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Girl

比叡山女子大生殺人事件
1989年(平成元年)8月31日、京都を一人旅していた早稲田大学第二文学部5年の女子大生(事件当時25歳)が、京都市左京区八瀬秋元町の比叡山中で、現場近くの杉林でテント生活を送っていた男(犯行当時48歳)に強姦され、殺害、金品を強奪された事件。

犯人の男は2年前から比叡山の雑木林でテント生活をしていた。犯行当時のテントの位置は、根本中堂から横川中堂、秘宝館などのある横川(よかわ)地区への奥比叡ドライブウェイ峰道バス停西側で、東海自然歩道からさらに西へ少し入った杉林の中であった。南へ500mほどの場所に修行道場「居士林」(こじりん)がある

1989年8月31日、女性は京都の宿をチェックアウトし、バス・ケーブルカー・ロープウェイを乗り継いで、比叡山延暦寺を訪れた。比叡山を訪問後は、予め予約した名古屋の宿に向かう予定であった。根本中堂などを見学後、東海自然歩道を歩いて横川へ向かった。東海自然歩道は週末でも30人程度、平日は1日に10人ほどしか利用しない往来の少ない道であった。所持金が少なくなっていた犯人は金をたかるか奪う標的となる観光客を物色していた。昼下がりに、根本中堂から横川方面への東海自然歩道を歩いていた女性と出会う。犯人はしばらく女性と並んで歩き、地元住人を装って油断させ、旅の目的や予定を聞き出したうえで、横川駐車場でいったん別れている。犯人は1人で自然歩道の十字路に戻り、ビールを飲みながら女性が戻ってくるのを待った。

女性は東海自然歩道を歩いて帰る途中、犯人と再会する。犯人は観光客がよくこの十字路を通過することを熟知しており、女性が戻ってくるのを待ち伏せしていたのだった。すでに叡山ロープウェイやケーブル比叡駅がある比叡山頂行きの最終バスの時間は過ぎており、今後の行程の時間を気にした女性に対して、犯人は近道を案内するふりをして「けもの道」に女性を誘い入れた。東海自然歩道から300メートルほど入ったところで、女性を先に歩かせ、犯人がその背後に回る。突然、首を後ろから右腕で締め付けて女性を気絶させると、衣服をはぎ取って強姦に及んだ。さらに女性のリュックサックの口ヒモと自分が持っていた包帯を使って絞殺した。

比叡山は最澄が788年に薬師堂を開いて以来の日本仏教の聖地であり、国宝・根本中堂をはじめ大講堂、釈迦堂など三十余堂塔が建てられ、天台宗の総本山である。神聖なる山で起きた凶悪事件に関係者は衝撃を受けた。



山小屋OL殺人事件
1983年9月3日に、山梨県北巨摩郡須玉町増富の奥秩父連峰瑞牆山に1人で登山をしていたOL今井忍さん(22)を、山小屋の管理人・大柴勉(50)が強姦しようと殺害した事件である。

9月3日午後9時20分、山小屋に泊まっていた今井さんが、就寝前にトイレへと外へ出たところ、大柴はレイプしようと今井さんを100メートル西の山林へと引きずりこみ、下り斜面を悲鳴を上げながら逃げる今井さんのシャツを掴んで、手で口を塞いで窒息死させた。

9月4日午前5時30分、大柴は死体を遭難死に見せかけるべく発見場所へと運んだ。大柴は山梨県山岳連盟の中でもベテランだったが、1982年9月にも女性1人が泊まった際にわいせつ行為に及び、女性は別の山小屋に逃げ込むという騒ぎがあった。今井さん失踪の夜は別の客も数人宿泊しており、大柴の供述と他の客の証言の食い違いから、大柴が犯人として浮上した。

大柴の自供によると、3日午後9時20分頃、戸外のトイレに行く今井さんを乱暴しようと山林に連れ込んだが激しく抵抗されたためシャツの襟首を強く引いたところ坂道だったため首を吊った状態になり窒息死した。翌日未明に今井さんの遺体を担いで現場から100メートル離れた窪地に遺棄した。リュックや衣類は焼却したということだった。

大柴は両親と妻、娘の5人暮し。昭和52年、麓の増富ラジウム温泉観光協会経営の同小屋の管理人となった。宿泊客がいない時は須玉町の自宅に帰るような生活だった。性格は無口でおとなしいが、以前から同小屋で女性に悪戯したとの噂があった。地元では女性登山者に対して富士見平小屋には泊まらないように注意する人もいた。

警察は、今回の事件から4年前の昭和54年7月7日に、奥秩父の甲武信(こぶし)岳から燕山を目指して登山していたA子さん、B子さん2人が行方不明となり、同年8月4日と5日に甲武信岳手前の水晶山山頂付近で白骨化した2人の遺体が発見された不審死事件に関しても大柴が深く関係していると見て取り調べを行った。

2人の白骨化した遺体には後頭部と上腕部の骨折が認められた。衣類には鋭利な刃物で切られた傷跡があり、2人の所持金と腕時計は見当たらなかった。埼玉県警は転落死と他殺の両面で捜査したが結局未解決のままだった。

韮崎署は、2人の登山ルートが今回の事件と同じ登山ルートであるため大柴の犯行と見て追求したが、大柴は犯行を否認。結局確証もなく立件はできなかった。



エキサイトニュース 世界びっくりニュース 2015年6月11日
かつて甲府地域にあった奇習「旅娘輪姦」とは?
 

■「山小屋OL殺人事件」とは?

 1983(昭和58)年9月、山梨県にある奥秩父連峰・瑞牆山(みずがきやま)の山中にある雑木林の中から、女性の腐乱死体が発見されるという事件が発生した。後にこの事件は、付近の山小屋を管理する男が容疑者として浮上。同山小屋を訪れた登山客のOL(当時22)を乱暴して殺害していたことが判明する。世に言う「山小屋OL殺人事件」だ。

 実はこの事件が発覚した当初、地元民の間では、にわかに「ある噂」が囁かれるようになっていた。それは、かつて甲府地方を中心とした広範囲の地域において行われ、既に消滅していると考えられていた「旅人を襲い、輪姦する風習」が、時を経て「復活」したのではないか? というものである。

■門外不出の奇習・旅娘輪姦

 この「旅人を襲い輪姦する」という奇習が同地方で生まれた経緯や、具体的な時期などについては、判然としない部分が多い。

 一説によると、室町時代中期から江戸時代前期にかけて、甲信地方で賑わいをみせていた一連の鉱山事業において、関東各地からこの地へと流れつき、定住化していった鉱夫たちによって行われるようになったとも言われている。だが、その手段や呼び名、さらにはそれぞれに割り振られる役割分担などについては、点在するコミュニティごとに内々で決められた門外不出のものであった。このため、同地を研究している郷土史家たちですらも、この奇習に関する具体的な内容を知る者は少ない。
何代も続く地元旧家の子孫らによると、少なくとも戦前の昭和10年頃までは行われていたことが確認されているという。

 当時、標的となる若い娘の旅人が手に入ると、その参加者たちは「よばれる」(当地の方言で「ご馳走になる」の意味)と周囲に言い残しては、夜な夜な飛び出していったものなのだという。そして、彼らの目指すその先には、峠道で見知らぬ男たちに強引に連れ去られた若い娘たちが、仄暗い山小屋の中で、薄汚い男たちの手によって無造作にその肢体を弄られて、無念の涙を零していたのである。

■被害者の末路とは?

 この奇習において、被害に遭った女性が辿る道は、大きくわけて次のふたつだ。ひとつはそのまま身ひとつで温泉地などへと転がりこみ、流しの遊女(ヨタカ)となること。もうひとつは、そのまま男たちによって山中に打ち棄てられること、だ。

 いずれにしろ、当の被害者からすれば「地獄」でしかないが、後者について言えば、行為中に死亡してしまった場合などは、その女性を担ぎ、日頃、人々が訪れぬような山深い場所へと遺棄することが通例となっていたという。なお、その際に必要な遺体の運搬役は、外部への情報発信能力が強く制限されていた被差別部落民が借り出されていたとする話もある。

 なお、冒頭でご紹介した「山小屋OL殺人事件」において、犯人である山小屋の管理人は、女性を乱暴し、絞殺した後、登山道から約100メートルも下にある雑木林の中へと、女性の遺体を遺棄した。その場所は、はからずもかつて男たちが、旅娘の亡骸を無造作にうち棄てた場所の近くだったという。当時、古くからこの地に住む人々の多くが、あの奇習が復活したのではないかと考えたのも、さもありなんといったところである。
(文=戸叶和男)
奇習研究家? 奇習ライター?
時を経て思い出した「山小屋OL殺人事件」?


車社会での地方における成人になってからの生活はドアツードア(door to door)であることが多く、夜道を一人で歩く機会はそう多くない。
駅から自宅までとか日常的に夜道を歩く習慣がある場合にはやはり少し慣れてしまうと思うけれども、そういう生活をしていないと夜道を一人で歩くのは結構怖い。
以前夜に犬の散歩に行ったことがあるが、犬連れでも夜道は怖かったのでそれ以来夜には行かないことにした。
それから前に夜8時近くに選挙の投票に行ったことがある。
その時も歩いて行ったが、少し離れた後ろを歩く人がいて(ぞろぞろ人がいたのではなく夜道に2人という状況)、申し訳ないがとても怖かった。二度と投票には行かないと思った。二度と夜になってから歩いて投票には行かないと思った。


明るいというだけで怖さは薄れるものだが、山という所は基本的にはとっても人口密度が低いわけだから、昼間でも夜道と同じような危険が潜んでいる。
でも怖さを感じるというか警戒心を持つかどうかという点においてはやはり個人差が大きいと思う。
怖さや警戒心を持つ人にとっては2人きりの状態も嫌だろうし、男性複数のグループやパーティーと遭遇しても空恐ろしく感じてしまうことがあると思う。
女性の態度や歩き方が妙にぎこちなくなってしまい、男性側は警戒されていることを感じとって、かなり不愉快になるということもあるらしい。「そんなに怖ければ一人で来るな」という感じでしょうか。
現実的には安全で無事に帰ってこられるほうが圧倒的に多い。(といっても、真の実態はなかなか分からないところがあるけれども)
不幸な少数から何を学び、何を実践し、何を啓蒙するのか。登山に限らず難しいなあと思う。



あまり大っぴらに語られることはないが山にはトイレ(排泄)の問題も付き物である。環境的なことと、どこでいつどうやって行うかという問題がある。
排泄は人間の生命にとって重要な営み。また自分自身の意識でコントロールすることが難しいもの。そして人間の尊厳にも関わる行為。
だけどというか、だからというか、排泄の問題は厄介である。
慣れない人や女性にとっては特に。

息子が幼い時に野山で突然「トイレに行きたくなった」と言い出したことがあった(大のほうである)。適当なところに連れて行って「ここでしていいよ」と言ったが、まだそういう経験がなかったせいか、出たかったくせに「出ない、出せない」と言い出すのである。
慣れていない人はそう易々と出せない。
余談だが、介護を学ぶ人に「家で紙おむつをしてみて、そこで実際自分でしてみるように」という課題が出されると、おむつはしたものの出せなかったという人が少なくないそうである。
筋力が衰えた高齢者などは我慢したくても出てしまうわけだが、普段その必要のない人はそこでしなさいと言われても意識が止めてしまうようである。
そういう意味では排泄にはある程度は意識が関わっているとも言えるかもしれない。

通常の山小屋にはトイレが付いているので、登山口の公衆トイレと山小屋のトイレを利用する人が多いと思うが、そこまで我慢できない場合やそもそも山小屋やトイレが設置されていない山やルートを行く場合もある。
また不特定多数の人が使うあまり綺麗ではない臭いのきついトイレでは出来ずに、それだったら野のほうが良いという人もなかにはいる。
無防備になったり登山道から少し外れたりしなければならない排泄行為は、一人では上記のように襲われるという心配もある。
それ以外にも女性の場合は、排泄を少なくするために水分や食事を制限してしまうということがある。
水分不足やエネルギー不足で登山やハイキングをしていて、脱水症になったり、疲労で動けなくなったりしてしまうわけである。
また予定通りに下山できればなんとかなったが、天候やアクシデントで途中でロスした際には登山前や登山中に水分や食事を制限していたことによる水分・エネルギー不足が致命的になることもある。


山には女性ならではの危険性もあるので、女であることの主張はできれば避けたい。
だというのに「山ガール」ときた。
どうしても「山男」に対比させたいと言うならばら「山女」で十分だろうと思う。昔は「山女」だったはずだ。この場合の「山女」も「雪女」とか「山姥」みたいに化けて出そうな感じで使うべき。

旅の空 2010年8月2日 「山ガール」という言葉

ここ数ヶ月、「山ガールを紹介してほしい」とか「どこへ行けば山ガールに会えるのか」というような問い合わせが、マスコミからある。
山ガールの定義がなんなのかわからないし、先方の取材意図を聞いてみると、へー、そうなんだあと思うことしばしば。

「山ガール」という言葉を誰が言い出したのか知らないが、書名で初めて使ったのは、『田部井淳子のはじめる!山ガール』 (NHK出版)

私は、『はじめる!山ガール』の制作スタッフの一人で、ライティングを務めたが、書名決定編集会議の時は不在だった。
100名山ブームや中高年登山ブームを作り出したのは(仕掛けたという表現より作り出すのほうが、彼の場合ぴったり)彼だろうという超ベテラン編集長と、本誌担当の女性編集者(山に興味深々の硬派な行動派)を中心に、ほかの面々も加わって決めたと聞いている。
ある方面からは難色を示す意見もあったようだけれど、編集者が貫いた。
もし今年、「山ガール」が流行語大賞にノミネートされたら、檀上に上がるのは彼らだ。

その後、「山ガール」という言葉は、タレントやタレント的要素によって、一人歩きし始め広まっていった。それが作用するものは、必ずしも本誌作り手たちが意図していたものと一致はしない。けれど、流行とはそういうものだろうと思っている。
誰か一人が作り出すものではなく、時代のうねりなのだから。
※上記文の著者は柏澄子
1967年千葉県千葉市生まれ。登山全般および山岳地域に住む人たちをテーマにしたフリーランスライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージ2)

日本山岳協会認定ガイドには「自然ガイド」「登山ガイド」「山岳ガイド」という種類があり、それぞれステージがある。国際山岳ガイドやスキーガイドはさらに別資格となる。

田部井淳子(1939年9月22日 - 2016年10月20日)
日本の登山家。女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。福島県田村郡三春町出身。既婚。一男一女あり。旧姓は石橋。

1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中した。1965年、佐宗ルミエと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功した(12月19-20日)。

登山・アウトドアの活動が趣味の田部井政伸と山で出会い交際、1967年に結婚した。

1969年、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立した。翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功した。

1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功。その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996)で、田部井が登頂成功した21年後である。ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。

1988年、福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞を受賞した。

1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となった。同年文部省スポーツ功労賞を、1995年に内閣総理大臣賞を受賞した。1999年、旧ソ連7000メートル峰5座の登頂により、スノー・レオパードの称号を得た(日本女性初)。



それにしても何故ガールなんだろう?
女をウリにしないならば女やガールに拘る必要はないし、年齢をウリにしないならばガールに拘る必要もないと思うのだけれど。

=girlの意味=
★【用法】 現在 girl,gal,girl Friday と呼ばれることを嫌う成年女性が増えてきているので注意; ⇔boy

1.(通例 17‐18 歳までの)女の子,少女.
2.《口語》 (大人に対して未成年の)娘,未婚の女性.
3. (年齢に関係なく)娘.
4. 《口語》 (女の)恋人.
5.[通例複合語をなして] 女子従業員,女性労働者.
6.(特に若い女の)お手伝い.

girl Fridayは、(なんでもやってくれる重宝な)女子事務員,女性秘書,女性アシスタント 。
Fridayには、忠実な召し使い・片腕・秘書という意味があり。




by yumimi61 | 2018-09-02 16:07