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日本国憲法の秘密-572- (加計学園問題について)

☆素朴な疑問なのですが、「1,000万都民のリーダーである都知事」と「国政政党代表」の二足のわらじが懸念されるならば、「1億万国民のリーダーである日本国首相」と「国政政党代表」の二足のわらじはどうなんでしょうか?(なんかの会議の議長なんかも兼ねていたりして・・)
懸念材料は、下々の数の多さなのか(それならば・・)、それとも地方と国という種類の違いなのか、地方と国という規模の大きさなのか?よく分からない。

☆先日赤ちゃんパンダの名前が「シャンシャン」と発表され「シャンシャン総会」を思い出した人は少なくないと思う。
「今日は午後から総会に行ってくるから」
「部長、総会屋なんですか?」
「私は社員だ」
昔は1株でも株を持っていれば株主として偉そうな顔が出来たが、総会屋を締め出すために単位株という制度が導入されて、一定数以上の株を持っていないと総会に出席して発言したりできなくなった。
1982年(昭和57年)10月1日に改正商法が施行されると、単位株制度は実際に多くの総会屋を株主総会から閉め出し、会社から総会屋への対策費などの支出も減少したが、生き残りをかけた総会屋の活動も活発になる。1984年(昭和59年)1月30日に行われたソニーの株主総会では、12時間30分という記録的な「マラソン総会」となり、「総会屋は死なず」という衝撃を世間に与えた。

☆前記事に政権のタウンミーティングのやらせ事件を書いた。サクラを仕込み賛成の質疑応答を偽装したことが発覚し官僚が処分された。全71回、参加者を確保するため、国や地方自治体などが、職員などを大量動員していたことも判明した。
実は私、いろんな講演会の参加者ノルマの片棒を担いだことがある。(過去記事
講演会と一口に言ってもいろいろな講演会があるわけで、なかには人数が集まらないという講演会もあるわけです。
講師の方を頼むのに人数が集まらないのは申し訳ないし、企画した側もどうなのかと問われることにもなるので、そういう場合は大抵、関係各所に参加人数のノルマが割り当てられるわけです。
ノルマを割り当てなければ集まらないような講演会ならやらなくちゃいいのにと思ったりするわけですが なかなかそうもいかないようなのです。
(略)
その2,3年後、私はまたしてもノルマの片棒を担いで、講演会に出掛けました。その講演の途中で不思議な感覚に包まれたのです。この光景をどこかで見たことがあるような気がする、この話も聴いたことがあるような気がする、、、デジャブ!?(略)





医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置や収容定員増はたとえ定員要件を満たしたとしても認可しないと2003年に文科省が告示したが、2005年にそれを見直す動きがあった。
その時の首相は小泉首相。小泉首相最後の第3次改造内閣(2005年10月31日-2006年9月26日)
内閣官房長官が安倍晋三、総務大臣が竹中平蔵、外務大臣が麻生太郎、経済産業大臣が二階俊博、環境大臣が小池百合子。

意外だが、安倍晋三はこの時が初入閣である。
1993年39歳の時から継続して衆議院議員。祖父が首相経験者で、父親もリクルート事件でこけて(?)首相にこそならなかったが幾つもの大臣や自民党の要職を経験している。
いわば安倍晋三は政界のサラブレッドである。
それでも初入閣したのは2005年秋の小泉第3次改造内閣だった。
しかも内閣官房長官。そして2006年9月26日からは自身が首相となるのである。
だから内閣官房長官以外の大臣を経験したことは一度もない。自民党から首相となる人物としては珍しいケースではないだろうか?
自民党の役職も総裁以外は小泉総裁の時に2003年9月-2004年9月に1年幹事長を経験したのみ。
自民党の皆さん、大丈夫ですか?

医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の認可に関する見直し論が起こったのは安倍晋三が内閣官房長官の時だった。
まず教員の養成がターゲットにされた。

この教員とは小中高校の教師のことである。それを養成するのは大学。
先生1人に対して児童生徒が多すぎる、少人数学級でないときめ細かい教育が出来ない、教師は忙しすぎる、残業も多く過重労働で大変、そんな話を聞いたことはありませんか?
だから教師を増やしたほうがよいとなるわけである。
教師を増やすには養成機関である大学を増やすべきと導かれる。
しかし少子化しているのでは・・?
教員ほど詳しくは語られなかったが、教員とほぼ同時期に獣医師養成も検討する必要があるとの発言があった。
それがつまり2005年で、加計学園が今治市に「獣医師学部なら新設してもよい」と返答した年である。


この時の文部科学大臣は中山成彬。
第2次小泉改造内閣と第3次小泉内閣(2004年9月27日 - 2005年10月31日)の大臣。
自民党から党を転々として、2016年の参院選で落選している。その時の党は「日本のこころ」。
そう、彼の妻は中山恭子、つい先日まで「日本のこころ」の代表を務めていた人物。
彼女は代表を放り投げて(?)「希望の党」へ加入した。

中山成彬
鹿児島ラ・サール高校、東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。大臣官房企画官などを経て1982年に退官し、政治の道に入る[要出典]。

2004年の第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣として初入閣し、日本原子力研究所と、もんじゅを運営していた核燃料サイクル開発機構を統合し独立行政法人日本原子力研究開発機構とする法案を成立させた。また、清和政策研究会事務総長を務めた[要出典]ほか、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京事件は存在しないというレポートを出した日本の前途と歴史教育を考える議員の会会長を務める。

2008年9月25日に麻生内閣の国土交通大臣に就任するが、同月28日に辞任。原因は同月25日の「成田反対はゴネ得」、「日本は単一民族」、同月27日の「日教組を解体へ」の発言に対して度重なる抗議を受けたため。


■日本の前途と歴史教育を考える議員の会
自由民主党内で結成された議員連盟。1997年(平成9年)設立。
会長は古屋圭司。自民党の議員が多く所属しており、前身である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会では安倍晋三が事務局長を務め、中川昭一、衛藤晟一、松岡利勝、高市早苗、森田健作、山本一太、中山泰秀などが会員だった。

歴史教科書、慰安婦、南京事件問題に関し否定的な立場から提言を行っている。現在では主に第二次世界大戦末期の沖縄戦における集団自決について議論を行っている。同会では自決について「旧日本軍の組織的な強制・強要はまったくの事実無根」との立場をとっており、2007年(平成19年)10月17日、会内に「沖縄戦検証のための小委員会」を新たに設置した。

会長:古屋圭司
事務局長:義家弘介
顧問:安倍晋三
南京問題小委員会 委員長:(空席)
慰安婦問題小委員会 委員長:中山泰秀
沖縄戦検証のための小委員会:萩生田光一
会員:岸田文雄、佐藤勉、今村雅弘、江渡聡徳、山崎正昭


山中会長の後任・古屋圭司は第二次安倍内閣で国家公安委員会委員長だった人物。
中山夫妻(夫は落選し議員失職したが在職中)は日本会議国会議員懇談会のメンバーである。


見直しが検討された時の文部科学大臣の時の副大臣は塩谷立。
その後自身も麻生内閣( 2008年9月24日-2009年9月16日 )で文部科学大臣に就任した。
静岡県立静岡高等学校卒業後、米国カリフォルニアのアンバサダーカレッジに留学。帰国後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。

第44回衆議院議員総選挙において、文部科学副大臣という立場を利用して「塩谷文部科学副大臣講演会への動員へのお願い」というタイトルの文章を静岡県西部の複数の私立中学・高校へファックスし講演会に学校関係者を動員するなど、選挙活動に当たる行為を行い公職選挙法に違反したのではないかとの疑いが浮上した。



見直しが検討された時の文部科学省事務次官は結城章夫。
山形県村山市に生まれる。山形県立山形東高等学校から東京大学工学部に進学し、1971年6月に東京大学工学部物理工学科を卒業する。

1971年7月、科学技術庁に入庁。入庁後は主に原子力安全や研究開発行政に携わる。2001年、科学技術庁と文部省が統合して文部科学省が発足すると、初代大臣官房長に就任する。その後、文部科学審議官を経て、2005年1月11日に文部科学事務次官に就任する。

2007年7月6日、事務次官を退任する。同日開かれた退任会見で、山形大学の学長選挙に出馬することを表明する。その後、7月26日に開催された学長選考会議において学長候補者に選ばれ、9月1日に学長に就任した。
2011年6月27日、自身の任期満了を受けて開催された学長選考会議で再び学長候補者に選ばれ、学長に再任される。その後、2014年3月末をもって学長を退任し、同年4月に山形大学から名誉教授の称号を授与される。


事務次官を退任したその日に国立大学の山形大学の学長選挙に出馬することを表明し、しかも選ばれるなんて。
天下り学長と考えていいですね?



一内閣一仕事という言葉がある。
1内閣(1人の首相在任期間)で成し遂げる仕事は1つが精一杯という意味。
やりたいことは山ほどあっても1つのことに集中せよという戒めの意味でもあり、1つくらいは成し遂げよという目標的な意味もある。
内閣総理大臣を経験した竹下登は内閣が政治懸案事項について「道筋をつけたり、解決・達成できるのはせいぜい一仕事くらいである」と述べている。

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※図はクリッククリックでもう少し大きくなります。

私は感情的になっているつもりもないし、誰かと特別な利害関係にあるわけでもないが、正直なぜ安倍首相がそんなに支持されるのかさっぱり分からない。どうして飽きられないのか、ボロがボロボロ出てもどうして許され続けるのか理解できない。
他の首相と何がどう違うのだろう? 違いというか特別感というか魅力みたいなものが私には分からない。
現状を維持していく上で特別感は別に必要ないとも思っているが、特別感や魅力が特にないのにこの飽きっぽく不寛容な社会で継続していることがこれまでと何か違うように感じて怖い気がする。
これまでと違うことからくる漠然とした不安を世の中の多くの人が感じないのも不思議。
代わりの人がいないからとよく言われるけれど、では戦後70年ここにきて日本にはどうして代わりの人がいなくなってしまったのだろう?


安倍晋三が内閣官房長官の時に獣医師養成見直しの動きがあり、その後安倍内閣が誕生した。
しかし今治市の「加計学園による獣医学部新設」の構造改革特区申請は安倍内閣(一次)の期間中には間に合わなかった。
一度退陣した首相が再登板したことは、戦後混乱期の吉田茂を除いて戦後一度も無い。
加計学園理事長のことを腹心の友と言って憚らない安倍晋三が首相の座にいる期間を十分に活かせず加計学園と今治市のチャンスは潰えたように思えた。
現に2007年以後、構造改革特区への申請は不可の判定が続いた。
だが2012年安倍は2007年退陣の際には誰も想像していなかった再登板を果たす。
この後に今治市と加計学園の獣医学部新設も急展開を見せていくことになる。








by yumimi61 | 2017-09-29 11:07