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分岐点

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隅田川 昭和38年ー隅田川上流に工場が進出。汚染水のたれ流しで魚の住めない「死の川」に。水上バスの客も悪臭に悩まされた。田沼武能



泥の河とお化け鯉


私はかつて『泥の河』について書いたことがある
あれは大阪の旧淀川が舞台となっている。
淀川は琵琶湖から大阪湾に注いでいる河川だが、大阪府の都島区毛馬で分流する。
分流より下流域で現在一般的に淀川と呼ばれるのは、明治期に大規模な開削工事が行われた人工の放水路(川からの洪水を防ぐため、河川の途中に新しい川を分岐して掘り、海などに放流する人工水路のこと)である。
分流して市街を巡る旧淀川は分流後に大川と呼ばれ、中之島より下流では安治川と名を変える。
大川は中之島で2つに分かれ、土佐堀川、堂島川という名で呼ばれ、その2つの川が再合流し、安治川となる。
『泥の河』の舞台は、2つの川が合流して安治川となった辺りである。

小説が発表されたのは1977年であるが、小説に描かれた時代は戦後10年目の1955年(昭和30年)である。
2人の少年は泥の堆積している泥の河・安治川に巨大な鯉「お化け鯉」を見たのだった。
違う環境に暮らす2人の少年、だけどそれは、全く違うと言い切ることには躊躇を感じる程度の違いかもしれない。
そんな2人がある日一緒にお化け鯉を見た。泥すくい(ゴカイ汲み)の老人が川に落ちて死んだ時だ。
小説の最後ではそのお化け鯉を見るのは1人の少年だけ。
もう1人の少年が乗っている舟の後をお化け鯉が付いて行っていることを必死に教えようとするが届かない。
映画化もされたが、映画のラストではお化け鯉に触れていない。ただ少年の名を呼ぶだけとなっている。


鯉のぼりは鯉を捨てたい象徴だった!

巨大な鯉と言えば「鯉のぼり」。
男子の健やかな成長を願って、5月5日子どもの日(端午の節句)前後に空に泳がせるものが「鯉のぼり」だと思っていることが多いと思う。
だけど現代の「鯉のぼり」と昔の「鯉のぼり」は少々違う。
まず時期が違う。
旧暦の5月は新暦ではだいたい6月くらいである。
5月5日は6月6日にしてもよいくらい。鯉を「六六魚」というくらいだし。

「鯉のぼり」
端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。

端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。

一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。
さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。


これは主に江戸を含む関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習であった。天保9年(1838年)の『東都歳時記』には「出世の魚といへる諺により」鯉を幟(のぼり)に飾り付けるのは「東都の風俗なりといへり」とある。

少子化や核家族化の影響、住環境の変化もあるのか、地方においても個人宅で「鯉のぼり」をあげるという習慣は平成の時代に結構急速に廃れたと思う。
さすがに山間部に行くとまだ個人宅でも「鯉のぼり」を見ることは出来て、私が端午の節句前後に実家に帰る時には鯉のぼりではなくて、家紋や子供の名前のようなものが記されている縦長の幟を上げている家も見かける。
江戸時代では鯉のぼりを上げたのは武家ではない。武家が上げたのは旗指物(小旗)や幟である。


明治期での廃りと復活

江戸時代において幕府が式日と定めていたのが「五節供」である。
旬の草木を供えたり食べたりすることで邪気を祓う行事を行う日として祝日としていた。
上に端午の節句は、武家では菖蒲と尚武にかけて男児の立身出世と武運長久を祈る行事となったとあるが、武家だからそうしただけのことで、端午の節句自体は武家特有の行事ということではない。
 ①人日(旧暦1月7日)
 ②上巳(旧暦3月3日)
 ③端午(旧暦5月5日)
 ④七夕(旧暦7月7日)
 ⑤重陽(旧暦9月9日)

明治5年(1872年)、旧暦から太陽暦(グレゴリオ暦)へ改暦することとなり、これに伴い、明治6年に「五節廃止令」が出され、以後全ての節句は廃止され、端午の際の幟も鯉のぼりも見られなくなっていったそうである。

明治27年(1894年)の「幼年雑誌」における端午の節句の説明
五月五日は端午の節句と称し今より二三十年前迄東京に於ては男児ある家にて各々我家の定紋附けたる幟及び鍾馗を画きたる幟、紙若くは巾きれにて造りたる鯉の幟を家の外に立て又家の内にも小幟、冑人形、青龍刀抔などを飾り祝ひたるものなり、現今に於ても鯉幟を立て又は座敷幟を飾る家ありといえども往時の如く盛にはあらず。

こうして一度はほぼ廃れた端午の節句や鯉のぼりが復活したきっかけは戦争だった。
日清戦争(1894~1895)で復活の兆しをみせだし、日露戦争(1904~1905)でますます盛り上がりを見せ、以後再び定着していくのである。
軍拡と富国強兵に伴い、男子に勇敢さを求める機運が高まったことによって、「鯉のぼり」は見事に復活を果たすのだった。


お化け鯉、復活した鯉のぼり、とは何か

輝かしい未来とか希望とか出世とか、世を戦い抜くのに十分な五体満足健康で強健な身体や勇敢な心、そうしたもの対する人々の強い念がある。
子を持つ親の願いだったり世間一般の願いだったりする。
それを否定することは出来ないから放っておけば巨大化していく。
お化け鯉は、巨大化した凄まじいまでのキラキラとした念の化身。
お化け鯉が貧しい老人を引きずり落とし呑み込んでしまう。彼らによって必要でないもの、見たくないものだから。

お化け鯉は子を持つ親の願いや世間一般の願いの化身なのに、同年代の子供にも身近な家族にも牙を剥くことがある。
それは、輝かしい未来とか希望とか出世とか、世を戦い抜くのに十分な五体満足健康で強健な身体や勇敢な心を勝ち取るのに邪魔になるものと考えるからだ。
見たくない現実であったり、同類として認めたくないものでもある。
小説のラストは、このお化け鯉に舟に乗った家族が追いかけられているのを、もう1人の少年が見る。


隅田川の汚染

トップの写真は隅田川。
写真を拡大してみるとアサヒビール社が写っていることが分かる。
ということは吾妻橋の所である。

こちらの記事に載せた『佃渡しで』という詩も隅田川が舞台になっている。

昭和時代に突入すると軍需景気の後押しを受けて都市が発展していき、隅田川上流でも化学工場などが新設されていった。
工場が出来れば人口も増える。
工場排水に生活排水、環境汚染は急速に進んでいった。
やがて戦争は負けて終わりになるが(1945年)、朝鮮戦争(1950年勃発で1953年休戦で終結しないまま現在に至る)が起こってくれたおかげで日本経済は朝鮮戦争の軍需によって戦前の水準にまで立ち直り、引き続き高度経済成長期(1955~1973年)に入っていく。

隅田川の汚染のピークは1962~1963年(昭和37~38年)だそうである。
この頃の汚染はとにかく酷く、魚の住めない死の川となり1962年には漁業権も消滅してしまった。
沿岸の家々はもちろんのこと、隅田川上の鉄橋を通る電車の窓すら開けてはいられないほどの悪臭がして、健康被害も生じた。
そんなに酷い状態の隅田川が改善していくきっかけとなったのは1964年の東京オリンピック。
開催都市として恥じない施設と環境を整備するということで投資され短期間に改善をみることになるが、オリンピックを終えた翌年には戦後初の赤字国債を発行することになる。


詩にしかしようがなかった

吉本隆明が『佃渡しで』を書いたのは佃大橋が架かる(1964年8月)直前頃だという。
1964年というのは東京オリンピックが開催された年であり、佃大橋もオリンピックによって造られた橋ということになる。
その前年は汚染のピークだった隅田川だが、1964年のオリンピックに合わせて隅田川も急速に変わりつつあった時期だったのであろう。
輝かしい未来とか希望とか出世とか、世を戦い抜くのに十分な五体満足健康で強健な身体や勇敢な心、そうした念を背景に近代的に美しく街が様変わりしていく。街全体が巨大化した凄まじいまでのキラキラとした念の化身となる。
その中にいる未来ある純粋な子供の目には隅田川が「水がきれいね 夏に行った海岸のように」と見えたのだ。

急速に改善したと言っても前年が汚染のピークなのでまだそこまでは綺麗なはずはなく、よく見れば汚れも見えたのであろう。
だけど娘にはそう見えなくてもそれは特別おかしなことではないと作者は分かっている。
むしろあんなに汚かった川で泳いだり蟹を採ったり、郷愁とも言うべき特別な想いを抱いている自分のほうが、この世から、この時代から、ずれつつあることを感じている。
だから声に出すことが出来ない。
オリンピックなんか開催しなくてよい、なんてこと言えなかったのだ。






by yumimi61 | 2019-05-13 20:41