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やがてそこに。


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日本国憲法の秘密-763- (外貨準備と貿易について)

インフレ率(物価上昇率) = 昇給率(定期昇給+ベースアップ)・・・プラスマイナスゼロ

インフレ率(物価上昇率) > 昇給率(定期昇給+ベースアップ)

昇給率よりも物価上昇率のほうが高ければ、労働者の生活は苦しくなってくるはずである。
しかしながら物価上昇率の調査の信用性はそれほど高いものではない。
大きく数値が動く時ならともかく、僅かな変動で物価上昇を実感するのは細かく家計簿をつけている人くらいであろう。
一般的には誤差くらいの数値で物価上昇による厳しさや苦しさの実感はないだろうと思う。報道などで物価上昇を煽ればそんな気分になる人もいるかもしれないが。
でも昇給率が1%で、物価上昇率が2%ならば、労働者の生活に良いことはない。
日々月々ぎりぎりの生活をしている人やエンゲル係数の高い世帯ほど影響は大きい。

インフレ率(物価上昇率) < 昇給率(定期昇給+ベースアップ)

昇給率が4%で、物価上昇率が2%ならば、生活に余裕が出ることになる。
その余裕(差額のお金)をどうするか。貯金に回す?
その余裕(差額のお金)が購買欲を刺激するとするならば、結果的に物価は上がっていく。
余裕が人口増大をもたらすとするならば、さらに物価は上がるし、昇給せざるを得なくなる。紙幣自体が不足してしまうから増幣させる。
そのような形で昇給や物価上昇が続けば、昇給しない人やぎりぎりの生活をしている人は増々苦しくなる。


前々から「景気」なんて空気みたいなもので実態を反映していないことが多いと何度も言っているが、「景気」という気分的なものには要注意なのだ。

昇給や物価上昇が続き、紙幣を増大させることを、経済規模が大きくなるとも言う。
経済規模の膨張の行き着く先は供給不足と資源不足。
社会に紙幣が増えると供給者よりも需要者の側面のほうが大きくなる。
作り手よりも買い手が増える、一個人としても作り手の比重よりも買い手の比重が大きくなるということ。
作り手の不足、物の不足、不足分を外に求めれば外貨や正金の不足、外でなんとか補おうとすると支配地域の争奪戦に繋がり、やがて全世界的に資源不足に陥る。


第一次世界大戦期間(1914〜1918年)のインフレ率(物価上昇率)を生産者物価指数で計算すると、ドイツ・イギリス・アメリカの3ヶ国がだいたい100%である。
戦争をしていた4年間で物価が2倍に上昇したことを意味する。
これではハイパーインフレの定義には該当しない。
しかしながらドイツが第一次世界大戦でハイパーインフレに陥ったというのは有名な話である。
ドイツでインフレが進行していったのは終戦1年後くらいから。
ハイパーインフレの定義が当てはまるレベルとなったのは終戦5年目の1923年のことである。
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1919年6月28日にヴェルサイユ条約が署名された。
第八編232条ではドイツに完全な補償を行う能力が無いことを確認した上で、損失に対する補償を行うべき事が定められた
ヴェルサイユ条約では一定の物納による賠償が定められた。賠償金については占領軍費用として1921年4月30日までに200億金マルクに相当する物資・金を支払い、400億マルクの無記名債券を発行することが定められたが、賠償金総額については決定されず、独立の賠償委員会を設置して後に協議されることとなった


賠償金額が決定したのは1921年。
●1921年5月 賠償委員会(最終決定)・・1320億マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)を外貨にて30年間に亘る年払い。賠償支払い監視のための補償委員会をベルリンに設置。
⇒以後、マルク暴落、過度なインフレ進行


最初から払えないことが分かっていて莫大な賠償金を課しているのだから払えっこない。
ドイツは支払い延期や中止を求めたがフランスなどが応じず、ドイツのルール地方を占領するに至る。ルール地方は炭鉱を擁し、ドイツ一の、ヨーロッパ一の工業都市であった。
1923年にドイツが賠償支払い不能を宣言する。
内政も不安定となり国内で反乱やストライキが相次ぎ、労働者のストライキなどを押さえるために自国通貨を増幣し賃金に充てるなどして急激にインフレが加速した。



ドイツが多額の賠償金を自力で外貨で支払っていくためには外国にも買ってもらえる魅力ある製品を作り出し販売して外貨を獲得しなければならない。
勝者側はドイツが支払えそうもない賠償額をあえて設定したのだからドイツが支払えないのは当然だが、逆を言えば生半可な金額だとドイツは自力で支払って立ち直る可能性があったということである。
外貨での支払いを課すという行為は却ってドイツ経済を刺激して発展させる可能性(危険性)を伴っていた。
ドイツはまず自国通貨を増幣して、外貨獲得という目標を達成するための産業基盤を整えるだろう。それは世の中の紙幣が増えるということだから自ずとインフレが進行していく。
実際に賠償金を支払うことが決まった1919年からインフレは徐々に進行した。
だがそれはハイパーインフレと呼ばれるレベルではなかった。

ではどうして5年も経ってからハイパーインフレに陥ったかと言えば、工業地帯であったルール地方を占領没収されて生産基盤を失ったからである。
要するに供給の要が奪われ、生産がストップさせられり自由を奪われた。
労働者は失業したり、やる気をなくしたり、不条理に耐えられなくなってストライキを起こしたりする。
国民は不安感から冷静さを失い買い占めなどが始まる。
社会が不安定なので(不安定に乗じて)政治的な反乱も頻発する。
ドイツの中央銀行であるライヒスバンクは1924年に正式に改組して政府からの独立性を高め、審査機関である評議会の半数を外国人が占めるようになりドイツ金融への監督を強めたわけだが、おそらく占領とハイパーインフレが起こった1923年にドイツの中央銀行も力づくで奪われたというか実権を握られてしまったのだろう。
そしてハイパーインフレを起こすためにわざと大量の紙幣を世に出したと考えられる。(正式に中央銀行を乗っ取るためのハイパーインフレとも言えるが)
ドサクサに紛れて裏付けなしに出した紙幣もあったかもしれないが、通常は国債や手形と引き換えで出すので中央銀行は多くの国債や手形を所有することになる。
それはすなわち政府や企業の債権者(借金を返す相手)は他国の人物が実権を握った中央銀行ということになる。
これが何を意味するかと言えば、ドイツは外国に賠償金という多額の借金を背負い、且つ国内でも(でも実態は外国のようなものだけど)多額の借金を背負ったということ。
戦争で勝ったはずの戦勝国はなおもまだドイツがそれほどまでに脅威だったということになりそうだ。再起の芽を徹底的に潰す作戦だったのだろう。


猛烈なハイパーインフレが一気に襲ったが、実は意外にあっけなく収束していく。戦勝国が中央銀行乗っ取りという目的を達したからであろうし、貿易を行っている国の猛烈なインフレは世界経済にとっても決しても望ましいものではないから。
1923年10月にドイツの中央銀行主導によってドイツ・レンテン銀行が設立された。
翌月にレンテン銀行はドイツ国内の土地などを担保としてレンテンマルクという新しい紙幣を発行した。
レンテンマルクは不換紙幣であり正金と交換できる紙幣ではない。
紙幣が紙切れと化したばかりのドイツで紙幣を信じろと言ってもなかなか難しいはず。
だがレンテンマルクには担保が設定されたことで受け入れられ、急速にインフレが収束したことから「レンテンマルクの奇跡」とさえ呼ばれるようになる。
ハイパーインフレは収束したが一度大きくなった経済規模は思うほど小さくはなっていない。

1923年10月には,戦前比で通貨量は2940億倍,卸売物価は1兆2600億倍に達し,1ドルは4兆2000億マルクとなった。同月,政府はようやく,発行限度をもち,全産業(農業・商工業)の保有資産を担保としたレンテン銀行券(新設のドイツ・レンテン銀行が発行,その価値単位がレンテンマルクRentenmark。Rente(n)は地代の意)を発行し,旧マルクを1レンテンマルク=1兆旧マルクの比率で回収することを決め,以後は紙幣発行による赤字財政を中止した

政府は無制限な紙幣発行を改め(無制限に発行したのは外国に実権を握られたからなんだけれども)、財政健全化を発表した。
財政健全化政策を採るということは国民にとっては厳しい内容もあるということだが、これによって政府が信頼を取り戻したというから、そんなところからもドイツ国民の堅実性を窺い知ることが出来る。(だけどすでに実権は外国に握られていたのだけれど)
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1914‐23年の9年間で,ドル相場ではかったマルクの価値はもとの平価に比べ1兆分の1に下落し,生計費指数は実に1.25兆に達した。抜本的な通貨改革の手がかりとなったのは,ドイツ・レンテン銀行Deutsche Rentenbankの設立と,農業用土地および工業用資産の負担によってカバーされた〈レンテンマルクRentenmark〉の発行である。このレンテンマルクの発行によって,〈レンテンマルクの奇跡〉といわれるほど貨幣価値が安定した。

乗っ取られたからドイツは終わったと思ったけれど、完全には乗っ取れておらず、ドイツ経済の復調の兆しでも見えたのか、1929年に世界大恐慌が発生。
そしてドイツではナチスが台頭してくるのであった。




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by yumimi61 | 2018-06-26 15:50