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紀伊と奇異



紀伊半島は日本最大の半島であり、宗教的にも歴史がある地である。
修験道の発祥も紀伊半島内ということになる。
ということで、再び修験道について。


●修験道の開祖ー役小角(伝承634-706年)
現在の奈良県御所市に生まれた人物。
現在の金剛山・大和葛城山で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いた。
●天台宗の開祖-最澄(767-822年)・・比叡山
●真言宗の開祖-空海(774-835年)・・高野山


修験道
日本在来の山岳信仰を基盤とし、神道、仏教(特に密教)、道教などと習合しながら成立した日本の宗教。
森羅万象は大日如来の化身と捉える密教思想を背景に、蔵王権現や不動明王などを中心的尊格とする。
明治初年に政府の弾圧を受けて、廃絶とされた経緯があり、現在では仏教教団として存続しているものが多い。
根本道場は、開祖役小角が開いた、吉野・熊野を結ぶ大峰山にある大峰山寺(および金峰山寺)である。主に天台宗(寺門派)の聖護院を本山とする本山派と、真言宗の醍醐寺三宝院を本山とする当山派に分かれる。葛城山も開祖修行地として重要視されている。


中央霊場に拠点を置く教団
 吉野修験:修験道の根本道場とされる吉野の大峰山(金峰山)で行われる修験。
 熊野修験:熊野三山を拠点とする修験。
 葛城修験:修験道の発祥地とされる葛城山を拠点とする修験。
 比叡山修験:比叡山で行われる修験。

全国に配下を持つ教団
 本山派:天台宗寺門派の聖護院門跡を本山とする修験道教団。
 当山派:真言宗古義派の醍醐寺三宝院門跡を本山とする修験道教団。



修験道の発祥は地図上の桃色マークの所。
修験道の開祖・役小角が修行していたのが、現在の奈良県と大阪府の境界にある金剛山と葛城山である。
開祖・役小角の出身地である奈良県御所市近くの山である。

その山より右下にも桃色マークを付けたが、そこは大峰山と呼ばれる場所。奈良県にある。
山は大抵幾つかの峰(ピーク)からなっている。それを合わせて「〇〇山」と呼称することが多いが、大峰山も広義に大峰山脈のことで、 狭義には峰の1つである山上ヶ岳のことを指すらしい。
役小角が修行していた山と大峰山の間に奈良県吉野町(吉野地区)がある。この辺りの山は吉野山。

吉野山に金峯山寺という寺があり、この寺を開いたのは役小角だと伝えられている。しかし修験道の修行者・開祖が寺を開いたとは思えない。
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山である。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角と伝える。

ここからがややこしいが、昔は大峰山の山上ヶ岳(狭義大峰山)辺りから吉野山までを「金峰山」と呼んでいたと言うのだ。
さらに大峰山の山上ヶ岳(狭義大峰山)辺りから熊野までを「大峰山」と呼んでいたと言うのだ。
確かに昔は今よりも山が続いていたのかもしれないが、それに乗じた拡大解釈ではないかと思うようなややこしさである。
そして現代においては根本道場が発祥地(純粋たる聖地)ではなく吉野や大峰方面に移ってしまっている感じがある。

熊野というのは紀伊半島の南東部。黄色でマークしたのが「熊野三山」と呼ばれる「3つの寺」である。
これは奈良県ではなく、和歌山県田辺市・新宮市・那智勝浦町かつにある。
一頃ワイドショーに賑わした紀州のドン・ファンは和歌山県田辺市の人だった。
群馬で三山と言えば、赤城・榛名・妙義という山のことだが、熊野の三山は山ではない。
本山は、日本の仏教の特定の宗派内において特別な位置づけをされている寺院を指しており、その中でも頂点にあるのが総本山と呼ばれる。
しかしこれも当然実際の山ではない。寺のことである。

先日の記事で東京(江戸)での紀州徳川家の土地を紹介したが、紀州とは紀伊国のことである。
飛鳥時代には紀伊国とは別に熊野国があり、紀伊(紀州)に熊野は入っていなかった。
開祖・役小角が生きた時代は奈良時代より前の飛鳥時代である。


大峰山の西側の赤マークは高野山。ここも和歌山県である。
某放送局の某番組が厳かにここから放送していたことがあると前に書いた場所。天皇が献花していた。

高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
※宿坊は宿泊場所だが、現代では僧侶だけでなく一般の人も宿泊できる。

高野山真言宗の総本山は「金剛峯寺」という名称であり、これまた修験道発祥地である奈良県の金剛山と奈良県吉野の金峯山寺を足したような名でややこしい。


北側の琵琶湖の方の赤マークは、天台宗と真言宗の密教系修験道の本山とされている場所。それぞれ京都の聖護院と醍醐寺三宝院の門跡である。
京都であるからしてすでに紀伊ではないが、平安時代頃には京都に紀伊郷と呼ばれる地域があった。
これは紀州徳川家が江戸や大坂に土地を持っていたのと同様に、紀伊国が平安京のある京都に持っていた土地だったのではないだろうか。
その後明治12年(1879年)に京都府内に紀伊郡という行政区が誕生した。現在の京都市伏見区を中心とした地域である。
真言宗の醍醐寺三宝院はその地域に含まれる。


・世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれなかった修験道聖地の金剛山と葛城山
「紀伊山地の霊場と参詣道」
紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)。2004年7月7日に登録され、2016年10月26日に登録範囲の「軽微な変更」がなされた。

高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった。


神仏習合の思想によって密接なかかわりとあるが、明治政府によって禁止され破壊されたのが神仏習合である。それが国家神道の総元締め・伊勢神宮まで繋がっていて(伊勢路)、それが世界遺産ってどう考えてもおかしい。
そのことから言えるのは、高野山、吉野・大峰、熊野三山は神仏習合との関わりを持っていないか、政府公認で仕立てあげた神仏習合の歴史を持っているんだろう。

下の地図は和歌山県世界遺産センターより
2016年の「軽微な変更」は赤い部分。
一番上のオレンジ色塗りつぶし箇所は私が書き入れたものですが、その辺りが修験道の聖地である。霊山・霊場。
e0126350_14164960.png


修験道の聖地である金剛山と葛城山の西側の緑のマークはかつて上赤坂城があった所(城跡)。
所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村上赤阪。「上赤阪城」と書くこともある。別名、楠木城。小根田城、桐山城とも言う。楠木七城の一つ。

(ページを変えて続きます)





by yumimi61 | 2018-10-14 11:25