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ヒバリ

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📷 前記事に載せた中学校の合唱コンクールの写真の元記事に、生徒と先生の何人かがスピッツの『空を飛べるはず』を歌ったというシーンがある。

吹奏楽部の発表準備中に突如乱入!?
歌うはスピッツ「空も飛べるはず」
君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる~♪


😭 実は次男の高校の卒業式の最後の最後に、卒業生が「歌を歌わせてください」と全員で歌った歌がある。それもスピッツの『空を飛べるはず』だった。

🐦 ヒバリ? スピッツの歌に『ヒバリのこころ』という歌もあったなぁと思って。

1991年3月25日にポリドールより発売。 都内のライブハウスで活動していたインディーズ時代からのレパートリーであり、現在でも一部のイベントを除き、ツアーでは必ず演奏されている。
メジャーデビュー前にも二度レコーディングされていたが、1stアルバムのレコーディングではリズムパターンやギターソロ、歌詞などが変更され、1stアルバム『スピッツ』と同時発売という形でシングルカットされた。
PVは竹内鉄郎が監督。映像中の風景は茨城県の田舎でバスを走らせながら撮影された。なお、このPV制作のために、竹内は大学の卒業単位を落としたというエピソードがある。
NHK「長野冬季五輪」CMソング(1998年)


🎤 ヒバリと言えば、ミソラですね。(それはやめなさい?)

1984年12月31日、第35回紅白歌合戦の放送終了間際に起きたハプニング。「ミソラ発言」と騒がれ、アナウンサー人生が大きく変わった生方さん。あのときなぜ間違えたのか――。四半世紀たったいまも、自分に問いかけている。
 「放送の仕事は消しゴムが効かない怖さがある」
 練馬区西大泉の自宅で生方さんはそう語った。現在の肩書はフリーアナウンサーだ。

 ハプニングは、84年の紅白を締めくくろうというクライマックスで起きた。「引退宣言」をした都はるみさんのラストステージ。アンコールが終わり、どよめきと拍手が鳴りやまぬ中、「もっともっとたくさんの拍手を、ミソラ……」とやってしまった。
 生方さんによると、台本には「はるみさん」と書き込んであったという。
 「でも、ロウソクの炎が燃え尽きたように崩れ落ちていくはるみちゃんの姿を見たとき、美空ひばりに並んだな、ここはきちんとフルネームでなければいけないな、ととっさに思ったんです。その結果が『ミソラ』でした」
 視聴率は過去10年間で最高の78.1%。が、正月のテレビは「世紀のトチリ」に明け暮れ、笑いのネタにされた。

生方さんによると、84年の紅白の台本は188ページ。「感動」を演出しようと、都はるみさんがアンコール曲を歌う場面の178ページは空白だった。アンコール曲を歌うことを都さんは最初了解していなかったという。
 12月31日の当日。白組が終わり、紅組のラスト、都さんが「夫婦坂」を熱唱する。会場から「アンコール」の声がわき起こる中、舞台に躍り出た白組司会の鈴木健二さんが「私に1分間、時間を下さい。いま交渉してみます」と絶叫。泣き崩れそうになる都さんを支え、「1曲歌う気力がありますか。お願いします。お願いします」と説得した。
 都さんが同意する直前、アンコール曲「好きになった人」のイントロが流れた。異様な盛り上がりの中、都さんは2番だけをやっとのことで歌い終えた。「ミソラ」発言が飛び出したのはその直後だった。

「ミソラ発言」いま語ろう 元NHKアナ生方恵一さん 2009年11月16日 朝日新聞DIGITALより

🙏 生方恵一アナウンサーは群馬県前橋市出身でした。2014年12月にお亡くなりになられました。

⚓ 埠頭を渡る風を見たのは~♪
松任谷由実さんの『埠頭を渡る風』の埠頭は、晴海埠頭らしいです。
(はるみで晴海を思い出したのは確かですが、他意や悪意は全くございませんのでお許しください)

👣‍ 先日「努力」の話で私たちが中高校生の頃は卒業時にサイン帳に何か書いてもらうのが流行っていたと書いた。
サイン帳のことは前にも記事にしたことがあり、これも以前に載せたような気がするが、字は水前寺清子さんの『365歩のマーチ』の歌詞が書いてある。
人生はワンツーパンチ~ 汗かきべそかき歩こうよ~ あなたの付けた足跡にゃ~ きれいな花が咲くでしょう♫
これを書いてくれたのが、うぶかっちゃん。名字が生方(うぶかた)、普段は下の名前で呼んでいたけれど、時々ふざけて’うぶかっちゃん’と呼んでいた。

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🎶 これも前に書いたかな。高校の時の校内合唱コンクールで優勝したことがある。
その時に、朝練や昼連や夕連などでクラスを引っ張っていたのは先生ではなくて声楽部の女の子だった(女子高だから女の子は当然なんだけど)。
それで歓喜の優勝をはたし、大会の歌唱(自分達のクラスの歌唱だけ)をクラス全員にダビングして渡したんだけど、学校の視聴覚室で行ったダビングに私も携わった。で、カセットテープのケースに入れる紙に絵を描いたのが確か、絵の上手なうぶかっちゃんだったと思う。

™ 小保方騒動の時に書いたような気がするが、小保方や生方という名字は群馬県に多い。
オボカタ【小保方】
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名字由来net
・現群馬県である上野国佐位郡小保方が起源(ルーツ)である。近年、群馬県に多く、特に佐波郡に多数みられる。(市町村合併などがあり変わっているので旧佐波郡のことだと思う)
日本姓氏語源辞典
・群馬県伊勢崎市、群馬県太田市。群馬県伊勢崎市東小保方町・西小保方町発祥。戦国時代に「小浦方」の表記で記録のある地名。姓は戦国時代に「小甫方」とも表記した。小甫方は現存するか不明。

ウブカタ 【生方】
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名字由来net
・宇夫方と同じ出自ともいわれる。中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流、南部家の士族に見える。
日本姓氏語源辞典
・群馬県。小保方の異形。群馬県渋川市上白井に江戸時代にあった。群馬県桐生市黒保根町下田沢の小字の清水では栗生姓の「生」と地名の小保方の「方」から南北朝時代に称したと伝える。小保方(オボカタ)参照。栗生(クリウ)参照。

📚 そういえば、小保方騒動(iPS細胞STAP細胞騒動)真っ只中の時に、たまたま『5時に夢中』に夢中」を見たことがある。
今何やら話題になっているらしいけれど、『5時に夢中』はTOKYO MXの生放送番組。TOKYO MXは東京都全域、その他には神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県の一部が受信可能で、エリア内の約1500万世帯が対象となっている。
群馬県は基本圏外だけど、『5時に夢中』は群馬県のローカル局群馬テレビが放送しているので、リアルタイムで見ることが出来る。番組は2005年4月に番組は始まったらしいけれど、2009年4月にどこよりも早く群馬テレビがネット局になった。
もっとも動画サイトに上がれば、いつでもどこでも見られるわけだけど。(普段著作権どうこうと煩い人達が、自分達に都合が良ければ?平気で動画をアップしたりもしますね・・)
私がこの番組を知ったのは、部活を引退して夕方早くに帰宅するようになった次男が暇つぶしに(勉強しなさいっ!)テレビをサーフィンしていて、見ていたことからだから2012年だったと思う。その時は群馬テレビではまだ番組途中からの始まりだった。このことも以前書いたはずである。次男が見ていたのは僅かな期間だった。

🗽 言論の自由が売りな番組だそうで、確かに他のテレビ局や番組では見られない自由な感じを当初は受けた。今は全体的にテレビの垣根というか壁というか線がなくなっていて、NHKだからとかMXだからとか飛び抜けた特徴が無くなっている気がする。どこも横並びなことが多く、コンプラと言って厳しく制約される面がある一方で、お堅いはずのニュースなどにも誰もが出演できてわりと好きなことを言えるような雰囲気があるように思えて、ある意味とてもくだけていて自由な感じを受ける。

🏩『5時に夢中』は子供が見るような夕方の時間帯でもありながら、性の話、それも大人が聞いてもかなりえぐい話がしょっちゅうされている。
しかも話だけに留まらず、新聞などの三面記事を紹介する場面では、風俗関連の裸の写真などが平気で映し出されたりもする。
決定的に私が見なくなったのは、男性同士の性交渉をわざわざご丁寧に絵に描いて見せていた時から。

📑 小保方騒動(iPS細胞騒動)の時には『5時に夢中』の出演者はみな小保方絶賛擁護派だった。
その騒動時期の出演者の発言で驚いたのが、今話題になっているマツコさん。
「私は時々ネイチャー(小保方女史の論文が掲載された雑誌)を読んでいるんだけど、」という発言。
マジか・・
英語版のNature誌?それとも日本語版のNatureダイジェスト?
ともかく人は見かけによらないんだなぁ・・という驚きでした。

📹 NHKなんちゃら党の方は、打倒NHK!ということならば、当時NHKに追い回されて怪我まで負ったらしい小保方女子さんを擁立するのはいかがでしょうか。(それはいい!と本気に受け止められそうでちょっと怖いけど、笑)

💹 NHKなんちゃら党の代表の方は、NHKの不正経理を告発してNHKを辞めたらしい。
どんな不正を告発したのかはちょっと良く分からないが、私がNHKの決算報告書を見ても確かに不可解な点があった。私はそれを記事にしたことがある。
それを言ったら財務省もおかしかったんだけどね。財務省でおかしなバランスシートを作った元財務官僚は当時大阪市長だった橋した徹氏(維新の会)の特別顧問でもあったのだ。そして散々騒がれた岡山理大の獣医学部新設(国家戦略特区)にも関わりがあった。
バランスシートなど経理関係の過去記事は、「昭和 質拾」 「昭和 陸拾玖」「昭和 陸拾捌 」などに。


🎫 サイン帳にいたもう一人の生方さん。
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🎹 りょうこお姉さんも沼女だったんだよ。(セーフ!?)

🔎🔍 一つだけの視点は危険・・・ということは複眼ですか!
トンボのメガネは水色メガネ~ 青いお空を飛んだから~ と~んだか~ら~~♪

🎡 トンボと言えば、赤トンボ研究の殺人事件、ではありません。
またしても生方さんです。
生方秀紀(うぶかた ひでのり、1948年生まれ)
日本の生態学者。理学博士(北海道大学)。北海道教育大学名誉教授。専門は昆虫生態学・自然環境教育。群馬県生まれ。
群馬県立沼田高等学校を経て、北海道大学理学部生物学科動物学専攻を卒業。1975年、同大学大学院理学研究科博士課程を単位修得退学。1979年12月、「カラカネトンボの個体群動態、行動およびテリトリー制に関する研究」で理学博士(北海道大学)。
日本学術振興会奨励研究員を経て、北海道教育大学教授および同大学釧路校初代ESD推進センター長を務めた。2013年の定年退官後も2015年より大正大学、2016年より日本大学の非常勤講師を並行して務めていた。


大学外においても、1993年International Symposium on the Conservation of Dragonflies and Their Habitatsコーディネーター、1993-97年Societas Internationalis Odonatologica(国際トンボ学会)理事、1999年国際協力事業団(JICA)理科教育短期派遣専門家(エジプト)、1999-2009年Worldwide Dragonfly Association(世界トンボ協会)理事、2005-07年Worldwide Dragonfly Association会長、2017-19年Worldwide Dragonfly Association日本代表、2011 -2015年日本環境教育学会理事などを歴任した。現在も、日本生態学会、日本環境教育学会、Worldwide Dragonfly Association、日本トンボ学会(編集委員)の各会員。
トンボ自然史研究所ホームページ

🗾 タイトルがヒバリなので、トンボから再びヒバリへ。
日本の以下の都道府県でレッドリストの指定を受けている。
 ●絶滅危惧II類 - 東京都区部、北多摩、南多摩(西多摩は準絶滅危惧)
 ●準絶滅危惧 - 福島県、山口県
 ●一般保護生物(D) - 千葉県(環境省の準絶滅危惧相当)
 ●その他 - 神奈川県(繁殖期・減少種)


👀 日本野鳥の会 ひばりは どこに? ~見かけなくなった、春の風物詩~
のどかな田園で陽気なさえずりを響かせ、空高く舞い上がっていくヒバリ――。
かつては春の風物詩として、だれもが知っている身近な野鳥でした。
しかし近年、都市部などではその姿を見かけなくなりました。
丈の低い草地を好むヒバリは、開けた原っぱや麦畑などに生息していますが、土地の開発や農業の衰退などによって草地環境が消失・荒廃し、近年ではヒバリやセッカ、ウズラといった草地性の野鳥も減少しているのです。

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20~30年前の1990年代でも、ヒバリはすでに東京では暮らしにくかったようだけど、今はどんなになったのかなぁ。少しは復活したのかな。

🚇 参考に東京地図も貼っておきますね。上の図と見比べると、ひばりが丘辺りも微妙な感じでしょうか。
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✈ 🌏 もっともひばりが丘という地名は、1959年に造成された「ひばりが丘団地」という日本住宅公団(現:都市再生機構)最大の公団住宅から名付けられたものだそう。地名より団地名が先ということ。
しかもその公団住宅地は中島飛行機の関連会社(中島飛行機田無鋳鍛工場→中島航空金属田無製造所)の跡地であった。
太平洋戦争が始まる4年前の1937年12月に戦闘機のエンジンを製造するために武蔵野に作られたのが中島飛行機武蔵製作所(陸軍の命を受けた軍需工場)であった。1941年にはその西隣に中島飛行機多摩製作所(海軍の命を受けた軍需工場)が作られ、1943年には両工場は合併し巨大な工場となった。戦時中にはこの製作所と田無製造所が線路で繋がれたという。
1944年7月、アメリカ軍はサイパン島を占領し、そこに大型爆撃機B29の基地を築いて、11月よりそこから日本本土への空襲を開始した。最初の爆撃目標となったのが中島飛行機武蔵製作所だった。同工場は度重なる空襲を受けて死者も出している。

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🌋 武蔵野台地は火山灰起源の関東ローム層(いわゆる赤土)で、腐葉土の土壌の蓄積がないために、植物の生育に必要な栄養分をあまり含まず、基本的には水はけが良い(乾きやすい)。水持ちが悪いうえ、台地であるがゆえに農業用水の確保が比較的難しい。だから農業に適した土地とは言えない。特に稲作には向かない。水はけの良い土壌の特徴を活かして畑作地や果樹園として利用されていることが多い。

🏭 農地としては利用価値が低く、都心部でもなく地価も安かった。平坦であるため造成費も安くあがる。よって工場や住宅地の開発は進めやすかった。
平坦な土地が広く得られることから、飛行場や飛行機製造のための大工場、軍の演習所として利用された。
武蔵野台地には軍需工場が続々と造られた時期があった。それに伴い、人口は増加し、町は発展していった。
軍需工場があったがゆえに戦時中には空襲のターゲットになり被害を出した一方で、町が発展する契機になったことも確かである。
戦争は嫌だということが多いが、戦争は雇用を生み、景気を大きく刺激し潤すことも一方の事実としてある。そして戦後には戦時中の発展を活かしながら跡地を利用して平和な町をもたらすのだ。
それを含めて迷いなく”NO WAR”と言えるのか。発展を享受しているだけの”NO WAR”にはやっぱり他人事感は禁じえない。その意味ではかつて流行したヒッピーのほうが覚悟があったと言えるが、何でも商業的になると本来の目的が薄れていくし、覚悟はどこかで行き詰まり妥協に向かうことが多い。

🌇 軍需工場の跡地に建てられた大規模公団住宅「ひばりが丘団地」。
戦闘機のエンジン製造という太平洋戦争の象徴は、戦後には高度経済成長の中で平和の象徴に掌を返した。
1960年、「ひばりが丘団地」には当時の皇太子・皇太子妃(現在の上皇・上皇后)が視察に訪れたという。
1960年(昭和35年)の皇太子・皇太子妃(現在の上皇・上皇后)の視察をはじめとして多数の要人が視察に訪れ、その様子は当時のニュースで配信された。
現在は住棟の老朽化が進んだために、「ひばりが丘パークヒルズ」へと建て替えが行われている。また、建て替え地区内の一部の古い住棟は様々な実験に用いられており、2008年(平成20年)には1列に4階立ちの住棟を3階建てに減築する実験が行われた。
当時4棟あったスターハウスのうち53号棟が改修・保存されており、その1階部分が「ひばりが丘パークヒルズ管理サービス事務所」として利用されている。53号棟前には上述の皇太子・皇太子妃が視察した部屋(74号棟208号室)のベランダ部分が、切り取られて保存されている。


🌾 うちの近くの田畑が広がる所ではヒバリが春先によく鳴いていて、私は犬の散歩に行った時に鳴き声を聞くことが多い。
姿が見えないくらい高い空でホバリングをしたり辺りを飛びながらが、長いこと高い声を響かせている。





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by yumimi61 | 2019-08-18 10:52