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日本国憲法の秘密-237-

野球賭博事件を神妙な面持ちで伝えたかと思ったら、レスター・シティのプレミアリーグ優勝にイギリスのブックメーカー(掛け屋)が5000倍のオッズを付けていたため高額の払い戻しとなると楽しそうに伝える。
摩訶不思議なグローバル社会。
ギャンブルを目的としているわけではないプロスポーツ(もしかしてプロスポーツって最初からギャンブル目的?)に掛けるという行為は同じであり、誰かしらの依頼でスポーツ選手が八百長に手を染めることだってあるだろう。
それでもそれが許されている国とそうでない国がある。
物事の意味ではなく、法律によって定めらているから良かったり駄目だったりするのだ。
善悪や合法違法は時と場所によって変わる。
この世界には然程意味はない。

日本では公営ギャンブル以外の賭け事を禁止している。公営ギャンブル以外は違法である。
ギャンブルはそれだけ甘い汁ということか。
野球賭博事件は、野球選手だから、八百長の疑いがあるからいけないのではない。
公営ギャンブル以外は禁止だからいけないのだ。(え?それなら俺もやってたけど?)
日本では禁止でも日本からイギリスのブックメーカーに掛けることは出来る。
ラスベガスのカジノに行って賭博をすることも出来る。
外国の賭博に日本人が参加することを取り締まる法律がないからどうにもならない。
一攫千金を狙い、プレミアリーグでもワールドカップでもよいから、イギリスのブックメーカーで優勝オッズ(配当率)の高いチームに掛けたらいかがでしょうか?
ブックメーカーも多数あるのでオッズの高さをよく吟味して・・・但し詐偽にはご注意を。



松方正義の家族(続き)

松方正義の14男・義行(1896-1970)は7代目森村市左衛門の養子となった。

6代目森村市左衛門が森村財閥の創始者。
7代目は6代目の次男。
1892年(明治25年)に慶應義塾を卒業し、翌年ニューヨークに留学。
1899年に後継者だった長男(27歳)と、森村財閥の基礎を作った6代目の異母弟・森村豊(46歳)が相次いで亡くなり、次男が帰国して匿名組合森村組に入った。
1919年に6代目が亡くなると名実ともに森村財閥を引き継いだ。
森村財閥の他にも、横浜正金銀行、第一生命保険、三菱信託銀行、三菱銀行、東芝、三井信託銀行など数多くの企業の役員に就任した。

7代目森村市左衛門の妻は井上勝の長女。
松方正義の10男・義輔(1883-1972;日本銀行金沢支店長、日本特殊陶業監査役、共立原料各監査役)の妻は井上勝の三女である。

*井上勝(旧名:井上卯八)
長州藩士・井上勝行の息子として長州(山口県)で生まれるが、5歳の時に養子に出されて野村弥吉と改名する。
長州藩の藩校・明倫館で学ぶ。長崎に遊学し伊藤博文と親交を結ぶ。
長州藩の第13代藩主(安芸毛利家25代当主)・毛利敬親に渡欧を命じられ、イギリス総領事による斡旋の下、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5人が清国経由で秘密留学した。
のちに「長州五傑」と呼ばれる5人の1人である。
ジャーディン・マセソン商会の船(チェルスウィック号)で密かに出航し、上海でホワイト・アッダー号に乗り換えへロンドンに向かった。
主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した。
帰国後に井上勝と改名し、明治新政府の仕事に携わる。
鉄道事業の推進に寄与し「日本の鉄道の父」とも呼ばれるが、帰国後もイギリス人技術者やイギリスの投資がなければ推進できなかったであろう。

井上勝の実子は女子のみで、次女の夫(松浦勝純)が井上家に養子に入る(婿養子・井上勝純)。
井上勝純の娘は東大名誉教授・鈴木竹雄の妻となる。
鈴木竹雄は鈴木商店(現:味の素)の2代社長・鈴木忠治の三男。

鈴木商店(現:味の素)2代目社長が鈴木忠治で、忠治の三男が鈴木竹雄・東大名誉教授(商法学者)。
竹雄の妻は井上勝の娘婿・井上勝純の娘。
井上勝の次女が松浦(井上)勝純の妻で、三女が松方義輔(松方正義10男)の妻。

井上勝の長女は7代目森村市左衛門の妻で、松方義行(松方正義14男)は7代目森村市左衛門の養子となり、7代目森村市左衛門の長女と結婚した(婿養子でもある)。


鈴木竹雄
兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会(NHK)報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。


7代目は企業のみならず多くの大学や研究機関の役職も歴任した。

・日本女子大学(創立者は広岡浅子ではなく成瀬仁蔵。大隈や伊藤など有力者の支援の他、三井家・広岡浅子の協力を得て創立)
・慶應義塾大学(福沢諭吉が創立)
・早稲田大学(大隈重信が創立)
・東京家庭学校(キリスト教的な不良少年施設。クリスチャンの留岡幸助が創立)
・東京女学館(伊藤博文を委員長として、渋沢栄一、岩崎弥之助、東京帝国大学総長・外山正一、聖公会司教アレキサンダー・ショーなどが創立委員となる。会長は北白川宮能久親王)
・津田英学塾(岩倉使節団に随行して渡米した津田梅子が創立)
・高千穂商業(早稲田の講師だった川田鐡彌が創立)
・共立女子学園(クリスチャンの鳩山春子らが創立。春子の夫は政治家の鳩山和夫。長男が鳩山一郎元首相で、鳩山由紀夫元首相は曾孫。創立は結婚後のこと)
・国際基督教大学(高松宮宣仁親王が設立委員会の名誉総裁。当時の日本銀行総裁・万田尚登が資金調達に動いた。ロックフェラー3世が資金援助)
・森村豊明会
・がん研究会(政財官学界の重鎮であった青山胤通、山極勝三郎、渋沢栄一、桂太郎が中心となって創立)
  青山胤通―東大出身の医師で明治天皇の侍医・宮内庁御用掛を務めた。北里とは対立した。がんで亡くなっている。
  山極勝三郎―東大出身の病理学者。化学物質による人工癌の発生に成功した人工癌のパイオニア。
  渋沢栄一―日本の資本主義の父。理化学研究所の創設者。
  桂太郎―長州藩出身の陸軍軍人。幾つもの大臣職に就き、総理大臣にも3回就任した。
        日英同盟を締結し、奇跡的勝利をもたらした日露戦争時の首相。韓国併合時の首相でもある。
        西園寺公望と交代で首相を務め、「桂園時代」と呼ばれた。
 がん研究会は皇族との関わりも深く、現在の名誉総裁は常陸宮正仁親王(今上天皇の弟)。
 がん研究会のシンボルマークは「蟹」であるが、これは癌を英語で「cancer」といい、癌と同時に蟹座を意味する言葉であることに由来する。
ラテン語で蟹はcancer。医学用語はギリシャ語やラテン語由来のものが多い。ドイツ語が使われるのはドイツから学んだから。英語のイギリスでは蟹はcrabだったのでcancerを蟹と言われても困るとかなんとか!?
三島由紀夫は大の蟹嫌いだったらしい。cancerを怖れていたとか!?
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がん協会のマーク(左)とマスコット(右)

・交詢社(1880年に福澤諭吉が結成した日本最初の実業家社交クラブ。慶應義塾出身者中心)
  紳士録『日本紳士録』を発行していた。
  1889年から隔年で交詢社(1971年以降は交詢社出版局)が編纂しており、各界で活躍する人物を紹介していた。
  明治期の発刊当初は高額納税者を掲載していた。
  古来より結びつきが深かった住友銀行と三井銀行が広告を出稿していた。
  また、天皇、皇后をはじめ秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、寛仁親王家、桂宮家、高円宮家など皇族も収録されている。

・日米協会
 歴代会長―金子堅太郎(岩倉使節団に同行した福岡藩主の随行員として渡米。飛び級と中退を経てハーバード大学に入学卒業。伊藤博文の側近、大日本帝国憲法や皇室典範の起草に参画)、徳川家達、樺山愛輔、小松隆、吉田茂、岸信介、福田赳夫、大河原良雄、藤崎一郎(現在)
 
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全国の日米協会(連合会)
心なしか空白地域が存在しますね・・・。

・社会教育協会(社会教育運動推進機関。財団法人。現在の理事長は元電通マン。東京都日野市と関係が深い模様)
・恩賜財団母子愛育会
 明仁親王の出産を記念して昭和天皇より受けた下賜金をもとに1934年に恩賜財団母子愛育会を創立。
 1938年に愛育病院を開設した。
 当然皇族との関係が深く、皇族が出産に病院を用いているほか、愛育会の現総裁は仁親王妃紀子でもある。
 聖路加国際病院、山王病院と共に、「ブランド出産御三家病院」として知られている。
・結核予防会
 以前、十字軍の紋章だった「ロレーヌ十字」に関連して結核予防会について書いた
 ロレーヌ十字は結核予防のシンボルマーク。
 現代においても日本の結核発症者・死者数は先進国の中では著しく高く、発展途上国レベルである。

全国各地各府県に結核予防団体が結成され始めた。
すると1913年(大正2年)、各地の結核予防団体を統括する「日本結核予防協会」が誕生する。
北里柴三郎、渋沢栄一、志賀潔(北里の弟子)、芳川顕正(東京府知事・貴族院議員・司法大臣・文部大臣・内務大臣・逓信大臣・枢密院副議長歴任)、金杉英五郎(東京慈恵会医科大学初代学長・貴族院議員)、佐藤進(順天堂医院院長・陸軍軍医)などが発起人(設立メンバー)となり、政府の後援を受け設立された。
(こう言ってはなんですが今見ると怪しすぎるメンバーですね)

現在も「結核予防会」なるものが存在する。
1939(昭和14)年、皇后陛下(香淳皇后)の内閣総理大臣あての令旨に基づき、閣議決定により設立された公益財団法人。
香淳皇后の内閣総理大臣あて1939年4月28日付けの令旨に基づき、国民の結核を中心とする疾病の予防のための啓発普及、調査研究等に関する事業を行うことを主な目的とする。総裁は、文仁親王妃紀子(初代総裁は秩父宮妃勢津子)。

(現在の)総裁は文仁親王妃紀子とあるのでやや分かりにくいと思うが、秋篠宮妃紀子殿下のことである。
日本赤十字社同様に皇族が総裁となっている。
結核研究所の臨床研究部として複十字病院も設立された。






by yumimi61 | 2016-05-05 13:35