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日本国憲法の秘密-112-

過越祭は春のパン祭り!?

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言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『最後の晩餐』。
晩餐というと宮中晩餐会に代表されるように、招待者をお招きし、豪華な食事でおもてなしする正式なお食事会を思い浮かべる。
だからそのお食事の英単語はDinnerかなぁなんて思うはず。
(だって中学生の時に習ったでしょ?豪華な夕食がdinnerで質素または日常的な夕食がsupperだって)
でも上の絵の英語タイトルは『The Last Supper』である。
(lastは'最後'の他に'続く'という意味があることを大人になる過程で学びませんでしたか?)

正教会では最後の晩餐とは呼ばず、機密制定の晩餐と呼ぶ。「晩餐」はイエスの復活後にも弟子達とともに行われていたほか、現在に至るまで聖体礼儀として教会に継承されており、本項(最後の晩餐)で述べる晩餐は「最後の」ものではなかったからだとする。
日本聖書協会による新共同訳聖書では、該当する聖書の記述箇所に「主の晩餐」との見出しがつけられている。


そもそも福音書文中では仰々しく「最後の晩餐(The Last Supper)」とは言っているわけではない。
過越祭(the Passover Festival ・the Festival of Unleavened Bread)の食事と言っているだけである。
この食事の後にイエスは死んでしまう。

過越祭 Pesach; Passover
ユダヤ教三大祭りの一つで春祭り。種なしパンの祭り,除酵祭とも呼ばれる。家畜の初子を捧げる牧畜祭りに,大麦刈入れの農繁期に除酵パンを食べる農耕祭りが結合し,さらにイスラエル人のエジプトでの隷属を想起し,そこからの解放を神に感謝するという出エジプトの歴史的意味が加わった。 <ブリタニカ国際大百科事典>

ユダヤ教の祭日の一つ。英語でPassover。ユダヤ暦ニサン月14日の夜から1週間。奴隷状態にあったユダヤ民族のエジプト脱出を記念する。神がエジプト中の初子を殺したとき,仔羊の血を門口に塗ったユダヤ人の家だけは過ぎ越したという故事にちなむ。 <百科事典マイペディア>

その昔、おそらく農繁期休暇と収穫祭が合わさったような過越祭という地域的な行事があったのだろう。
その時期の忙しさや慌ただしさ、後の解放感と達成感、これが旧約聖書・出エジプトの時のユダヤ人の心境にも重なるということになって宗教的意味合いも重ねられたのだと思う。
田植えの頃とか秋の収穫時とか地域や時代によって時期は多少違うが、日本でも農繁期休暇が存在した。農繁期には学校が休みになったのだ。
家の手伝いをしなさいということなんだろうけれど、子供が労働力にはならなくなった時代には、「わーいわーい学校が休みだ!」と子供達はお祭り気分!?
夏休みを短くしてその分を農繁期に(農繁期休暇や秋休みと称して)振り分けるという方法をわりと最近まで行っていた地域があると思う。
近年は、夏休みを短くして通学が大変な冬季に休みが長くなるという現実的な選択をする学校が多くなったのだろう。 

ともかく過越祭はパンだけではなく家畜(羊)のお供え(生贄)にも関係する行事であった。
つまりこの時に殺されたイエスは、生贄(供犠)であるということなのだ。
だからこそイエス・キリストは「神の子羊」とも例えられるのだろう。
イエスを踏み台にして得たものがあった。


郵便を制するものは世界を制する

『最後の晩餐』は1495-1498年にレオナルド・ダ・ヴィンチが制作した。
イタリアのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の食堂の壁画として描かれたもので現存する。
つまり誰かに買ってもらったり美術館に飾ってもらおうと思って描いた絵ではなく、ほとばしる情熱に突き動かされて描いた絵でもない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの初期のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公(当時のイタリア・ミラノの統治者)の要望で描いたものだそうだ。
後期のレオナルド・ダ・ヴィンチはバチカンで暮らしている。

食堂だけに『最後の晩餐(The Last Supper)』(イタリア語ではL'Ultima Cena)を選んだのかは不明だが、その絵(壁画)に価値が出たのは後世のことだ。
幾度の危機を乗り越えた奇跡の壁画  現在はユネスコの世界遺産となっている。

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ミラノの市旗はイングランドの国旗(セント・ジョージ・クロス)に、
紋章に使われている十字は赤十字に似ている。
神聖ローマ帝国は赤白が逆のパターン。
それはスイスと赤十字の国旗の関係でもある。


レオナルド・ダ・ヴィンチの初期パトロンのルドヴィーコ・スフォルツァ公の後ろ盾は神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)だった。
神聖ローマ帝国は後にドイツとなり領地も現在のドイツに近くなっていくが、神聖ローマ帝国(800年/962-1806年)当初は現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部を領地としていた。
ミラノもイタリア北部にある。
1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」である。

現在のドイツもそうだが神聖ローマ帝国も幾つかの領邦によって構成される領邦国家(連邦国家)であった。
ハプスブルク家はオーストリアの家系で、この家の君主が神聖ローマ皇帝だった時代がある(1526-1806年)。
その後、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国となって領地は縮小するものの、第一次世界大戦まではイギリス・ドイツ・フランス・ロシアとならぶ欧州五大国(列強)の1つに数えられた。
第一次世界大戦の原因とされている国である。

多民族国家だった旧帝国のうち、かつての支配民族のドイツ人が多数を占める地域におおむね版図が絞られた。1938年には同じ民族の国家であるナチス・ドイツに併合されたが、ドイツ敗戦後の1945年から1955年には連合国軍による分割占領の時代を経て、1955年の独立回復と永世中立国化により現在につづく体制となった。
ナチス・ドイツのヒトラーはドイツではなくオーストリア出身である。(もっと古い時代に遡れば1つの帝国だった時代もあるけれども)

神聖ローマ帝国のハプスブルク時代絶頂期に皇帝として君臨したのはカール5世(在位:1519-1556年)であり、同時にスペイン国王(在位:1516-1556年)でもあった。
カール5世の母方がスペイン、父方が神聖ローマ帝国(オーストリア系)で、自分の出生地はベルギー・オランダ・ルクセンブルクの3ヶ国(ベネルクス)にあたるネーデルラント。本人の愛着は生まれ育ったネーデルラントにあった。

その治世は、ヨーロッパ統合を果たしたカール大帝以来の歴史的ヨーロッパ概念の創造者、体現者とも言われる。さらに当時は大航海時代の真っ只中にあったため、「太陽の沈まない国」と称されたようにヨーロッパから新大陸、アジア(フィリピン)に至る世界帝国を築き上げた。彼の理想はオットー1世以来有名無実化していた神聖ローマ帝国を統一し、最終的には西ヨーロッパの統一とカトリック的世界帝国の構築であったが、覇権を争うフランス王国との戦い、宗教改革の嵐、スレイマン1世が率いるオスマン帝国の伸張など相次ぐ戦いに阻まれ、あと一歩のところで目的は果たせなかった。

カール5世は国の郵便主任だったフランチェスコ・デ・タシス1世に郵便事業の独占と世襲を認めた(1516年)。
これを帝国郵便という。帝国の皇帝が民間(一家族)に郵便事業を任せることが「帝国郵便」であり、これが情報グローバリゼーションと郵政民営化の元祖であったという。
ハプスブルク家の君主が神聖ローマ帝国の皇帝だった時代にメディアと郵便事業を掌握し、国家による情報管理の礎を築いたのだ。
この(民間)帝国郵便は1597年に時の皇帝(ルドルフ2世)に公認され領邦郵便を完全に禁じた。
しかし、君主国の郵便は堂々と営業した。ゲラルド・ファン・スウィーテンはイエズス会の検閲制度を段階をふみ、やがて完全に帝国のものへ転化した。その過程ではモンテスキューによる『法の精神』が発禁解除となった。帝国郵便は新聞の流通を掌握し、検閲網となった。このような体制はドイツ統一まで続き、万国郵便連合の基礎となった。

※万国郵便連合
万国郵便連合は、加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度をつかさどる。
最も古い国際連合の専門機関の一つであり(最古は国際電気通信連合、万国郵便連合はそれに次いで古い)、1874年10月9日、国際郵便条約によって設立された。本部はスイス・ベルンに置かれている。


現在は国際連合の機関の1つになっているが、万国郵便連合設立時期は、第二次世界大戦後発足の国際連合、第一次世界大戦後発足の国際連盟より早い。
それが意味するものは何だろうか?

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1939年に定められた半公式国際連盟紋章。
ドイツや常任理事国だった日本は1933年に脱退。
入れ替わるようにソ連が加盟したが、そのソ連も1939年に脱退。
その1939年に定められた紋章。(今頃?といった感じですね)
国際連盟にアメリカが加盟することはなかった。
五角形に五つの点で描かれる☆・・・



全員そちら側にお願いしま~す

小説の影響なのか、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に新約聖書の秘密が隠されているような勢いで、この絵の構成や細部が語られることがあるが、この絵は新約聖書が書かれた時代よりずーっと後に描かれたものである。
創作されたのは宗教改革の走りの時代である。
従って聖書と絵が並行に創作され秘密を隠したということはないし、写実的に描かれた絵でもない。
大事に後世まで残してこれを伝えようという環境に置かれた物でもない。

この絵の存在感と奇異さは、全ての人が横並びに座っている(立っている)ことである。
人々がテーブルの片側にいるということであり、正面があるということ。
「はいチーズ」とか言って記念撮影をする直前でしょうか?こういう構図は記者会見や面接の時にも見られますね。
記念写真撮影で後ろ向きはまずない。
記念撮影ではなくスナップショットだとしても有名どころを後ろ向きにするという構図はなかなか勇気がいる(常識を超えている)。
そんな写真を撮って、とっておきの一枚に使うのはホワイトハウスくらいでしょうね。
日本だったら村上春樹か桜井和寿くらいなもので。
お食事会の絵を写実的に描いたらこんなことにはならない。

≪私信≫隣の隣の人にマフラーがお揃いかもしれないとお伝えください。
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席順は大事

ルカ福音書には席についての記述がある。イエスの話したこととして書かれている。
レオナルド・ダ・ヴィンチがどれくらい新約聖書に精通していたか分からないが、絵的にはイエスとその弟子は上座に位置していることになる。
ただ食堂の描かれた場所如何では下座側である可能性もある。例えば出入り口側とか。
この点においてはなかなか興味深いものがある。

(ルカ 14:7)
客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。
He spoke a parable to those who were invited, when he noticed how they chose the best seats, and said to them,
(ルカ 14:8)
「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。
“When you are invited by anyone to a marriage feast, don’t sit in the best seat, since perhaps someone more honorable than you might be invited by him,
(ルカ 14:9)
その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。
and he who invited both of you would come and tell you, ‘Make room for this person.’ Then you would begin, with shame, to take the lowest place.
(ルカ 14:10)
むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
But when you are invited, go and sit in the lowest place, so that when he who invited you comes, he may tell you, ‘Friend, move up higher.’ Then you will be honored in the presence of all who sit at the table with you.
(ルカ 14:11)
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
For everyone who exalts himself will be humbled, and whoever humbles himself will be exalted.”
(ルカ 14:12)
また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。
He also said to the one who had invited him, “When you make a dinner or a supper, don’t call your friends, nor your brothers, nor your kinsmen, nor rich neighbors, or perhaps they might also return the favor, and pay you back.
(ルカ 14:13)
むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい。
But when you make a feast, ask the poor, the maimed, the lame, or the blind;
(ルカ 14:14)
そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。
and you will be blessed, because they don’t have the resources to repay you. For you will be repaid in the resurrection of the righteous.”



スイス傭兵の裏切り

もうひとつ興味深いことは「裏切り」である。
「この中に裏切り者がいる」とイエスが言ったのが最後の晩餐だとされるが、絵を描かせたミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァのその後の人生は裏切りによって決まった。
福音書に描かれたイエスのようである。

(絵が完成した翌年)1499年ルドヴィーコの後楯である神聖ローマ皇帝のハプスブルク家がフランス王国と対決した。ルドヴィーコは神聖ローマ帝国につき、翌1500年にフランス軍はスフォルツァ城を包囲し、相互にスイス傭兵を率いていた。しかし、1500年に、配下のスイス傭兵の裏切りのために、ルドヴィーコは窮地に追い込まれてしまい、一部のスイス傭兵の好意で、スイス傭兵に仮装して脱出を試みた。しかし、500クローネンの報酬に釣られたウーリ州の傭兵隊長のルドルフ・トゥールマンが密かにフランス軍に密告したため、ルドヴィーコはルドルフの手勢に捕らわれてフランス軍に引き渡された。これが名高い『ノヴァーラの裏切り』である。
ルドヴィーコは、そのまま1508年まで投獄され・獄死した。


神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)・・・・ミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァ・・・・スイス傭兵「裏切り」
                          フランス王国・・・・スイス傭兵




by yumimi61 | 2015-11-26 12:51