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やがてそこに。


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明鏡止水


別れ際ついでみたいに渡す君 逢い見ずならば哀しからずか

・前記事に九州と書いて思い出したけど、博多の屋台の焼き鳥屋さんではざくぎりキャベツが付き物で、それにかけるタレが独特だとか。
そのタレを全国展開させたものが、くばらの「キャベツのうまたれ」。
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・昨日、とある道の駅に立ち寄ったら、おそらく娘と母であろう女性2人の娘の方がお母さんに話しかけていた。
「ねえ、これ美味しいよ。買ったら」
私は興味津々その娘が勧める商品を目で追った。すると「卵がけご飯にかける醤油」だった。
200mlくらいで500円くらいの商品。
「いらない」というお母さん。
「買いなよ」という娘。
「いい、買わない」とお母さん。
やっぱり普通の醤油とは全然違うんでしょうか?
ちなみに私、刺身専用醤油は買ったことがあるんですが、正直「う~ん、どうなんだろう」という感じでした。

・たぶんタレの時代なんだと思う。お店にはいろんなタレが並んでいて目移りする。
買ってみたものの大して使わずに冷蔵庫を占領するタレも少なからず。
現代人の日常は忙しい。朝に夜に料理にかけられる時間と気力はどれほどかと考えてみれば自ずと知れる。(朝夜に、あるいは夜に、昼も加わるとぶちぎれる主婦は多いとみる)
現代人の余暇は増えた!?時間とお金がある現代人がしたいことに優先順位を付ければ料理は上位にこないであろう。
計量スプーンで調味料を一つ一つ計って調理する時は一時、あるいは一握り。
家庭用の調味料の消費量は減っているんだろうと思う。
家庭でだしをとるということが廃れていき化学調味料にとって代わったように、現代では結構年齢が上の料理をする世代のベテラン主婦でも、めんつゆを調味料代わりに多用する人が増えていたりもする。
納豆にだってタレが当たり前のように付いているし。



熊野はどこから

神の名はトウコククンカ(仮説)。
誰かが当てはめた。「湯谷燻火」とか「東国君下」とか。
音読みならばどちらも「トウコククンカ」、訓読みならば「ゆやくすび」や「ひがしくにのきみのもと」とか。
そして、どうせ「ゆや」なら「湯谷」よりも「熊野」のほうがいい、東の国はダメダメ西の国のほうがいい、そう思う人がいたのでは。


次には、誰が「熊野(ユヤ)がよい」と言ったのかという話になろう。
それは「熊野(ユヤ)」が身近だった人と考えるのが妥当だろう。

①湯立神事に用いられたと考えられる熊笹が身近にあった地域。
熊笹は山地で生息するササであるし、そのうえ山岳信仰があるならば、「熊野」は山地である。
「湯谷(トウコク・ゆや)」と「熊野(ユヤ・くまの)」を掛け合わせることが出来る地域。
音読みならば「トウコククンカ(湯谷燻火)」であるが、訓読みが出てきた後の世代でそれを訓読みさせた時には「ゆやくすび(湯谷燻火)」となる。この時に湯谷(ゆや)を熊野(ユヤ)に置き換えたことがあった。
置き換えると、音読と訓読が混じってしまい当初の使い方からは外れるが、神事という意義的には大きく外れていないので庶民が通称などで使う分には目くじら立てるほどのことではなかったのかもしれない。

②熊野という地名の地域。
「トウコククンカ(湯谷燻火)」→「ゆやくすび(湯谷燻火)」→「ユヤくすび(熊野燻火)」→「くまのくすび(熊野燻火)」→「くまのクスビ(熊野久須毘)」
「熊野」と書いて「ユヤ」「くまの」と読むことを知り、「くまの(熊野)」地域の人が「くまのくすび」と呼ぶようになった。

紀伊半島の熊野はわりと新しい


現在では世界遺産になっている和歌山県の「熊野三山」が有名だが、この地域の地名は熊野ではない。
現在の所在地は、和歌山県田辺市・新宮市・東牟婁郡那智勝浦町、である。
但し大化の改新前、紀伊半島南端部(現在の和歌山県南部と三重県南部)は熊野国であった。

上古には熊野国があり、成務期までには熊野国造が置かれるようになったが、大化の改新後の孝徳期 (645年〜654年)、紀伊国に牟婁郡として併合された。併合前の熊野の範囲は、西は田辺市田辺地域を含まず、東は現在と同じだったが、併合時に、田辺にあった牟婁郷と合わせて牟婁郡とし、その一方でのちの北牟婁郡は志摩国英虞郡に移された。

要するに紀伊半島の熊野国は大化の改新とともに紀伊国に入り、熊野という地名(国名)はその時に消滅している。

現在の和歌山県南部に熊野という語が入る地名が復活したのは1956年(昭和31年)9月30日のこと。
小口村・三津ノ村・九重村・玉置口村および敷屋村の一部が合併して「熊野川町(くまのがわちょう)」が発足した。
しかし2005年10月1日に新宮市と合併し、熊野川町は廃止された。(新宮市内の町名としては残っているが)
熊野三山を大々的に売りにしているわりには、熊野川町という熊野が付く名称を再び消滅させた。

現在の三重県南部に熊野が復活したのは1954年(昭和29年)11月3日。
木本町・荒坂村・新鹿村・泊村・有井村・神川村・五郷村・飛鳥村が合併して熊野市(くまのし)が発足した。
さらに2005年11月1日、南牟婁郡紀和町と新設合併し、新たな「熊野市(くまのし)」が誕生した。
これによって「熊野」の地名を持つのは、和歌山県ではなく三重県となった。

どちらにしても紀伊半島の熊野は第二次世界大戦後に誕生したもので、それほど古い歴史を有していない。大化の改新前の熊野国からは1300年ほどのブランクがある。

熊野川

奈良県の中部にあたり奈良県吉野郡天川村の山上ヶ岳(標高1,719m)を水源として奈良県から和歌山県、三重県と流れて海に注いでいる川がある。
その川を上流地域では「天ノ川」と呼び、十津川郷では「十津川」と呼び、和歌山と三重県流域では「熊野川」と呼んでいるという。
1956年(昭和31年)に熊野川町が発足しており、おそらくその前後に十津郷の十津川にちなんで、熊野川と呼ぶようになったと考えられる。

1970年に一級河川の指定を受けた当初は新宮川(しんぐうがわ)であった。
その後、1998年4月9日に法定名称が熊野川と変更されたが、水系名は新宮川水系のままである。

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和歌山県もだいぶ市町村合併が進んでいる。左側が古い方で、右側が新しい方。田辺市はかなり広がっている。
赤丸が熊野三山(3つの神社)の位置。
青で記入した線が熊野川。
赤で囲んだところは飛び地となっていて(その奥も飛び地)和歌山県であるが奈良県や三重県に囲まれている。玉置神社は奈良県にある。
飛び地部分はかつては玉置口村という行政区だった。
その後は熊野川町に属し、さらに熊野川町が新宮市となったため、現在は新宮市熊野川町玉置口ということになる。
旧熊野川町は左の地図で茶色線で囲った所。


「熊野」の語源の幾つかの説

・『古事記』によると、神武天皇が大熊に会ったためと言うが、地名起源神話にすぎず疑わしい。

・『紀伊続風土記』によると、「熊野は隈にてコモル義にして山川幽深樹木蓊鬱なるを以て名づく」、つまり、鬱蒼たる森林に覆い隠されているためという。あるいは、死者の霊がこもる場所とも解釈される。

・出雲国の熊野(現 島根県松江市熊野)の名が移されたとの説もある。


十津川郷と玉置神社と出雲大社教

実は明治以降の十津川郷(奈良県十津川村)は出雲大社に縁深い地域である。
玉置神社は実のところ「出雲大社教玉置教会」なのだ。
明治新政府による神仏分離と仏教廃除によって、十津川村の氏子は全員「出雲大社教」の信者になったらしい。
葬祭が出来なくなったということだが、廃除されたのが仏教の寺の方なので、神道の玉置神社が存在していれば、その神社を通して神葬祭にすればよかったような気がするが、玉置神社では出来なかったということだろうか。
氏子が全員出雲大社教に入信したということは、全員が宗教団体への入会(入信)を余儀なくされたか、あるいは村民自体がそっくり入れ替わったということになる。

廃仏毀釈後、十津川村に点在した寺が全て全廃したため、葬礼などの人生儀礼に行き詰まった村民たちは、議会議決を以って、当時、神葬祭が可能である出雲大社教に求めた。
氏子二千数百世帯の家宗を統一するために、村内宗社である玉置神社に隣接した土地(現在は境内に含まれる)に教会が奉斎された。明治4年に全郷神葬祭に改め同19年に出雲教会の加入の入会式を行う。


北海道の新十津川町のほうも同様で、町内に「出雲大社新十津川分院」が存在する。




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by yumimi61 | 2018-10-21 11:18