2018年 05月 14日
日本国憲法の秘密-736- (外貨準備と貿易について)

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日本のたばこ税は20世紀末から2兆円強で推移している。
喫煙率(成人男性)は1966年の83.7%をピークに減少しており、現在は30%前後。
成人男性喫煙者は大きく減り、喫煙の危険性が大々的にPRされるようになっても、価格が値上げされたことなどもあり、たばこ税収はほとんど落ちていない。
かつての喫煙率で今くらいに値段を上げていたらいったいどれくらいの税収になっただろうか。
日本の税収は1996年(消費税3%導入)の54兆円を最高に減少傾向にあり、現在は40兆円ほど。(それなのに支出が100兆円もある)
税収の5%ほどをたばこ税が担っている。
一時期はたばこ税と酒税で10%ほどを担っていたが、酒税は減少傾向にある。

またこれだけ喫煙者が減り逆風が吹き、タバコの価格の半分以上は税金であるにも関わらず、タバコ会社は絶好調。
世界の大手タバコ会社の収益率はどこも非常に高い。
世界にはまだまだタバコ需要が高い地域があると考えられる。
それにタバコ製造と販売には経費があまり掛からないのであろう。


少し前にアヘンと紅茶のアヘン戦争について書いたが、タバコもやはり麻薬(大麻やアヘン)と貿易に深く関わっている。
タバコの健康影響について語られ出した歴史は非常に浅く、1939年にナチスドイツで喫煙者に肺がん患者が多いことが報告され、その後喫煙と肺がんとの関係についての疫学的研究が行われるようになった。
今の喫煙嫌悪のルーツはナチスにある。

ナチス・ドイツの反タバコ運動とは、ドイツ人医師が初めて喫煙と肺癌との関連性を確認して以降、現代医学に準ずる研究として十分に認められるやり方でタバコの害を発見したことを受けてナチス・ドイツ政権が喫煙に対する反対運動を開始したものである。

ナチス政権のこの反タバコ運動は近代史における最初の公共禁煙キャンペーンと云われ、反タバコ運動は20世紀初頭から多くの国々に広がったが、ナチス政府から支援をうけたドイツ以外では大きな成功をおさめることはなかった。このドイツでの禁煙運動は1930年代および1940年代初頭における世界でもっとも強力なもので、ナチ党指導部は喫煙を(一部は公然と)非難した。
喫煙とその健康に及ぼす影響に関する研究はナチスの指導のもとで進められ、それは当時この類ではもっとも重要なものだった。アドルフ・ヒトラーのタバコ嫌いとナチスの多産政策が禁煙運動を支援する誘因となり、それは人種差別や反ユダヤ主義と関係していた。

ナチスの反タバコキャンペーンでは、トラムやバス、市街電車内での禁煙条例、衛生教育の促進、国防軍におけるタバコの配給制限、兵士への衛生講義の開催、およびタバコ税の増税などが行われた。また、たばこ広告や公共の場での喫煙の制限、レストランや喫茶店での規制も課された。
←現代の先進国そのもの。世界が毛嫌いしタブー扱いするヒトラーに倣う世界って・・・。


ヒトラーはタバコ嫌いだったわけではないのだ。元々はむしろ愛好者、ヘビースモーカーだった。だが第二次世界大戦に突入する頃、猛烈にタバコを嫌うようになった。(ヒトラーはニコチン依存ではなかったのかなあ?)

アドルフ・ヒトラーは元々はヘビースモーカーだった — 一日25から40本の紙巻きたばこを吸っていた — が、それは金の無駄遣いだと考えやめた。後年、ヒトラーは喫煙を「退廃的」、「レッドマンのホワイトマンに対する怒り、強い酒を持ち込んだことへの仕返し」だとみなし、「多くの優れた人々がタバコの害に無感覚である」ことを嘆いた。

ひょっとして、水道水が信じられなくなり水代わりに強いお酒を飲む人が増え(国営会社の経営者が労働者に酒を勧めたとか?)、酒のせいで風紀が乱れてしまったため、強い酒を持ちこんだ人への復讐?
あるいは、タバコを吸うとリラックスし闘争心が薄れてしまうので、戦争を前に規制に乗り出したとか?(すなわちタバコの害=リラックス効果という意味だった)


世界的にタバコが広まったのは1600年代であるが、喫煙(タバコを吸うこと)が大麻やアヘンを吸引することに繋がりやすくもあり、中枢神経系に作用し精神活動に影響を与える麻薬の広がりを避けるためにタバコや輸入に規制をかけるということがあった。
また木造家屋の多い日本では火の不始末からの大火にも繋がりやすく、江戸時代にもタバコは規制されたり部分的に解禁されたり紆余曲折の歴史を辿っている。
明治時代に入るとタバコから税金徴取されることが導入され、製造も販売も活発化し、喫煙習慣は広がった。その影響は年少者にもおよび、明治27年にはとうとう「小学校での喫煙を禁ずる」という訓令が出された。当時の小学生は7~14歳。
明治33年には「未成年者喫煙禁止法」が施行され、これは今に続く法律となった。


タバコの栽培は1600年代初頭にアメリカのイギリス領で始まり、アメリカ東部の州の一大産業に成長する。
それがやがて内陸部にも広がり、独立戦争(1775-1783)でイギリスからの独立を勝ち取ったアメリカは世界最大のタバコ葉輸出国となるのだった。
その当時アメリカで主流だったのは火は使わず誰でも手軽に楽しめる噛むタバコだった。
ところが1800年代半ばにイギリスでマッチが作られ、火が簡単に付けられるようになると、噛むタバコからパイプタバコや紙巻タバコに取って代わっていった。
折しも1800年代は産業革命の時代でもあり、あらゆるものが機械化していった時代。手で巻いていた紙巻タバコも機械で巻くことが可能となった。
この機械化によって成功を収め、多くのアメリカのタバコ会社を買収し巨大化していったのがアメリカンタバコ。
アメリカンタバコはイギリスへも進出した。
タバコを産業として確立し普及させたのはイギリスであると言えるが、かつての植民地アメリカの会社に今やイギリスが呑み込まれかねない状況となっていた。
それに対抗するためイギリスのタバコ会社13社が提携してインペリアルタバコを設立。
両社は熾烈な販売競争を収めるために、アメリカ市場はアメリカン・タバコ、イギリス市場はインペリアルタバコが担当し、それ以外の市場は2社の合弁により設立されたBATが担うと取り決めた。
タバコを普及させるからには需要に応える供給源が必要である。
タバコ葉に用いるタバコという植物は基本的には熱帯植物である。温暖地域でも出来なくはないが。そのあたりを考慮すると無暗に対立するのは得策ではないと判断したのだろう。


アメリカでは1901年にセオドア・ルーズベルトが大統領就任。
共和党であるがいろいろと異色の大統領で、1906年にはノーベル平和賞も受賞している。
この大統領が反トラスト法違反によってアメリカの財閥を次々に解体した。
違法かどうか決めるのはホワイトハウスでも議会でもなく世論だった。
ホワイトハウスは調査委員会の調査報告をメディアで公開し、世論の反応を見て違法かどうかを決定した。
以前にも書いたけれどセオドア・ルーズベルト大統領は大衆を扇動して政権運営するという新しい大統領像を確立した人物である。
大衆扇動はナチス政権でも積極的に行われたこと。

巨大化していたアメリカンタバコも世論に後押しされ違法判決が下り解体に追いやられ4つに分社された。この時にBATの株式の売却も命じられた。
BAT株式はアメリカンタバコが3分の2(アメリカ資本)、インペリアルタバコが3分の1(イギリス資本)だったが、完全にイギリス資本に取って代わった。

アメリカンタバコの経営者はジェームズ・ブキャナン・デュークという人物。
タバコ会社は父親がやっていたもので、それを引き継いだ後に機械導入で成功。
4つのタバコ会社を吸収してアメリカンタバコとなった
独立後のアメリカには鉄道王とか鉄鋼王とか様々な〇〇王が生まれたが、デュークは煙草王だった。
彼の兄弟は繊維会社も経営していた。1904年には開発会社(電力会社;現デューク・エナジー)も設立し、繊維工場に電力を供給した。
だが1907年にタバコ会社のトラストで訴えられ、1911年に違法だという判決を受ける。
そんなデュークに声をかけて快く迎えたのがなんとイギリス資本となったBATであった。
デュークはアメリカを離れ、イギリスBATで経営手腕を振るうことになる。(後年BATはアメリカンタバコなどを買収する)
デュークはアメリカでは犯罪者扱いだったが、イギリス王室からはナイトを受章したそう。
1923年にアメリカに帰国し、父親が財政支援していた大学にデューク基金を設置(1924年にデューク大学となった)。
マーケティング導入者としても有名。
ビル・ゲイツの奥さん(ビルさんもナイト受章者だっけ?)とかアップル社の現経営者などはデューク大学の卒業生らしい。



アメリカンタバコ(アメリカ)とインペリアルタバコ(イギリス)の合弁会社だったBATは、アメリカンタバコがアメリカの反トラスト法違反で株式売却を命じられイギリス資本になった後、1980年代まで世界最大のタバコ会社として君臨した。
1980年代にそのBATを超えたのがフィリップ・モリスである。

フィリップ・モリスはニューヨークに本社を置くアメリカの会社(2001年より統括本部はスイス)だが、創業地はイギリスのロンドンだった。
創業者はドイツ移民の息子であったフィリップ・モリスという人物で、1847年創業。
家族経営の小さな会社だったがトルコやエジプトから職人を招いてこだわりのタバコを手作りしていた。
その会社が買収され、創業家の手を離れ、高級葉巻をエドワード7世国王に納める御用商人として名を売り、高級路線を歩むことになる。

エドワード7世はヴィクトリア女王の息子。ドイツ起源の王家。
ヴィクトリア女王は世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王。
1623年以降イングランドは東インド会社を通じてインドの植民地化を進め、1877年にはインド帝国の成立を宣言して形式的にもイングランド政府が統治することとなり、ヴィクトリア女王が初代インド女帝として君臨した。
エドワード7世の治世下で日英同盟、英仏協商、英露協商が締結され、日本・フランス・ロシアとの関係が強化されたため、エドワード7世は「ピースメーカー」と呼ばれた。
エドワード7世の長男は28歳の時(1892年祖母ヴィクトリア女王の在位中)にインフルエンザと肺炎で急死したが、彼は一時期「切り裂きジャック」の容疑者であった。その弟が王位継承し、ウィンザー朝と改称。これが現在も続いている。

フィリップ・モリス社は1902年にニューヨークにアメリカ法人を設立した。
アメリカでは先住民がタバコ葉を燃やして吸っていたという歴史があるが、大衆に拡がる頃には噛むタバコが流通した。その後マッチの登場もあって再び葉を燃やすパイプが流行った。
そんな中、紙巻タバコを製造し始めたのがニューヨークという都市だった。
紙巻タバコが普及するきっかけはクリミア戦争(1853-1856)。
ということはやはりイギリスが一枚噛んでいるのだろうか。
当時のニューヨークでの紙巻タバコには中近東から輸入した高価なオリエント葉が使用されていた。ニューヨークは通関港であり、輸入されてきた葉を使って手巻きしていたらしい。
それがアメリカ国内産の葉を使うことで値が下がり、さらに機械が導入され、爆発的に紙巻タバコが拡がっていくことになる。←これがアメリカンタバコの功績。


フィリップ・モリスは王室御用達としてそこそこ有名にはなったものの、アメリカンタバコやそれに対抗してイギリスのタバコ会社が結集し設立したインペリアルタバコにはどこにも及ばなかった。
そんなフィリップ・モリス社の転換点はやはりアメリカンタバコの解体であった。
アメリカンタバコの資産の一部を継承したタバコプロダクツ(Tobacco Products Corporation)がフィリップモリスを買収して紙巻タバコ製造を強化した。
マールボロというヒット商品を生み出しシェアを拡大していき、やがて世界の頂点に立つタバコ会社となる。
ロンドン発王室御用達会社がフィリップ・モリスのルーツである。

つまり、フィリップ・モリス、BATともに、ドイツ起源のイギリス王室との関わりが深いということになる。









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by yumimi61 | 2018-05-14 12:48


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