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日本国憲法の秘密-116-

※追記しました。(12月1日)

形のこと

国家が大きくなったり、国民が多民族である時には、共和制(国民主権)は難しくなる。
何故かと言えば、国が大きくなれば国の端から端の距離が長くなるからだ。それはそう物理的な問題である。
人間が宇宙の物質である以上、物理的な事柄からの影響は不可避。
距離があれば親近感を得にくいのは仕方ないこと。
縁も所縁もないものに感情移入することは難しい。
逆に縁や所縁があるものに感情移入しやすいのは、自分と対象との間に「投影」という現象が起きているからである。

ではその縁や所縁は強固なものなのかと言えば、そうでもない。
「遠くの親戚より近くの他人」という諺があるように、距離の近さが血縁的な縁を超越することは日常的に見られる。
縁者よりも赤の他人との関係が強く頼りになるというのでは何かと不味い、そう思った人がいたのだろう。
そこで血の繋がりのみならず単なる巡り合わせも「縁」と呼ぶことにした。
「ここでお会いしたのも何かの縁かもしれませんね~。袖振り合うも多生の縁といいますから」などと言うことがあると思う。(死語?)
「袖振り合うも多生の縁」という諺は、縁も所縁もない見ず知らずの人とたまたま道ですれ違って袖が触れ合った、電車やバスで隣りに座った、そんな出会いも単なる偶然ではなく、実は前世からの深い因縁であるという意味。仏教の教え。
そうでも言わなければ「血縁的な縁」の立つ瀬がない。
一方、血縁を優性と考えれば、血縁者以外と結婚して子供を生むなんて思い切ったことはなかなか出来なくなる。
だから「赤い糸」で繋がっていたとかなんとか言って、それを宿命と思い込ませ、縁組をする。
その昔、結婚話は「縁談」であった。「縁」を結ぶための落としどころを探ったわけである。
袖振り合うも多生の縁の「多生」を「他生」と書くことがあるが、「血縁(輪廻転生)」か「単なる巡り合わせの縁」かの違いであろう。
宿命と運命という言葉の使い方も曖昧だが、本来は前者が」宿命」、後者が「運命」だろうと思う。

話が大きくなってしまったが、国が大きくなるということは、縁のない土地や人が増えるということである。挙句のはてに距離もできる。
全国民に対する宿命や運命の人の割合は、国家が大きくなるほど小さくなる。それはつまり国の一体感や団結力が弱まるということである。
大きな国のあちらこちらで好きな事をして勝手にふるまうようになる。しかし多くの場合、一人一人や小さな集団に悪意はない。それが「私」であり「私達」なのだ。
国家運営は困難を極める。

土台をどんなに広げようとも一人一人の人間が縁を感じられる範囲は限られている。
全ての人を特別にしてしまえば特別の意味がなくなる。特別を与える側も与えられる側にとっても恩恵がなくなってしまう。恩恵がないところに特別性は感じられない。これが人間である。

民族が違う場合にはやはり血縁的な縁を感じにくい。
人間は形に弱いので、見た目や言葉の違いは親近感を阻害する。
一方、「形に弱い」ということは、逆に利用できる。
目に見える物、例えば金や土地や建物やメダルや賞状などを与えてくれる人には親近感を感じやすくなる。
遺伝子を目に見えるものにしたから(目に見えるように扱ったから)、多くの人が信じて疑わなくなるのだ。
姓(名字)なんかもある意味「形」だと思う。

(まとめ)知らない者や見えない者に投影されることはない。


ローマ帝国という手本

ローマ帝国の始まりは、都市国家連合であった。
まずローマという都市国家があった。
ローマはイタリア半島の他の都市と同盟を結んだ。これでローマ都市国家同盟国(連合国)が出来た。
さらにイタリア半島の外に出て領地を獲得し、それは新たに属州と呼ばれた。
属州となった地域(国家)にはもともと君主がいて統治が行われていた所も多い。
こうやって都市国家ローマは帝国を形成していったわけである。

イエスが誕生した地で、現代のパレスチナとイスラエルにあたる地区は ローマ帝国の属州(ユダヤ属州)だった。そして問題児だったのだ。
ローマ帝国の属州になる前はユダ王国で、その前はイスラエル王国だった。
王国という名で分かるように君主である王が存在したのである。


数的には民衆のほうが圧倒的に多いわけだから、君主制はいつの時代も人気がない。
民衆が多くなればなるほど君主の危険性は増す。
ローマ帝国にも共和制の時代があった。それまでいた王を追放して共和制に移行したのだ。
しかしローマ帝国が拡大するほどに共和制の難しさに直面することになった。
それはすべて紀元前のことである。
「再び君主制派」と、「このまま共和制派」が衝突し、君主になろうとする者は暗殺された。
苦肉の策が、実質的には皇帝だが、建前としては共和制を維持するというものだった。
そんなわけで初代皇帝は細心の注意を払った。

彼は暗殺されないために最高権力者を連想させる振る舞いを極力避けた。そんな彼にとって直接の職権を伴わないこの「プリンケプス」という名誉称号は表向きとしては格好の隠れ蓑となった。
統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。1つ1つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。こうした地位について「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。


このような体制を後世において、プリンキパトゥス(元首政)と呼んだ。
そうとなれば、元首とは「共和制(国民主権)の仮面をかぶった君主(皇帝や王)」ということになりそうだ。いろいろ事情はあったにせよ。
これを踏まえれば、現代における「君主は元首である」という見解にも納得がいく。
元首である大統領は実質的には皇帝で、君主の存在する国の首相は元首ではない。
一般論と辻褄があう。

さらにローマ帝国は、血縁による世襲、養子による継承、軍人による皇帝など試行錯誤し、284年に堂々とした君主制に移行した。
この時に既存の属州はおよそ100程度に再分割し、属州総督の権力を削減し、強力な官僚制を作り上げ、皇帝が官僚を通じて人民を支配する体制を作り上げた。
これが「専制君主制」と言われる。
聖書が正しければ、この時にはもうすでにキリスト教が興っていることになる。
ローマ帝国の君主体制は、日本の体制に似ている。
日本は専制君主制なのではないだろうか、そう言えば、憲法があり天皇の存在が明記されていると反論されるだろう。
しかし天皇が「君主」であることは明文化されていない。
「日本国と日本国民統合の象徴」という極めて曖昧且つ意味不明な人物として記されている。
従って、建前は国民に主権のある共和制だが、実質的には「憲法にはとくに規定されていないが、国家統治権を君主あるいは少数の者が独占し、かつ恣意的に行使する政治体制」である専制君主制であると考えられる。

君主制に移行したローマ帝国だが、それでもやは国が大きくなりすぎてなかなか上手くいかなかったらしい。
ローマ帝国は何度か西と東の分割統治を試みている。
395年にも西と東で分割した。これが後世において「西ローマ帝国」「東ローマ帝国」と呼ばれることになる分割である。西側の滅亡により再びの統一はなかった。
395年の分割は皇帝が領地を分けて自分の息子2人に託したものであるが、どちらも無能だったと厳しい評価。
東側r担当の兄17歳、西側担当の弟10歳での皇帝継承だったから仕方ないと言えば仕方ない。
堂々とした君主制に移行して200年余り、476年に西側は統治能力を失い、領地も失うこととなった。


ローマ帝国の凄さ

ローマ帝国の凄さは領地の大きさではなく、記録を残したことだろうと私は思っている。
紀元前の出来事から今日に至るまでの国のありようが、王や皇帝の名前を含めてリアルに語られる。
神話や聖書や古事記といったものとは少し違って、現代人でも現実のこととしてすんなりと受け入れやすい。
それほどの記録を残していたとすれば圧巻。
後世で多少創作したとしても、先見の明があることには変わりない。(19世紀くらいのことだけど?)(いやいや何を言っているんですか、20世紀ですよ?)
創作ではなく訳の妙だろうか。
今はもうほとんど使われなくなったラテン語で記されており、そのラテン語文書はバチカンに眠っている、そうということだろうか?
ラテン語が消えていったように、漢文や漢字も消さなければならない?




by yumimi61 | 2015-11-30 12:34