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日本国憲法の秘密-722- (外貨準備と貿易について)

石油が近代社会に与えた最初の大きな影響は照明(ランプ)である。
だからと言って、古代の人々が夜の闇しか知らなかったかと言えばそんなことはない。
紀元前の時代から照明というものは存在した。
当時の照明は蝋燭(ろうそく)か植物油や動物油を燃やす灯火だった。
油を燃やすタイプは煙が出たり、安い油(魚油など)ほど異臭を放出するという難点があった。
蝋燭は燃やせる時間に限りがあり、また光が明るすぎて眼に良くないという難点があった。(それによってシェードが生み出されていく)
さらに当時の蝋燭はミツバチの巣を原料とする蜜蝋であり、これは大変高価なものであったため王族や貴族、聖職者くらいしか使えなかった。
蜜に代わり獣脂、漆やハゼノキの実を原料にした蝋燭が作られていくが、いずれにしても高価だった。
よって貧しい庶民は暗くなれば寝るしかなかったのである。


照明が庶民に広がる1つのきっかけとなったのがヨーロッパ中世の治安の悪さである。
中世ヨーロッパでは比較的温暖だった時代があり、また水車や風車や鉄鋼農機具の発達普及もあって農業が飛躍的に発展する。散村(家族的)が集村(地縁的)になり、より大規模になって収穫量も上がり、それに伴って人口も増加していく。
その人口がやがて都市部に流入していく。
やはり人が密集すればするほど不衛生な状態となりやすく易感染性の環境を作ってしまう。
人の密集と先日書いた̠河川事情などもあり感染疾患が蔓延し、今度は人口が激減した。ヨーロッパは有史以来アジアやアフリカから持ち込まれた病原菌と接触していたので世界的にみれば比較的広範囲の免疫を持っていたにも関わらず。
都市への人口流出による食糧生産者の減少、災害や気温の変化(比較的高緯度のヨーロッパは気温が少し下がるだけで収穫量が大きく減ってしまう)、病原菌による家畜被害などで飢饉もわりと発生しやすい土地柄であった。
特産物や水などの関係で栄養的な偏りも生じさせやすかった。
従ってヨーロッパは人口増大と激減期を繰り返したと考えられている。そこにはわりと密接に気温サイクルも関係している。
そのような環境に加え、戦乱もあちこちで絶え間なく起こり、お金が物を言うようになり、風紀は乱れ、宗教も腐敗し、やがて革命にまで繋がることとなる。
変化が大きい場所や激動の時代では不安要素が増して社会治安は悪化しやすい。

特に夜の暗さは犯罪を呼び込みやすい。
ヨーロッパ都市部では日が暮れると外に出なくなり、また防犯のために夜間は窓辺や玄関先に蝋燭などを点しておくことが推奨された。
それはやがて灯火や蝋燭より明るく輝かせることが出来るランプ(当初は植物油使用、その後鯨油が利用される)の開発や街灯整備などにも繋がっていく。

余談だが、人口の都市集中を防ぐ1つの手段が、日本の大名制度やヨーロッパの貴族制度だったり、職業の世襲だったのだと思う。
地方地方に有力者を置いて、その人物を中心に社会を形成し、それぞれが社会の一員としてそれなりに役割を果たしていくということ。
役割と言っても個人ではなく家族単位だったりしたので、弱者をカバーすることも出来た。
たとえ地方単位で都市集中があっても、国という単位でみればばらけさせることが出来る。
元々はそういう意図がある制度だと思うので、争いによって勢力拡大していくこと(日本の戦国時代など)は望ましいとは言えない。



1600年代は植物油のランプ、1700年代は鯨油のランプが主流となった。
1700年代後半から1800年代にかけての産業革命によって生み出された数々の機械には潤滑油も必要不可欠であり、これにも鯨油が使われた。
1600年代後半から鯨は乱獲されており1800年代にはすでに鯨油の生産量は減少していた。
ちなみに前に小説『白鯨』のことを書いたが、あの小説は1851年にアメリカで発表されたもの。小説のモデルになった出来事は1820年に起こったことである。


日本に「黒船」がやってきたのは1853年。
この来航の理由としてアメリカの捕鯨船の補給地を確保するためだったと言われていることが多い。捕鯨船上で油を生産するが、そのためには大量の薪と水が必要だったからだと。(黒船来航の理由としてはともかく鯨油を得るためには薪というエネルギー源が必要だった)
でもそれが1853年では遅すぎる。
もう鯨油で商売できるほどの鯨は捕獲できなかった。
(だから’白鯨’なんか追いかけてしまったんじゃないの?)


1800年代半ばには鯨油に代わるものとして石炭を液化した石炭油が登場した。
ただこれは煤(すす)がかなり生じるため煤取りというメンテナンスが定期的に必要になり手間が増えてしまい、また匂いもきつかった。
煤は有機物の不完全燃焼によって生じる黒い微粒子。煤は蝋燭やランプ、囲炉裏や暖炉などでも生じるものである。
一般的には、気体燃料よりは液体燃料、液体燃料よりは固体燃料のほうが煤を発生しやすい。
液体の油を燃やすよりも固体の木材を燃やす方が煤を生じさせやすいのだ。
石炭の大元は植物遺体(化石)。それを酸素が少ない場所で蒸し焼きなどにすると完全には燃えず、燃えやすい気体が先に出て燃え、その残骸として炭素が残る。(そのようにコントロールして炭素だけをなるべく多く残す)
炭素は空気中の酸素と結びついて良く燃えるので、それを燃料にする。但し着火までに時間がかかる。
また当然前処理の段階では不完全燃焼に近いことが行われるので煤やら有毒物質を生じさせる。硫黄、コールタール、硫酸、アンモニアなど。それを利用したりもするけれど。
コークスと呼ばれるものが石炭に蒸し焼き処理を施した燃料。高温が得られるため蒸気機関車や鉄鋼業ではこれを用いた。蒸気機関車は通気性が悪い構造なので燃料にあえて水をかけたりもした。水蒸気による通気のため。
前処理され石炭に燃える気体や不純物がほとんど含まれていなければ、炎を出して燃える(炎を出して熱を生じる)という状態にはならない。炎の出ない火の固まりが熱を生じるというイメージ。
炭素と酸素の結びつき(つまり燃焼)によって二酸化炭素と水を生じる。
炭素含有量が多い石炭は揮発性物質や不純物が少ないことを意味しており、炎も煙も出ない。これはつまり煤が少ないということである。
石炭の種類にもよるし、前処理がどれくらい行われているかにもよる。
ランプ燃料ではそこまで行われなかったということなんだろうし、そもそも固体である物を液体化するにはそれなりのエネルギーが必要である。


黒船が来航した時代、アメリカが日本に注目していたのは、漆やハゼノキ原料の蝋燭ではないだろうか。鯨油が尽きかけた時代に再び蝋燭の灯りを思い出した。
漆やハゼノキはアジア原産の木で、日本では縄文時代の遺跡からも漆器が発見されるくらい古い時代より利用されている。すなわち漆が沢山あると推測された。
東南アジアから東アジアの温暖な地域にしか自生していない木である。
これらの木の実から作るハゼ蝋(ハゼワックス)が蝋燭の原料となった。
現にハゼ蝋は明治初期の日本の代表的な輸出品だった。生産の最盛期は明治末期で1万トン以上も生産されており、明治末期でもそのうちの30%ほどは輸出に充てられていた。

黒船来航前である1830年代のアメリカの人口は2000万人弱、日本は3000万弱、中国はすでに4億人だった。
アメリカは日本よりもだいぶ広いのに日本よりも人口が少なかった時代がある。
ランプだけならば蝋燭でいけると思っても不思議はない。



石炭にも様々種類があるのと同じで、石油にも種類がある。
石油(原油)は紀元前から使用されていたが、石油の分留(蒸留・分離)によって灯油を作る特許が申請され認められたのは1854年のポーランドにて。

当時の特許取得法がどういうものかは良く分からないけれど、現代では原油を350℃に熱することで分離する。
原油は粘度や引火点が高くて、そのままでは使いにくい。
また沸点や性質などが違う成分が入り混じっているため、1つの目的として使うには効率が悪い。
そこで性質ごとに分けるのが分留である。
液体を熱して気体になる温度(沸点)の違い、という性質を用いて分留する。

①原油を加熱炉で350℃に熱する。
②原油は沸点の低い成分から順番に蒸気(気体)になっていく。
③その蒸気を蒸留塔で受ける。
=蒸留塔は上にいくほど温度が低くコントロールされているので、沸点の違いによって分離される。沸点が低いものほど上に行く。=
 ●石油ガス(LPガス)
 ●ガソリン・ナフサ
 ●灯油・ジェット燃料
 ●軽油
 ●重油・アスファルト
 
とは言っても、1854年当時はランプ燃料目的の灯油分離だったのだろうと思う。灯油以外の用途はまだあまりなかった。ガソリンエンジンが発明されるのは1880年代。これはダイムラーやベンツによる発明や特許である。




by yumimi61 | 2018-04-26 13:55