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日本国憲法の秘密-746- (外貨準備と貿易について)

サミュエル商会の日本での重要な事業の1つに公債引き受けがあった。
マーカス・サミュエルはロスチャイルド(のBUNITO)との間で、がロシア灯油の独占販売契約を結び、タンク・シンジケートを設立して石油タンカーを建造し、1892年8月にスエズ運河を抜ける航路での最初の航海に漕ぎ着けた。
それから間もなくして日清戦争(1894-1895年)が勃発。
サミュエル商会は1897年に「日清戦争戦費公債」を4,300万円ほど引き受けている。
その年に、タンク・シンジケートはシェル・トランスポート・アンド・トレーデイング・カンパニー (Shell Transport and Trading Company)という会社組織に改組された。
「シェル」の設立と日本が殊更関係が深いとするならそれは戦争を行い借金をしたことなのかもしれない。

1902年には「横浜水道公債」と「大阪市築港公債」、1903年には「日露戦争戦費公債」(ロンドン市場での英貨公債募集を閣議決定したのは宣戦布告から1週間後の1904年2月17日)、1906年には「関西鉄道英貨公債」、1907年には「横浜市築港公債」など数多くの公債をサミュエル商会は引き受けている。
サミュエル商会は明治初期から鉄道建設に関わるなど外国企業ながら日本政府との密な関係を持っており、1876年には正式に横浜支店を開設した。
イギリスの会社であるサミュエル商会はロンドン金融市場にも通じ、日本国内で公債に応じるだけなく、日本の外債発行に大きな影響力を持っていたとされる。

マーカス・サミュエルがロスチャイルドから得たロシア産灯油のアジアでの独占的販売権は1900年を期限としていた。
日本の規制緩和の動きも受けて、1900年、サミュエル商会は日本にライジングサン石油株式会社を設立した。


1902年、日本とイギリスの間で日英同盟が結ばれる。

1903年、シェルとロイヤルダッチはロスチャイルド家の仲介により合弁会社Asiatic Petroleum Company(アジアティック石油会社)を設立し、本社を中国上海に置いた。
これは日露戦争(1904-1905年)前年のことである。
アジアティック石油会社はシェルとロイヤルダッチとロスチャイルドの3者(3社)が3分の1ずつ資本を出して設立された。
ライジングサン石油会社はシェルの子会社というポジションである。


1905年、日英同盟の更新(改定)。第2次日英同盟
1911年、日英同盟の更新(改定)。第3次日英同盟。

•ライジングサン石油、第2回日英同盟を記念して「同盟印ローソク」を販売。「雷神印」「鶴亀印」なども好評。(昭和シェル石油ホームページより)
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日本とイギリスの国旗が用いられた図案。
イギリスの国旗はまるで米という漢字が書かれているかのように見える。
現に、イギリス国旗のことを中国では、米字旗(旗の意匠の漢字は米が類似している)と呼ぶことがある。
中国はアメリカのことを「米国」とは表記しない。「美国」である。
日本では何故アメリカを米国と言うのか?アメリカの当て字である「亜米利加」の米という漢字を使ったというのが定説である。だったら「亜国でも良かったのでは?」と言われたからなのか知らないが、メリケンの当て字「米利堅」の米であると言われることもある。
ひょっとして・・アメリカはイギリスの国という意味だったりして・・?

日の丸は半分ユリ(百合)の花に隠れてしまっている。
ユリという花もキリスト教との関わりが深い。

キリスト教においては白いユリ(マドンナリリー)の花が純潔の象徴として用いられ、聖母マリアの象徴として描かれる。天使ガブリエルはしばしばユリの花をたずさえて描かれる。これはガブリエルがマリアに受胎告知を行った天使であることを示す図像学上のしるしである。

幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。
なお持ち帰られたのは琉球列島原産のテッポウユリであり、これが現在のイースターの象徴として定着していった。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した。
ただし、テッポウユリに関しては、現在主流となっている品種「ひのもと」は、時代を下り、1944年に屋久島から福岡県に持ち帰られた球根の後裔が、1962年に種苗名称登録に出願されものである。 輸出用の栽培は、原産地の沖縄以外にも、主に富士山麓から神奈川にかけて広く行われた。


マドンナリリーの原産地はヨーロッパ南西部、地中海沿岸、バルカン地方、パレスチナ地方、コーカサス地方など 。
一方のテッポウユリの原産地は日本。
キリスト教の本場であるヨーロッパにおいてヨーロッパ原産のマドンナリリーは、1800年代後半以後に日本から持ち込まれたテッポウユリという外来種が繁殖したことで減少し、 今では世界的に希少価値の高い幻のユリとさえ言われている。

しかしながら図案のユリはテッポウユリでもマドンナリリーでもない。
ヤマユリの「白黄」という品種だと思われる。
特色は内側に入る筋。純白の花に黄色い筋が入る。ヤマユリは筋と斑点が入るのが特徴だが、「白黄」という品種は斑点が少なかったり入らない。

ヤマユリ
日本特産のユリ。北陸地方を除く近畿地方以北の山地の林縁や草地に分布する。学名は「黄金色のユリ」の意。和名は、山中に生えることからつけられた。
花の香りは日本自生の花の中では例外的ともいえるほど、甘く濃厚でとても強い。発芽から開花までには少なくとも5年以上かかり、また株が古いほど多くの花をつける。風貌が豪華で華麗であることから、『ユリの王様』と呼ばれる。
1873年、ウィーン万博で日本の他のユリと共に紹介され、ヨーロッパで注目を浴びる。それ以来、ユリの球根は大正時代まで主要な輸出品のひとつであった。西洋では栽培品種の母株として重用された。
ヤマユリは神奈川県の県の花に指定されている。


このヤマユリを改良してオリエンタル・ハイブリッドなどのユリが作られた。

図案中央あたりに見られる花はおそらくアネモネ。
古くから人との関わりが深く、神話や伝説にも多く登場しているアネモネ。ヨーロッパ南部から地中海東部沿岸地域の原生地から各地への伝播には、十字軍や巡礼者が関わっています。(趣味の園芸より)



by yumimi61 | 2018-05-31 16:53