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日本国憲法の秘密-692- (外貨準備と貿易について)

マーク・オリファントなくして第二次世界大戦の原爆なし。
そのマーク・オリファントに師事していたジョン・ランドールが戦後、「ジョン・ランドールなくしてDNA分析(生物物理学・分子生物学)なし」という状況を作ることになった。
ジョン・ランドールのキャリアはGE社の研究者から始まり、戦時中の1944年にスコットランドのセント・アンドルーズ大学の教授に就任する。この頃からマンハッタン計画に参加していたモーリス・ウィルキンスと一緒に生物物理学を研究することを計画し始めた。

ケンブリッジ公爵・ウィリアム王子とその妻キャサリンはセント・アンドルーズ大学の卒業生で、大学の600周年キャンペーンには広報マンの役割を果たした。
この時にビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領や俳優のショーン・コネリーもお祝いのメッセージを寄せたという。
セント・アンドルーズ大学はカトリック系の大学である。

俳優のショーン・コネリーはスコットランドの出身である。但し家系はアイルランド系。大学には進学しておらず卒業生ということではない。

ショーン・コネリー
『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。

スコットランド・エディンバラでアイルランド系の家庭に職工、トラック運転手の父ジョセフと、洗濯女の母、ユーフェミアのとの間に生まれる。先祖の地はアイルランド東部ウェックスフォード州。

義務教育修了後最初に得た仕事は牛乳配達であった。その後イギリス海軍に従軍するも、健康上の理由で除隊し、トラック運転手、労働者、美術モデルやライフガードなど種々の仕事をしながらボディビルジムに通う。1953年にはミスター・ユニバース・コンテストの重量上げ部門で3位入賞したが、その時に出場者の一人に演技の道に進むように勧められる。1954年からテレビや劇団に出演するようになる。

スコットランド人としての矜持が強く、その独特のアクセントを矯正したことは一度もなく、ジェームズ・ボンド役を引き受ける際もアクセントを矯正しないことを絶対条件とした。このため、ボンドは原作に於いてスコットランド出身という設定が付け加えられた。ボンド以外の役柄もスコットランド出身という設定に変更したものが多い。



『ジェームズ・ボンド (James Bond)』 はイアン・フレミング(1908 - 964年)というイギリスの小説家が書いたスパイ小説。
ジェームズ・ボンドは、その小説の中でイギリス秘密情報部 (MI6) の諜報員である主人公の名前である。主人公の父親はスコットランド人で、母親はスイス人という設定。

作者
Ian Lancaster Fleming(イアン・ランカスター・フレミング) 
1908年5月28日 - 1964年8月12日 
ウェストミンスター・メイフェアで政治家の息子として生まれる。陸軍士官学校卒業後、銀行や問屋での勤務を経て、大手通信社のロイター通信で勤務し、後に支局長としてソビエト連邦のモスクワに赴任。

1939年から英海軍情報部(NID)に勤務。同年にイギリスも参戦した第二次世界大戦中は諜報員として活動し、「ゴールデンアイ作戦」などの指揮を執った。1945年の終戦後退役する。

その後、ジャマイカの別荘「ゴールデンアイ」に居住。1953年に、それまでの経験をもとに「ジェームズ・ボンド」シリーズ第1作となる長編『カジノ・ロワイヤル』を発表する。1964年、遺作となった『黄金の銃をもつ男』を校正中に心臓麻痺で死去(56歳)。



カトリック系であるイートン校出身。問題行動も多かったらしいが、裕福な家庭なので外国に出すなど手を掛け、大きく脱落することはなかった。
父親は彼が9歳の時に第一次世界大戦で戦死した。
イアン・フレミングの祖父は、1873年にスコットランドでRobert Fleming&Co. と Scottish American Investment Trust を設立した金融家ロバート・フレミングである。「投資信託の父」とも言われる。
この会社はアメリカ南北戦争の土嚢に使われたジュート生地で成功を収め発展していった。
アメリカの鉄道事業にも関係が深い。というのもアメリカの公社債や鉄道関連企業が発行する債券(鉄道債)を投資対象とする運用をScottish American Investment Trust で始めた人だからだ。
裕福なスコットランド人がアメリカの鉄道開発に資金提供したということ。
鉄道債を投資対象としたファンドは世界初であり、この金融商品はかなり人気を得たという。
会社は1909年にスコットランドからロンドンに移転し、1970年代にジャーディン・マセソンとともにジャーディン・フレミング (Jardine Fleming)という合弁会社(投資銀行)を香港に設立した。これも成功した。
この合弁会社とロバート・フレミングはともに2000年にJPモルガン・チェースに買収された。

合弁会社のお相手だった、ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited)。
現在は香港に本部を置く(登記上の本社はタックス・ヘイブンのバミューダ諸島)イギリス系企業グループの持株会社である。
創設から170年たった今日でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリットとして影響力を持っている。
創業者ジャーディン・マーセンはアヘン商人であり、ジャーディン・マセソン商会という麻薬(アヘン)貿易会社だった。ロスチャイルド系である。
ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長が吉田健三という人物で、子供のいなかった吉田の養子に入ったのが竹内茂(後の吉田茂首相・麻生副総理の祖父)。
吉田健三が若くして急逝し、吉田茂は僅か11歳で莫大な遺産を相続した。吉田家はカトリック教徒である。現天皇家にも繋がる家系。


以前に書いたドレクセルという会社をおぼえているだろうか。
Drexel&Co.を設立したにフランシス・マーティン・ドレクセルと、Drexel、Morgan&Co.をJ・P・モルガンと共同で設立したアンソニー・ジョセフ・ドレクセルは親子である。
ドレクセルはオーストリア出身のカトリック教徒

父の設立したDrexel&Co.はベルギーのグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、息子が設立したDrexel、Morgan&Co.はJP モルガン(J.P. Morgan)に吸収された。
ともにロスチャイルド系である。
ベルギーのグループ・ブリュッセル・ランバートに吸収されたほうの会社にいたのが、ジャンクボンドの帝王マイケル・ミルケンであった。
1980年代にシジャンクボンドの帝王と呼ばれたのがマイケル・ミルケン。
マイケル・ミルケンは不正が発覚し、ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような投資会社ドレクセル・バーナム・ランベールは倒産した。
シーグラムの3代目はMCA(ユニバーサル)を松下電器(現パナソニック)から買い取るが、そのためにデュポンの株式も手放した。
4代目になると、ついにはシーグラムも売却。娯楽部門はロスチャイルド系会社ヴィヴェンディへ。ヴィヴェンディもドレクセル(息子)とモルガン共同会社が設立したGEに売却(但しミュージックは売却対象外)。
GEもコムキャストに売却。コムキャストの創業者はロシア系ユダや人。
父がユダヤ界のドンだったエドガー・ブロンフマン・ジュニアはワーナーミュージックを買い取ってCEOとなっている。


ドレクセル・モルガンもインフラ開発としての鉄道事業に関係が深い。債券によって莫大な資金を調達してやった会社。

JPモルガン
イギリス・ロスチャイルド家発の会社(ジョージ・ピーボティ&カンパニー→JSモルガン)のパートナーにジューニアス・スペンサー・モルガンが就任し、JPモルガンはジューニアス・スペンサー・モルガンの息子がニューヨークに設立した。JPモルガンはアメリカで巨大化した。



イアン・フレミングの従兄は、世界最大級のウラン採掘会社「リオ・チント・ジンク(Rio Tinto Zinc;RTZ)」の役員であった。

リオ・ティント (Rio Tinto;RT)
ロンドンに本拠が置かれた多国籍の鉱業・資源グループである。
一時期(1962-1995年)「リオ・チント・ジンク(Rio Tinto Zinc;RTZ)」という社名だった。
リオ・ティント社はウラン生産部門においてカナダのカメコとともに最大手といわれる。リオ・ティント社の主なウラン生産地は、オーストラリアとアフリカ。

リオ・ティントかつてローマ帝国に銅を供給したイベリア半島の鉱山に由来する会社。
イベリア半島はレコンキスタの地であり、キリスト教徒(カトリック)がイベリア半島をイスラムから奪回するとスペインが勃興し、リオ・ティント鉱山もスペイン国家の所有となった。
世界各地に植民地を築き、「太陽の沈まぬ帝国」と形容されるほどの覇権国家となるが、国の財政は火の車。
赤字続きの国営企業だったリオ・ティント鉱山を1873年に買収したのは、ロスチャイルド・ロンドン家とロスチャイルド・パリ家。

1962年に社名をリオ・ティント(RT)からリオ・チント・ジンク(RTZ)に変更したのは、オーストラリアの鉱山会社コンソリデーテッド・ジンク社を買収したことがきっかけだった。
この時にオーストラリアの会社はコンジンク・リオティント・オブ・オーストラリア(CRA)という名称にした。
(豆知識:日本の原子力発電は東海村における1963年10月26日の運転開始が出発点であり、1966年7月に日本で初めて商業用原子力発電所が営業運転を開始した)

リオ・ティント者はオーストラリアやアフリカに、ウランだけでなく金鉱やダイヤモンドの子会社を持っている。
ではここでひとつ、リオ・ティント日本の社長からご挨拶をいただきたいと思います。

日本において日々生活する中で、リオ ティントという名前を聞くことはあまり多くないでしょう。でも、実は、当社は人々の生活に欠かせないものを提供している会社です。生活する家、働くオフィス、そこにある家電や事務機器、移動するための車や鉄道、コミュニケーションのための各種デバイス、そしてそれらを支える電力やさまざまなインフラ設備など、現代社会に必要不可欠なありとあらゆるものは、当社が世界の複数の国で生産している金属資源なくして一つとして存在し得ません。ビルや橋梁、自動車や鉄道車両などを作るために必要な鉄の原料である鉄鉱石、原料炭とモリブデン、また飲料缶、箔、窓用サッシや自動車のホイールなどに必要なアルミニウム、そして金や銅、あるいはチタンなどの産業用鉱産物やウラン・ダイヤモンドなど、現代生活に不可欠な資源を、これまでも、そしてこれからも、絶え間なく生産し、日本へ、そして世界中に届けるべく事業を行っています。また、2012年に本社のあるロンドンで開催されたロンドンオリンピック・パラリンピックにおいては、4,770個におよぶ金銀銅メダルの全てが、当社の鉱山から提供した金属原料によって作られるなど、実は身近なところで当社の事業が貢献しています。

固い絆
リオ ティントの名は、南スペインに流れる「リオ ティント(赤い川)」が由来です。その川のほとりでローマ時代より銅を採掘していた鉱山を買収し、会社を設立してから140年以上がたちました。当社の歴史を紐解くと、その多くを日本企業と共に作り上げて来たと言っても過言ではありません。日本との長期的な信頼関係に裏打ちされたビジネスは、日本の目覚しい成長の原動力になると同時に、リオ ティントの事業の根幹となって来ました。現在、製鉄会社をはじめ、各産業のリーディングカンパニー、あるいは商社など250を超える日本企業との間で約4,200億円の資源取引がありますが、そうしたビジネスは、時代に応じてさまざまに姿を変えつつ、今後とも、日本、そして世界のさらなる発展に寄与し続けると信じております。

一方、日本との関係においては資源の輸入にとどまらず、これら資源を使用して作られた鉱山用機械、車両や鉄道レール、船舶などが、再び世界各地にあるリオ ティントの操業拠点に戻っています。リオ ティントの購入する、高度な技術力に支えられた日本製の機材や設備は、世界中のさまざまな拠点や場面で、操業に必要不可欠なものとなっています。また、リオ ティントが操業・参加する海外の事業において、複数の日本企業が合弁パートナーとなっており、お互いの緊密な協力と貢献を通じ、事業の発展を図っています。





by yumimi61 | 2018-03-16 14:32