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日本国憲法の秘密-14-

憲法9条の変遷の続きです。上部は再掲となります。

1945年8月15日 玉音放送、終戦。
1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立ち、戦争犯罪人容疑者リスト作成を命じた。
1945年9月11日、GHQより容疑者に出頭命令。
1945年10月4日 GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
   この10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。

1946年2月3日、マッカーサー総司令官が三原則*を提示。
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)**を日本政府に提示。
   これ以降、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」***を作成する。
1946年3月6日、「日本政府改正草案」****をマッカーサーが了承する。
   この後も何度か修正が加えられる。*****
1946年10月7日、改正案が帝国議会で可決される。
1946年10月12日、政府が枢密院に諮問。
1946年10月29日、日本国憲法が公布。

1947年5月3日、日本国憲法施行。
   以後今日まで一度も改正されたことがない。

1948年12月23日、死刑判決の下ったA級戦犯の死刑が執行された。



*マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則
(原文)
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(日本語訳)
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


**マッカーサー草案(GHQ原案)
(原文)
Chapter II Renunciation of War
Article VIII  War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
(外務省仮訳)
第二章 戦争ノ廃棄
第八条  国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ

<外務省仮訳の口語訳>
第2章 戦争の廃棄
第8条 国民の一主権としての戦争はこれを廃止し、他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久にこれを廃棄する。
陸軍、海軍、空軍またはその他の戦力は決して許諾されることがなく、また交戦状態の権利は決して国家に授与されることはない。
<英語の日本語訳>
第2章 戦争の放棄
第8条 国権の発動たる戦争は廃止され、他の国との紛争を解決するための手段としての威嚇又は武力の行使は永遠に放棄される。
陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。

 ※(   )の原文と訳は転載したもので、< >の訳は私がしたものです。


***日本政府改正草案(3月2日案)
第二章 戦争ノ廃止
第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ廃止ス。陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。

<口語訳>
第2章 戦争の廃止
第9条 戦争を国権の発動と認め、武力の威嚇または行使を他国との間の争議の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを廃止する。陸海空軍その他の戦力の保持及び交戦権はこれを認めず。

GHQ原案と日本政府改正草案(3月5日)の違いとしてWikipediaには次の5つが記されている。
1.第1章に条文が追加されたため、第2章の第8条であった本条は繰り下がって第9条となった。
2.第1項の第1文と第2文はつなげられ一つの文となった。
3.「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言が戦争にもかかるように解釈しうることとなった。
4.「廃棄」から「廃止」に改められた。
5.第2項の最後の部分が「之ヲ認メズ」に改められた。



***日本政府改正草案(3月5日案)
第二章 戦争ノ抛棄
第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス

<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国家の主権において行う戦争及び武力の威嚇または行使を他国との間の争議の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず。国の交戦権はこれを認めず。

日本政府改正草案(3月2日)と日本政府改正草案(3月5日)の違いとしては次の5つが記されている。
1.「国家ノ主権ニ於テ行フ戦争」という表現に改められた。
2.「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言について、国家の主権において行う戦争と武力の威嚇・行使とが「及」で結ばれることとなったため、国家の主権において行う戦争にもかかることが明確になった。
3.「廃止」から「抛棄」に改められた。
4.第2項は「之ヲ許サズ」、「認メズ」と分けて書き改められた。



戦争にも種類がある

GHQ原案から章が設けられタイトルが付くようになった。
原則には無し→戦争の放棄→戦争の廃止→戦争の放棄

章タイトルでは戦争の説明をしているわけではない。
中にはどのように書かれているか?
「国権の発動たる戦争」「国民の一主権としての戦争」「国権の発動と認め」「国家の主権において行う戦争」
言い方は変わるが、「国または国民の権限を発動して行う戦争」であることは一貫している。
どこの国かは書かれていないが日本国憲法である以上、日本国であり日本国民だと考えるのが妥当だろう。
日本の権限を持って戦争を行うことはできない。
なぜシンプルに「戦争」ではなく、「あらゆる戦争」「すべての戦争」でもないのか。
日本が国権発動する戦争でなければ行うことは出来るということだ。
それ以外の解釈をしようがない。 


放棄、廃棄、廃止

・放棄とは持っている権利を行使しないこと。
例えば、相続する権利はあるが、その権利を行使しないと宣言することを相続放棄と言う。相続しないのである。
また負うべきものを負わないことも放棄するという。
例えば育児放棄など、すべき立場の人が行わないこと。責任を放棄するということになる。
相続放棄にも、代わって負うべき借金などを負わないという負の意味での放棄がある。

・廃棄は捨てることだが、条約など2者間の約束事を一方的に無効にする場合にも使う。

・廃止は何かをやめることである。
個人が廃止を決めることもあるし、組織が話し合いで廃止を決めることもある。
他者の意向は関係なく個人の都合などで一方的に廃止することもあれば、他者の意見や評価を参考にし協調的に廃止することもある。

戦争の放棄とは、戦争を行う権利を行使しないことであり、行うべき戦争を無責任に行わないという2つの意味がある。


国家と国民

****日本政府改正草案(3月6日)
1946年3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」。

第二 戦争ノ抛棄
第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト

<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国の主権の発動として行う戦争及び武力による威嚇または武力の行使を他国との間の紛争の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず、国の交戦権はこれを認めないこと。


アンダーラインの部分、3月5日案では国家の主権において行う戦争であった。
この部分を何度もいじっているということは、重要な箇所であると考えられる。
3月5日では「国家の主権」であったのが、翌日には「国の主権」に変更されている。
マッカーサーが政府改正草案を了承したのが3月6日だそうだが、3月5日案が了承され、その後に少々手直ししたのか、それとも3月6日案を了承したのかは不明である。
どちらにしてもマッカーサーは英語に翻訳された文章を読んだと思うので、日本語の変化が英語には表れていない可能性がある。
なぜ私がこれに拘るかと言えば、日本国憲法では国民に主権があるとされているからである。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
要するに「国の主権」と言えば国民と解釈することが出来る。
国民から起こされる戦争や武力行使を、他国との紛争解決の手段とすることを放棄する、という意味になる。


枢密院での大きな変化

*****天皇の諮問機関(枢密院)に諮詢された「憲法改正草案」
1946年4月17日に政府案として発表され枢密院に諮詢された「憲法改正草案」。

憲法改正草案(政府原案)
第二章 戦争の抛棄
第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。


現行のように第1項と第2項に分けられたのは、天皇諮問機関に出された時である。
また「(武力の行使などは)他国との間の紛争の解決の手段としては(放棄する)」という文章が強調されてきたように思う。
これまでは「(武力の行使などを)他国との間の紛争の解決の手段とすることは(放棄する)」となっていた。

(例)
①アイスクリームは、空腹を満たす食物としては、適さない。
②アイスクリームを、空腹を満たす食物とすることは、適さない。

趣旨は大きく変わるものではないが、①はアイスクリームに焦点がある。
アイスクリームは空腹を満たす食物としては適さないと述べているだけで、それ以外のことは言及していない。
それはつまりそれ以外であれば適する可能性があると予想される文である。
それ以外を文章にすれば、アイスクリームは心を満たす食物として最適である、となる。
②は空腹を満たす食物に焦点がある。
アイスクリームも適さない、かき氷も適さない、ジュースも適さない、このように幾つも並べることができる。


天皇は日本国民ではない

天皇には、戸籍や住民票がなく、名字も持っておらず、参政権(選挙権・被選挙権・国民投票権など)も有していない。
天皇は「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」であって、日本国民ではない。
刑法が適用されるかどうかも微妙なところである。
軍事裁判にかけられなかったところをみれば、刑法など法律の適用外である可能性がある。
昭和の時代に天皇は神であるとはさすがに言えなかったのか、象徴という言葉を当てはめたが、象徴とは何だろうか?
日本国民ではない人が日本国の象徴とはいったいどういうことなのか?
気になるのは「日本国民統合の象徴」である。国家総動員の国家総力戦の象徴ということだろうか?
ただの置物の人形なのか、それとも最高権力者なのか、象徴をどう捉えているかによって、原則の意味合いも、ひいては第9条の意図も変わってくる。

憲法第一条では「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と謳われているが、個々の意思を問われたことはないはずだ。
そもそも憲法は1946年に制定され、1947年に施行されたものである。
天皇も国民も、日々、年々、時代においては大きく、変わっていく。
いつまでも変わらず「総意に基づいている」という断定は本来おかしい。
総意に基づいているとするならば、間接的に天皇や皇族という地位や権力を認めていると勝手に判断しているということ以外にない。
誰も何も行動を起こさず、天皇や皇族は敬われ、憲法は大事で、憲法は改正されないから、日本国民はみな天皇の地位を認めていると判断しているのだ。
これもこれまで憲法が改正されてこなかった理由の1つではないかと思う。
「日本国民の総意に基く」という言葉は、「総意に基づかなければならない」と置き換えることも出来るのだ。


国家や国民の権限によって発動する戦争は廃止したとしても、日本国民ではない象徴である天皇が発動する戦争ならば出来るのではないだろうか?
そして天皇命令が表に出てくるとは限らないのでは?


負けても世界最強は揺るがず

アメリカアメリカ言うが、アメリカの権威はそれほど高くない。
権威者の力関係ならば、アメリカより日本のほうが上である。
敗戦国の天皇や皇室をつぶさないということは、権威の入れ替えがないということなのだ。

まとめ:世界最強の天皇陛下
日本人が知らない天皇陛下の権威

天皇の権威が国民に投影される。
日本は世界一になれる、日本人は世界一になる資格がある。
このように無意識に天皇の権威に祖国を重ねあわせ同一視していく。
こうした心理作用は「集合的記憶」や「日本国民統合の象徴」とも無関係ではなさそうだ。
投影やオーバーラップというのは、心理学はもちろん、小説の比喩とも関係がある。


国民とは?

国会議員の皆様は「国民、国民」と自分はまるで国民ではないような第三者観を醸し出していますが、皆さんも国民ですよ!
ただ他によい言葉が無いと言えば無いですね。
「非国会議員の皆さん」とか「非政治家の皆さん」とか「一般ピーポー」とか?
あっ「国家公務員特別職」だから特別?
国家公務員特別職は国民に非ず!?
芸能人の皆さんがお好きな「一般人」という言葉にも私は違和感を感じる。
芸能人のみならずメディアなどが好んで使うため限定的要素が生まれてくるのだと思うのだが、芸能人は一般ではないの?
何か特別な人種?民族?芸能人は国民に非ず!?
職業的なことを言えば、自分の専門としている職業以外の人は一般人となるはずで、その他大勢の呼称が「一般人」となるのは芸能人の特権ではないはず。
裁判官だって医師だって漁師だって農家の人だって、それ以外の職種の人は一般人である。
国家資格など資格職(専門職)なら尚更その他大勢の人が一般人になってもおかしくはないと思う。



by yumimi61 | 2015-07-28 12:26