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山桜花の歌

(前記事の続きです)

画賛と自画自賛

「自分の像の上に書いたという歌は、いったいどういうことだ。自分の上に書くとはうぬぼれの極みだ。」と評したのは上田秋成(江戸後期の国学者・読本作家・歌人。大坂生まれ)。

自画自賛という四字熟語がある。自分のしたことや自分自身を褒めること、つまり、自惚れが強いというような意味で使われることが多い。
語源は絵画用語の画賛。
中国における画讃とは、人物画にちなんで制作された文章を指す。
(但し、1300年以降は「題」や「跋」と呼ばれるようになり、「画賛」と言う言葉は使われなくなっていった)
賛というのは、人物の事跡を述べ賞揚する文学の一形式である。
日本における画讃とは、絵画の主として上部の空白部に書き込んだ詩文を言う。別紙に書いて接続する場合もある。漢詩が多いが、和歌、俳句を書くこともある。

本居宣長の生きた時代では中国ではすでに「画賛」という言葉を使っていなかったということだが、絵が人物画(自画像)であるということは中国式のように思う。
ともかく東洋画に付けた文章のことを「画賛」や「賛」と言った。
他者に頼んで文章を入れてもらうのが一般的なので、自分で書いた絵画に自分で文章を入れたり、自画像に自分で賛を書き入れることは珍しかった。
自分の画に自分で文章を入れること、その行為が「自画自賛」である。
その行為に至る要因はなにも自惚れだけではないと思うが、「自画自賛」の言葉の印象としては次第に「自惚れている鼻持ちならぬやつ」ということになっていった。

三重県熊野市有馬の花窟神社で参拝客に配布していたという版木画も画賛である。日本書紀の「一書曰く」を、「日本書紀曰く」と書き換えて、書き入れていた。
本居宣長はその地を「里の神わざ」と詠んだ。


本居宣長の自画自賛像

本居宣長は医師であり、時代を代表する国学者でもあった。
それなりの社会的地位があるのだから他者に頼んで画賛を書いてもらうことは十分に可能であったろう。
ではなぜ自分で書いたのか、そこにこそ本居宣長の心内が潜んでいるのではないだろうか。
あなたがもし本の帯に入れるコメントを執筆者や出版社から依頼されたらどうしますか?印象の悪いことを、都合の悪いことを書きますか?書きませんよね。求められているものが分かるから。
本居宣長は忖度した装飾した賛を求めていなかった。だから自分で書いた。そう考えるのが自然ではないだろうか。

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花

記念館の説明にはこのように記されていた。

「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」
 つまり一般論としての「大和心」を述べたのではなく、どこまでも宣長自身の心なのです。


楯突くようで申し訳ないけれど、田舎の百姓さん(ペンネームじゃないし?)にメールした言葉そのままに、「一般論としての大和心ではなく、自分自身の大和心だ」なんてどこにも出て参りません。
もし、ご不審でしたらどのように解釈すれば、貴下の解釈になるのかお示し下さい。

2つの解釈が出来る。
①記念館の解釈のように「あなたにとって大和心とはなんですか」と問われて答えているというもの。
②ただ単に(要するに一般論で)、例えば外国人に、「大和心ってなんですか?」と尋ねられて答えているというもの。

残念ながら歌からはどちらで詠んでいるのか判別できない。
でも外野から判別することが可能。それが自画自賛像であることの意味。
要するに一般的に印象の悪くなる回答をしているということなのだ。
①の問いで印象が悪くなる回答をすれば、印象が悪くなるのは自分自身。
②の問いで印象が悪くなる回答をすれば、印象が悪くなるのは大和心(当時の語の意味からすれば日本人の心)。大和心を非難しても本居宣長の印象が悪くなるとは限らず、時と場合によっては印象が良くなることもある。そうとなればまさに「賛」に相応しくなる。
61歳で創った自画自賛像。本居宣長もまた消化しきれない思いを抱えていたのではないだろうか。


山桜の特徴

では印象のあまりよろしくない回答とは何か、ということですよね。
「朝日に匂ふ山桜花」という下の句がその回答部分にあたる。

山桜は葉と花が一緒に展開するという特徴がある。
現代日本で一番ポピュラーである「お花見の桜」はソメイヨシノ。
ソメイヨシノはご存知の通り、葉に先駆けて花が展開する。花が散ってから葉が芽吹いてくる。

奈良県の吉野の桜は古くから有名だったらしいが、山桜が主体であり、日本の古代の桜は現代のソメイヨシノとは違う。
従って現代の主流の桜のイメージを昔の歌に当てはめるべきではない。
ソメイヨシノは江戸時代末期~明治時代に誕生した品種で、江戸中期に生きた本居宣長の時代には存在していない。
どんな花でも咲いた花はいつかは散るが、昔の桜には現代の桜ほど、ぱっと咲いてぱっと散っていくイメージはなかったと思われる。
記念館の人は、「散ることはどこにも出て参りません」と書いていたけれども、書いてある書いてない以前に、散っていくことを主眼にはしにくかった。


ソメイヨシノについて

(染井吉野、学名: Cerasus ×yedoensis (Matsum.) Masam. & Suzuki ‘Somei-yoshino’)
江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。翌年、松村任三が学名をつけた。

山桜は野生種の桜の原産はヒマラヤ山脈あたりで中国を経由し日本に渡り、その後日本で種の変化や品種改良があった。
遺伝的なルーツを言えば、サクラ(桜)は純粋な日本産ではない。

ソメイヨシノは、野生種の桜の1種で日本では彼岸頃に咲くエドヒガンと、日本固有種のオオシマザクラの雑種の交配して、日本で作り出された園芸品種。
ほとんど全てが同一の特徴を持つ。要するに個体差がないクローン。
今現在日本に存在するソメイヨシノ全て、実生ではなく栄養繁殖によって増えたものだそうだ。そう考えるとちょっとゾクッとする。

2012年に千葉大の研究チームは、北関東のエドヒガンがソメイヨシノの母親と推定され、コマツオトメはソメイヨシノの母親ではなく近縁にとどまることを園芸学会で発表した。これは、千葉大学園芸学部の国分尚准や安藤敏夫の研究チームが、江戸時代から生えているエドヒガン系の天然記念物級の古木を青森から鹿児島まで523本探して、新たに葉緑体DNAを解析したところ、ソメイヨシノのDNAと一致する古木が、群馬県で4本、栃木、山梨、長野、兵庫、徳島の各県で1本ずつ見つかったことを受けてである。

葉より先に花が咲き開花が華やかであることや若木から花を咲かす特性が好まれ、明治以来徐々に広まった。さらに、第二次世界大戦後、若木から花を咲かせるソメイヨシノは爆発的な勢いで植樹され、日本でもっとも一般的な桜となった。

だけど本居宣長の歌の桜はソメイヨシノではなく山桜である。


どうして「花」であったか

「朝日に匂ふ山桜花」
匂ふは、美しく咲いている、香りが漂う、美しく染まる、美しく映える、というような意味がある。

・朝日の中で美しく咲いている山桜の花。
葉と花が同時に展開するのが山桜であり、どちらも朝日に輝いているはずなのに、花にしか目がいかないということを間接的に意味している。

・朝日に照らされて山桜の花の香りが漂っている。
夜に香りを主張する花は存在する。夜は視覚的に不利なので嗅覚に訴えるわけである。
でも朝日が出ているということは目に見える状況があるということ。
それなのに匂いで花を認識する。それはすなわち見えているものが見えないということ。
だから香らないものが香ることもあるということにもなる。

・朝日に美しく染まっている山桜の花(朝日に映える山桜の花)
同じ朝日を浴びても、染まるのは花のみ。朝日に映えるのは花のみ。


あの人は、葉であったか、花であったか

芽吹いて葉が茂り、その葉によって光合成が行われ、栄養とエネルギーを蓄える。
そして花芽が形成され成長し、やがて開花し受粉して実を結ぶ。
果実は成熟し母体を離れ、種が落ちて、新しい固体が芽生える。
それが一般的な植物のサイクルである。

植物の葉・茎・根は栄養器官と呼ばれる。
それに対して花は生殖器官である。
母体の成長も然ることながら、花芽を成長させ花を咲かせ果実を生らせるためには非常に大きな栄養とエネルギーを必要とする。
従って通常は葉が先に展開してから花を咲かせるほうが理に適っている。
しかし栄養とエネルギーを蓄えることが出来る植物の中には先ず花を咲かせるものがある。球根植物とか鱗茎植物とか。
実はヒガンバナ(彼岸花)はその代表。ヒガンバナも実生ではなく栄養生殖(無性生殖)。
それ以外では春早くに咲く植物に花が先に咲くものが多い。
そうした植物は冬に葉を落として、成長にエネルギーを使わない分、蓄えに回せるのだと思う。その蓄えで持って春先に花を咲かせることが可能となる。
その後はやはり栄養が作られなければ実を結べなくなる。
実を結ばなくてよい植物ならば、その分の栄養も蓄えられる。

花は生殖器官だけれども、花が先に咲く場合というのは、栄養生殖(無性生殖)であることが多い。
花は生殖のためにその姿を与えられたはずだが、花でありながら本来の役割を果たす必要がないのが栄養生殖(無性生殖)の花なのだ。
ぱっと咲いてぱっと散っていく美しい花は、別に花でなくとも良いという矛盾・・

しかし山桜は葉と花が同時展開する。
それなのに花だけに光が当たっているということは、栄養やエネルギーを作りだし蓄えるという作業に光が当たらないということになろう。
花ばかりに心惹かれ目を奪われ、栄養やエネルギーを作りだし蓄えるモノや作業に思いを馳せることがない、それが大和心だと詠った。
「もののあわれ」と源氏物語を持ち上げたのが本居宣長だったことで知られているが、この歌では暗に源氏物語を揶揄しているようにもとれてしまう。
『源氏物語』に失望して『古事記』まで持ち上げてみたが、憂さは晴れなかったとか?

本居宣長が葉に何を重ね、花に何を重ね合わせたかが、歌の意味を、本居宣長の心情を理解することになると思うが、決定的なことは言えない。
ただ万葉集とか言の葉とか、葉は言葉の比喩として使われる。
だとすれば・・・
調和的な情趣を優美なものとして指向する大和心、そんなものは存在しなかったという失望感漂う歌。
この場合、朝日が希望の象徴で、山桜花は失望の象徴。
あるいは、ないものをあるかのごとく語り、掘り起し日に当ててしまったことへの、そうした自分に対する、悔恨の歌。
この場合、山桜花は自分の比喩。

宣長は『済世録』と呼ばれる日誌を付けて、毎日の患者や処方した薬の数、薬礼の金額などを記しており、当時の医師の経営の実態を知ることが出来る。亡くなる10日前まで患者の治療にあたってきたことが記録されている。内科全般を手がけていたが、小児科医としても著名であった。
当時の医師は薬(家伝薬)の調剤・販売を手掛けている例も少なくなかったが、宣長も小児用の薬製造を手掛けて成功し、家計の足しとした。また、乳児の病気の原因は母親にあるとして、付き添いの母親を必要以上に診察した逸話がある。
しかしながら、あくまでその意識は「医師は、男子本懐の仕事ではない」と子孫に残した言葉に表れている。


男子本懐の仕事ってなんだろうか。
医師でもなく、経営者でもないとするならば、国学者?
それとも名を残すことこそが大事だったとか? だから文事に傾倒?徳川光圀のように?
まさか本居宣長は本当は武家に生まれて武士になりたかったとか?
男子ってややこしい生き物ですね。今は男女平等で女子もかな。




by yumimi61 | 2018-11-12 19:07