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コンセッション

かつて読売新聞に批判された立正佼成会が、朝日新聞主催のコンクールの聖地へ

「吹奏楽の甲子園」「吹奏楽の聖地」とも言われていた立正佼成会の普門館というホール。
1977~2011年まで全日本吹奏楽コンクールの中学・高校部門の会場となっていたが、完成したのは1970年のこと。
普門館のある地域は都市計画法における第1種中高層住居専用地域であり、建物などの建設に厳しい規制がかかる。
そのためホールのような建物や大規模駐車場などは建設許可が下りない。それ故に建て直しは断念したということだが、1970年完成の時点でもぎりぎりな建設だったと思われる。
ある意味、普門館は曰くつきな建物なのだ。
さらに立正佼成会の本部の土地取得も曰くつきなのである。

立正佼成会
日蓮系・法華系の新宗教である。文化庁『宗教年鑑 平成30年版』における信者数は、2,609,979人。
1938年(昭和13年)3月5日創立。
 
創立は大戦前夜で日中戦争の最中という時代である。
霊友会の有力な信者であった庭野鹿蔵(庭野日敬に改名)(男性)、庭野の勧誘で共に霊友会を信仰していた長沼政(長沼妙佼に改名)(女性)、他数十名が、霊友会を離脱して創立した。

「揺るぎない信仰心」が培われた時代とされ、庭野日敬開祖会長(当時)と長沼妙佼脇祖(当時・副会長)の姓名判断・霊能指導によって、「貧病争」の苦しみから救い、仏道精進に導くというスタンスで布教活動を行っていた。当時、第二次世界大戦の影響で多くの人々が苦しい生活を強いられていたため、それらの人々を救うためには、方便が必要であったという。
一方で、戦後急激に拡大した教勢がマスコミの注目を集め、1956年、読売新聞が本部用地の取得にあたる不正疑惑を報道した。庭野開祖会長が国会に召喚され、事態を説明するに至っている



男と女の微妙な関係!?

政治と宗教団体の微妙な関係

1948(昭和23)年には信徒数18,000世帯となり、短期間に急速に教勢が伸びました。その後も勢いは衰えず、信徒たちの努力により学校・病院を次々と建設するに至っています。
しかし、あまりに急速に発展したためにマスコミの餌食となり、1956(昭和31)年には読売新聞にて立正佼成会批判キャンペーンが行われることになりました(読売事件)。本部用地(大聖堂)取得に関して不正があったとされた事件です。
読売の記事は女性教祖の前歴を水商売と書きたてるなどセンセーションなもので、社会党の猪俣浩三衆院議員も国会で攻撃に立ち、4月30日には庭野鹿蔵(日敬)が衆院法務委に参考人招致されています。国会答弁に立ち誤解を解くことに努めましたが、反論の場が教団雑誌でしか与えられなかった佼成会の受けた打撃は大きいものがありました。
さらに9月には入会強要と脱会妨害が人権蹂躙に当たると、日弁連の後押しによる文部省の警告が出されたりしました。
こうしたダメージから信徒数は33万世帯から30万世帯へと後退、一時期の勢いは衰えてしまいます。
またこの事件の対処法などを巡って教団内に庭野批判が起こり、ついには「庭野を追放して長沼を教祖にしよう」というクーデターも計画されましたが、翌年に長沼妙佼が病気で死去したため、この騒ぎも沈静化していきました。


女性教祖
というのは、長沼政(長沼妙佼に改名)という人のことである。
天理教の信者→霊友会の信者→立正佼成会の副会長
長沼妙佼(1889年12月25日 - 1957年9月10日)
埼玉県北埼玉郡志多見村(現・加須市)出身。16歳の時に姉の養女となり、天理教に入信。
25歳で結婚後、夫の身持ちの悪さから11年後に離婚。
その後、41歳で再婚。夏は氷屋、冬は焼き芋屋の「埼玉屋」という店のおかみさんをしていた。40代後半、心臓弁膜症、喘息、胃下垂、子宮内膜炎が悪化し、寝込むことが多くなった。
これを聞いた庭野日敬は、霊友会に入ることを勧め、これに納得し、入会した。
1938年、霊友会会長小谷喜美との対立から霊友会を脱会し、庭野や村山日襄らと大日本立正交成会(後の立正佼成会)を設立。1943年に副会長に就任。



かつて立正佼成会を批判した読売新聞系列の日本テレビが、今度はライバル朝日新聞社主催のコンクールをPR

(全日本吹奏楽コンクールは)各種TV番組などで度々紹介される。特に最近では、2004年から2005年、また2010年に日本テレビ系列のバラエティ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』で特集が組まれた。この番組で「普門館すなわち吹奏楽の甲子園」というコンクール経験者間の認識が一般にも紹介された。


(『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』という番組は)ほとんどのコーナーでは取材対象はテーマ毎に所ジョージがあらゆる方法(ダーツなど)で無作為抽選し、そこで選ばれた地域等へスタッフが取材する。『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)、『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京系)、『ブラタモリ』(NHK総合)などに代表される、いわゆる「素人いじり番組」の元祖的番組ともいえるが、(突っ込みの)コメントやテロップなどで積極的に素人をいじろうとするのではなく、「普通の人同士(の会話)のスタンス」を守っているという。

『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』 日本列島 吹奏楽の旅
「日本列島 部活動の旅」の初期に吹奏楽部を取り上げたところ、所ジョージの提案でコーナーの趣旨が変更されてスタート。中学校・高校の吹奏楽部に密着し奮闘ぶりを紹介する。初回は大きな五線譜に並べられた2つに割ると中に都道府県が書かれている作り物の音符を所が無作為に選ぶ抽選が行われたがすぐに廃止され、スタッフが予め調査してから特定校を長期取材する形式になった。一時は「ダーツの旅」に代わる番組のメインコーナーとして扱われるほどの人気を博した。
2004年11月3日放送分のスペシャル回は本企画が中心に据えられ、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれる普門館(当時の全日本吹奏楽コンクール本戦会場)を目指す青森山田高校、習志野高校、淀川工業高校(現・淀川工科高校)の3校に密着取材した模様が放送された。本コーナーにより吹奏楽文化の知名度が高まり、結果的に全日本吹奏楽コンクール本選への入場希望者数が増える、吹奏楽人口が増えるなどの効果があった。2005年にレギュラーコーナーとしては終了したが、2010年の全日本吹奏楽コンクール直後の時期に「日本列島 吹奏楽の旅2010」として復活(市立船橋高校を取材)し、その後は2013年まで毎年放送された

2004年11月3日放送に放送された「笑ってコラえて! 文化祭 吹奏楽の旅 完結編 一音入魂スペシャル」が、バラエティ番組として初となる「第42回ギャラクシー賞テレビ部門大賞」を受賞している。
2010年11月3日放送の『吹奏楽の旅スペシャル2010』では番組初の生放送を行った。


私が初めてこの番組を観たのは、2010年11月3日の吹奏楽の旅だった。(正確に言えば、後にも先にもこの時しか観たことがない)
それも偶然だったので、後半か最後のほうだけを観た。
そして翌日のブログ記事『歩調』にこのように書いている。

「泣いて上手くなれるならもっと泣け」

小学生の時だったか中学生の時だったか覚えていないのですが、読んだ本に書いてあった言葉。
もしかしたらこれが本のタイトルだったかも。

県内のある高校の吹奏楽部の顧問の先生が書かれた本で、全国大会を目指して日々練習に取り組んでいる部活動の様子を綴ったものでした。
もともとは母が買って読んでいたもので、私は家にあったので何気なく手にして一気に読みました。

やっぱり出会えたことは奇跡ですね。


「泣いて上手くなれるならもっと泣け」が書いてあった本というのは、今回取り上げてきた『涙はロンド』のこと。2010年の時には本が実家にあって私の手元にはなかったのですが、その後しばらくしてから実家から探して持ってきたのです。


創価学会に水をあけられる

立正佼成会が向かう「緩慢な死」、再興は次世代カリスマの双肩に
週刊ダイヤモンド編集部  2018.10.11


「今までのやり方が、全く通用しない時代になってしまった」──。

 新宗教教団において、創価学会(827万世帯)と幸福の科学(1100万人)に次ぐ公称信者数を誇る立正佼成会。この巨大教団の行く末を古参信者はそう嘆く。

 立正佼成会は、パーフェクトリバティー(PL)教団や崇教真光(すうきょうまひかり)など35の宗教法人が加盟する新日本宗教団体連合会(新宗連)の中心的存在で、反・創価学会の旗手である。今年は創立80周年の節目でもある。影響力や歴史を加味すれば、新宗教界で創価学会に次ぐナンバー2の立ち位置にあるといってよい。

立正佼成会は若者に吹奏楽の聖地を提供してきたのに、皮肉なことに、立正佼成会の信者の高齢化は進み、信者数も減少の一途なのだとか。

信者数の減少は当然、教団の収入にも直結する。

 立正佼成会の月会費は、わずか100円。この額は他教団が時代とともに会費を値上げする中、格安とされている。しかも、機関紙の購読が漏れなく付いてくる。つまり、会費だけでは赤字なのだ。もちろん、会費以外にも寄付金である「喜捨金」などの収入はある。だが、会員が支払っている金額は、1人当たり年間数万円ほどとみられている。

 お布施や会費など「祈祷料収入」の減少を穴埋めする収益事業も、創価学会の足元に及ばない。

 例えば、出版事業では「聖教新聞」の購読料を大きな収入源とする創価学会に対し、立正佼成会は前述の通り実質無料。また、創価学会のように墓苑ビジネスを大規模展開しておらず、霊園を都内に一つ所有するのみだ。葬儀や墓は信者の菩提寺を基本とするからだ。

 もちろん、巨大教団だけあって病院や学校など、揺り籠から墓場まで一通りそろえてはいる。その一方で、世俗的な収入事業は、立花産業という信者向けの団体保険販売事業を主力とする1社にほぼ集約。その立花産業も信者数の激減で苦しさを増しているというのが、関係者の一致した見方だ。

もちろん下図のように、その資産額は、不動産だけでも2190億円(本誌推計)と莫大な額に上る。だが、それはあくまで教勢が右肩上がりだった過去の遺産だ。教団の苦しさは“吹奏楽の甲子園”といわれた「普門館」の、今冬から始まる解体に象徴される。


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宗教団体の不動産

下の写真は、時々通る道沿いにある「立正佼成会 前橋教会の渋川道場」という建物である。普門館のことを書いていたので写真を撮らせていただきました。
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この近くには創価学会の建物もある。

しかし改めて考えると宗教団体って凄いですよね。
都内に広大な土地と建物を所有していたり、それだけでなく全国各地にそれなりの土地建物を所有している。
個人で全国にそれだけの不動産を所有するなんてまず無理だし、企業だとしても余程の大企業でなければ難しい。
宗教団体ってやっぱり相当に寄付があるのかしら。
ある所には腐るほどお金があるのか、それとも塵も積もれば山となる方式で集めるのか、いろいろ優遇されるのか、よく分からないけれど、フツーに考えれば凄いことだと思います。

だからと言って、コンクール会場として部外者が借りたホール近辺で、しかも騒がないようにと予め厳しく言われていたにも関わらず、そんなのお構いなしに騒いでよいわけがない。


立正佼成会 VS 創価学会

創価学会の創立は1930年(昭和5年)で、1938年(昭和13年)創立の立正佼成会よりも8年ほど早いが、長いスパンで見れば、ほぼ同じ頃に創立されたと言ってもよいのではなかろうか。
ということで、信者獲得合戦のような対立は最初期からあったのであろう。となれば、対立の歴史は戦後の歴史よりも長いということになる。

かつて創価学会と立正佼成会の信者獲得活動に対して、様々な行過ぎや人権侵害等、公共の福祉に反するという訴えが各方面より度々なされた。
(創価学会の折伏大行進による数多のトラブルや人権蹂躙、佼成会による霊能指導は、多くの問題を生むこととなった)
昭和20年代後半から40年代初頭に掛けて創価学会と立正佼成会間での非難合戦は熾烈を極めた。
こうした動向が国会でも取り上げられる問題となり、衆議院の法務委員会の調査結果に基き、1956年3月6日、不当な宗教活動に対して警告を発する「不正なる宗教活動に対する決議」が満場一致でなされた。


立正佼成会と創価学会、両方に行き過ぎがあったようだが、国会(法務委員会)が調査し、通告文を出したのは立正佼成会の方だけだったようだ。

「不正なる宗教活動に対する決議」
 戦後の混乱と人心不安の裡に族生したいわゆる新興宗教団体の中には、世道人心に極めて憂慮すべき影響を及ぼしているものがある。もとより信仰の自由は憲法の保障するところであるが、布教その他の方法において不当に人心を強制し、或は基本的人権を侵害するが如きことは許されない。
 本委員会が右の趣旨により立正交成会に関する人権侵害問題を調査したところによっても種々の行過ぎがあり、加入、脱退、金品受授、治療等につき欺罔、強制、圧迫、迷信等により、公共の福祉に反すると思われるものがある。
 政府は、この際、立正交成会は勿論、いわゆる新興宗教その他宗教団体の不正不法な宗教活動の横行している現状に鑑み、人権擁護の立場から速かに
 (一)布教活動にして、人権の侵害行為又は犯罪を構成するものについては、その摘発につとむべきである。
  (二)宗教法人法第八十一条の解散権を発動すべき事由ありや否やにつき、徹底的に調査すべきである。
 (三)宗教法人法中「認証事項」「役員の欠格条項」「書類の閲覧権、提出権」第八十一条解散権発動の前提たる「調査権の整備」「罰則強化」等につき、検討すべきである。
 (四)公益代表者にして、宗教法人の解散請求権をもつ検察庁は、宗教法人調査につき適宜の措置を講ずべきである。
  右決議する。


 この決議に基づきまして、文部省調査局長福田繁名義をもちまして、昭和三十一年六月二十一日各都道府県知事あてに「不正な宗教活動について」の通知を行いました。そして、趣旨とするところは、「今後、宗教団体の布教その他の活動において、人権の尊重、公共の福祉などの上から見て、行き過ぎや不正の疑をもつて一般の誤解を招くことのないよう特に御配慮をお願い」をする等の趣旨の通達を行い、また、法務委員長高橋禎一から文部大臣清瀬一郎あてにこの決議について通告を行った次第でございます。そして、その中でこの四項目を具体的に指摘をして、適当な措置を講ずるよう要請をいたしたところであります。

 なお、同じく三十一年九月二十一日、文部省調査局長福田繁から、宗教法人立正佼成会代表役員長沼総一あてに、「立正交成会の宗教活動について」の文書が発送をされました。そして「貴教団においても、布教活動の行き過ぎ、欠陥について反省すべき点のあることは認めているところであります。信仰は個人の自主的行為であるにもかかわらず、入会の強要、脱会の阻止等の行為により信教の自由を拘束し、あるいは宗教的暗示によつて徒らに恐怖、心を与える等、人権じゆうりんにわたる疑いのある事件が指摘されたことは、まことに遺憾とするところであります。貴教団においては、これらの事件の起つた原因につき篤と考察し、公共の福祉に反することのないよう重ねて通告します。」こういう文書が出されたわけであります。


前述のように、1956年3月6日に「不正なる宗教活動に対する決議」が行われ、その後に通告文まで出したわけだが、読売新聞が立正佼成会批判キャンペーンに打って出たのも同じ1956年のことである。
用地取得不正疑惑報道は1956年1月であり、これが以降の国会を巻きこんだ批判キャンペーンの大きなきっかけとなったのだが、叩ける時に叩いておこうという感じだろうか。
ということは、おそらく、読売新聞は創価学会寄りだったんだろうと思う。


(続く)






by yumimi61 | 2019-08-29 15:09