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5🚙🚙🚙🚙🚙ルノーと日産、カルロス・ゴーンを巡るカトリック

戦争とジープ(Jeep)

第二次世界大戦中の1940年にアメリカ陸軍の要請により開発着手され、翌1941年から実戦投入開始された小型四輪駆動車がその元祖である。第二次大戦において連合国軍の軍用車両として広く運用され、高い耐久性と悪路における優れた走行性能で軍事戦略上でも多大な成果を挙げた。アメリカ軍欧州戦域総司令官を務めたドワイト・D・アイゼンハワーは、“第二次世界大戦を勝利に導いた兵器”として、「原子爆弾」「C-47輸送機」「バズーカ」、そしてジープを挙げている。

その高性能は小型四輪駆動車の有用性を世界各国で広く認知させ、第二次大戦後に軍用・民生用を問わず同種の四輪駆動車が世界的に普及する端緒となり、「ジープ」は単なるブランドに留まらず、その優れた設計と名声から民生のクロスカントリーカーや小型軍用車両の代名詞となった。

Jeepという名称はGeneral Purpose(万能)、もしくはGovernment-use(政府用)のGとホイールベース 80インチの車両を表す識別符号のPからきた符号GPから"ジープ"と命名されたという説や、漫画『ポパイ』に登場する「ユージン・ザ・ジープ」からとったという説がある。明確な起源は判然としないが、すでに1941年にはこの通称が用いられ始めていた記録がある。


アメリカ陸軍はドイツ陸軍のポーランド侵攻においてキューベルワーゲン(ドイツ製の小型軍用車両)が活躍していることに注目し、アメリカでも小型軍用車を開発する計画を立てた。

1940年7月に135社の自動車製造会社に大まかな設計要件を伝え、四輪駆動の小型偵察車開発計画に応札することを緊急要請した。しかし開発期間と要求スペックは厳しいものでゼネラルモーターズもフォード・モーターも応えられず、アメリカでは主流から外れた小排気量の小型車に関するオーダーでもあったため、オファーに応じたのは中・小型車メーカーのウィリス社とバンダム社の2社のみだったという。
ウィリス社も途中で諦めることとなり、バンダム社が外部から設計者を招聘して設計した。
これが正式に採用され、ジープのプロトタイプとなる車輌が製作された。
バンダム社も設計に至らずジープが生まれていなければ、第二次世界大戦は違うものになっていたのかしら、そうでもないのかしら。

バンダム社はそれほど大きな会社ではなく生産能力に難があったため、アメリカ政府はバンダム社の設計図をウィリス社とフォード社にも提供して生産に加わらせた。以後、大量のジープが生産されるようになる。


奪ったジープからトヨタのジープ、そしてランクル

戦時中の1942年、日本陸軍はフィリピン侵攻においてバンタム社製のジープ(Mk II・BRC-60)を奪い取った。
ジープ量産最初期の1940年に生産された69台のうちの1台である。
(奪い取ることを軍事用語では「鹵獲」と言うらしい。戦地で敵対勢力の兵器や装備品、補給物資を奪うこと。一般的に、鹵獲した兵器はそのまま自軍の兵器として転用、調査を行って分析し自軍の兵器の改良や開発の参考に使用、改造を施して使用、または余剰品として廃棄されることが多い。このため、近代以降の軍隊では何らかの理由で兵器を遺棄しなければならなくなった場合、その兵器が敵軍の戦力として運用されないように破壊(爆破・放火・自沈)ないし使用不能にすることが義務付けられている)

フィリピンで奪ったジープを早速に日本に送り、トヨタに性能などを調査させ、コピー車を作るように依頼。
フィリピンというのはカトリック国で、後にGHQ総司令官になるマッカーサーがいた国でもある。
案外奪い取ったのではなく横流しだったりして。

陸軍は鹵獲したBRC-60の性能に着目し、これをリバースエンジニアリングするようトヨタ自動車に命じた。その試作に当たっては戦地での敵味方の誤認を防ぐため「外見がジープに似てはいけない」という要求も貸され、機能性がそのまま外見に表れるジープと同じ性能を違う外見で実現するためにトヨタの森本真佐男技師は大変に苦心した末、最終的にヘッドランプを中央1灯とするフロントフェイスにすることでこの要求をクリア、1944年8月にトヨタ呼称AK10型として試作車5台が出揃い、御殿場で試験された。
その結果、四式小型貨物車として陸軍に直ちに制式採用されるが、極度の資材欠乏と労働力低下、日本本土空襲の混乱などから量産が間に合わず、ジープのような活躍の記録はない。
また、このAK10型と戦後のトヨタ・ジープ、のちのランドクルーザーとの設計面での直接的なつながりもなく、トヨタ自身もジープ/ランドクルーザーの直接の母体はトヨダ・KCY型四輪駆動トラックや、KCY型をベースに水陸両用トラックとしたスキ型4輪駆動水陸両用車であるとしているが、トヨタの技術者たちはAK10型の試作の経験で四輪駆動車の基礎的な技術を学び、その残存部品もトヨタ・ジープの開発に当たって大いに参考にされたという。


結局トヨタのジープは戦時中には量産出来なかったが、アメリカは実に65万台ものジープを生産した。

戦後に誕生したトヨタ製のジープ。ランクルとは関係ないと言っているようだが、技術者たちも証言しているようにそんなことはないだろう。
違いは搭載したエンジンが大きかったこと。
戦時中ドイツやアメリカは小型車両を重宝したわけだが、戦後のトヨタのジープはトラックに用いるような大型エンジンを搭載した。普通にしていても小型車両よりもパワーが出るのは当然である。
ジープという名称は商標権の問題で使用できなかったので、「ランドクルーザー」という名にした。これはイギリスの「ランドローバー」を意識したらしい。
陸(国)を動き回る者という意味の'LAND ROVER'。
陸(国)を巡視する者という意味の'LAND CRUISER'。

ついでに奪い取ったバンダム社のジープ(Mk II)は、後にトヨタが発売することになる高級乗用車の名称マークII (MARK II)にも似ていますね。


ジープ、クライスラーへ

1970年代はオイルショックに2度見舞われ自動車業界にとっては非常に厳しい年代であったが、燃費効率の良さが評価された車をアメリカン・モータースの販売網を利用して販売し一定の成果を上げたルノー同様に、小型車を多く生産する日本の自動車会社にとってもオイルショックはアメリカ市場での販売において、ある意味追い風となった。
日本の自動車会社がアメリカ市場で飛躍したのはオイルショックのおかげとも言えるくらいである。

三菱自動車は1970年代にアメリカのクライスラーと業務提携し、三菱の小型車はクライスラーブランドでクライスラーの販売網を利用して販売されていった。こうすることで輸入車にかけられる関税も回避できたという。売上は折半。
しかし当時アメリカは日本からの自動車の輸入自体に台数制限をかけていたので、関税がフリーになると言っても無制限に輸入するわけにはいかなかった。
そこで1985年、三菱自動車とクライスラーは現地生産を行う合弁会社「ダイアモンド・スター・モータース」を設立した。出資比率は折半。

クライスラーはアメリカの自動車企業ビッグ・スリーの1つ。
ゼネラル・モーターズ(GM)、フォード・モーター、 クライスラー。


フランスの国営企業であったルノーがアメリカン・モータースの株式46.1%を取得して傘下に収めたのは1979年。
しかしながらアメリカン・モータースの軍用車両部門のフランス資本(AMCのオーナーがフランス政府ということになる)は国防上の理由から認められないというアメリカ政府からのクレームにより切り離される。
1985年1月、業績が悪化していたルノーの総裁にジョルジュ・ベスが就任。
ベスはジープを高く評価しており追加投資も考えていたというが、結局1987年8月にアメリカン・モータース(AMC)はクライスラーに売却され、9月には生産性向上方針(不採算企業の閉鎖や人員整理)を発表した。
そして1987年11月17日暗殺された。

クライスラーはAMCの乗用車ではなく、ジープに魅力を感じていた。クライスラーは自社での一からの開発をおこなってジープ同様の評価を得るには、10億米ドル以上のコストがかかると見積もっていた。

ルノーが1979年にAMCを買収した際にはおよそ10億ドルかけたらしいが、クライスラーへの売却は3.5億ドルほどだったという。

クライスラーは、AMCの販売網を組み込むことでアメリカ国内の販売力が拡充した上、ジープ・チェロキー(2代目・XJ)が予想外のヒットとなるなど、AMCが展開していた「ジープ」ブランドの各車は、その後クライスラーに大きな売り上げをもたらすことになる。
ジープはクライスラーの基幹ブランドの一つとなった。
ジョルジュ・ベスのジープへの評価は間違えてはいなかったということであるが、当時のルノーはそれが活かされるような経営状態ではなかったということか。それともルノーはどうしても軍事部門に関わりたかったのか。

一方でクライスラーは三菱と設立した「ダイアモンド・スター・モータース」の株式を1993年に三菱に売却した。
以降、同会社は三菱自動車の北米事業部門となっている。(現:ミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ)


ジープの行方

1998年、クライスラーはダイムラー・ベンツ(ドイツ)と合併しダイムラー・クライスラーとなる。
2007年、ダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却。
2009年、クライスラーが倒産処理手続き(チャプター11)、フィアット(イタリア)が資本参加。
2014年、クライスラーはフィアットの完全子会社となる。(⇒フィアットとクライスラーの合併)
持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)を設立。

フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)
登記上の本社はオランダ・アムステルダム、税務上の本社はイギリス・ロンドンに置かれている。フィアット創業家のイタリアのアニェッリ家がオーナーシップを取っており同家の投資会社であるエクソールを通じて株式ベースで29.41%、議決権ベースでは44.31%を所有しており、現会長のジョン・エルカーンも同家のメンバー。
イタリア社とアメリカ車を世界展開しているが、本社を置いているのはそのどちらの国でもない。

ということで今現在ジープの商標権を持っているのはFCA。
2017年に中華人民共和国の自動車メーカーである長城汽車がジープの買収に意欲を示したと報道されるも、長城汽車は「不確実」であるとして現時点の進展はないとした。



by yumimi61 | 2018-11-29 20:35