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やがてそこに。


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日本国憲法の秘密-557- (加計学園問題について)

日本で最初の学園都市構想は筑波(つくば)である。
中心となった学園は国立筑波大学である。
筑波大学の前身は東京教育大学で、その前身は東京師範学校。
明治初頭の1872年に文部省によって創立されており、東京大学の母体となった学校や慶應義塾大学の母体となった学校に次いで古い学校である。(東大以外の旧帝大や早稲田大学よりも古い)


筑波大学の母体となった東京教育大学の本部は文京区にあった。
文京区大塚に本部の他、教育学部・文学部・理学部が存在していた。
目黒区駒場に農学部、渋谷区幡ヶ谷に体育学部がそれぞれあった。
東京大学と東京教育大学という国立一期校(旧入試制度による区分)の本部はともに都心である文京区に存在していた。
都心における総合大学はそうでなくても手狭なのに、然程大きくない同じ区に似たような大学が2つ存在する。この2つの大学を離したいという理由が学園都市構想の裏には存在したと思われる。
そして茨城県筑波市に追い出される学校は東京大学ではなく東京教育大学のほうだった。


東京師範学校(東京教育大学・筑波大学の前身)学校創立のキーマンは森有礼(薩摩藩出身)であり、アメリカの影響を強く受けた学校だった。また森有礼と新島襄(群馬出身で同志社創立者)はアメリカで知り合い旧知の仲であった。
明治期は薩長閥が仕切っていた時代だが、東京大学は伊藤博文(長州藩)が設立しイギリスの影響を受け、一方の東京教育大学はアメリカの影響を受けた。
どうしても英米や薩長閥と一緒に括ってしまうが微妙に隔たりがあることも確か。そもそも薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は犬猿の仲だった時代もある。(それを結びつけたのが土佐藩・高知)
この微妙な繋がりと隔たりは私大の慶応義塾大学(福沢諭吉)と早稲田大学(大隈重信)にも見られる。
早稲田大学と同志社大学には医学部がない。どちらも歴史ある古い学校であるにもかかわらず。
(早稲田理工出身の小保方STAP事件は早稲田大学の医学部認可蹴落としに一役買ったと見ることだって出来なくはない)


世界の科学技術に追いつき追い越すため、国際色豊かな街に、それが学園都市構想の表立った理由である。
1985年に筑波市で科学万博が開催されたことがそれを証明している。
筑波(つくば)市に集まるのは理系の研究機関や企業の研究所である。
また東京教育大学のほか1897年創立の国立東京外語国大学も移転させる案があった。言い方を変えると東京外語国大学も都内から追い出したかったということになる。

東京教育大学では教授学生ともに猛烈な反対運動が巻き起こった。
移転によって首都に存在するというブランド性と利便性を失う。
それだけでなく職場や学校が移転するということは家や家族など個人的な事情や経済的損失も伴う。
折しも学生運動の時代。超大学派による反対運動になったっておかしくはない。
また理系重視の学園都市構想であったため東京教育大学では文系の反対が大きかった。どうしたって文系の軽視に繋がるからである。

筑波学園都市構想は政府主導で行われたが、閣議決定された時の首相は池田勇人(広島県出身)。

●池田勇人(1899年生まれ)広島県出身 ・・吉田茂の舎弟
大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角をあらわし、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。1960年に首相に就任した。


○永野重雄(1900年生まれ)広島県出身 
新日鉄会長、経済同友会創立者で会長。“戦後の財界のドン” 財界四天王の1人
全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。 会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
ショーン・アイゼンベルグを紹介されスクラップ工場設立に協力した。アイゼンベルグが結婚したのは永野の娘という説もある。
アイゼンベルグらはイギリスに麻薬貿易に貢献したサッスーン一族を殺して麻薬販売網を力ずくで奪い取った。

【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長)
永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)

○加計勉(1923年生まれ)広島県出身
池田勇人(1960-1964年首相)が中学の大先輩にあたり親交があった。
その関係で宮澤喜一(1991-1993年首相)の後援会長も務めていた。
1955年予備校・広島英数学館を設立。
1961年、岡山県岡山市半田山の山麓(現在の岡山市北区理大町)に学校法人「加計学園」を設立⇒岡山理科大学



筑波学園都市構想の真の狙いは表向き理由ではなかったと考えられる。
わざわざ新しく造る都市なのに、中心となる学園(筑波大学)の近くまで線路を引いて駅を置かなかったことがそれを証明している。



地図の紫マークが筑波大学。
広大なキャンパスでありキャンパス内でさえ徒歩移動は難しい!?
赤マークがつくばエクスプレスの終着駅「つくば」。

前川・前文科省事務次官は前川製作所の創業一族であると書いたが、実は前川製作所の守谷工場がつくばエクスプレス沿線にある。関東鉄道沿線でもある。緑マークのところ。
乗り換えるといろんな所に行ける良い場所にありますね。
常磐自動車のインターもかなりお近いですね。
まさか前川製作所だけのためにつくばエクスプレスや常磐自動車道を造ったのではないと思うけれど・・・
守谷工場が前川製作所のマザー牧場工場なんだそうだ。1970年操業。



愛媛県今治市の学園都市構想は筑波学園都市構想よりも遅く、こちらは県や市が主導となって進められていた。
しかしその構想には文部省が関わっていたと思われる。
なぜなら文部省は1980年代以降に自治体が土地を無償提供したり補助金を給付するなど資金援助をすることによって私立大学を誘致することを推奨していたからだ。


この文部省の推奨の根拠となる法は1976年に施行された「私立学校振興助成法」である。
国や地方公共団体が、学校を設置する私立の学校法人に対して、私立学校振興助成法施行令の定める基準に従って、あるいは国会の議決や地方議会の議決を経て、助成することが出来るようになったのだ。
但し助成を受ける学校法人は、文部科学大臣または都道府県知事に経営状況の報告を行うなど所定の監督に服さなければならない。
法律が制定された時の首相は三木武夫(徳島県出身)である。

森&安西&鈴木コンビが設立した昭和電工と東信電気。
森家は首相家(三木武夫)と姻戚関係にある。
安西家は皇后の実家や首相家(佐藤栄作)と姻戚関係を結んだ。

三木武夫は吉田茂の官僚政治を批判するも、吉田茂に非常に近く元官僚でもある岸信介や佐藤栄作のが政権誕生に力を貸していた。
三木は、吉田学校の生徒の1人に数えられる田中角栄が逮捕された時の首相である。
「私的参拝」と言って靖国参拝し物議を醸した。
そしてー
超法規措置としてテロ犯を釈放した首相でもある。


私学助成法に大きな問題がある。
国民という視点で語れば公立学校に通う子供も私立学校に通う子供も同じ国民であるが、私立の学校は経営者や出資者という個人の損益に直結している。
限られた個人の利益のために公費(庶民の税金)を投入することが妥当なのかという問題である。
「公」とは何か?「私」とは何か?
国立大学に関して言えばもはや国立ではなくて教職員も公務員ではないが、未だに「税金で学校に通わせてもらっていることを自覚しろ」とか「税金で高い給料もらっているくせに」とか言われたりすることがある。
その一方、私立学校に助成金が入っていることや私立学校教職員は年金なども待遇が良いことを知らなかったりする。
あるいは知っていても知らんぷりなのか。

公務員は民間企業に比べると給与の男女差が少なく、非常に安定して昇給する給与体系となっている(昔ほどではないと言うが)。
成果を上げずとも(実力主義ではなく年功序列が基本)大きな問題さえ起こさなければ給与は上がっていって高い退職金を手にして老後も安心。
なんだかんだ言っても公務員はなってしまえば美味しい職業だと言われる。(だから、あなたも公務員になれる!とか言って自衛隊員を募集したりもする)
民間企業に比べると女性が産休や育休を取りやすく(職場復帰しやすく)、定年まで働きやすい。
教員の場合は産休育休代替制度が古くから整っている。(教育委員会の地域機関である教育事務所が登録制にてピンチヒッターを請け負う人を確保していたりするから)。
こうしたことから公務員に厳しい目が向けられたり、非難の対象となったりすることは昔からあったこと。
公務員の教員が優遇されるならば、同じ仕事をしている私学の教員にも同じ待遇を!ということなのか知らないが、「公」と「私」の問題は「国家とはなにか」という問題にも通じる。

ともかく文部省は1980年以降積極的に「公」は「私」を援助しなさいと推奨していた。
その理由の1つとして挙げていたのが一極集中回避と地方活性であったが、それも表向きの理由に過ぎず、ただ単に限られた「私」の利益に貢献することが目的だったのだろうか。







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by yumimi61 | 2017-09-17 13:46