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日本国憲法の秘密-114-

紋章とともに歩んだ家と国々

鷲(鷹)を使った国章・紋章は多い。

鷲は、強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられた。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われた。
古くはローマ帝国の国章とされ、ヨーロッパを中心として関連した帝国、王国、貴族、都市、教会などで使用された。現在のドイツ、アメリカ合衆国、ロシア連邦、エジプトなどの国章にも使われている。


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ローマ帝国の国章


SPQRとは、ラテン語の「Senatus Populusque Romanus」の頭文字略語。
英語圏で流行りの頭文字略語のルーツは古代ローマのラテン語にあったというわけである。
SPQRは現在でもイタリア・ローマで用いられている。
その意味は「元老院とローマの人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。
「SPQR」の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたるあらゆる地域で公共物に全て刻まれ、軍団の軍旗などにも使われた。ローマ時代の遺跡やそれを基にした建造物、ローマ市の盾形の紋章に見て取ることができる。

SPQRを取り入れ、上記の国章を作ったのは紀元前の王政時代や共和制時代ではなく、帝政時代になってからだと思う。

400年代頃にゲルマン人の大移動があり南や西のローマ帝国内にも進出してきた。それに重なるようにローマ帝国の西側は統治能力を失い、代わりに台頭したのがキリスト教の指導者・ローマ教皇だった。
北の方から来た人達が現在のドイツ付近に住みついた。これをゲルマン人と言うが、後にさらに拡がっていった。
ゲルマン人の大移動なくして現在のキリスト教(ローマ教皇)はないと言っても過言ではないかもしれない。
ローマ帝国の東側は領地の変遷や争いはありながらも、その後1000年近くも続いた。
ローマ帝国とローマ皇帝の滅亡は、ローマ教皇が送り込んだ十字軍がきっかけとなった。

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東ローマ帝国の国章
〇の中は万字に似ている気もする


東ローマ帝国の鷲は「双頭の鷲」である。
西と東を表したというが、これが作られたのは帝国末期であり、西側はすでに滅亡していた。
そうとなれば、西側を支配したキリスト教のローマ教皇が作らせた国章ではないのかと疑ってしまう。
現在では、西洋と東洋を表している(ローマ帝国が位置的に境目だったから)、政教結合を表したとも考察される。政治(国)と教会(宗教)の分離ではなく一致である。
要するにキリスト教(ローマ教皇)が支配権を持ったということになろう。
形式的なものであっても一応「政教分離」が謳われる日本においては馴染みにくいが、キリスト教の欧米諸国やイスラム教のイスラム諸国では政治と宗教を切り離すことがなかなか出来ない。むしろ当然のものとして長い間受け入れられてきた。
役割分担を別の言葉で表現すれば、政教結合ということも出来るし、政教分離ということも出来る。


紋章を重要視しない万世一系・世界最長の国家

紋章のような図は戦いにおいて個人や団体を識別するために用いられたものである。
だから剣や盾が描かれ、鷲や獅子など強い生き物がモチーフとなった。
このようなことは紀元前から行われていたことである。
ただそれを「紋章」と呼び、幾つかのルールが設けられるようになったのはもっとずっと後のことで、11世紀のドイツに始まったとされる。
11世紀のドイツとはすなわち神聖ローマ帝国である。
紋章のルールの1つに継承がある。
代々子孫に受け継がれていくのが紋章であり、そうした継承性がないものは例え図がルールに則って描かれていても紋章とは呼ばない。
紋章はドイツからフランスやイギリスへ伝わり、その後ヨーロッパ各地に広がった。

日本でも奈良時代の品々に美しい様々な文様が描かれているのを見ることができる。
もっと言えば縄文時代の品々にも文様は描かれている。その文様が縄文であり時代名にもなっているのだ。
平安時代になると装飾だけでなく、各家固有の目印として用いられるようになる。
始まりは平安貴族が所有の牛車に入れた印であったと言われている。
その後、戦いの際ののぼり旗にも家紋を入れるようになった。
それまでの戦いは一騎打ちであり、運動会の騎馬戦や棒倒しではないが、こちら側は赤い旗(黒でもよし)、こちら側は白い旗と色で分けていたのだ。
そんなわけで日本の家紋も8~12世紀には始まり、戦国時代15~16世紀には戦いの象徴のようにもなっていた。
日本で紋章にあたるものが家紋なのだ。
旧家の蔵に記された家紋を今でも時々目にすることがある。
私が子供の頃、親戚の家にも蔵があって、子供心になんとなくワクワクしたものだが、家紋が入っていたかどうかは記憶にない。

紋章は繋がりを証明するものとなり得る。
天皇(皇室)が万世一系を謳うのであれば、古い建物や品々から天皇家と同じ紋章(家紋)が見つからなければおかしい。
万世一系のもとに日本という国が継続してきたならば、国章(紋章)があって然るべき。
少なくともヨーロッパの権威者や権力者はそう思うのではなかろうか。
天皇が万世一系を謳う日本には公式な国章が無い。
皇室や日本政府が紋章(家紋)に重きを置いているふうもない。そう思うだろう。
(最新技術で古いものでも作るか?そのあとは学者がお墨付きを与えて、メディア部門が広報すればいいんだし?)

蝋の話

アメリカの国章にも鷲が使われている。
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アメリカの国章は国章として定めたものではなく、国の印章であるグレートシール(日本語では国璽)の図柄に彩色したものを用いている。
グレートシールだから裏面があるのだが、日本人であれば印章になぜ裏があるのだと思うかもしれない。
グレートシールは私達が知っている印鑑とは少々違うものである。

西洋の印章は通常は平らな円盤状であり、裏面にも図柄が彫られているものもある。また、東アジアの印章のように朱肉を付けて押すのではなく、溶けた封蝋の上に押し付けて型を取る。そのため、印影だけでなく、立体的な浮き彫りがされている。
現在、国璽(グレートシール)を使っている国などは以下のとおり。
フランス、イギリス(スコットランド・北アイルランド)、アイルランド、アメリカ合衆国及び同国内の諸州、カナダ


またまた郵便の話になるが、手紙に封印を押すことがあると思う。
封印とは封をした証拠やその物の使用や開閉を禁ずるために、封じ目に印を押したり証紙を貼り付けること。
ヨーロッパでは封印をするために蝋を用いた。これをシーリングワックスという。
その上にシール(印璽)で刻印することで、未開封であることを証明できる。
私なんか糊のシールを貼るのがせいぜいだが(ガムテープの時もあります)、日本でもシーリングスタンプキットが雑貨屋などで売られていることがある。こんなやつです
ロシアでは郵便局でシーリングスタンプを押してくれるらしい。
ただ封蝋の上に押すシール(印璽)は本来、家紋や紋章のように個人や家系のシンボルなどを刻んだものである必要がある。
それが確かにその差出人から送られたという証明になるからだ。名前を書くくらいは誰にでも出来てしまう可能性があるということ。
指輪タイプのシール(印璽)もあり、それをシグネットリングと呼ぶ。これはもう本来の意味で使われることは少ないようだ。(カレッジリング参照)
私の父がこの形の指輪をしていた。たぶん自分で作ったものだと思う。但し肝心の彫刻はなかった。のっぺり。

国が使用しているグレートシールもそのようなものである。(もっとサイズが大きいだろうけれど)

現代では形式に過ぎないのかもしれないが、洋酒にもシーリングスタンプが用いられているものがある。
カルーアにはKというシールが刻印してある。

今なおグレートシールを用いている国々は帝国郵便による検閲に対抗した国なのではないだろうか?


今も大日本帝国のまま

国璽は外交文書など国家の重要文書に押される。これは政治的な押印になるだろう。


日本の国璽は金印(金合金製18金とされる)で、印文は篆書体で「大日本國璽」(2行縦書で右側が「大日本」、左側が「國璽」)と篆刻されている。
3寸(約9.09cm)四方の角印、重さは約3.50kg。

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勲章の授章者に与える証書(勲記)や褒章の褒状にも押される。こんな感じに押されています

日本において勲章は、天皇の名で授与される。日本国憲法第7条7号は天皇の国事行為の一つとして「栄典を授与すること」を定め、同条を根拠に「栄典」の一つとして天皇が勲章を授与する。栄典授与の実質的決定権について日本国憲法には明文の規定がないが、日本国憲法第7条の助言と承認及び行政権の主体であることから内閣が実質的決定権を有する。
勲章制度を定める法律はなく、政令(政令とみなされる太政官布告、勅令)及び内閣府令(内閣府令とみなされる太政官達、閣令)に基づいて運用されている。


ここで思い出してほしいのが日本国憲法である。
日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ (行い)、国政に関する権能を有しない。」と規定している。
国璽も「こくじ」と読み、国事も「こくじ」と読む。
天皇が行うのは国事行為ではなく、国璽行為だったのでは?勲記などに押印するお仕事である。
私は前に「国事行為って何?」と書いたことがあるが、国事なんて言葉はおかしくないだろうか?
国璽と国事は読み方が酷似しているため(同じ?)、新憲法を作る際に国事で誤魔化したのでは?

国璽の使用については、1886年に「公文式」(明治19年勅令第1号)、次いで1907年に「公式令」(明治40年勅令第6号)によって明文規定された。
しかし日本は天皇の下に戦った第二次世界大戦で敗北した。
(私はそう思っていないけれど)天皇は政治に関与しないただの象徴になった。旧体制は棄てたはずだ。
公式令も廃止された。にもかかわらず同じものが国の重要文書に使われている。
大日本帝国憲法が日本国憲法に変わっても、「大」を外すこともせず、「大日本國璽」を重要文書に押し続けているという。
(夫婦別姓を導入して姓を変える必要をなくそうと言うのは、国名に肖っているのだろうか?)

公式令は1947年(昭和22年)5月3日の内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)により廃止され、その後これに代わる法令はないが、国璽・御璽の用例など公式令に定められた事項は慣例により踏襲されている。



by yumimi61 | 2015-11-28 12:32