人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

日本国憲法の秘密-703- (外貨準備と貿易について)

第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家当主、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターはソ連のスパイと疑われたそうだが、実際にスパイとして逮捕された人物を紹介しようと思う。

Klaus Emil Julius Fuchs(クラウス・エミール・ユリウス・フックス )
1911年生まれ、1988年76歳没。
ドイツ生まれの理論物理学者。

プロテスタントルター派の神学者の父の下に生まれた。
大学時代から政治活動に身を投じドイツ社会民主党の活動家となり、1932年にはドイツ共産党に入党した。
明らかに反カトリック派である。
ナチス政権が誕生した1933年にフランスを経由してイギリスに渡った。
ユダヤ人ではないので迫害されたということではなさそうなので、親カトリックとなったドイツが嫌になったか、便乗移住といったところか。イギリスで博士号取得。
第二次世界大戦勃発後の1940年6月、敵国ドイツの国民として拘束されマン島の収容所へ、さらにケベック州の収容所に移されたが、マックス・ボルンのとりなしで翌年には釈放されイギリス軍の原爆計画に加わり、1942年にはイギリス国民となった。
(マックス・ボルンはユダヤ人でドイツ出身。1933年にイギリスに移住。イギリスの大学でフックスの師であった)

独ソ戦の勃発後、彼はソビエト連邦もイギリスの秘密の軍事研究の内容を知るべきだと考えソ連側との接触を開始した。1941年8月にはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)のロンドン支部で活動していたドイツ出身のエージェントと接触し、「rest」のコードネームで呼ばれるようになった。

フックスはドイツ国籍のままイギリスに滞在していたため戦争勃発後の1940年にイギリスで収容所に送られるも、ドイツ出身の師のとりなしで1941年(30歳)に釈放され、その後はイギリス軍の原爆計画に加わり、独ソ戦勃発後にソ連との接触を開始したと書かれている。
しかしイギリスは1941年当時原爆には否定的だったのだ。
彼がソ連に情報を流したとするならば、「原爆は不可能である」か「原爆は不可能だと判断されている」という情報である。
1941年の終わり、真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が勃発。アメリカとイギリスは協力体制に入った。
アメリカのマンハッタン計画は1942年にスタートし、1943年8月19日にケベック協定が結ばれた。

この時に科学者であるスパイが探るのは原爆開発の進捗状況であろう。
ケベック協定を結んだのは良いが、不可能なはずだった原爆開発の進捗状況はいったいどうなってるのだろうか、まずそうした疑問が生じるはずだ。
もしもイギリスで原爆開発が相当に進んでいたとするならば、スパイであるフックスがイギリスを離れるはずがない。
でも彼はアメリカに渡った。
それはイギリスにおいて開発が進んでいなかったことの証になる。
フックスがソ連のスパイならば、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。
フックスがイギリスのスパイだったしても、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。

1943年末にはアメリカ合衆国に渡りコロンビア大学に、後にロスアラモス国立研究所に勤務し、理論物理学者として、原子爆弾および水素爆弾の製造に不可欠な臨界計算に多大な貢献をしていた。

スパイと疑われないためには研究に疑惑の目を向けるよりも貢献してるうふうに見せたほうが良いに決まっている。

フックスは第二次世界大戦後イギリスへ戻り、米国・英国・カナダの政府高官らの間で核開発など軍事上の機密技術を交換するための合同政策委員会 (Combined Policy Committee) にも出席していたが、この間もドナルド・マクリーン(「ケンブリッジ5人組」の一人)やアレクサンドル・フェクリソフなどの情報員と接触して原爆の、後には水爆の製造理論などの情報を流し続けた。こうした情報なくして、ソ連が1940年代後半に急速に核兵器の開発および配備を進めることは困難であった。

第二次世界大戦後はイギリスはアメリカから核開発へのアクセスを一切遮断されたはずだ。少なくとも表向きはそういうことになっている。
またアメリカは共産主義者を大々的に締め出したように情報管理には非常に神経質になっていた。
ドイツ出身の共産党員でイギリスから送り込まれた科学者であるフックスが抜いた情報でソ連が核実験の成功に漕ぎ着けるならば、科学者を送りこんだイギリスがすぐに成功していなければおかしいし、フランスにだってそのチャンスがあるはず。
しかし自国の科学者をアメリカのマンハッタン計画に送りこんだイギリスはアメリカからは7年、ソ連からも3年も遅れての成功発表だった。
マンハッタン計画は一から計画をスタートさせて僅か3年で実戦にまで使用されたのだ。
その成功を思えば、幾らなんでもイギリスのこのタイムラグは信じ難い。


1949年に核実験の成功を発表したソ連。
アメリカの仲間だったイギリスやフランスが成功していないのに、アメリカが裏切ったソ連が成功したというのは如何せん都合が悪い。
本当は「成功なんかするわけないだろう!」と言いたいが、3年で原爆を投下を成功させた手前まさかそんなことは言えない。
だけどだけどイギリスやフランスが先を越されたのはやっぱり格好がつかない。
これはもうスパイがソ連に原爆の情報を漏らしたと言うしかない。(ところでイギリスはアメリカにスパイを送りこみ原爆の情報を得なかったんですか?)

ソ連の暗号を解読する米英共同研究・ヴェノナ計画の結果、フックスの関与が明らかになった。MI5の捜査を受けたフックスは尋問の後、1950年1月にスパイであるとの告白を始めた。

フックスはイギリスおよびアメリカの核兵器関連の機密情報をソ連に漏らした軍事スパイとして告発され、1950年3月1日、フックスはわずか90分の裁判で最高刑の懲役40年の判決を受けた。同年12月、フックスは英国の国籍を剥奪される。フックスが自白をする気になったのは、死刑を逃れるためだったという意見がある一方、当のフックスは、自白をした以上は釈放されて、また研究生活に戻れるという程度にしか考えていなかった節が見られるともいう


1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝え、その情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている。

その後も東ドイツでフックスは科学者としての活動を続け、多大な功績を残している。レオポルディナ科学アカデミーのメンバーに選ばれているほか、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバーにも選ばれ、引退する1979年までロッセンドルフの核研究所の副所長を勤めた。カール・マルクス勲章も受賞している。1988年1月28日にドレスデンで死去。


こうなるとフックスは何気に核実験成功の正当性を宣伝する広報マンのようになっている。
核実験や原爆が嘘でないようにフックスが振る舞えば、アメリカと日本の立場は守られるし、核実験に成功したと発表したソ連を裏切ることにもならない。
核開発が進んでウランが売れれば鉱山を所有しウランを生産する国や企業も儲かる。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ、イギリス(南アフリカ、オーストラリア)など。
さらにソ連やアジアでも鉱山開発や需要が広がる。







by yumimi61 | 2018-03-31 00:17