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日本国憲法の秘密-354-

1945年1月、日本の太平洋上での戦いは敗北がほぼ決定的なものとなっていた。

この時点で日本が和平に動いていれば、日本の戦死者はずっと少なかった。
日本の戦死者の多くは1945年に亡くなった。

第二次世界大戦(1939-1945)の戦死者のことを「戦没者」と呼んで今でも追悼式などを行っているが、日本の戦没者には1937年からの日中戦争分も含まれている。
日中戦争(1937-1945)でのトータルの戦死者(シベリア抑留者の死亡も含めて)は50万人。
正確な数は分かっていないが、日本の「戦没者」総数は250万~310万人で、軍人や軍属以外の犠牲者は80万人ほどとされている(内地50万人・外地30万人)。


日本へのB29による空襲は1944年6月が初めてだった。これは北九州の八幡製鉄所を目標にしたものだった。
空襲と簡単に言うが、爆撃機をアメリカから飛ばすわけにはいかない。
大々的に実施するには近距離で安全で大規模な基地が必要となる。
その準備などもあって本格的に始まったのは1944年11月からだった。
東京の中島飛行機や三菱重工、名古屋の軍需工業地帯が目標にされた。

中島飛行機武蔵製作所への空爆
マリアナ諸島のB29による初空襲。B29・111機が出撃し、途中故障で引き返した機を除き88機が爆撃に参加。中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市)が目標。 東京はこれ以後106回の空襲を受けた。11月27日には中島飛行機武蔵製作所2回目の空襲。中島飛行機武蔵製作所は初回から最後の翌年の4月12日まで11回空爆される。

当初は軍需品に関係する工場や基地が狙われていたが、だんだん市街地も目標に入ってくる。
市街地への空襲はすべて1945年である。とくに7月8月は地方都市のあちこちに頻繁に行われた。
空襲による犠牲者は調査発表機関によって開きが大きいが、25~50万人くらいとされている。

原爆を含めなければ1回の爆撃で一番犠牲者が多かったのが東京大空襲(1945年3月10日)。一晩で8~10万人が犠牲になったとされている。(長崎原爆よりも犠牲者数は多い)
その他は全て数千人~数百人程度。
名古屋や神戸といった大都市への大空襲でも1回の犠牲者は多くても3000人といったところ。
1回でなくてトータルで見ても、東京は桁違い。11万越え。(それでも東京大空襲が異常に多かったことが分かる)
その次に多い大阪や愛知や兵庫でも1万2000人から1万5000人程度。
東京大空襲は原爆並みの犠牲者を出していることになる。
とはいっても広島と長崎も原爆による犠牲者数は不明確である。
広島は14万や20万や25万人説などがあり、長崎にも7万や10万や12万人説がある。
東京大空襲の数も確定値ではなさそうだ。

被爆当時、広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています。これは、住民、軍関係者、建物疎開作業に動員された周辺町村からの人々などを合わせた数字です。当時日本の植民地だった朝鮮、台湾や、中国大陸からの人々が含まれ、その中には強制的に徴用された人々もいました。また、少数の、中国や東南アジアからの留学生や、アメリカ軍捕虜などの外国人も、含まれていました。

原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていません。しかし、放射線による急性障害が一応おさまった、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。

広島市ホームページより)


実は軍人の戦死者の半分以上(6割くらい)は餓死、栄養失調からの感染症(免疫機能低下による易感染)だったと言われている。

当時日本は兵役法に基づいた徴兵制を敷いていた。
最初は20歳以上40歳までの成人男子を対象としていたが、戦争が始まると20歳は19歳、17歳と引き下げられていった。
兵役とは別に自ら志願する志願兵という制度もあった。これは当初17歳以上だったが、1944年に14歳以上も志願できるように法律を改正した。
志願とは言うが、学校や周囲の者が「志願を強制」「志願勧奨」をすることも当然あった。
1945年6月、沖縄戦の終盤には、「国民義勇兵役法」が新たに制定された。
この法律では男子は15歳~60歳まで、女子は17歳~40歳までの者を徴兵できた。
沖縄では「国民義勇兵役法」を先取りして法律制定前に義勇隊が組織されて戦いに駆り出された。沖縄では戦場に女子もいたのだ。
本土決戦が行われれば「国民義勇兵役法」で徴兵した国民を投入する予定だった。その数数千万人。
まさに「一億玉砕」「一億総特攻」。


昔の子供達は家の仕事を手伝っていた。
農家ならば尚の事。繁忙期には一家どころか親戚総出なんていうこともあったのだ。
戦後でもあっても、田植えの頃や稲刈りの頃には、学校が農繁休暇という休みを設けていたほどである。
男性が徴兵されてしまえば食の生産者が激減する。広大な田畑を女子供小人数では管理しきれない。そうなれば食糧不足に陥るのは必至。
輸入も途絶える。
こうして食糧不足と栄養失調が蔓延する。

さらに基地や海上の船も攻撃対象となって、その数を激減させていた。
連合国に海空ともに支配されており、海路や空路を絶たれた状態であった。
外地で戦う兵士に食糧や軍需品を届けることも出来なくなっていたし、外地の兵士らは引き揚げてくる術もなかった。
捕虜となるか野垂れ死にするか。
横井庄一さんみたいにサバイバル生活が出来れば生き残れたということなのでしょう。
by yumimi61 | 2016-09-19 17:04