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日本国憲法の秘密-309-

ドイツにおける「ドイツ労働者党」の結成は、第一次世界大戦終結の翌年、1919年1月5日のことである。
第一次世界大戦の講和条約(ヴェルサイユ条約)は、1919年6月28日、フランスのヴェルサイユで調印された。
ヒトラーが「ドイツ労働者党」に入党したのは1919年9月末だった。
翌1920年に党の実力者になったヒトラーが「社会革命党」という党名に改称することを提案。
それに対して、ルドルフ・ユング(音楽家、後にナチス党員となる)がヒトラーにチェコの「ドイツ国家社会主義労働者党」に倣うようにと説得し、1920年2月24日に「国家社会主義ドイツ労働者党」へと改称した。

チェコ。首都はプラハ。
チェコは、ケルト人→ゲルマン人→スラブ人という定住民族の歴史があり、スラブ人がチェコ人の祖先となる。
1000年頃からドイツ人が盛んに入植し、ドイツ人が皇帝となった神聖ローマ帝国の支配下に入る。
1800年代、ヨーロッパでは革命が頻発し、中欧のチェコも例外ではなかった。スラブ民族の連帯と統一を目指す「汎スラブ主義」が盛んになる。
1867年にオーストリア・ハンガリー帝国という多民族国家(ドイツ人も多くいる)が誕生する。チェコスロバキアはオーストリア・ハンガリー帝国領となる。
同じ頃、ドイツ帝国が盟主となり、ゲルマン民族による世界制覇を実現しようとする「汎ドイツ運動」もドイツを中心に起こっていた。

1903年チェコで「ドイツ労働者党」が結成され、1918年5月に「ドイツ国家社会主義労働者党」と改称した。チェコで結成されるも汎ドイツ運動を支持する党であった。
しかしドイツとオーストリア・ハンガリー帝国は、協調路線にあった。
(一方、ポーランドは多民族国家であるので、単民族運動には距離を取っていた。またポーランドとチェコスロバキアは第一次大戦後に領土国境問題でも揉める。第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻から)

第一次世界大戦を引き起こしたのは、このオーストリア・ハンガリー帝国、同国内のスラブ民族(チェコ人など)、セルビア民族である。
オーストリア・ハンガリー帝国とドイツ、それにオスマン帝国(後のトルコ)、ブルガリア王国が中央同盟国として多くの連合国と戦った。
結果、敗北。オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。チェコスロバキアなどが共和国として独立した。
この時に「ドイツ国家社会主義労働者党」もチェコとオーストリアに分離した。
チェコスロバキアはドイツ人の支配から脱しチェコ人が主流となったため、反ドイツの立場を取らざるを得なくなった。
またチェコスロバキアの周辺にはドイツ人が多く住んでいたため、ドイツ人の勢力拡張を恐れるあまり、チェコスロバキア国内ではドイツ人には不公平な施策がとられた。

そして第一次世界大戦後の話に戻ってくる。
1919年にドイツで結成された「ドイツ労働者党」に入党したオーストリア人のヒトラーが1920年に改称を提案。
ドイツの音楽家ユングの説得によって、オーストリア領下のチェコで結成された「ドイツ国家社会主義労働者党」の名に倣って「ドイツ労働者党」を「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」と改称した。
ナチス党員だったヒトラーらが首謀者となったミュンヘン一揆(クーデター)は1923年。
ドイツはナチス政権誕生後の1938年3月にオーストリアを、1939年3月にはチェコスロバキアを併合した。




▲スラブ民族(言語的分類)―中欧・東欧のスラブ語派族
 ・東スラブ民族 ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人など ・・・9世紀頃までの足跡が無い。バルト海~黒海の間に定住した12の少数民族(部族)がルーツ。
 ・西スラブ民族 チェコ人・ポーランド人・スロバキア人など ・・・神聖ローマ帝国(ドイツ人)と歩んだ歴史がある。
 ・南スラブ民族 、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人・ブルガリア人など ・・・混血が非常に多い。言語もやや特異的。
スラブ民族に多い信仰は東方正教会。
ローマ帝国時代、東側はギリシャ正教会、西側はローマカトリック教会という住み分けが出来た。
ギリシャ正教会はカトリックよりも歴史の古いキリスト教である。
またローマバチカン(ローマ教皇)を頂点にしたカトリックとは違って、正教会は原則的に国ごとに1つの教会組織がある。
ギリシャ正教会・ロシア正教会・ルーマニア正教会・ブルガリア正教会・日本正教会など。
別組織であるが異なる教義を信奉している訳では無く、同じ正教である。


▲ゲルマン民族(言語的分類)― インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属する言語を母語とする諸民族
この民族のルーツが北欧にある。(従って北方人種ともいう)
現在のノルウェー人、アイスランド人、スウェーデン人、デンマーク人、オランダ人、ドイツ人などの祖先と言われている。
北欧からドイツ北部やデンマークの辺りに移り住んだ人達がいて、狭義にはそれをゲルマン民族と言う。
300~400年代にゲルマン民族大移動が起こって、西方面や南方面にも進出した。
ローマ帝国の西側が崩壊した理由はこの民族大移動があったから。
この民族大移動の混乱に乗じてキリスト教(カトリック)は多くの信徒を獲得し勢力を拡大させた。
ローマ教皇に支持される形で移動してきたゲルマン民族が移住地(領土)を獲得して幾つかの新たな国を形成。
フランク王国(ドイツ・フランス・イタリアの母体となった国)、西ゴート王国(現在の南フランス・スペイン・ポルトガル付近)、東ゴート王国(イタリア半島を支配していた)など。
上記のようにゲルマン民族は移動の過程でカトリック(ローマ教皇)との結びつけを強めた。
やがてそのカトリックに反発するようになるのが、ゲルマン民族のルーツとなる北欧や狭義のゲルマン民族地域であった。


上記で私はスラブ民族とゲルマン民族と記したが、民族を人に置き換えてスラブ人やゲルマン人と呼ぶ人もいる。
しかしスラブ民族やゲルマン民族とは別の民族(人種)がいるということではない。呼び方の違いだけ。
またゲルマン民族(ゲルマン人)については、どこまでを含むのかという問題があって、民族大移動後も含めると南西ヨーロッパを含めた西ヨーロッパ全体の祖先がゲルマン民族だと言うこともできる。
もちろん違う民族もいたので混血なども多く、言語も混じり合ったり、全く違う言語を選択した地域・国家もあるが、民族出自的な背景を考えるとゲルマン民族と言ってもおかしくない。


ナチスが優越民族としたアーリア人は、民族出自的には中央アジア。その後、最狭義にはイランに住む人がアーリア人となった。もう少し広げるとインドなどが入ってくる。
出自や分布的にはヨーロッパとは関係なかったが、ドイツの学者がインド・ヨーロッパ語を使う全ての民族の祖先は共通していて、それがアーリア人であるというアーリアン学説を唱えた。
一見突拍子もない説のように思うが、言語で分類するということは他でも普通に行われている。
(サンスクリット語とラテン語が本当に似ていたかどうかは私には判断しかねるし、似ていない!と私が言ったところでどうなるものでもない。私ではない誰かが言ったとしても新たな学説が誕生するだけの話であって時間を巻き戻して一からやり直せるわけでもない。過去でも未来でもないリアルタイムが何より大事なのだ。しかしそのリアルタイムは過去に学ぶことが出来るはずである)

何故言語で分類するのかと言えば、人は動くものという前提があるから。
そしてこの世に誕生した人間が地域や集団から一番最初に、また一番多く受け取るものが、言語であるから。
ある程度の集団で動いた場合には、動いた先の地域で別言語を使用していたとしても、元の言語が残るだろうと考える。
但しこれは集団の数をある程度維持する必要がある。あるいは少数でもかなり強固な繋がりを持つ集団か、隔離のような状態にある集団である必要がある。
そうでないと世代交代を繰り返すうちに吸収されて元の言語を失う可能性がある。
また国家が国民に言語を変えることを強いれば、自然な変化とは別に言語が変わることもある。
言語による民族分類も一筋縄にはいかない。
そうは言っても何か動かぬ証拠が欲しい。
そこで伝家の宝刀「遺伝子」の登場である。
しかしながら、ナチスやヒトラーが遺伝子を念頭に置いていたとは到底思えない。
もしも本当に遺伝子が動かぬ証拠を突きつけるとするならば、「あなたはゲルマン民族とは違いますね」と言われかねない。要するに遺伝子は誰にとっても諸刃の剣であるはず。
遺伝子信奉が相応しいのは、あらゆる意味で遺伝子をコントロールできる人だけではないだろうか?

そこで、こうも考えてみる。
現代人は現代が一番科学的に進んでいると信じて疑わない。
でも分からないじゃん、そんなこと。
遥か昔に、何らかの方法で、人は遺伝子を操作したり、優性を利用して優生を行ってきたかもしれない。
つまり、私達が持つ遺伝子はすでに改編されたものである可能性がある。
その改編されたもので分類すれば、民族のルーツは解き明かせない。

こうも考えてみる。
遺伝子は変わらないものなのだろうか?
絶対に変わらない場所があると言い切れるだろうか。
長い歴史の中で遺伝子さえも環境などに合わせて変化したとするならば、遺伝子で民族ルーツは解き明かせない。

ここでひとつ言っておくことがある。
生物学的(遺伝子的)な「優性」と、人が考える「優生」は、必ずしも一致しない。
優性は強い性質のこと。原始的なものほど強い。雑草と観賞用植物だったら雑草のほうが強い。雑草は優性的素質を持っている。繁殖力が強い。
そもそも雑草なんて人間が勝手に作った分類である。優性的素質の多い植物を雑草と呼んだのかもしれない。(往々にして少ないもののほうが価値が高くなるから、優性で繁殖しやすい雑草は価値が低くなった)
人間が素晴らしいと思うもの、それが優生である。植物界では遺伝子操作などしなくても優生を生み出してきた。
但し優生の植物は一般的にあまり丈夫ではない。それにすぐに元に戻ってしまい、優生は何世代も続かない。
だから優性に優生を繋ぎ合わせるなどということも行っている(接木)。前にも書いたがこれも結局優性に支配されてしまうということが多い。短期間ならば使えるが長期間仕様ではない。
特に環境的に厳しくなった時に優性が優生を呑みこんでしまう。
面白いなぁと思うのは(面白いは失礼だし、巻き込まれた人はそういう状況では決してないのだが)、人間も脳がダメージを受けた時に、今まで見られなかった原始的な素質が表に出てくることがある。
部分的な退行現象(大人が乳幼児期に戻る)が見られることがある。
これはつまり優生よりも優性が強くなっている状態なのだと思う。

ヒトラーから考えを聞いたことはないけれども、周辺事実から探ってみると、優生の代表がユダヤ人で、優性の代表がドイツ人だと思っていたと考えられる。
だからヒトラーは優性を重視し、優性を重視した政策を採った。
だから最重要視するのが芸術より経済よりスポーツ(闘争)なのだ。
広範囲な民族分布は民族の環境適応能力が高くないと出来ないことなので、広範囲を望むということはやはり優性的素質を中心に見ているということになる。
優生に優れた民族を締め出せば、あまり得意ではない芸術や経済分野でも優位に立てる。

知的障害者や身体障害者は優性と優生のバランスが崩れた状態にある。一個体のバランスとしては優性が強い状態にある。(ある程度優生を落とし優性を上手く使って厳しい環境を乗り越えた結果)
他人との比較(競争)においては、その優性の強さは意味を持たない。
優性の資質の全体量が多いのではなく、優性と優生の比で優性が大きくなったということだから。
他人と比べて(相対的に)優性なのではなく、一個人として(絶対的に)優性なのだ。
優性の資質が強く出ているからといって、他の人と競って勝てるわけではないということ。(競争相手を選べば勝てることもあるけれど)
でも厳しい環境を頑張って乗り越えて生に繋げたのだから、個人としては強かったのだ。
by yumimi61 | 2016-08-04 12:31