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日本国憲法の秘密-325-

フランスが社会主義運動に与えた影響は非常に大きかったことは前述したが、社会主義に大きな影響を与えたもうひとつの国はイギリスである。
階級社会の歴史が長いのと、産業革命が真っ先に起こった国であるせいか、産業構造の変化から生じた問題に対応する運動も早くに起こっている。

・チャーティズム
選挙法改正と社会の変革を要求する、急進派知識人とおもに下層の労働者たちの運動で、1830年から1850年代末までおよそ30年にわたって展開された巨大な社会運動である。

・反穀物法運動
1840年代に自由貿易を実現すべく、マンチェスターの商工業者や銀行家などが結成した反穀物法同盟を中心になされた運動。ナポレオン戦争期に国内の農業保護を目的に制定された穀物法を保護貿易だとして撤廃を目指した。
地主階級・農業に関係する諸階級(保守派)vs新興の商工業階級(自由主義貿易信仰のブルジョワジー)という対立構造。1846年の議会で穀物法廃止法案成立に漕ぎ着けた。


イギリス議会は今日においても上院(貴族院)と下院(庶民院)から構成されている。
上院の議員は誰でもなれるわけではない。また上院の優越性もある。

アメリカも上院下院の二院制。
上院は連邦を構成する州の代表(各州平等に2名ずつ)、下院は国民の代表(人口に比例して州に定員が割り当てられる)。
上院下院の優越性はなく、原則として全て同等の権限を持っており、議決が一致しないまま成立することはない。(個人的に上院が上だという認識を持つ人はいるかもしれない)
但し、外交・軍事については州の代表である上院の、社会福祉・税制などについては民意を代表する下院の議決が重視されるという慣行がある。
イギリスには文章化された憲法がなく、国会法など各々の法律に従う形だが、重要視されているのが慣行である。従って不文憲法とも言う。見えざる憲法で国家や議会を運営しているのだ。
アメリカの議会にも法的根拠がない慣行がある。イギリスのように見えざるルールに則っているということになる。

日本も二院制。衆議院と参議院。どちらも誰でもなれる。衆議院に優越性がある。


さらにイギリスは「保守党」と「労働党」の二大政である。
世界的に見ると、アメリカ(元植民地)の共和党と民主党をはじめ、イギリスと関係の濃い国が二大政であることが多い。
二大政党制の良いところ(?)は、他からは当選しにくいことと、「保守と革新(またはリベラル)」など簡単に大別できること。
人数が多いということは、多くの意見を集約するということなので無難な線を選びやすく、二大政党の場合には比較的穏健であることが多い。
穏健で人数が多くて目まぐるしい変化がないため政権交代が現実的に行われやすい。
欠点(?)は大きな改革は起こりにくいこと。

ドイツも「ドイツキリスト教民主同盟」と「ドイツ社会民主党」の二大政党。
「ドイツキリスト教民主同盟」は現在メルケル首相が党首の政権政党。キリスト教カトリック系。
一方の「ドイツ社会民主党」は、第二インターナショナルに加盟していた各国の社会主義政党の中で最大最強だった党である。
この党が1914年8月4日、ドイツ帝国議会において戦争(第一次世界大戦)を支持し政府に協力する「城内平和」路線へと舵をきったことで、第二インターナショナルは崩壊することになった。

日本は二大政とは言えない。
二大政党で連立政権ということはほぼない。
日本の場合は、協力政とか連立政とか一党優位政といった感じになるだろうか。

イギリスの「労働党」やドイツの「社会民主党」は社会民主主義政党である。

アメリカの「民主党」は社会自由主義政党である。アメリカ得意のリベラルというやつだ。
リベラルは自由を重要視する。伝統や習慣にとらわれないということ。
分かりやすく云えば、「そんなの個人の勝手でしょ~」というもの。
社会に先だって個人がある。普遍的な主体としての個の揺るぎなさに立脚するものである。
国家より州、会社より家庭、家族より個人。
自由主義とは国家権力などにあれこれ決められたり言われたりする筋合いはない、その選択は個人の自由に委ねられているはずだという個人主義と密接に関係している。過干渉を嫌う。人権とも深く関わる。
政党的には一応、社会規範を逸脱しない範囲の自由ということを謳い、穏健的(無難)な判断がなされることが多いが、その無難さは伝統や習慣そのものではないかという壁に当たり、また立法の段階でどこまで個人の自由を認めるかという問題にもぶち当たり、自由主義の考え方については種々議論がある。
とくに社会自由主義政党が政権政党になった時には難しいものがあると思われる。
一般的にはレベルが高いほど規律は緩くて良いはずなのだが、ひとつ間違えると社会のレベルを大幅に低下させかねない。(でもそのレベルって何?という話にもなる)

民主主義と自由主義は対義語ではない。
民主主義は国家の在り方・統治の仕方・国家権力の在りかについて述べているものであるが、自由主義はすでにそこに国家権力(主権が君主にあるのか国民にあるかは問わない)が存在していて、それに対立する思想・個人の権利の主張である。



イギリスでは1700年代後半に産業革命が始まって(始まりは織機のシャトル)、1830年にはほぼ完了していた(それ以降各地に広がった)。
イギリスのそれまでの主要輸出品は毛織物であり、羊を放牧して美味しい牧草を食べさせて、せっせと毛織物を織った、が、国外(アメリカやアフリカなど)ではあまり売れなかった。
毛織物よりも人気があったのが綿織物である。
イギリスは綿織物も輸出品になるほど作っていたが、中国の南京木綿やインドのインド木綿という強敵がいた。
綿花を栽培し綿織物をつくる技術はインダス文明にその起源があり、インドは本場である。
インド原産の綿花栽培と綿織物技術がベトナムを経て中国に伝えられた。
ヨーロッパに伝わったのはそれよりずっと後の事で、南京木綿には質で、インド木綿では価格で、歯が立たなかった。
遠路はるばる外国に運ぶということはそれだけ輸送費がかかる。その分価格は上がってしまうことは避けられない。
つまりたとえ同じ質であったとしても、輸送費が乗るだけ不利なのだ。
1つ2つ運ぶのでは割が合わない。大量に運んで売りさばけば価格に乗る金額を押さえられる。
そこで大量消費される物に目が向けられるようになる。
多くの人が日々使い消費するもの。食物や衣服、なくてはならないと中毒的に消費される物。

イギリスは安いインドの綿織物を買って、アフリカやアメリカなどに輸出するという貿易を行った。
しかし直にアメリカも自国の綿花で綿織物を作るようになる。
イギリスはアフリカで調達した労働力(奴隷)とアメリカの綿花を交換するようになる。
その綿花を用いて自国で綿織物を作ってアフリカに輸出するという三角貿易も行った。
この方法でイギリスも綿織物の輸出国となった。
残る課題はいかに安価に大量生産するかである。インドの価格に対抗しうるものは何なのか。
これが産業革命の始まりだった。
産業革命に成功したイギリスは機械を利用して安価な綿織物の大量生産を可能にした。
もはやインドも怖くない。工場製の綿織物は手工業のインド綿織物より安く高品質となって、インドへの輸出品としても通用するようになった。


例えば1人で行うことを10人で行えば、早く出来る、つまり大量に物が作れる。
職人技がなければ出来ないことも、それを機械が補助すれば誰でも出来るようになる。
大量生産も、ムラのない品質も、安定的供給も、確かに可能である。
ただ「安価」を維持することは、実は言うほど簡単ではない。

産業革命に成功したイギリスでは1820年頃から自由貿易を目指す気運が急速に高まって、綿製品を中心に輸出入関税の軽減が進んだ。
関税がかかればやはりそれだけ価格は上がってしまう。
関税撤廃は「安価」を維持する対策の1つであろう。


上に反穀物法運動について書いた。
マンチェスターの商工業者や銀行家などが結成した反穀物法同盟を中心になされた運動。ナポレオン戦争期に国内の農業保護を目的に制定された穀物法を保護貿易だとして撤廃を目指した。
地主階級・農業に関係する諸階級(保守派)vs新興の商工業階級(自由主義貿易信仰のブルジョワジー)という対立構造。1846年の議会で穀物法廃止法案成立に漕ぎ着けた。

この裏には資本家がいる。

穀物法は、穀物の国内価格が一定水準を超えた時にのみ、輸入を認可するというものであった。
分かりやすく食パン1斤で考えれば、食パン一斤の国内価格が500円を超えたら輸入してもいいよ、というものである。500円を超えないうちは輸入は認められない。
逆に考えれば、食パン一斤500円以内ならば外国から入ってくることはない。
競争相手がいないので、安心して値上げが出来る。一斤480円。
だけど、世間の物価が上がるということは、給与水準も上がるということなのだ。(少し前に、給料が上がっても物の値段も上がっているから状態は同じという話をしましたね)
沢山の給料を払うのは誰だ?そう、資本家である。
人件費が上がると輸出企業は大打撃。「安価」を維持できなくなってしまうのだ。
だから穀物法を撤廃せよと運動した。

物価と給与水準は連動している。「景気が良い」に騙されてはいけない。個人レベルの状態は同じなのだ(ローンなどしたらむしろ悪い状態となる)。
輸出企業(輸出品)と輸入企業(輸入品)には大きな影響を与える。
穀物法とはいえ、一業界の話では済まないのだ。
by yumimi61 | 2016-08-15 18:21