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日本国憲法の秘密-229-

熊本の地震で現地から中継するリポーターが最初軒並みモンベルのウェアを着ていたので、あれは社有物でテレビ局はモンベルと提携でもしているんだろうかと思ったが、だんだん違うブランドの人も出てきたので、そうではないんだなぁと思った。
(くまもんにちなんで・・と正直思わなくもありませんでした)
ところでNHKはブランド名を隠さなくていいんですか?


松方正義の家族(続きです)

15 十男:義輔(1883-1972) 日本銀行金沢支店長、日本特殊陶業監査役、共立原料各監査役

東大卒でアメリカに留学という王道コースを歩む。
妻は井上勝*の三女。

*井上勝(旧名:井上卯八)
長州藩士・井上勝行の息子として長州(山口県)で生まれるが、5歳の時に養子に出されて野村弥吉と改名する。
長州藩の藩校・明倫館で学ぶ。長崎に遊学し伊藤博文と親交を結ぶ。
長州藩の第13代藩主(安芸毛利家25代当主)・毛利敬親に渡欧を命じられ、イギリス総領事による斡旋の下、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5人が清国経由で秘密留学した。
のちに「長州五傑」と呼ばれる5人の1人である。
ジャーディン・マセソン商会の船(チェルスウィック号)で密かに出航し、上海でホワイト・アッダー号に乗り換えへロンドンに向かった。
主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した。
帰国後に井上勝と改名し、明治新政府の仕事に携わる。
鉄道事業の推進に寄与し「日本の鉄道の父」とも呼ばれるが、帰国後もイギリス人技術者やイギリスの投資がなければ推進できなかったであろう。

井上勝の実子は女子のみで、次女の夫(松浦勝純)が井上家に養子に入る(婿養子・井上勝純)。
井上勝純の娘は東大名誉教授・鈴木竹雄の妻となる。
鈴木竹雄は鈴木商店(現:味の素)の2代社長・鈴木忠治の三男。

鈴木製薬所・鈴木商店(現:味の素)
鈴木商店の創業者・鈴木三郎助(本名:鈴木泰助)は、相模国三浦郡堀内村(現:神奈川県三浦郡葉山町)の商家に生まれる。
父・忠七は公郷村(現・横須賀市)の豪商「滝の崎」に奉公に出て手腕を認められ、慶応2年(1866年)に妻帯・独立して「滝屋」を称していた。しかし明治18年(1885年)に腸チフスにより35歳で他界したため、泰助はわずか9歳で家督を継ぐことになった。
とはいっても、18歳までは浦賀町(現・横須賀市)の米穀商・加藤小兵衛商店で住み込みで働いていた。
最初に三郎助を名乗ったのは父の忠八で、泰助は18歳の時に自宅に戻りそれを襲名した。
しかし数年で家業は資金繰りに行き詰まり、米の先物取引に手を染めて、日本橋蛎殻町(米穀取引所があり米相場の中心地だった)に入り浸り、全財産を注ぎ込んでしまっていた。
代わりに母と妻が部屋貸しをして生計を立てていた(葉山は静養地として人気が出始めた頃)。
転機は葉山に来ていた大日本製薬(覚醒剤が合法だった時代にヒロポン(Philopon)を一般販売していた、新生児奇形等を呈する薬害を引き起こしたサリドマイドを含む睡眠導入剤を販売していた会社。現:大日本住友製薬)の技師の「ヨウ素(ヨード)作り」の助言だった。
海から採取した海草(かじめ)を乾燥させ、あぶり焼きにして沃度灰を作り、灰のなかからヨウ素(ヨード)を抽出して薬品とするを作るという仕事を一家で行った。
そして1904年(明治37年)の日露戦争によって莫大な利益を上げた。


海藻や魚類はヨウ素を海水から濃縮して取り込んでいる。
ヨウ素(I)の同位体は37種類の存在が知られており、127Iのみが安定同位体であり、他は全て放射性同位体である。
安定同位体を利用し、原子力災害時の放射線障害予防薬や造影剤の原料として用いられている。
また放射性同位体の崩壊を利用することで放射線医学試薬として用いることが出来る。
さらに強い殺菌力を利用し消毒薬や農薬などに使用されている。

自然に存在するヨウ素はほぼ100%安定同位体の127Iであり、放射性同位体と比較して「安定ヨウ素」と呼ばれる。安定ヨウ素はカリウム塩、ヨウ素酸カリウムの錠剤といった「安定ヨウ素」製剤として用いられる。

動物の甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際に原料としてヨウ素を蓄積する。原子力災害時等により、不安定同位体の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支や肺または、咽頭部を経て消化管から体内に吸収され、24時間以内にその10 - 30%程度が甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素の多くは半減期が短く、その代表としてよく知られるヨウ素131 (131I) の半減期は8.1日であり、β崩壊することで内部被曝を起こす。
放射性ヨウ素の内部被曝は甲状腺癌、甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクを高めることが、チェルノブイリ原発事故の臨床調査結果より知られている。
大量にヨウ素を摂取した場合は、甲状腺にヨウ素が蓄積され、それ以後にさらにヨウ素を摂取しても、その大半が血中から尿中に排出され、甲状腺に蓄積されないことが知られている。 それを応用したのが、放射線障害予防のための「安定ヨウ素剤」の処方である。


放射性ヨウ素を蓄えてしまう前に、安定ヨウ素で先に満たしてしまおうという考えで放射線汚染時に用いられるのがヨウ素剤である。
ヨウ素は通常でも過不足で健康障害を引き起こすことがある。
ヨウ素を含む海に囲まれる島国であり、広大な大陸でもないため土壌のヨウ素含有率も深刻に少ないという状況ではなく、さらに海産物を食べる習慣のある日本人は不足にはなりにくい。よってどちらかと言えば過剰が問題であった。
健康な人であればヨウ素摂取量が多少増えても排泄により自然に調節可能だが、長期間の過剰摂取は過剰症を引き起こすことがある。また疾患を持つ人は自然調節が上手くいかない場合もある。
外国では塩にヨウ素を添加していることも多いので日本人は注意が必要。
過不足ともに主に甲状腺(ホルモン)や妊娠や胎児に影響がある。

ヨウ素の放射性同位体は半減期が短いため通常は環境中に認められることはまずないが、核分裂によって発生する半減期の長い(約1570万年)129Iが微量に、または汚染箇所では高濃度に存在することがある。
チェルノブイリ原子力発電所の事故では、核分裂によって放射性同位体の131Iが多量に放出され、甲状腺に蓄積し甲状腺ガンが多発させたと報告された。


ヨウ素(ヨード)事業で大きな利益を得た鈴木三郎助(泰助)は、1907年に鈴木製薬所を設立した。
1907年というのは、池田菊苗がL-グルタミン酸ナトリウムを発見した年。(約38 kgの昆布から煮汁をとり、うま味の素であるL-グルタミン酸ナトリウム約30 gを得ることに成功した)
翌1908年に「グルタミン酸を主要成分とする調味料製造法」に関する特許を出願し認められる。
鈴木三郎助(泰助)は知人を通してL-グルタミン酸ナトリウムを開発中だった池田菊苗を面談を重ねており、すぐさま特許の実施契約を得て、「味の素」という名称で製造発売した。
鈴木製薬所は、1912年に鈴木商店に、1932年に味の素本舗鈴木商店に、1946年に味の素に社名変更する。

・1909年(明治42年)の発売当初は、新製品だったことに加え、なかなか売れずに苦戦を強いられたが、鈴木が販売促進のために大阪に出掛けたところ、うどんが食文化として定着していたことや、またうどんの出汁を昆布で取ることから、昆布のうま味成分を抽出した味の素は格好の市場となり、鈴木は大阪市内のうどん屋や高級料亭などに向けて、味の素を売り込みに回ると共に、大阪で大きな足掛かりを築き、これがその後の味の素の評判につながることになる。また「大阪の食文化への貢献」もあり、1996年(平成8年)には「ほんだし うどんおでんだし」(通称・どんでん、現在は販売終了)の発売に際し、吉本興業の所属タレント・坂田利夫をテレビCMに起用したり、また関西テレビの制作で関西ローカルで放送された「素のよしもと」のスポンサーを担当するなど、今日に至るまで吉本興業との関係が続いている。

・1917年(大正6年)頃には、「味の素の原料はヘビだ」という噂が流れた。大道商売の薬売りが、売り口上として面白おかしく語ったことに端を発するのだが、これが宮武外骨が刊行していた『滑稽新聞』に取り上げられ、一般に広まった為、売り上げが激減した。これを受け、当時の製造元であった鈴木商店は、東京朝日新聞などの新聞広告でこの噂は嘘だと反論したが、逆にこれが噂をさらに広げる結果となり、売上減は続いたが、関東大震災の際、原材料だった小麦粉を救援物資として放出したことで、この噂は沈静化した。

噂は逆境ではあったが、知名度を上げることには大いなる貢献をし、その後の関東大震災の救援物資のイメージ大転換がすぐさま利益に繋がった。


味の素は戦後も一時期安全性が非常に問題視された時期があった。中華料理症候群とか。
目の前で調理しているラーメン店に行ったら、大きなお玉で魔法の白い粉をどっさり入れていたので「ああこれかぁ」と私も思ったことがある。
しかしその安全性の問題も製法が原因だったとかで、今はそれほど問題視されているふうはない。
但し私が思うに、うま味調味料中毒は深刻で、日本人などはおそらくこれ系のものが入っていないと美味しいと感じられない人が多いと思う。
L-グルタミン酸ナトリウムの発見は日本の10大発明の1つ。
味の素は総会屋への利益供与事件(1997年発覚)、国際カルテル事件(2000年発覚)、人工甘味料アスパルテーム製造法特許報奨金訴訟(2002年)などの問題も起こした。
昨今はパンダちゃん小瓶かなんかで可愛らしく購買意欲をそそっている。


L-グルタミン酸ナトリウム発見者・池田菊苗の経歴
1864年、薩摩藩士・池田春苗の次男として京都で出生する。京都府中学、大学予備門を経て、1880年から大阪衛生試験所で化学を学ぶ。
1889年、帝国大学理科大学化学科(現東京大学理学部化学科)卒業、大学院へ進学する。
1891年、高等師範学校教授となる。
1896年、東京帝国大学理科大学化学科の助教授となる。
1899年より、物理化学研究のためにドイツ・ライプツィヒ大学オストワルド研究室に1年半留学する。
1901年5月から10月までロンドンに滞在。夏目漱石と同じ下宿に住み、以降親交を持つ。帰国後、東京帝国大学教授に昇進。
1902年、理学博士の学位を取得。

1907年、、L-グルタミン酸ナトリウムの発見!
1913年、日本化学会会長。
1917年、理化学研究所の創立に参加(同化学部長)。


鈴木商店(現:味の素)2代目社長が鈴木忠治で、忠治の三男が鈴木竹雄・東大名誉教授(商法学者)。
竹雄の妻は井上勝の娘婿・井上勝純の娘。
井上勝の次女が松浦(井上)勝純の妻で、三女が松方義輔の妻。

鈴木竹雄
兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会(NHK)報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。






by yumimi61 | 2016-04-22 13:00