった「力による現状変更は認めない!」という言葉。
暴力と言わないのがミソですよね?
暴力も力ならば、体力、腕力、知力、能力、実力、精神力、超能力、発想力、人間力、勢力、軍事力などなど、みな力である。
歌唱力?演技力?画力?精力?女子力?努力?破壊力?戦力?威力?原子力?火力?水力?風力?吸引力?吸収力?求心力?遠心力?重力?計算力?読解力?英語力?労働力?生産力?原動力?睡眠力?空想力?走力?競争力?強力?協力?
世の中には力が溢れている。
英語ではforceやpowerという言葉があり、さらにはviolentなんていう言葉もあり、微妙に使い分けているようだが、「力による現状変更は認めない」という言葉はその全てを否定してしまうような気がする。
要するに「現状変更は認めない」ということが言いたいのではないかと思える。
どんな力を付けても現状を変えることはできない、どんな力を付けることも意味ないと宣言しているような。

「力による一方的な現状変更や、強い者が弱い者を振り回すことは、ヨーロッパでもアジアでも、世界のどこでも認めることはできない」 ドイツ・エルマウサミットにて安倍首相





by yumimi61 | 2015-06-21 12:32