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日本国憲法の秘密-431-

ウランという物質は放射性元素として扱われることが多いので何か特別なもののように感じるかもしれないが、鉄や鉛などと同様に重金属(比重が4~5以上の金属元素)(密度4~5g/cm3以上の金属)である。
人体に重金属が蓄積されて引き起こされるのが公害病である。
ウランも他の重金属と同様に重金属中毒の原因となるが、毒性は鉛や水銀よりも低く、ヒ素と同程度であるとされている。
この場合、重金属としての毒性で、放射性物質としての毒性は加味していない。
ヒ素と同程度と書いたが、ヒ素は豊洲市場でも検出されたと問題視していた物質である。和歌山毒物カレー事件に使われたのがヒ素だった。

2004年(平成16年)、環境省によって水質汚濁に係る人の健康の保護に関する環境基準等の見直しが行われた。
その時にウランは「要監視項目」の1つになった。
「要監視項目」は直ちには「水質環境基準健康項目」にはしないが、国において定期的に測定し、その結果に基づいて水質環境基準健康項目への移行等を検討するもの。


2007年の第一次答申では指針値の超過が報告されているが(海域での超過が顕著)、「水質環境基準健康項目」に移行することはなかった。

公共用水域等において指針値の超過が見られるが、測定地点が少なく、また、汚染源が不明で自然的要因と考えられる事例もあることから、現時点においては、要監視項目として設定した上で、公共用水域等での挙動、検出地点における原因究明など今後とも知見の収集に努める必要がある。 

原発事故後の今現在も「水質環境基準健康項目」に移行することなく、依然「要監視項目」のままであることに変わりない。


2011年3月11日発生の東日本大震災の時、千葉県市原市五井海岸の「コスモ石油 千葉製油所」で火災が発生した。
同製油所に設置してあったLPG出荷装置と貯槽設備にて火災・爆発が起こった。
鎮火は3月21日。鎮火までには10日を要した。

この火災で「チッソ石油化学 五井製造所」も類焼(飛び火)した。
それが劣化ウランの保管施設だったというのだ。



2011年3月11日の時には「チッソ石油化学 五井製造所」だったが、2011年4月1日より「JNC石油化学 市原製造所」となった。

チッソ石油化学株式会社という会社はチッソ株式会社の子会社だった。
2011年1月12日、チッソ株式会社は新たに子会社としてJNC株式会社を設立。
その2か月後に東日本大震災が起こり、チッソ石油化学五井製造所の劣化ウラン保管施設がもらい火。
2011年3月31日、チッソの事業再編に伴い、チッソ石油化学株式会社はチッソの子会社からJNC株式会社の子会社となる。

チッソ株式会社>チッソ石油化学株式会社
           ↓
チッソ株式会社>JNC株式会社>JNC石油化学株式会社

チッソ株式会社は公害病である水俣病を引き起こした会社である。
水俣病が発覚した時には「日本窒素肥料」だったが、その最中というかその後(1965年)というかに、「チッソ」に社名変更した
私は過去記事でこの会社に触れている。

日本では日窒コンツェルンという財閥の日本窒素肥料という会社が窒素固定を研究していた。
日本窒素肥料会社は現在のチッソ株式会社である。
この会社が行った海への廃液が水俣病を引き起こした。
水俣病騒動の最中、日本肥料窒素会社の社長に就任したのが江頭豊氏。
日本興業銀行常務取締役からの転職である。(1933年入行〜1962年退職)

1962年に専務取締役として日本肥料窒素会社へ派遣された。
日本興業銀行は日本肥料窒素会社の筆頭株主だった。
1964年に社長に就任。1965年には社名をチッソ株式会社に改称した。
1971年に会長、1973年に相談役に就任。
この江頭豊氏は、皇太子妃雅子様の母方の祖父である。
2006年の江頭氏の告別式には皇太子ご夫妻も参列したと報じられた。

江頭氏が30年余り働いていた日本興業銀行。(現:みずほ銀行)
その第4代総裁(1924〜1927・在職中に逝去)はオノ・ヨーコさんの父方祖父である小野英二郎氏。

オノ・ヨーコさんの父は小野英二郎氏の三男である。
小野英二郎氏の四男・小野康平氏は、足利赤十字病院の創設(1949年)院長だった。
日本医師会会長に長年君臨し、世界医師会会長にも就任した武見太郎氏と慶應義塾大学医学部にて同期であった。


その後も再び触れる機会があった。
チッソ株式会社は、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスなどの母体企業でもある。

ハウスと言えば「リカちゃんハウス」だが(カレー?)、最近では「ヘーベルハウス」がその名を轟かせた。
それはそう、昨年9月の鬼怒川決壊で、周囲の家々が流されてもびくともしなかった新しい白い家がヘーベルハウスだったからである。
ヘーベルハウスは旭化成ホームズの主力商品である。
鬼怒川決壊の翌月、横浜のマンションの杭問題が突然のごとく発覚した。
マンションの販売は三井不動産レジデンシャルが担当し、問題の杭打ちは旭化成が担当していた。
不正が発覚したきっかけは、マンションの住民が隣り合う2棟の手すりがずれていることに気付いたことだそうだが、それは一昨年の11月のことで、1年も経ってからの発覚・公表だった。

旭化成グループはかつての「日窒コンツェルン」である。

日本興業銀行から転じた江頭豊が1964年から1971年にチッソ社長、1971年以後は同会長、同相談役を務めた。社長時代には一旦謝罪したが、その後被害者と対峙するようになり、水俣病被害者との話し合いは進まなかった。現在でも鹿児島県と熊本県には6000人以上の水俣病認定申請者がいる。

水俣病にも何故今頃?という疑問がある。
温暖化もそうだろう。
本当に問題が深刻であるならば、もっと早くに異常者や異常値や異常事態が出現するのではないかという疑問である。
逆に、後から見れば放射性物質の影響って大したことなかったような・・というのが、広島と長崎の原爆ではなかろうか。
また輸血によるC型肝炎ウイルスの感染などは十分に危険を認識し感染者を確認しても長いこと放置されてきた事案である。


チッソ水俣工場では、第二次世界大戦前からアセトアルデヒドの生産を行っていたにもかかわらず、なぜ1950年過ぎから有機水銀中毒が発生したのかは、長期にわたってその原因が不明とされてきた。現在でも決定的な理論はまだ出現していない。



2005年6月、無届の劣化ウラン含有廃触媒(劣化ウラン765 kg)をチッソ石油化学五井製造所で保管していることが明らかになった。
親会社がチッソ株式会社となるより先に、「チッソ」を使用したのが実は子会社の「チッソ石油化学株式会社」であった。
チッソは1962年に同子会社を設立し石油化学事業に参入し、五井工場はその時に建設された。
日本肥料窒素の筆頭株主だった日本興業銀行から送り込まれて江頭豊氏が社長に就任したのが同年である。

水俣病の「何故今頃?」という疑問に関しては、水俣湾に廃液された水銀が食物連鎖で濃縮され、人間に戻ってきたためと考えられている。
要するに裏を返せば、海に流れ込んだ廃液は当初それほど問題になるようなものではなかったということになる。
直ちに影響はなかったのだ。
生物濃縮によって問題が顕在化してきた。


飛び火で火災になったチッソ石油化学五井製造所はどうなったのか?

●2011年東京電力福島第一・第二原子力発電所事故(東日本大震災)について
○文部科学省
3月11日
16:45 文部科学省原子力災害対策支援本部設置
22:50 核燃料物質施設である千葉県市原市のチッソ石油化学株式会社五井製造所より、隣接するコスモ石油千葉製油所における火災が、同事業所内の核燃料物質(劣化ウラン)の保管施設に延焼する恐れがあるとの連絡あり
3月12日
02:16 地元消防による消火活動により、鎮火確認。劣化ウランは不燃物質であり、不燃性壁に囲まれた倉庫に保管されているが、倉庫の状況については未確認


文部科学省で扱っているのは科学という観点から?

●枝野官房長官、チェーンメールへの注意呼びかけ - MSN産経ニュース(2011年3月12日)
大震災で千葉県市原市で発生したコスモ石油千葉製油所の火災について、ネット上で「有害物質が雨などと一緒に降るので注意」といったチェーンメールが広がっている。
枝野氏は「いたずらに不安感をあおるのでぜひ(チェーンメールを回すことは)避けてほしい」と述べた。


●東北地方太平洋沖地震によるチッソ石油化学五井製造所の状況について/チッソ株式会社(2011年3月14日)
11日に発生しました地震の影響により、近隣の工場より火災が発生し、一時弊社五井製造所にも飛び火しましたが、12日までに全て鎮火しており、有害物質の発生もありませんでした。

●チッソ石油化学㈱五井製造所 劣化ウランを含有する触媒の保管状況について/JNC株式会社(2011年7月)
 弊社の子会社であるチッソ石油株式会社五井製造所で保管しております劣化ウラン含有触媒の保管倉庫外壁が、3月11日の東日本大震災の際に発生しましたコスモ石油株式会社千葉製油所殿のLPGタンク爆発火災によって類焼したため、所管の文部科学省の許可を得て、新保管倉庫への移動と類焼した旧保管倉庫の撤去作業が6月末で完了いたしましたのでご報告いたします。
 なお、劣化ウラン含有触媒は鋼製ドラム缶33本に収納しており、当該ドラム缶からの劣化ウランの漏洩等の異常はなかったことを文部科学省担当官立会いの上で、放射線量測定によって確認しております。



1962年に設立されたチッソ石油化学五井製造所が劣化ウランを扱うようになったのは1969年のこと。
核燃料物質使用の許可を得て、合成ガス製造用の触媒として劣化ウランの使用を開始している。
しかしその後、劣化ウランを含まない触媒が開発されたことから、1972年11月に核燃料物質使用の廃止届を科学技術庁へ提出し、劣化ウランは廃触媒としてケミカルドラム缶に入れられ専用倉庫にて保管のみ行っていたそうである。
専用倉庫の側壁表面等の放射線量を測定し、その結果を科学技術庁へ自主的に報告していたらしいが(?)、それも1991年までで1992年以降は行われておらず、そのまま誰が何を言うこともなく13年間埋もれてしまっていた。
つまり放置された状態だったわけである。
2005年に文部科学省から「放射性同位元素等に関する点検及び報告依頼」という通達が出て(文科省が放射性物質の把握に重い腰を上げて?)、相も変わらず保管していながら未報告(無許可)だったことが発覚したそう。








by yumimi61 | 2016-12-15 12:29