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日本国憲法の秘密-539- (加計学園問題について)

Q 文中の赤字部分「これを」が何を指しているか答えよ。
A 第一項の「これを」(              )
  二項の「これを」(              )
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第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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日本国憲法第2章戦争の放棄の文章は本当に分かりにくいと思う。
でも第一項は、日本国民が国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する、と言っていると思われる。
主語は日本国民、述語は放棄する。
何でもかんでも永久に放棄するわけではなく条件付けされている。
国権の発動たる戦争や武力行使を、国際紛争を解決する手段として使用するのは、永久に放棄するのである。(言い換えると国権発動以外の戦争や国内紛争解決のためなら良いということになってしまうのですよ)

「国権の発動たる戦争」は放棄すると述べているだけで、「戦争」を放棄するとは言っていない。
戦争は出来る。ただ日本という国が独断で勝手に戦争を引き起こすことは出来ないのだ。
他国や国際機関が法的権限を発動して始める戦争に参加依頼されるようなことがあれば参加は可能。
まさに集団的自衛権による戦争はOKなのである。
また独断ではなく相談の上で国際的にゴーサインが出れば日本独自でも戦争が出来るかもしれない。
簡単に言うと、「日本は外国相手に独断で勝手に戦争をしない(するな)」ということになる。


非常に分かりにくいのは2項。
日本国民が国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行使を永久に放棄するという目的を達成するために必要なことが2項に書かれているはずなのだ。
2項の主語は何か?
1項と同じく日本国民なのか?
助詞(てにをは)に「は」を使用しているので、「陸海空軍その他の戦力は」と「国の交戦権は」が主語になっていると取れなくもない。
例えばこうなら分かりやすい。
二項  前項の目的を達するため、日本国民は陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権も認めない。

どうしても「これを」を使いたいならば、

二項 前項の目的を達するため、日本国民は陸海空軍その他の戦力、これを保持しない。国の交戦権、これも認めない。

でもそういう誰にでも分かりやすい文章にしなかった。試みたが採用されなかった。
その事実を勘ぐれば、「これを」はタイトルの「戦争放棄」を指しているとも取れなくはない。
憲法9条に隠れている意味を明文化してみたのが次の文。

過去記事より

キーポイントは「これ」という指示語。
「これ」が何を指すか?
ずばり、第二章タイトルになっている「戦争の放棄」である。
前項では出来ない戦争と出来る戦争があることが述べられていた。
要するに全部を戦争放棄しているわけではない。全部を戦争放棄されたら困る。
だから陸海空軍その他の戦力は「戦争の放棄」を保持しないと言っているのだ。
また日本という国としても戦争自体を放棄したわけではないということを高らかに宣言している。
国際的に戦争の参加依頼や了承があれば、日本は戦争をする。
それを拒否すること(戦争放棄)は国家権力が認めない。


「安全保障関連法案の合憲性」というだけでは論点がぼやけてしまうが、集団的自衛権が合憲かどうかということならば合憲である。
憲法は文章化していない国さえある。理想的な姿を描くものではあるが、そのぶん総論的で抽象的で曖昧さを残している。
従って法的拘束力は実はそれほど高いものではなく、それは他の法律に譲る場合が多い。
実際に活動するうえで問題になってくるのは理念や概念である憲法よりも、狭く細かい固有の法律のほうだろうと思う。

もしも一切合切戦争を放棄するのであれば「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」ではなく「陸海空軍その他の戦力を保持しない。」と書けばよいのだし、自衛の部隊しか認めないというならばはっきりとそう書けばよいものをそう書かなかった。
憲法が軍隊や戦力を否定しているわけではないからである。
勝手な戦争(侵略戦争とでも言うのかな?)を強く禁止しているだけなのだ。
ということで自衛隊も全く問題なく合憲なのだ。
しかし自衛隊法という固有の法律で何か制限しているものがあるとするならば、そちらに縛られる。
だからそれを変えるのだし、それで不十分ならば固有の新法を制定すればいい。
そうやってきたからこそ今日まで一度も憲法を変えずに済んだのだ。


過去記事より

常に被害者であれ

芦田試案はマッカーサー原則に一番沿う文章だったが、結局そうではない文章に変更された。
芦田試案は日本が戦力や交戦権を持たないことを目的とした。
つまりそれが一番重要であると考えたのだ。マッカーサーもそうであった。
マッカーサーや芦田が次に考えたことは、戦力や交戦権を持たないと決めた国がそれを破る時はどんな時だろうかということである。
一番の脅威は「世界の正義」だと思った。
正義を振り翳した耳触りの良い理由で戦争や武力行使が行われる時には、なし崩しに約束は破棄されるだろうと踏んだ。
だからマッカーサーは「日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」と主張したんだろうし、芦田は「前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する」と述べたのだ。
日本国民に罪は無くとも、日本が戦力を維持している以上、どうにもならないことがある。

急に飛び出してきた歩行者を撥ねた場合でも、「飛び出してきた方が悪い」という自動車側の言い分は通らなくなる。
過失割合10対0で歩行者が完全に悪いと判断されることはまずない。
でも逆に0対10で自動車が悪いという状況は結構ある。
自動車を運転するということは、人間が身体能力以上の物を持つということであり、戦力(武器)を保有することにどこか似ている。

ただこの状態が完全には当てはまらない物がある。それは電車の類である。
鉄道には人が入らないということを前提にしているせいか、コンピューターシステムで運行されているせいか、大きく長くて自由が利かないせいか、撥ねたり轢いたりしても自動車の運転手ほど過失が問題にならない。

ともかくマッカーサー原則は歩行者になることを勧めていた。
それは言い換えると被害者になれということでもある。


GHQのマッカーサーは何故日本に被害者になることを推奨したのか?それには理由がある。
マッカーサー総司令官が提示したという3原則を考えれば分かる。
三原則を簡潔にまとめると「世襲天皇制」「国権発動の戦争放棄」「絶対君主制」である。
敗戦国が「世襲天皇制」「絶対君主制」を維持していくには、被害者になるしか方法はない。
自動車側の加害者が過失0で罰や賠償から逃れられるなんてことはまずありえない。
だから敗戦と同時に日本は被害者となったのだし、敗戦国が世襲天皇制や絶対君主制という現状を維持し戦力も維持するとなれば当然問題視されるだろうから、例えれば過失が小さい歩行者ほどの戦力であることを宣言した。
また他国にすれば、日本は敗戦後も体制を変えないのだから、暴走の懸念は払拭できない。リベンジとか復讐とか再チャレンジとか倍返しとか結構身近にあるものだから、体制を変えない戦力はリスクと言えばリスクである。



戦争の不思議

「朝食はパン派」と「朝食はご飯派」がディベートではなく騎馬戦で決着を付けることにした。
話し合いではなくて、騎馬戦という戦争で勝敗を付けるのだ。
パン派の後ろには小麦農家が、ご飯派の後ろにはコメ農家が見え隠れする。
何人制といったルールは特にないので、クラスの仲間だけでなく、あっちからもこっちからもパン派ご飯派ともに援護者を連れてきた。
そしてついにパン派の勝利。
騎馬戦に勝っただけだというのに、勝者のパン派は俄然偉くなって、パン派の言うことが何もかも正しいような感じになる、これが戦争というものである。
パン派の人達は「おまえたちも明日からパンを食べろよな」なんて言い放ったりする。パンとご飯は本当に戦う必要があったのだろうか?
「あなたたちは明日からもご飯でいいわよ」とパン派の人達、これが負けても体制が変わらないということなんだろうか。それで本当にいいのだろうか?そうなら私達はいったい何のために戦ったのだろう?
何だかよく分からなくなる。例えが悪いのかな。

「明日からおまえたちもご飯を食べよ」と強制された。
私達は好きなものが食べたいから戦った。そして勝ったのだ。
ご飯を食べよなんて他人に強制する人間は排除されるべき、これならしっくりくるのかな。





by yumimi61 | 2017-08-21 00:40