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昭和 百拾参

比喩と科学

1954年の日米和親条約(神奈川条約)以来日本に横たわっていたのが「条約勅許問題」だった。
勅許というのは天皇という1人の人間の許可・承認のことである。
詩人や小説家がどんな比喩を用いようが自由であるように、誰かが天皇を象徴や神と比喩することを否定する権利を私達個人は持っていない。
しかし生理的・物理的には天皇は人間である。それを科学的に否定できる人は誰ひとりとしていないはずである。

ここで日米修好通商条約で禁じられたアヘン禁輸について考えてみたい。
自由や権利を全面に出せば、アヘンを吸うことも、アヘンを売買することも、アヘンを輸出入することも、他の物と同様に個人の自由であり権利だと言うことが出来る。
でもそんなことを言いだしたら何だってそうである。
自殺することも、安楽死を依頼することも、人を殺すことも、誰の子を妊娠することも、中絶することも、誰かを愛することも、結婚することもしないことも、離婚することもしないことも、何かを食べることも断食することも、何もかも個人の自由であり権利である。
自由や権利は、人種や身分や地位や思想や学歴や性別や年齢に差別されるものではない。
個の尊厳を尊重すればそういうことになる。
誰かの尊厳が奪われたとしても誰かの尊厳は維持されている。
孤独で無いということはそういうことである。人が複数いるかぎりそれは避けられない。社会とは常にそういう状態にある。
誰に標準を当てて物事を考えるかということに過ぎない。
その標準から外れた場合は、自由や権利は制限されるか剥奪される。
その標準が法律だったりする。
要するに本来はアヘンを何しようと個人の自由であるが、それを許すと困る人もいるので約束や法律で規制する。
日米修好通商条約ではアヘン禁輸を盛り込んだのだ。
酒やガラス製品の関税は下げてほしいということと、考え方は同じである。

社会が進むと問題になってくるのは決め方である。
自由を主張する人と、その自由が許されていると困る人がいる。
意見は真っ向から対立。さてどうするか?
多数決で決めるか、権力者の独断になるだろう。
時代は民主主義になったから多数決で決定することが多い。
多数決であっても、権力者の独断であっても、重要なのは世論である。世間の空気や雰囲気。
実態や実数は関係ない。空気が膨張すればいいのである。
メディアというのは空気を膨張させることに大いに活用できる。

ここでちょっと科学寄りな話。
空気を膨張させるには熱を加えてやればいいのである。
熱エネルギーによって空気の分子の運動が活発になり、元気な分子がこれでは狭い狭いと範囲を広げるため膨張する。
空気は暖めれば膨張する。
急激な膨張を爆発とも言う。
空気を膨張させるもうひとつの方法は空気の体積を強制的に増やすことである。
気圧が低い場所では外の空気の押す圧力が小さいので、結果的に中の空気の体積が増える(空気が膨張する)。
熱エネルギーの供給がなくとも気圧の関係で空気は膨張することがある。
膨張しただけで空気の分子のエネルギー(元気さ)が変わったわけではないので、空気の温度は下がってしまう。
元気の無い人に広い部屋を与えても寒々しいだけ。
これは科学的な話だけど、世相にも当てはまると思う。(一部科学的ではないかもしれない)


科学という曲者

説明が長くて最初の天皇の話を忘れてしまいそうだったが思い出した。

科学も実は多数決なところがある。
科学の中でその要素が濃いのは物理。
地学もそうかもしれない。
今流行の生命科学もそう。

緑字は映画『タイタニック』に絡んで私が書いたもの。(タイタニックにみる物理と数学
物理というのは、人間にはどうすることも出来ない自然界の普遍的な法則があり、それを人間が利用できるように表現した学問のような気がする。
一方、数学は人間ありきの学問。人間が定義を定めたものである。普遍ではなく仮定から始まっている。
このことから考えれば、人間界においての物理に正解はない。数学には必ず正解があるということになる。


化学や電気機械工学などは実際に形あるものを作り実用化させていく。
多くの人の目に触れ、多くの人が使う物となるので説得力があり、とりあえずそこで完結するものであるが、物理などは正解がないから決着は多数決になるのである。
多くの科学者に支持された論説が採用される。
いかに上手く表現し、有力者の支持を取り付け、世の空気を膨張させることができるか。―現実に即していて誤りがないと思われている科学にもこうした側面がある。
また物理という学問が利用された現物を一般の人が触れる機会は少ない。どこか絵空事のような気がしてしまう。
人や物にはやはり似あうスペースがあるのだ。
そこでどうするかと言えばやはり空気を膨張させる策に出る。
「宇宙の膨張」ってホントは比喩なんじゃないかと思う私であった。

科学に一番似つかわしくないように感じる「嘘」や「誇大広告」が度々問題になるように、科学に嘘がないというのは嘘であり、思い込みである。
とくに論文重視の科学界ではもはや文系に両足を突っ込んでいるようなもので、理系文系という区分けすらナンセンス。
しかし「科学者」というどこか特別な響きによって科学はまだ特別な地位を維持している。
これに関してはノーベル賞の貢献度が非常に高い。
もしもその科学者が「天皇は人間ではなく神であることが科学的に証明されました」と発表したらどうだろうか?
あなたはそれを信じますか?
信じるわけないだろう?
天動説と地動説の話を思い出してください。
STAP細胞発表当時の小保方擁護説を思い出してください。

日本は明治時代になるまで武士や幕府が実権を握っていた。
武士や幕府というのは実力主義で現実主義だった。
明治時代は、つまり日本の近代は、それを否定したところから始まった。
新たな権力者達はいつまた実力主義や現実主義にその地位を奪回されるのではないかと怯えている。
それが昨今の盲目的な科学信仰に繋がっているように思える。
政府が女性の活躍を推進するのも、実は実力主義者や現実主義者に地位を奪われないためなのではなかろうか。
女性に期待しているものは真の意味での活躍ではない。活躍しないことを期待しているのだ。
語弊があるとすれば、自分の期待通りの活躍を期待していると言えばよいだろうか。

魔女なのか科学者なのか何なのか。女なのか妻なのか母なのか。女でいたいのか男と同等になりたいのか。
女はさっぱり分からんが、まあその気の多さがあれば安全だろうといった感じかな。


鶴の一声

天皇や社会の空気の話を何故したかと言えば、天皇の政治関与が取り沙汰されたことがあったから。
事の発端は園遊会でのお手紙手渡し事件である。
渡したのは現在「生活の党と山本太郎となかまたち」に共同代表のお一人である山本太郎氏。
「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」にちなんだ名称ですよね?ということはやはり王国?
山本氏についてはこちらの記事「直訴者の背景」に書いたが、過激派とも関係があるともいう。(まとめもどうぞ

園遊会事件の時には「天皇は政治関与できないのに」という意見がとても多かったので、天皇は政治関与できるということを、こちらの記事の「象徴に意義を唱えた人物」、こちらの記事の「論点のすり替え」などに書いた。
(両陛下と万歳をしている写真・・・2013年3月に安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」とすることを閣議決定し、その年の同日、日本政府主催で式典が行われた時。見る人が見ればとても恐ろしい写真に見えるだろう)

天皇は、任命、公布、公示、召集解散、認証などの権限を持っている。
内閣総理大臣を任命できるということは、天皇は国の最高権力者(権威者)である。
どうしても嫌ならば任命を拒否すればいいのである。


天皇が条約を承認するしないで揉めた幕末と同じ状況が起こっても全く不思議はない状況にあるのだ。


負けなしの国と負けありの国

世界では幾つもの王家がクーデターや敗戦によって潰されてきた。
どうしてGHQは、戦争を仕掛けた挙句敗戦した国の天皇や皇室を廃止しなかったのだろう。
これは世界最大の謎と言ってもいい。

このとき強硬に天皇制廃止を主張したのが、イギリスとオーストラリアです。
イギリスは昔から、世界のどの国に行っても王制は必ず廃止します。
これについては、こんな諺もあります。
「イギリス人は世界中に王様は2人しか認めない。1人はイギリス国王、もう1人はトランプのキング」
 (知恵袋より)

はたしてそうだろうか?
イギリスが日本の天皇制廃止を望まなかったのではないだろうか?
日本は戦後イギリスに倣った形の立憲君主制を布いた。
イギリスは戦争に負けたことが無い。
1000年くらい前にフランスに負けたことがあったかもしれないが、その後は負けなし。これは凄い!


「天皇陛下の戦争責任」について友人(たぶん在日)と口論になりました。(知恵袋より
「じゃあなんで日本兵は天皇陛下のために戦ったんだ? 天皇が裏で糸引いてたんじゃないのか? それに終戦の玉音放送、あれで無条件降伏決めたのは天皇じゃないんか? 政治に関係ないやつがなんでそんなの決めれるんだ? あっ!?」


素直な国民性?

何度も書いているが天皇は江戸時代末まで実権を持っていなかった。
それこそ政治関与していない状態だったのである。
政治を朝廷に渡したのは1867年のことである。
廃藩置県が実施され、中央集権が強化されたのは1871年のこと。
1931年(昭和6年)の満州事変から1945年( 昭和20年)終結の太平洋戦争までを15年戦争というが、たかだか60年あまりで「天皇陛下や国のために命を捨ててもよい」なんて若者や「欲しがりません勝つまでは」などという庶民がわんさか育つものだろうか。
今のような情報時代ではなく、空気を膨張させるのだって一苦労で、下手すれば「天皇陛下って何?人?誰?」という状況であってもおかしくないだろうと思う。
「幕府の時代のほうがよかった」なんてことを親や祖父母から聞いていた人もいるかもしれない。
そんな状態でも戦争は起こり、戦争に駆り出されたのだ。
それと比べれば今は懐古主義は流行らないし、集団的なものの考え方から食み出る人も少ない。
平等一律が好きな一方、究極の差別である皇室には何ら疑問を持つことも無く、その崇拝ぶりもなかなか凄い。
これはもう怖いものなしではないだろうか?





by yumimi61 | 2015-07-08 11:54