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日本国憲法の秘密-160-

紋章について

大隈重信の板垣退助の話がまだ終わっていないのだが、その前に紋章について考えてみたい。

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上の紋章画像ははWikipediaの「紋章の一覧」に掲載されているものだが、江戸幕府の後の4つは私が付け足した。
皇室は菊花紋(十六八重表菊)で、日本政府や内閣総理大臣は五七桐の紋を使用している。
しかし前述のとおり、皇室は武田家の家紋も用いている(一般参賀の時などに見ることができる)。
また政府や内閣には日本国と入れずに、内閣総理大臣にだけ日本国と入れたところが何気に凄い。

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横の線は龍を表している。源義国の長男の新田義重は一の龍・次男の足利義康は二の龍、それを家紋に表現したのがスタート、らしい。
江戸時代になって「新田の龍は一匹だったから足利の2匹の龍に挟まれて敗れた」という俗説が生まれた。 そんな話を嫌った新田の末裔が一つ引両の横線を太くして大中黒紋に変えたと伝わる。
足利氏と新田氏の家紋より>



※熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。
官幣大社は官(朝廷、国)から幣帛ないし幣帛料を支弁される神社。
三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。

主祭神は熱田大神。
熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。

一般的に考えれば日本武尊だろうと思う。
日本武尊は群馬県と関わりが深い。また長野県の諏訪とも関係がある。
こちら日本武尊伝承に詳しい。
(最初の方は古事記と日本書記の登場シーンを訳したものだそうであるが、古事記や日本書記は書き換えられた箇所があると推測され、解釈の相違、白文漢文の訳と返り点漢文の訳では意味が変わることがある。)

熱田神宮は歴史が古い神社だそうだ。日本武尊(倭建命・ヤマトタケル)も古代の人物。
日本政府が用いている「桐紋」は「桐竹紋」から派生したものではないだろうか。


桐紋

桐紋(きりもん)とは、ゴマノハグサ科のキリの葉や花を図案化した家紋の総称である。桐花紋(とうかもん)とも呼ばれる。
室町幕府では小判などの貨幣に刻印され、これ以来皇室や室町幕府や豊臣政権など様々な政府が用いており、現在では日本国政府の紋章として用いられている。 

古くから桐は鳳凰の止まる木として神聖視されており、日本でも嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。また中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っている。このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。 


昨日も載せた土佐桐、また筑波大学の校章も桐紋である。
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筑波大学は、1872年創立の師範学校からの1886年の東京高等師範学校を前身とする。官立の学校だった。現在は国立。
五七の桐章を校章に用いるようにと明治天皇から賜ったものだそうだが、五七桐は恐れ多い(不敬にあたる)との理由で五三の桐が採用されたと言われている。
筑波大学のシンボルマーク説明ではそこまで言及していない。

桐紋を武家の権力者に与える政策をとったことで有名なのは鎌倉時代の後醍醐天皇で、建武の中興の恩賞として足利尊氏に桐紋を下賜しています。
足利尊氏の定紋は二つ引き両でしたから、足利家ではこれを家紋に用いる一方で、家臣らに恩賞として桐紋を賜るという、天皇家と同じ方法で家紋の権威付けを行うことになります。
こういう場合、下賜する桐紋は天皇家から賜る五七の桐そのものではなく、簡略化した五三桐や桐菱、桐車などの桐紋をアレンジしたものになることが多かったようです。
いずれにしても桐紋は、天皇家や将軍家から賜る権威ある家紋だったのです

豊臣秀吉の家紋が五七の桐であることにはどんな意味があるのか?

上記の説明には後醍醐天皇が足利尊氏に下賜したとあるが、足利尊氏は離反し後醍醐天皇の反対勢力となった。
後醍醐天皇は南朝で、足利尊氏は北朝側に付いた。南朝に付いたのは新田義貞である。
足利尊氏が天下を取った室町時代は1336~1573年であるが、このうち1336~1392年は2つの朝廷が存在した南北朝時代である。つまり対立関係にあった。
しかも後醍醐天皇は1339年(延元4年/暦応2年8月15日)に亡くなっている。
このことから後醍醐天皇が建武の中興の恩賞として足利尊氏に桐紋を下賜するわけはないのである。

古くから菊紋とともに皇室が用いていたということだが現物が残っているのだろうか?
兎にも角にも桐紋を代表する人物は豊臣秀吉であり、それ以降に広まったような印象がある。


桐(キリ)

桐の花と葉だと言うのだから、桐に注目してみよう。

キリ(桐、学名: Paulownia tomentosa)は、ゴマノハグサ科(あるいはノウゼンカズラ科、独立のキリ科 Paulowniaceae とする意見もある)キリ属の落葉広葉樹。漢語の別名として白桐、泡桐、榮。
属名(Paulownia)はシーボルトが『日本植物誌』(1835年)においてアンナ・パヴロヴナに献名したもの。ただしシーボルトが与えた学名はP. imperialisであり、後にツンベルクが1783年にノウゼンカズラ科ツリガネカズラ属としてBignonia tomentosaと命名していたことが判明して1841年に現在のものに改められた。


シーボルトと言えば紫陽花である。(医者だけど植物に目覚めていた)
シーボルトの日本人妻の名は楠本滝。2人の子の名は稲(イネ)。
シーボルトは紫陽花の学名に滝の名を使ったとか。
HYDRANGEA OTAKSA(ハイドランゲア・オタクサ)。オタクサ(おたきさん?)がそうらしい。「もう沢山!」じゃなくて?
献名とはこのように、植物や生物の命名に際して、特定の人物の名前を織り込むことである。
品種改良して次々と新しい品種が生まれるバラにはよく見られる。また星の命名にも人物を当てることがある。
桐の学名Paulownia tomentosaや属名Paulowniaの'Paulownia'は、オランダ王妃のアンナ・パヴロヴナ(Anna Paulowna)の名を付けたものだということなのだが、シーボルトが実際に付けた名は P. imperialisだったそう。
imperialis、インペリアリズム、帝国主義。意味深。


桐から生まれたのが稲?

群馬県には桐生という地名があるが、桐生という姓もある。その姓もやはり桐生がルーツらしい。

現群馬県である上野国山田郡桐生村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より 賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流がある。中興系図には源氏を名のったとされる。 新潟県、群馬県、東京都などに多い。桐の生い茂った場所が語源。

中臣鎌足は蘇我氏暗殺クーデターを企て実行に至り、その手柄として藤原姓を下賜され、天皇家や蘇我氏族と婚姻関係を結び伸し上った。
天智天皇や天武天皇は反蘇我勢力一族に属するがやや性質を異にする。
即位した形跡も実績がないのに明治時代に追加された天皇は、天武天皇に敵対した天智天皇の子である。これが明治政府の皇室が高句麗・百済系の証だと考えた1つの理由。

藤原氏族は政略結婚が非常に多いため、他の一族にも藤原氏族の女性が入り込んでいることは少なくない。
源頼朝の母は、源氏棟梁・源義朝の正妻であった由良御前。熱田神宮の神宮長(大宮司)であった藤原季範(藤原南家)の娘だった。

足利尊氏の本拠である足利市は栃木県だが、群馬県の桐生市と隣接している。



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by yumimi61 | 2016-01-14 17:38