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日本国憲法の秘密-11-

選択 ~あの頃そこは出口であって入り口だった~

そう、あれは確かに横浜だった。
肉か魚かと訊かれ、私は魚を選ぶ。
クリスマスイブの日だったか、クリスマスの日だったか、それともクリスマスイブイブの日だったか、
とにかく冬だった。
街の匂いも彼とした会話も流れていた音楽もデザートの味も、ひとつ残らず覚えていると言いたいところだけれど、悲しいかな何も覚えていないのよ。
肉か魚かと訊かれ、私は魚を選んだ、銀色のうろこを一枚だけ残した「にじいろのさかな」みたいに、それだけが残っている。
その人にとって必要なものを覚えていて、その人が生きていくうえで必要ではないものを忘れていくとするならば、その魚は私にとってどんな意味があるというの?


國栖等之 春菜将採 司馬乃野之 數君麻 思比日  <万葉集1919 作者未詳>
国栖らが春菜摘むらむ司馬の野の しばしば君を思ふこのころ

駅から続く坂道を上ると直に小さなカメラ屋さんがあって、私はそのお店を知っている。
知っているというのは道すがらの店というだけでなく、カメラを買ったとか写真を撮った、そういうことでもなくて。
そのお店は私の中学の時の部活の顧問の先生の実家。
何年も何十年もそう思ってきた。
むろんそんなことをずっと考えているわけではなく、そこを通る機会も滅多にないので、何十年と言っても思い出したのは数えるほどだけれど、私の中のある特別な思いがその家を形作っていた。
教え子との結婚という少女達の無邪気で世俗的な噂と、反骨精神という先生が私にくれた言葉が、うまくシンクロしなかった。
その不一致さがカメラ屋に投影されたのかもしれない。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
ただ私が何か大事な記憶を失ってしまっただけなんだろうか。
お店に付いている名字らしき名前と先生の名字が一致しない。
こうなるとそこが先生の実家だという確証は何もない。
だけど私はそこで証明写真を撮ったことがあるのだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現9条を先にこちらで読み解いたので、今度は憲法9条までの変遷をみていきたい。
法律が完成するまでの変遷であり、法律施行後は改正されていない。

1945年8月15日 玉音放送、終戦。
1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立ち、戦争犯罪人容疑者リスト作成を命じた。
1945年9月11日、GHQより容疑者に出頭命令。
1945年10月4日 GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
   この10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。

1946年2月3日、マッカーサー総司令官が三原則*を提示。
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)**を日本政府に提示。
   これ以降、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」を作成する。
1946年3月6日、「日本政府改正草案」をマッカーサーが了承する。
1946年10月7日、改正案が帝国議会で可決される。
1946年10月12日、政府が枢密院に諮問。
1946年10月29日、日本国憲法が公布。

1947年5月3日、日本国憲法施行。
   以後今日まで一度も改正されたことがない。

1948年12月23日、死刑判決の下ったA級戦犯の死刑が執行された。



*マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則
(原文)
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(日本語訳)
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


**マッカーサー草案(GHQ原案)
(原文)
Chapter II Renunciation of War
Article VIII  War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
(外務省仮訳)
第二章 戦争ノ廃棄
第八条  国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ

<外務省仮訳の口語訳>
第2章 戦争の廃棄
第8条 国民の一主権としての戦争はこれを廃止し、他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久にこれを廃棄する。
陸軍、海軍、空軍またはその他の戦力は決して許諾されることがなく、また交戦状態の権利は決して国家に授与されることはない。
<英語の日本語訳>
第2章 戦争の放棄
第8条 国権の発動たる戦争は廃止され、他の国との紛争を解決するための手段としての威嚇又は武力の行使は永遠に放棄される。
陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。

 (   )の原文と訳は転載したもので、< >の訳は私がしたものです。


マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則とマッカーサー草案(GHQ原案)の違いとしてWikipediaには次の7つが記されている。
1.マッカーサー・ノート第二原則第2文「even for preserving its own security(自己の安全を保持するための手段としてさえも)」に該当する部分が削除された。
これはすべての国は自国を守る固有の権利を有しており、自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当であるとGHQ原案の作成にあたった運営委員会の法律家らが考えたためとされるマッカーサーも後年の回想録の中で憲法9条は自衛権まで放棄したものではないと述べている。

2.「The threat or use of force(武力による威嚇又は使用)」の文言が加えられた。 これは前年に国際連合原加盟国によって調印されていた国連憲章2条4を受けたものとされている。
3.「forever(永久に)」の文言が加えられた。
4.マッカーサー・ノート第二原則第3文に該当する部分については修正ののち前文第2項冒頭に回されることとなった。
5.マッカーサー・ノート第二原則第4文に該当する部分については段落を分けないこととした。
6.「other war potential(その他の戦力)」の文言が加えられた。 これは第一次世界大戦以後の戦争が国家の総力戦となったことを意識したものとされている。
7.「any japanese force(日本軍)」から「the state(国)」に文言がそれぞれ変更された。



セキュリティについて

やはり目に見えて大きく変わった点は、1に記述されているようにsecurityに関する文言が無くなったことである。
その部分を比較してみる。訳は私。
(マッカーサー三原則の二)
War as a sovereign right of the nation is abolished. 国民の一主権としての戦争は廃止される。
Japan renounces it   日本はそれを放棄する
as an instrumentality for settling its disputes  紛争解決のための手段として
and even for preserving its own security.
(GHQ原案)
War as a sovereign right of the nation is abolished. 国民の一主権としての戦争は廃止される。
The threat or use of force is forever renounced 威嚇や武力の使用は永遠に放棄される
as a means for settling disputes with any other nation. 他の国民との紛争解決の手段として

and even for preserving its own security.
マッカーサー原則にあったこの言葉が削除された。
日本政府なのか誰なのか翻訳者は不明だが、三原則の邦訳として掲載されている文章では同部分が「さらに自己の安全を保持するための手段としての」と訳されている。
この文章の主語はJapanなので its ownは日本国自身となり、「日本国の安全を維持するための手段として」と訳せる。(主語がI であるならばmy ownで私自身の安全となる)
「日本国の安全を維持するための手段としての」戦争を行う権利を国民は有さないという意味になる。

its own security はもうひとつ別の訳し方も出来ると思う。
「独自の安全」や「独自の防衛(警備)」「独自の安全保障」といった訳し方である。
「独自のセキュリティを維持するための手段としての」戦争を行う権利を国民は有さないという意味になる。

さらに注目すべきはan instrumentality と a means の違い。どちらも手段という意味で用いている。
わざわざ英単語を変えた理由はどこにあるのだろうか?
この2つの英単語のニュアンスの違いはよく分からないが、 instrumentality は媒介する方法(媒体)、means は目的を達成するための方法という違いのような気がする。


日本は戦争に負けたのである。
敗戦国の日本に主権が回復したのは「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」「日米地位協定」が発効した1952年4月28日のことである。
日本国憲法が制定された時期は占領下にあり、日本には主権がなかった。信用もあまり無かったんだろう。
そのためだろうか「戦争は廃止される」など受動態になっていると思う。
分かりやすく云うと、マッカーサー原則はマッカーサー視点なのである。
「国民の権利としての戦争は私が断固廃止する。'戦争をする権利'なんていうものはない。また日本は紛争解決のための手段や独自のセキュリティを維持するための手段として戦争を行うことも自ら放棄しなさい」ということを言いたかったのではないだろうか?
すなわちマッカーサーは目的としての戦争を強く禁じた。
ここでの目的とは観念的且つ倫理的な考えによるもので、理性ないし意志が行為に先だって行為を規定し方向づけることを言う。
「そこに山があるから山に登る」ではないけれど、そういう権利を持っているから行使するんだというようなことになる。
戦争はそんなふうに行うべきものではないということが大前提にある。
その上で、問題解決の方法として戦争を用いることも日本は放棄すべきであると、マッカーサーは述べた。
裏を返せばマッカーサーは対抗手段として武力を用いることを完全に否定しているわけではないのだろう。
マッカーサーが挙げた問題は「紛争」と「独自のセキュリティを維持すること」であった。
主権がなかったとはいえ、マッカーサーは日本が自ら戦争を放棄する権利を尊重したように思う。

手段が目的に変わるとき 何かがその手から滑り落ちていく


意志未来

マッカーサー原則の後半部分。
It relies upon the higher ideals
which are now stirring the world for its defense and its protection.
日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。


この部分はare now stirring の訳が難しいですね!
「感激さえする医学書」のように「感激さえする防衛と保護の高い理想」でもよいかも。(よくない?)
またthe higher ideals(崇高な理想) が何を指しているのかも分かりにくい。(分かる?)
1945年10月24日に正式発足した国際連合(United Nations)なのか、それとも日本とアメリカが築き上げようとしていた独自の防衛保護システムなのか。

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


ここでは国民でも国家でもなく、主役は軍隊となる。
日本の軍隊が認可されることも、日本軍に交戦権が与えられることも、決してないと述べられている。
主役は軍隊だが国の軍隊は自然発足するわけではない。認可したり交戦権を与えるのは誰か?
国が編成した軍隊ならば、それを動かすのは国のトップであり、最高且つ最終的な責任も国のトップにある。
もちろんその下には幾人かのリーダーがいるだろう。その中には全権が与えられた者もいるかもしれない。
要するにこの部分は、日本のトップやリーダーに対して軍隊を編成したり軍隊に交戦権を与えるなと言っているのであり、それは私(マッカーサー)が認めないということでもあるのだ。
willは意志未来。どこからともなくやってくる運命的な未来ではなくて、自分で決める未来のことである。
トップからトップへの強い意思表示。

I will take a chance


マッカーサー原則とGHQ原案の比較

War as a sovereign right of the nation is abolished.  ←マッカーサー原則と同じ。

Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. (マッカーサー原則)
 ↓  ↓  ↓
The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation. (GHQ原案)


No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force. (マッカーサー原則)
 ↓  ↓  ↓
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State. (GHQ原案)


マッカーサー原則は個人的な視点で書かれた文章なので、「日本の憲法」として文章を整えればGHQ原案のようにJapanやJapaneseという言葉が除かれることは不思議ではない。
「It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection/日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」は若干微妙なのでこの省略も分からなくはない。
やはり一番の問題は「and even for preserving its own security」が省かれたことなのである。
マッカーサーの意図を汲みとりきれなかったのか、それとも誤解を生じやすいのであえて抜いたかどちらかになる。
実はその前のitsも重要である。このitsはJapanに掛かり、日本の紛争、日本に関係する紛争ということになると考えられる。

for settling its disputes (マッカーサー原則)
        ↓
for settling disputes with any other nation (GHQ原案)

マッカーサーの言わんとすることはわりと明確である。
日本に直接関係する紛争解決の手段としても、独自の安全保障を維持するための手段(つまりアメリカとの関係を維持するための手段)としても、日本は国権を行使する戦争は行うべきではないと言っているのだ。
つまるところそれは、紛争解決の手段としてもし武力行使が必要ならばアメリカが行ってやるし、またアメリカに気を使って(アメリカとの安全保障関係を理由に)戦争をする必要は無いということなのだ。
GHQ原案になるとこれがぼやけてしまう。


戦争と武力行使は同じものか?

マッカーサー原則では、「日本は紛争解決手段や独自のセキュリティ維持手段として国権を発動し戦争をすることは放棄すべき(意訳)」としたのに対し、GHQ原案では「紛争解決手段としての威嚇や武力行使は放棄すべき」とした。
Warという言葉を用いず、Warに掛かっていく文章にもなっていない。
「国権発動たる戦争は出来ない。他国との紛争解決手段としても威嚇や武力行使することも永遠に出来ない」
マッカーサーが使っていないforever(永遠・永久)という単語を挿入したくらいなので、並々ならぬ決意のようになる。
これが後世においてだいぶ威力を発揮してしまい、「日本は永遠に戦争を放棄する!」ということになってしまった。
 ♪永遠ていう 言葉なんて知らなかったよね~
しかしここでは「永遠に戦争を放棄する」とは言っていない。「紛争解決手段としての威嚇や武力行使は永遠に放棄される」と言っているだけである。
国権を発動して戦争を起こすことは出来ないが、他国が国権を発動して起こす戦争には参加できると解釈可能。

またマッカーサー原則が「日本陸海空軍は認可されず、交戦権が日本軍に与えられることもない」としたのに対し、GHQ原案は「陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない」と変更された。
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

この文章は前後半に分けることが出来るが、upon the Stateが前半部分にも有効となっている可能性がある。
「国における陸軍、海軍、空軍、その他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない」という意味になる。
国(日本)という枠でなければ、戦力になることが可能で、交戦権が与えられるとも取れてしまう文章なのだ。

そもそも考えてみてほしい。
武力による現状変更を認めない世界、平和を望む世界においては、日本に限らずどの国も軍隊は自衛隊と言えるのではないだろうか?
侵攻や侵略をしないという約束の下にあって、自衛手段としてのみ武力を用いるということならば、それは日本となんら変わりなくなる。
そうではないから軍隊と自衛隊があるのだと思う。
世界は戦争を否定していないのだ。


罪と罰と責任

死刑制度が存在していることは犯罪を思い止まらせることに貢献するのだろうか?
重罰厳罰は犯罪抑止力となるのだろうか?
自殺志願者と死刑の関係は?
核の保有は核の使用を抑止するのか?それとも戦争を抑止するのか?武力行使を思い止まらせるのか?
核の保有が核の保有を促進するということはないのか?
戦争の責任はどう取るべきなのか?
戦争を開始したこと、戦争を遂行したこと、戦争を終結に至らしめたこと、戦争に敗北したこと、どの責任が一番重いのだろう?
責任には義務と償いがあるとするならば、何をすべきて、誰に何を償うべきなんだろう?
責任と罰は同じものだろうか?
罰とは、復讐や懲らしめ、体罰、虐待の別名?恨みを晴らすための道具?
責任とは?自ら進んで復讐や懲らしめ、体罰、虐待を受けること?
日常で人を殺せば罰せられるけど、戦場で人を殺した兵隊は罰せられない?
戦地でのレイプや買春は?戦いで人を殺しても罪ではないけれど、レイプや買春をすれば罪?
殺人は罪が重いというのに死刑と称して人を殺すことは無罪?
罪があるとするならば死刑執行者と死刑宣告する人どちらがより大きな罪?
もし冤罪だったら、裁判官は罪を犯したことになってきちんと罰を受けるの?それとも責任を取るの?


大川周明 (梅毒による精神障害が認められ訴追免除)
東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。

東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。東條は最初は苦笑していたものの、何度も叩かれたため睨みつけたという)、「インダー・コメンジー!(「Inder kommen Sie!、ドイツ語で「インド人よ来たれ」の意。アメリカはインディアンを収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。

15分間の休廷中、オーストラリアのウェッブ裁判長は大川を精神異常と判断し、1947年4月9日、彼を正式に裁判から除外した。大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、松沢病院に転院)、主治医の内村祐之により梅毒による精神障害と診断された。その後の精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院での入院が続いた。入院中、以前より念願であったクルアーン全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後まもなく退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。

その後は、神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、「瑞穂の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。大川の墓銘は歴史学者平泉澄の揮毫。oh....



責任が免除されたり軽減されたりする場合はどういう時か?
精神障害者とか未成年とか・・・。

現行刑法では、心神喪失者と認められれば無罪、心神耗弱者と認められれば減刑がなされる。
実際には起訴段階で精神鑑定がなされ、責任能力なしと判定されれば起訴されず不起訴になる。
刑法には責任能力がない者の行為は罰しないという規定がある。
善悪の区別が付かず罰に懲りる理性もないかもしれないから、刑罰に懲りさせて再び犯罪を行わないようにし社会復帰させることは意味がない。必要なのは罰よりも治療、こういう論理である。
でも死刑だったら懲りて反省することも更生も無関係となる。
再び犯罪を行わないようにするという意味において一番効力があるのは疑いようもなく死刑である。
それを思えば死刑には責任能力の有る無しは関係ない気がするが。
懲りる懲りないというよりも、悪意を持って犯罪に至ったわけではなく、病によって起こしてしまったことだから罪はないという考えなのだろうと思う。
やむを得ず’やってしまった’から罪はないという正当防衛に通じる。
兵隊の戦場での殺人が裁かれないことにも相通ずる。「職務を遂行しただけだから」「やりたくなかったけど戦場だから仕方なく」「殺さなければ自分が殺されてしまう」「命令だから嫌でも逆らえない」
(みんなオリンピックを開催したくなかったんじゃないの?)







by yumimi61 | 2015-07-23 15:27