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日本国憲法の秘密-626- (外貨準備と貿易について)

先日、日本は概ね貿易黒字国である、と書いた。
貿易黒字とは輸入よりも輸出が多い状態である。
細かいことを言うと、貿易収支にも2つ種類がある。

1.「国際収支統計」の貿易収支(決算ベース)・・財務省と日本銀行が発表
2.「貿易統計」(通関ベース)・・財務省が発表

2の「貿易統計」は税関を通過した貨物を集計の対象としていて、金額は貨物(輸出する荷物)の金額であり、輸送運賃や保険料を含まない。

1の「国際収支統計」は物だけではなく、財貨・サービス・所得・資本・国の金融資産など全ての取り引きが含まれる。いわゆる経常収支。
その中から物の取り引きだけを抜き出したのが「国際収支統計」の貿易収支。
物の取り引きだけを抜き出したと書いたが、物の取り引きに関わる輸送運賃や保険料、輸送船舶や飛行機の燃料代や修理代、紙幣以外での決算など全て含まれるものなので、当然「貿易統計」の税関通過時貨物代に比べたら金額はずっと多くなる。
またこちらは税関を通過したかどうかは関係ない。所有権が国を移転した時点で取引をカウントする。
例えば日本企業が現地生産して現地で販売すれば税関を通過しない。従って「貿易統計」の貿易収支(通関ベース)には含まれてこないが、「国際収支統計」の貿易収支には含まれる。


先日、パソナが運営会社の貿易女子のためのサイトで貿易赤字の説明が間違えていることを指摘したが、間違いがあった記事のタイトルは「日本はアメリカに何を輸出し、何を輸入しているの?」というものであり、グラフなどで輸出入上位10品目を紹介していた。
あのグラフの出典にはUSITCとあった。
The United States International Trade Commission (USITC)、アメリカ国際貿易委員会のことである。

日本の会社が日本の輸出入を紹介しているのに、日本ではなくアメリカ国際貿易委員会のデータを用いているということになる。
これも細かいことだけれど、グラフは全て日本語で記されていたので何かの資料からそのまま引っ張ってきたものでなく、数字を自分でグラフ化したか訳して作成したグラフなはずなのでアメリカ国際貿易委員は参考(参考資料)とすべきである。

そのパソナのグラフで、アメリカ向け輸出上位10品目の1~3位。
①車両(鉄道除く)35.1% ・・自動車だけだと27.8%
②原子炉・ボイラーなど 22.2%
③電気機器・部品 12.6%

車両(自動車)がトップに来ているので、これは上の2.「貿易統計」(通関ベース)ではなく、1.「国際収支統計」の貿易収支のほうである。
これが通関ベースになると自動車がトップではなくなる。
通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である。

細かく見る時にもうひとつ注意しなければならないのは分類である。
機器・機械・同部品の主な輸出品は次のように分類できる。

<輸送用機器>
・自動車
・自動車部品
・船舶
・二輪自動車

<電気機器>
・半導体など電子部品
・電気回路などの機器
・電気計測機器

<一般機械>
・原動機
・ポンプ、遠心分離機
・電算機類の部分品

<その他>
・科学光学機器
・写真用や映画用材料

グラフや表を作成する時には分類を独自にまとめていることが多いので、その分類の仕方によってランキングや金額は変わってしまう。
例えば私は上で、通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である、と書いた。
その機器・機械・同部品には自動車と電子(半導体など電子部品やコンピューター)を含んでいない。
自動車はたいてい別になっている。


貿易統計(通関ベース)における2015年日本の輸出上位6品目(アメリカに限らない)
①機器・機械・同部品
②自動車
③化学製品
④電子
⑤鉄鋼
⑥船舶


日本の産業構造や輸出品の転換点は1954年。この時から①機器・機械・同部品が輸出品として急成長していく。高度経済成長期の始まりの年だった。
明治時代から戦前の輸出を支えたのは生糸である。生糸が輸出金額の大きなウェートを占めていた。
明治期には生糸の他、お茶や米、水産物など一次産業の品も輸出上位に入った。
大正時代・昭和時代には生糸には及ばないものの綿織物が急増した。
生糸・綿織物・絹織物など繊維品が下降し始めたのは1931年満洲事変以後。日本は1933年に国際連盟を脱退し、1938年に国際連盟が対日経済制裁を採択。

繊維品と機器・機械・同部品の輸出割合が最初に逆転したのは太平洋戦争勃発(アメリカへの奇襲攻撃)の1年前1940年のこと。ヨーロッパ勃発の第二次世界大戦は1939年に始まっている。
戦時中は機器・機械・同部品の割合が急上昇。(あくまでも輸出総額に対する割合であり輸出額や量が多いとは限らない)

戦後は再び生糸と綿織物が復活。戦後5年(1950年)の間に生糸と綿織物の割合が入れ替わり、トップに立った綿織物も1950年をピークに割合を下げ、1958年には機器・機械・同部品と並び、その後は機器・機械・同部品の割合が圧倒的となっていく。

繊維の輸出が減少していく背景にあるのは粗悪品である。
明治期~戦前は輸出品に厳しい検査を課していた。
規制緩和によってそれがなくなると粗悪品が目立つようになる。

輸出検査ー日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
戦前は重要輸出品取締法によって公設検査機関による検査が強制され、それに合格しなければ輸出が許可されなかった。
戦後に制定された輸出品取締法は、業者の責任で自主的に行う自主検査へと急転換し、品目によってその品位を示す等級を表示することになった。
しかし、1956年(昭和31)前後から海外で日本商品のなかに多くの粗悪品が発見されて問題化され、それを契機として検出検査制度の強化への要望が高まり、これにこたえて輸出検査法(昭和32年法律97号)が制定された。同法によれば、指定貨物は原則として政府機関または政府指定の検査に合格しない限り、輸出できないことになった。
検査を受ける指定貨物は輸出検査品目令(昭和33年政令3号)に明示され、品質については材料検査と製造検査、包装については包装条件が検査される。同時に、なれあい検査を抑止するために指定検査機関と検査自体に対する監視・監督が強化され、罰則も厳しいものであった。しかし、その後の日本の技術力向上と、政府による規制緩和推進により、輸出検査法は1997年(平成9)に廃止された。


上記のとおり、1957年に輸出検査法が制定されて検査が強化されたが、綿織物の輸出割合が浮上することはなかった。
1ドルのブラウスをアメリカ貧困層向けに輸出していた時期も下降の真っ只中にいた。
ジョンソン大統領やニクソン大統領が日本の繊維(綿ではなく麻だったりして?)を問題視していた1960年代後半や1970年代前半の日本の綿織物の輸出割合は3~1%しかなく、機器・機械・同部品が25%ほどに伸びていた。(綿織物は1949年がピークで28%)
だから日本にしたら、何でいまさら繊維を規制する必要があるのか?と思っていたのかもしれない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society. -Mark Twain
もう一方の側面は、衣類の価格差に横たわるのは人権問題であるという認識。安い賃金にて劣悪な環境で働く人がいるからこその低価格という認識。
沖縄返還と繊維輸出規制を交換したアメリカの真意はどこにあったのだろうか。


1958年に割合トップに立った①機器・機械・同部品は伸び続け、1985年に30%になっていた。
そしてプラザ合意。その後さらに伸びて35~40%になり今日に至る。
これは海外進出によって部品の輸出が伸びたからだろう。

自動車の輸出も高度経済成長期から始まり、1965年~1980年の間に大きく成長した。
自動車の割合のピークは1986年の20%で、その後は15%前後で推移している。こちらも現地生産が増えたということだろう。







by yumimi61 | 2017-11-24 15:09