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やがてそこに。


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「我が君」と「君が代」

『君が代』のルーツって知ってる?

前記事のタイトル「さざれ石」と「巌」は『君が代』の歌詞に出てくる石と岩ですね。

君が代(きみがよ)は、日本の国歌。「天皇の治世」を奉祝する歌であり、「祝福を受ける人の寿命」を歌う和歌を元にしている。1869年(明治2年)に薩摩藩の砲兵隊長・大山弥助(大山巌)が薩摩琵琶の『蓬莱山』にある『和漢朗詠集』異本の短歌を歌詞として選び、その後1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893年(明治26年)の文部省告示以降、国歌として定着した。1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されており、世界で最も短い国歌の一つである。


国旗・国歌の法制化

日本においては国旗と国歌がたびたび問題になる。
正式に法制化したのは小渕内閣の時。
1999年(平成11年)、広島県立世羅高等学校で卒業式前日に校長が自殺した。「君が代」斉唱や日章旗掲揚の文部省通達と、それに反対する現場の日教組教職員との板挟みになっていたことが一因であったという。
これをきっかけに法制化する運びとなった。
ということは、国家が現場の責任者(学校長)に法という盾を与えるということになるので、国が国歌斉唱や国旗掲揚を義務付けなくとも、国の行政機関の1つである文部省(現:文部科学省)の「国歌斉唱と国旗掲揚をしなさい」という通達とセットになれば強制と捉えられても仕方がないだろうと思う。

当時の内閣総理大臣小渕恵三は、1999年(平成11年)6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫の質問に対し以下の通り答弁した。
「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております」



国歌『君が代』に何を見るか

何故、国旗や国歌が問題になるのかと思う人がいるかもしれないが、主な肯定的・否定的意見には以下のようなものがある。
<肯定的意見>
・事実上の国歌として歌われてきた明治以来の伝統を重視すべき
・政治的背景とは無関係に日本的な曲であって、国歌に最もふさわしい
・国民は愛国心を持つことが望ましく、「君が代」を歌うことで、その意識を高めることができる
・歴史的に「君が代」は、国家平安を祈願する歌であり、そもそもの歌詞の意味合いが「祝福を受ける人の寿命」を歌う和歌であり、政治的意図は後付けである。
<否定的意見>
・大日本帝国時代の国歌であり、歌詞は天皇崇拝の意味合いが強い。
・(「天皇の治世」という意味の国歌は)天皇が絶対的権力者だった大日本帝国憲法には相応と言えても、主権在民の日本国憲法にはふさわしくない。


すなわち、明治以降の富国強兵、天皇制(絶対君主制)、侵略を含め実際に日本が行った幾つかの戦争、徴兵制などの国家による強制(独裁)等を国旗や国歌に見てしまう人が否定的なのだ。


詠み人知らずの和歌

否定的意見に対するために愛国精神を前面に出したのか、君が代の歌詞のルーツは古代に詠まれた和歌だったと言われている。

歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題知らず、詠み人知らず、国歌大観番号343番)とされるが古今集のテキストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで


頭の部分が「君が代は」ではなくて「我が君は」だったということ。
それがいつからか「君が代は」に変わっていった。

「君が代は」の型は『和漢朗詠集』の鎌倉時代初期の一本に記すものなどが最も古いといえる(巻下祝、国歌大観番号775番)。
『和漢朗詠集』においても古い写本は「我が君」となっているが、後世の版本は「君が代」が多い。この「我が君」から「君が代」への変遷については初句「我が君」の和歌が『古今和歌集』と『古今和歌六帖』以外にはほとんどみられず、以降の歌集においては初句「君が代」が圧倒的に多いことから時代の潮流で「我が君」という直接的な表現が「君が代」という間接的な表現に置き換わったのではないかと推測されている。


国歌の歌詞としての「君」は天皇(君主)の意として捉えられているが、一番最初の歌の「我が君」は「私のあなた」というようなごく個人的な歌ではないかと考えられたり、「君が代」とは「あなたが生きる時代」という意味ではないかとも言われる。


誰がどのような理由で選んだか

数多の和歌からたった1首が選ばれた。
選んだのは薩摩藩士で明治期には陸軍軍人(元帥陸軍大将)で陸軍大臣も務めた大山巌(通称:弥助)。西郷隆盛が従兄にあたる。

(大山巌は)同藩の有馬新七等に影響されて過激派に属したが、文久2年(1862年)の寺田屋事件では公武合体派によって鎮圧され、大山は帰国謹慎処分となる。薩英戦争に際して謹慎を解かれ、砲台に配属された。ここで西欧列強の軍事力に衝撃を受け、幕臣・江川英龍の塾にて、黒田清隆らとともに砲術を学ぶ。

有馬新七の旧姓は坂木。父親が城下士の有馬家の養子となったため有馬姓となった。
大山はどちらかと言えば武道の人で、どうしてこの人が国歌に用いる和歌を選ぶ役目を担ったのかという疑問がわく。
しかも選んだ年は1869年(明治2年)。大山巌は27歳で重鎮というにはまだ程遠い。
では、その頃に大山巌は何をしていたか。

留学
維新後の明治2年(1869年)、渡欧して普仏戦争などを視察。明治3年(1870年)から6年(1873年)の間はジュネーヴに留学した。留学時、ロシアの革命運動家レフ・メーチニコフと知り合う。メーチニコフは後に東京外国語学校に教師として赴任したが、これは大山の影響によるといわれる。



国歌とは?

国歌の必要性はまず何よりも外交儀礼の場において軍楽隊が演奏するために生じるのであり、現在でも例えばスペイン国歌の「国王行進曲」のように歌詞のない国歌も存在する。しかしそもそも吹奏楽は西洋のものであって明治初年の日本ではなじみがなく、当初は "national anthem" の訳語もなかった。国歌と訳したものの、それまで国歌は和歌と同義語で漢詩に対するやまと言葉の歌(詩)という意味で使われていたため "national anthem" の意味するところはなかなか国民一般の理解するところとならなかった。

anthem 聖歌、賛美歌、祝歌、頌歌
anthem(アンセム)は 元々はイギリス国教会で用いられる礼拝用合唱曲。カトリック教会のモテットやドイツのプロテスタント教会のカンタータに相当する。

和歌を国民文学とする意識からすれば日本においては一般に曲よりも歌詞の方が重要視され、国歌「君が代」制定の経緯を初めて研究し遺作として『国歌君が代の由来』を残した小山作之助もまずは歌詞についての考察から始めている。


音が重要

日本においては歌詞が重要視されるとあるが、和歌は非常に音を重要視している。
その音とは音数から生み出されてくる音(リズム感)である。

古代の和歌は5と7という音数に拘る。
俳句ならば575の3句体、短歌ならば57577の5句体。
この音数より多くなった歌は字余り、少ない歌は字足らずという。
字余りの歌は結構ある。
後世においては自由詩なども登場し、俳句や短歌にしても字数へのこだわりも比較的自由で緩やかになったが、万葉集の時代などは字余りにもルールがあったようだ。句の中に母音が入った時だけとか。
字余りや字足らずで表現することもあり、それが上手くはまっている場合ももちろんあるが、音数が命な歌だけに、字余りや字足らずのルールが特段設けられていない時代ではやはり字余りや字足らずの歌は一段低く見られてしまう。

日本の国歌の歌詞の元になった歌は字余りの歌である。
「さざれ石の」を「さざれいしの」と読めば、音数は6である。
だから和歌として詠むとリズム感が悪くしっくりこない。

国歌にした時には歌詞が先にあり作曲をしたわけで、歌詞に音を当てにいっているわけだから、なんとなく歌う分にはそれほど違和感はないが、意味を考えながら歌うと音節の区切りが気になってしまう。
まさに「さざれ石の巌となりて」の部分である。
スローな曲なので音節が強調されてしまう。
和歌がルーツと聞くと、和歌の音の悪さも際立つので、余計に違和感を感じてしまう。
そこで私は言葉の持つ音に注目してみた。

そして出会ったヘブライ語説。

ヘブライ語説

日本とユダヤのハーモニー ヘブライ語で解き明かす「君が代」より 


ある日、「君が代」がもしかしてヘブライ語で書かれているのではないかと考え、ヘブライ語の発音表記と仮定して幾度となく読んでいると、驚くことに、一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞が、最初から最後まで一貫してヘブライ語の詩としても読めることがわかったのです。
「君が代」は、元来ヘブライ語で書かれた歌であり、その歌詞に日本語がオーバーラップされ、巧みに組み合わさって完成した古代の賛歌と言えます。
折句の真髄を極めた天才的な作品である「君が代」には、古代、日本に移住してきた神の民、ユダヤ人の神に対する熱い思いと、その信仰告白とも言える大切なメッセージが秘められていたのです。君が代の意味を正しく理解することにより、古代日本の歴史観が塗り替えられることになります

「君が代」の歌詞は、「きみがよは」から始まります。このフレーズは、ヘブライ語で読むと、「クム・バ・ヨワ」という3つの言葉に分けられます。「クム」はヘブライ語の(kum、クム)が語源であり、「立つ」または「起き上がる」ことを意味します。「が」はヘブライ語で「来る」「来た」、すなわち英語の「come」と同義語である(baah、バ)です。すると、ヘブライ語で「キミガ」の意味は、その発音が多少訛った「クムバ」、すなわち「立ち上がり、来てください!」となります。

「君が代」をヘブライ語で発音してみる!(参考)

ダブル・ミーニング (double meaning) という手法はあるが、それは1つの語に2つ以上の意味を乗せるもの。日本的には掛詞と言う。
しかしこの説では歌詞全体が音を通して別々の意味で独立し成立しており、しかも言語が違うという離れ業だというのだ。









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by yumimi61 | 2018-10-23 13:13