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日本国憲法の秘密-173-

プチエンジェル

2003年7月、衝撃的な事件が発生する。
12歳(小学生)の4人の少女がお金欲しさに男に付いて行き、赤坂のマンション一室で脅され監禁されていたという事件である。

※プチエンジェル事件
2003年7月に東京都赤坂にあるウィークリーマンション一室で起きた、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件。なお、プチエンジェルとは犯人が経営していた児童買春デートクラブの名称ないし会社名である。

犯人の29歳の男性は無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」を経営。女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋、その他わいせつビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。また本人も過去に買春で逮捕歴があり執行猶予中だった。


2003年7月13日-
少女4人は犯人から「部屋を1万円で掃除してほしい」と誘われ、渋谷駅前で待ち合わせて、タクシーで赤坂のマンションに連れて行かれる。マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と犯人の態度が豹変。手錠と目隠しをされて監禁された。2人が逃げようとするが失敗、手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて逃げられないようにされスタンガンで脅された。 同日深夜 家族から警察に捜索願いが出される。 (少女らは17日に保護された)

その後の捜査によって、借りていた埼玉県久喜市のアパートから1,000本以上のビデオテープと2,000名に及ぶ顧客リストが押収された。しかし、多くが偽名であることを理由に捜査は打ち切られた。そのため、芋づる式の一斉検挙といった動きはなく、当事件は解決を見せたが、その背後にあるとされたデートクラブ絡みの疑惑は真偽不明のまま終わっている。また赤坂という立地条件などから、政財官が絡む疑獄事件が出典不明のまま流布されているが、2015年12月時点で裏付けは取れていない。

事件が起きたのは赤坂のウィークリーマンションでありながら、当初マスコミは渋谷で起きた事件と一斉に報じた。
容疑者の不自然な自殺、顧客リストの存在が表に出始めた頃に報道が止んだため、政財官界の人間が多数顧客にいたんだろうと専らの噂となる。
2003年9月、この事件を追っていたというフリーライターが殺され東京湾で発見されたことから、噂が噂を呼んだ。


衝撃

金や権力やブランドになびく女は少なくない。政財官界の大物ともなれば、そんな危ないことをしなくても、女に困ることはないと思う(寄ってたかられて困るということはあるかもしれないが)(危ないという認識があればの話だが)。
危険であることを承知で少女を買うのであれば、それはもう少女趣味があるということだろう。ロリータ売春。
大人には困らなくとも少女とは出会いがない。また春を売る少女の絶対数が少ない。
従って斡旋者のお世話にならざるを得ない。処女がよいとか擦れていない素人がよいとか注文があれば尚の事。
あるいは宗教神秘がかっていて、生き血を吸うかのごとく処女と性交するごとに成功する長生きするとかステージがあがるとか、そんな秘儀にのめり込んでいるとか。

プチエンジェル事件の少女4人は東京都稲城市の小学生だった。
事件は7月13日に発生したのだから、夏休みにはまだ1週間ほど早かった。
夏休みに遊ぶためのおこづかいが欲しくて、京王相模原線に乗って明大前で乗り換えて渋谷に向かったのだろうか?
小学生と金銭のための労働(アルバイト)と監禁と稲城市と渋谷と赤坂というイメージが繋がらず、多くの人に衝撃を与えたのだ。


重なる日付、重なるイメージ

昨日書いた「糸山英太郎が16歳の少女を紹介され淫行に及んだという事件」において少女を紹介して逮捕された犯人らは、18歳未満であることを隠して紹介し、後で脅して金を取ろうと思っていたそうだ。
事件は2003年の晩秋から冬にかけて明らかになったが、実際に淫行に及んだ日にちは2003年の夏、それも7月12~13日だったというのだ。
人々にはまだプチエンジェル事件の記憶が新しい。
政財官界の人間が顧客だったという噂。
素行のあまりよろしくない元国会議員。
イメージが繋がる。ぴったりはまる。
糸山英太郎がプチエンジェル事件に関係していたのではないかという憶測が広がる。
プチエンジェル事件(■事件に関連が疑われる政治家という項目があり糸山の事件が書かれている)

4人の少女が暮らしていた稲城市は「よみうりランド」や「東京ヴェルディ」があったりするので読売(よみうり)と関係があるような気がする。
また稲城市の北を流れる多摩川の近くに多摩川競艇場(ボートレース場)がある。所在は府中市である。
それとは別に、稲城市は江戸川競艇場(ボートレース場)の運営に関わっていた。
読売と競艇となれば、笹川の名を思い出さずにはいられない。(笹川良一は1995年に亡くなっている)
思い出さずにはいられないが、それは一般論ではないかもしれない。噂になっていたわけでもない。
個人的にそう思っただけである。

ちなみに群馬県にも桐生競艇場がある。桐生とあるが桐生市ではなく「みどり市」にある。以前は桐生も運営に関与していたが撤退した。
群馬には笹川一族の選挙区もある。
そんなローカルな話題をこちらに書いた
その記事の冒頭に太田市の市長とTBSが出てくる。TBS(東京放送)は赤坂にある。不動産業も得意である。
鬼怒川が決壊する前日に、太田市広報の市長コラムの写真を載せた。
そのコラムの中にもTBSが出てくる。
別の写真では真田丸の真田も登場。


思い出語って赤坂~

※陸山会事件
2006年6月、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」について、週刊誌が蓄財疑惑を報じた。それに対して小沢が名誉毀損で損害賠償訴訟を起こし、民事訴訟となった。

2009年11月、小沢の秘書3人に対して陸山会が東京都世田谷の土地を2004年に購入した際に政治収支報告書に虚偽記載したとして、市民団体が政治資金規正法違反容疑で告発。
東京地検特捜部は2010年1月、政治資金規正法違反容疑で石川知裕衆議院議員や小沢の秘書である大久保隆規と小沢の秘書1人を逮捕。また、秘書を告発した別の市民団体が小沢に対しても政治資金規正法違反容疑で告発した。2月に秘書3人が起訴され、起訴状では20億円を超す虚偽記載であり、政治資金規正法の虚偽記載罪では過去最大の金額となった。一方で、小沢は嫌疑不十分で不起訴処分となった。


この事件が起こると、今度はプチエンジェル事件と陸山会が繋がっているという噂されるようになる。
その理由は赤坂である。
政治資金収支報告書から赤坂2丁目17番地は陸山会が所有している土地であることが分かったと伝えられたのだ。
プチエンジェル事件で少女たちの監禁に使われたマンションは、ウィークリーマンション赤坂(東京都都港区赤坂2丁目17-54)であった。
衆議院議員宿舎のすぐ近く(真裏)。
陸山会は赤坂2丁目に不動産を所有していたが、TBSホールディングス(TBSの持株会社)は5丁目の赤坂サカスの土地建物を所有している。
TBSは三井と関係が深い。




政党助成金をはじめとする政治資金で購入した不動産が、個人資産では不味い。
下記は陸山会が所有していたマンション・土地・建物。
(2010年の資産公開で南青山のマンション物件が陸山会から小沢氏個人の資産となっていた)
一時期これだけ所有していた物件を次々と売り払い、2013年には拠点にしていた赤坂2丁目の「チェリス赤坂」も売却したようだ。
今現在残っているのは世田谷の建物くらいらしい。

 ■マンション
 ・港区元赤坂1-7「元赤坂タワーズ902号室」(1億5138万円、1994年11月25日購入)
  秘書との打ち合わせ場所

 ・港区赤坂2‐17「チュリス赤坂701号室」(1億7000万円、1995年1月25日購入)
  小沢一郎東京後援会名義          
  「陸山会」事務所、「小沢一郎東京後援会」

 ・港区赤坂2‐14「ライオンズマンション赤坂志津林305号室」(1650万円、1994年12月22日購入)
  小沢の書庫

 ・港区赤坂2‐17「プライム赤坂204号室」 (1700万円、1994年12月22日購入)
  外国人秘書の居宅
  2001年12月より「株式会社エスエー・コンサルティング」(民間コンサルタント会社)に賃貸。
  2007年10月9日毎日新聞での規正法違反の疑いの報道の後、2007年11月5日大門建設に売却
  大門建設は民主党岩手に献金していた年あり。

 ・港区赤坂6‐13「クレアール赤坂203号室」(不明)     
  小沢のイギリス人秘書の事務所兼居宅

 ・港区赤坂2‐8「デュオ・スカーラ赤坂802号室」(3264万円、2001年1月18日購入)     
  小沢の韓国人秘書・金淑賢(キム・スクヒョン)の事務所兼居宅
     
 ・港区南青山2‐2「ラ・セーナ南青山502号室」(3320万円、2001年1月11日購入)      
  2009年3月まで小沢の中国人秘書の事務所兼居宅、交流事業で来日した中国人関係者の宿泊所。
  
 ・千代田区麹町2-12「グラン・アクス麹町602号室」(1億1000万円、1994年11月25日購入)
  中国人女性(留学生?)の居宅
  2008年7月1日 小沢が会長を務めるジョン万次郎財団に寄付
 「ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」
  役員理事  小沢一郎 衆議院議員
          田口俊明 トヨタ自動車株式会社 顧問
          野村吉三郎 ANAホールディングス株式会社 名誉顧問
          波多野敬雄 学校法人学習院 名誉院長(元外務省国際連合日本政府代表部特命全権大使)
          槇原稔 三菱商事株式会社 特別顧問


 ■土地
  港区元赤坂1丁目7番地
  港区赤坂2丁目17番地 →2007年10月19日売却
  港区赤坂2丁目8番地  →売却?
  世田谷区深沢8丁目28番地5号 2005年年1月7日購入
  沖縄県宣野座村漢那明記原  2005年年11月28日購入 約5200㎡
  (2005年10月26日、普天間飛行場の辺野古移転が決定 )

 ■建物
  港区元赤坂1丁目7番地
  港区赤坂2丁目17番地  →2007年11月5日売却
  港区赤坂2丁目8番地  →売却?
  世田谷区深沢8丁目28番地5号  2005年9月14日新築 秘書寮
  世田谷区深沢8丁目28番地19号  2007年4月11日新築 秘書寮
  

素敵な仲間達

2012年12月に「日本未来の党」の党名を「生活の党」(英語: People's Life Party、略称は生活)に改称する形で発足した。民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも国民の生活が第一のものを引き継いでいる。

2012年11月28日に設立された「日本未来の党」は、12月16日の第46回衆議院議員総選挙で議席を61から9に減らす惨敗を喫し、代表の嘉田由紀子と旧「国民の生活が第一」所属議員との対立が激化した。
対立は収まらず、12月27日に亀井静香が離党、12月28日には分党することを決めた共同宣言を発表した。
日本未来の党は党名を「生活の党」に改称し、新代表に旧「国民の生活が第一」所属議員の森裕子が就任し、その旨を12月28日に総務省へ届け出た。その後、幹事長兼国会対策委員長に鈴木克昌が就いた。
嘉田と阿部知子は分党組織として日本未来の党の名称を引き継いた政治団体「日本未来の党」を立ち上げた。
なお、こうした経緯により、政党助成法に基づいて、2013年の政党交付金(8億6500万円)は「生活の党」が受け取ることとなった。

2014年12月に施行された第47回衆議院議員総選挙の結果、政党要件を失い、「その他の政治団体」となった。しかし、12月26日に無所属の参議院議員山本太郎が入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。
2015年1月27日に記者会見を行い、小沢一郎と山本太郎の2名が共同代表に就任すると発表した。副代表には主浜了、谷亮子の2名が選任され、政策審議会長を山本が、選挙対策委員長を小沢が、幹事長と国会対策委員長を玉城デニーが兼任することとなった。


日本未来の党を覚えているだろうか。(日本未だ来ずの党か・・)
選挙直前に当時の滋賀県知事・嘉田由紀子が代表になって結成された党である。
2012年12月頃のことだけれど、ずっと昔のことのような気がする。
あの時話題になったのは「卒論」ならぬ「卒原発」だった。
震災からの原発事故で「脱原発」や「反原発」が叫ばれる中、「私達は野党でも与党でもありません」
「私達は脱原発でも反原発でもありません、卒原発を目指します」と言ったかどうかは定かではないが、「卒原発」を掲げた。
そのことだげがやけに記憶に残っていて、あとのことはほとんど覚えていない。
でもこちらの記事に日本未来の党のことを書いている。

日本未来の党は、「びわこ宣言」として卒原発など6つの基本政策を掲げた。
この「びわこ宣言」には、賛同者として以下の著名人らが名を連ねている。
稲盛和夫(京セラ名誉会長)
坂本龍一(音楽家)
菅原文太(俳優)
鳥越俊太郎(ジャーナリスト)
茂木健一郎(脳科学)


ここにも稲盛氏がいましたね!


現在の日本航空の社長

京セラの稲盛氏は2012年2月に日本航空の会長を退いている。
後任の会長は、稲盛氏が会長だった期間に社長であった大西賢。
そして新たに社長に就任したのは植木義晴。初のパイロット出身社長。
稲盛会長の下で執行役員運航本部長に就任しての代表取締役社長への昇進である。

植木義晴の父親は、昭和時代の時代劇スター・片岡千恵蔵(本名:植木正義)。
群馬県新田郡藪塚本町(現在の太田市)に生まれる。
幼い頃に母親を亡くし、東京市の水道局に勤務していた父の住む麻布区箪笥町に移り住む。やがて麻布小学校に入学するが、芝居好きの父親の影響で芝居に熱中していた。

日活、大映、東横からの東映と渡り歩いた。


尾崎豊の死と小沢一郎

ここで1つ何とも興味深く1度聞いたら忘れられなくなる説を紹介したい。
それはなんと尾崎事件の捜査打ち切りに大物政治家が絡んでいたとする信じられないものだ。
つまり 「 裏の権力者である小沢一郎先生が当時の秘書から頼まれ尾崎の急死に対する捜査を元検察官僚キャリアである亀井静香先生を通して止めさせた」 それが捜査打ち切りの内幕だとする説。

さて因みにこの説を主張した音楽業界関係者は小沢一郎が検察の取り調べを受けていたのは強制起訴された一連の政治資金規正法違反の件ではなく実はこの『急死に対する捜査打ち切りへの関与 』について取り調べを受けていたと言っていた!!

尾崎豊 死の真相 死因 肺水腫の疑惑より>

その音楽業界関係者とは正岡敦史(武敦史)。

実は、尾崎の亡くなる前後のことを詳しく調べたら、小沢一郎の秘書にまでは行き着く。
というのは、尾崎豊の亡くなる前年、尾崎夫妻は離婚調停をしていたのだが、その夫人の親しい友人に当時の小沢一郎秘書がいるのだ。

尾崎が亡くなった時、 世間ではあれだけ大騒ぎになったのに、なぜか「尾崎の死」に関する捜査は、急に打ち切られた。
尾崎が亡くなったのは92年の4月25日。
次の日には、各新聞、スポーツ紙などで大々的に報道され、テレビのワイドショーでも連日大報道が繰り返された。
その次の年から94年かけて尾崎の死因をめぐって大きな論争が起き、この時も連日ワイドショーで報道された。
その後99年にフライデーであの衝撃的な写真が公開された。

尾崎豊の死と小沢一郎より>

武敦史という名前が別の件で写真週刊誌フライデーに載ったことがある。

FRIDAY 1995年10月27日号
X JAPAN TOSHIの作詞は代作だった!? より>

ここに5枚の「著作権契約書」のコピーがある.収入印紙に判も押してあるこれらの中の1枚を見ると,一番上に『RUNNING WILD』と曲名があり,その下に作詞者の名前と「株式会社ディーポイント音楽出版」の名が記してある.わかりやすく言えば,同社がこの曲の楽譜などを出版した際は,表記の作詞者に著作権料を支払うという契約書である。

ファンには説明するまでもないだろうが『RUNNING WILD』といえば,『X JAPAN』のボーカルTOSHIが,自分のソロ用に作詞,作曲した曲だ.ところがである,契約書の作詞者のところには「筆名 TOSHI」はいいとして,「実名 武敦史」とある.ん?ちょっと待てよ.TOSHIの本名は確か「出山利三」だったではないか.

(略)
実は,武敦史氏とは,TOSHIの個人事務所や,『X JAPAN』の事務所,さらに前出のディーポイント音楽出版などの社長を務めていたいわばTOSHIの「右腕的」存在.彼は昨年9月,そのすべてを解任され,それらの問題でTOSHI側と係争中なのだが,本人が弁護士宛に書いた報告書によると,二人が知り合ったのは『X』がメジャーデビューする前の'86年頃.しばらく個人的なつき合いが続いた後,'92年にTOSHIが個人事務所を設立した際,監査役として入った.'93年1月には代表取締役となり,マネージメントやプロモーションなどを一手に取り仕切るようになった.
(後略)

























by yumimi61 | 2016-01-28 12:37