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混成

太宰治『パンドラの匣』より
こないだ、僕は、「死はよいものだ」などという、ちょっと誤解を招き易やすいようなあぶない言葉を書き送ったが、それに対して君は、いちぶも思い違いするところなく、正確に僕の感じを受取ってくれた様子で、実にうれしく思った。

やっぱり、時代、という事を考えずには居られない。あの、死に対する平静の気持は、一時代まえの人たちには、どうしても理解できないのではあるまいか。

「いまの青年は誰(だれ)でも死と隣り合せの生活をして来ました。敢(あ)えて、結核患者に限りませぬ。もう僕たちの命は、或(あ)るお方にささげてしまっていたのです。僕たちのものではありませぬ。それゆえ、僕たちは、その所謂天意の船に、何の躊躇(ちゅうちょ)も無く気軽に身をゆだねる事が出来るのです。これは新しい世紀の新しい勇気の形式です。船は、板一まい下は地獄と昔からきまっていますが、しかし、僕たちには不思議にそれが気にならない。」
という君のお手紙の言葉には、かえってこっちが一本やられた形です。君からいただいた最初のお手紙に対して、「古い」なんて乱暴な感想を吐いた事に就いては、まじめにおわびを申し上げなければならぬ。

 僕たちは決して、命を粗末にしているわけではない。



僕たちのこんな感想を、幼い強がりとか、或いは絶望の果のヤケクソとしか理解できない古い時代の人たちは、気の毒なものだ。古い時代と、新しい時代と、その二つの時代の感情を共に明瞭(めいりょう)に理解する事のできる人は、まれなのではあるまいか。
僕たちは命を、羽のように軽いものだと思っている。けれどもそれは命を粗末にしているという意味ではなくて、僕たちは命を羽のように軽いものとして愛しているという事だ。そうしてその羽毛は、なかなか遠くへ素早く飛ぶ。
本当に、いま、愛国思想がどうの、戦争の責任がどうのこうのと、おとなたちが、きまりきったような議論をやたらに大声挙げて続けているうちに、僕たちは、その人たちを置き去りにして、さっさと尊いお方の直接のお言葉のままに出帆する。新しい日本の特徴は、そんなところにあるような気さえする。
 鳴沢イト子の死から、とんでもない「理論」が発展したが、僕はどうもこんな「理論」は得手じゃない。新しい男は、やっぱり黙って新造の船に身をゆだねて、そうして不思議に明るい船中の生活でも報告しているほうが、気が楽だ。



 嵐のせいであろうか、或いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子の蝋燭の火を中心にして集り、久し振りで打解けた話を交した。

「自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何いかなる理由からか、ひどく声をひそめて尋ねる。

「フランスでは、」と固パンは英語のほうでこりたからであろうか、こんどはフランスの方面の知識を披露する。「リベルタンってやつがあって、これがまあ自由思想を謳歌おうかしてずいぶんあばれ廻ったものです。十七世紀と言いますから、いまから三百年ほど前の事ですがね。」と、眉まゆをはね上げてもったいぶる。「こいつらは主として宗教の自由を叫んで、あばれていたらしいです。」

「なんだ、あばれんぼうか。」とかっぽれは案外だというような顔で言う。

「ええ、まあ、そんなものです。たいていは、無頼漢ぶらいかんみたいな生活をしていたのです。芝居なんかで有名な、あの、鼻の大きいシラノ、ね、あの人なんかも当時のリベルタンのひとりだと言えるでしょう。時の権力に反抗して、弱きを助ける。当時のフランスの詩人なんてのも、たいていもうそんなものだったのでしょう。日本の江戸時代の男伊達(おとこだて)とかいうものに、ちょっと似ているところがあったようです。」

「なんて事だい、」とかっぽれは噴き出して、「それじゃあ、幡随院ばんずいいんの長兵衛ちょうべえなんかも自由主義者だったわけですかねえ。」

 しかし、固パンはにこりともせず、
「そりゃ、そう言ってもかまわないと思います。もっとも、いまの自由主義者というのは、タイプが少し違っているようですが、フランスの十七世紀の頃のリベルタンってやつは、まあたいていそんなものだったのです。花川戸(はなかわど)の助六(すけろく)も鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)も、或いはそうだったのかも知れませんね。」

「へええ、そんなわけの事になりますかねえ。」とかっぽれは、大喜びである。

 越後獅子も、スリッパの破れを縫いながら、にやりと笑う。

「いったいこの自由思想というのは、」と固パンはいよいよまじめに、「その本来の姿は、反抗精神です。破壊思想といっていいかも知れない。圧制や束縛が取りのぞかれたところにはじめて芽生える思想ではなくて、圧制や束縛のリアクションとしてそれらと同時に発生し闘争すべき性質の思想です。よく挙げられる例ですけれども、鳩(はと)が或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない、どうか空気というものを無くして欲しい』神様はその願いを聞き容いれてやった。然しかるに鳩は、いくらはばたいても飛び上る事が出来なかった。つまりこの鳩が自由思想です。空気の抵抗があってはじめて鳩が飛び上る事が出来るのです。闘争の対象の無い自由思想は、まるでそれこそ真空管の中ではばたいている鳩のようなもので、全く飛翔(ひしょう)が出来ません。」

「似たような名前の男がいるじゃないか。」と越後獅子はスリッパを縫う手を休めて言った。

「あ、」と固パンは頭のうしろを掻かき、「そんな意味で言ったのではありません。これは、カントの例証です。僕は、現代の日本の政治界の事はちっとも知らないのです。」

「しかし、多少は知っていなくちゃいけないね。これから、若い人みんなに選挙権も被選挙権も与えられるそうだから。」と越後は、一座の長老らしく落ちつき払った態度で言い、「自由思想の内容は、その時、その時で全く違うものだと言っていいだろう。真理を追及して闘った天才たちは、ことごとく自由思想家だと言える。わしなんかは、自由思想の本家本元は、キリストだとさえ考えている。思い煩わずらうな、空飛ぶ鳥を見よ、播まかず、刈らず、蔵に収めず、なんてのは素晴らしい自由思想じゃないか。わしは西洋の思想は、すべてキリストの精神を基底にして、或いはそれを敷衍(ふえん)し、或いはそれを卑近にし、或いはそれを懐疑し、人さまざまの諸説があっても結局、聖書一巻にむすびついていると思う。科学でさえ、それと無関係ではないのだ。科学の基礎をなすものは、物理界に於いても、化学界に於いても、すべて仮説だ。肉眼で見とどける事の出来ない仮説から出発している。この仮説を信仰するところから、すべての科学が発生するのだ。日本人は、西洋の哲学、科学を研究するよりさきに、まず聖書一巻の研究をしなければならぬ筈だったのだ。わしは別に、クリスチャンではないが、しかし日本が聖書の研究もせずに、ただやたらに西洋文明の表面だけを勉強したところに、日本の大敗北の真因があったと思う。自由思想でも何でも、キリストの精神を知らなくては、半分も理解できない。」


🍞 「固パン」や「かっぽれ」や「越後獅子」は、入院している「ひばり」の患者仲間のあだ名。

🍞 リベルタンはフランス語 libertin。
libertinというフランス語は17世紀まで、不信仰者と放蕩者を同時に意味する言葉だったが、その後は次第に特定の傾向の思想を持つ者のことを言うようになった。
封建でキリスト教的世界観(宗教的権威)が蔓延った社会に対して合理的な世界観を説き、人間性の解放を目指し、自由や個性を重視した思想が広がってくるのだが、リベルタンはその過渡期にある。
 カトリック思想→ルネサンス思想→自由思想(リベルタン)→啓蒙思想

啓蒙思想は旧来の伝統や権威を理性のもとに批判し、思考の普遍性と不変性を主張した。啓蒙思想のもとに神・理性・自然・人間などに関する観念が一つの世界観に統合された。これは多くの賛同者を得て、革命的な変化と発展をもたらした。
理性というのは知性や精神(性)ということになるが、もっと分かりやすく言えば意識的思考能力である。理性の反対に位置するのは、信仰・感覚・経験・無意識など。
知識、意識的思考能力、不変や普遍である一つの世界観という啓蒙の特徴は教育を巻きこみ、やがて科学に集約されていくようになる。
キリスト教世界観の矛盾や非現実性をあぶり出すことになり、近現代ではかつての世界観にしがみつく者をキリスト教原理主義者と蔑称で呼ぶようにもなる。
信仰・感覚・無意識などが表立つ思想や主張や見解は、オカルトやカルト、サイコパス(反社会的人格)、陰謀論やトンデモ論、脳内お花畑など揶揄されるようになっているように、現代の現実社会では科学的裏付けのないものは受け入れられなくなっている。

自由思想や啓蒙思想は封建社会や権威主義を打ち破るフランス革命を思想面で支えた。
それまでの絶対君主の多くは「王権神授説」に支えられていたが、こうした思想や革命の出現により新しい支配体制を模索することになり、絶対主義諸国の君主の政治思想にも影響を与えた。
日本の天皇は今なお「王権神授説」に支えられている。


🏁 仲間の前で自由思想を語っている固パンは、自由思想の本来の姿は反抗精神、破壊思想であると解説する。
自由というのは、その反対のものがあってこそのものだと言う。
それは右と左にも言える。右があるから左があるのだ。上があるから下がある。どちらか一方では成り立たない。
ただ単に何かが入り混じっていて区別がつかない混沌(カオス)な世界からは何も生まれてこない。
宇宙は原始カオスだったと言うが、カオスからは意味ある調和のとれた、そして時々バランスを崩す世界は誕生しない。コスモスは生まれない。カオスの反対はコスモスではない。
神というものが宇宙を、地球を誕生させたならば、神に対立する何かがあるということになる。
さてここで問題です。DNAはどちらから読むでしょうか。上からか下からか、右からか左からか。
上から読んだのものと下から読んだもの、左から読んだ者と右から読んだものが同じになる(回文)なんてことは滅多にない。右から読んでも左から読んでも同じ意味になる長文なんてないと思ってよい。また全部読んだものと途中から読んだもの、あるいは真ん中だけ読んだものが果たして同じ意味を持つかどうか。
ノーベル賞も結構だけれど、「ノーベル賞」というものの現実を見ようとしない科学者の何を信じろと言うのだ。
君主(天皇)と対立しようとしない左翼の何を信じろと言うのか。


🍑桃源郷(とうげんきょう)という言葉を御存知でしょうか。
桃という漢字は音読み(中国由来)では「とう」だけれども訓読み(日本由来)では「もも」になる。
「もも」は上から読んでも下から読んでも、左から読んでも右から読んでも「もも」だけれど、同じ桃を意味しても「とう」ではそうはいかないし、英語のpeachでも同じく。

桃源郷は、俗界を離れた他界・仙境。ユートピアとは似て非なる、正反対のもの。

陶淵明の作品『桃花源記』が出処になっている。桃源郷への再訪は不可能であり、また、庶民や役所の世俗的な目的にせよ、賢者の高尚な目的にせよ、目的を持って追求したのでは到達できない場所とされる(日常生活を重視する観点故、理想郷に行けるという迷信を否定している)。

創作されてから約1600年経った現在でも『桃花源記』が鑑賞されているのは、既に人々の心の内にある存在を、詩的に具象化したものが桃源郷であるためとされる。既に知っているものであるため地上の何処かではなく、魂の奥底に存在している。桃源郷に漁師が再訪出来ず、劉子驥が訪問出来なかったのは、心の外に求めたからであり、探すとかえって見出せなくなるという。


ユートピア思想の根底にあるのは、「理想社会を実現しよう」とする主体的意志であるが、桃源郷は「理想社会の実現を諦める」という理念を示している。
ユートピアは理想郷である。イギリスの思想家トマス・モアが1516年に出版した著作のタイトルであり、それに登場する架空の国家名。
理想郷のイメージに引っ張られて、自由で牧歌的な平和な場所と思いがちだが、トマス・モアという人はイギリスの最高位の官僚であり、熱心なカトリック教徒で異端者を処刑するほどであった。
そのトマス・モアが描いたユートピアは、人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾「合理的」な場所である。非人間的と言えるほどの管理社会である。
トマス・モアが官僚だった時代の国王はヘンリー8世。自身の離婚問題を巡り離婚を認めないカトリックと対立し離脱、イングランド国教会を独立させた王である。ヘンリー8世は側近とも言えるトマス・モアに離婚問題について相談していたが、熱心なカトリック教徒でありカトリックの主張を譲らなかったため、イングランド国教会が分離独立後に反逆罪で処刑された。

私はカオスな状態が桃源郷だと考えている。
何か目的をもった途端に秩序が生まれ形を作る。カオスはそれが無い状態であるので、人間という形や意思を持つものは桃源郷とはほど遠い。理想をもって何かを成し遂げようとする時には尚更のこと桃源郷を遠ざける。精神的なことに特化すれば無の境地に至ることができれば、それが桃源郷と言えるかもしれない。
右でも左でもない、選挙にも行かない行ったって仕方ない、フィクションでもノンフィクションでもどっちでもいい、希望もないけれどさりとて絶望しているわけでもない、ケセラセラなるようにしかならないどうにかなる、、、案外日本は桃源郷かもしれないなぁとも思ったりする。
桃源郷とユートピアは混同されやすいが、似て非なるもの。だけど桃源郷とユートピアは正反対のものではない。


🌀カント(ドイツの哲学者)が啓蒙とは何かということを説明している。啓蒙とは人間が自ら留まっている未成年の状態から抜けでることだそうだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性(意識的思考能力)を使うことが出来ない状態とされる。
人間が未成年の状態にあるのは、理性(意識的思考能力)がないからではなく、他人の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだと言う。
啓蒙に関して「知る勇気を持て」という有名な言葉があるが、カントに言わせれば「自分の理性を使う勇気を持て」ということなる。
だけど理性を知識とすれば、知識いうものは自然に備わっているものではない。自然に備わっているものがあるとすれば、知識を得る能力や思考する能力であろう。よってそこには能力差もあり努力差も存在する。全ての人が同じだけの知識を有しているわけではないし、思考に耐えられるわけではない。
だから「自分の知識を使う勇気を持て」と言われても、実はそんなに知識がないということもあるし、自分の知識がどんなものなのか自信がないんだよ~ということだってあると思う。


✞ 越後獅子は自由思想の本家本元はキリストだと考えていると言った。西洋の思想は全てキリストの精神を基底にしていると。
それは自由思想の本来の姿は反抗精神であるという固パンの解説にも通じる。
なぜならイエス・キリストは元々はローマ帝国という大国の従属国であったユダヤ王国(パレスチナ)でユダヤ教を信仰するユダヤ人であったからだ。彼が反抗したのはユダヤ教でありローマ帝国であった。
ユダヤ教がなければキリスト教(カトリック)やイエス・キリストは誕生しなかった。ユダヤ教とキリスト教は相反するものである。

プロテスタントはカトリックに反抗して誕生した教派である。ただその反抗はイエス・キリストの存在に関する見解の違いという根本的なところから生ずるものではなかったので、全く別の宗教にはならず教派だけを分けた。でも受け入れがたい違いがあるからこそ分かれたのだろうから、両者に相反する点があるのは仕方がないとも言える。

カトリックでもプロテスタントでも別にどっちでもいいという状態が蔓延れば、なんとなくキリスト教っぽい信仰が個々に点在して残ったとしても、カトリックもプロテスタントも教派としては消滅する。
キリスト教でもユダヤ教でもどっちでもいいという状態が蔓延れば、キリスト教もユダヤ教も消滅していく。カオスな状態に戻っていくのだ。
カオス以外にも消滅する理由がある。それはどちらかがどちらかを呑み込んだ場合、また第三の存在がどちらも呑み込んだ場合。
例えばだけど、新しく誕生したプロテスタントがカトリックを全て呑み込んでしまっていれば、カトリックは消滅していた。
キリスト教がユダヤ教を呑み込んでしまえば、ユダヤ教は消滅する。
イスラム教がキリスト教もユダヤ教も呑み込んでしまえば、両宗教は消滅する。

どれが良くてどれが悪いということに言及しているつもりはない。分かりやすい例を挙げただけのことである。
要するに何かが消滅していく状態には大きく分けて2つある。1つはカオスな状態になること。もう1つはある思想なり理論が他を排斥していく時。


✟越後獅子はこうも言った。「日本が聖書の研究もせずに、ただやたらに西洋文明の表面だけを勉強したところに、日本の大敗北の真因があったと思う。自由思想でも何でも、キリストの精神を知らなくては、半分も理解できない。」
日本は仏教をもたらした国と戦争をしていた。(日中戦争)
そして、キリスト教の国と仲間になって、キリスト教の国と戦った。(第二次世界大戦・太平洋戦争)
仲間になったのはカトリックの国であり、敵になったのはプロテスタトの国だった。
仲間になったのはユダヤ人を迫害した国であり、敵になったのはユダヤ人の多くが亡命した国である。
枢軸国の三国はファシズム国家とも呼ばれたわけだが、ファシズムとは全体主義である。全体主義は権威主義の範疇に含まれる。
カトリックはイエス・キリストの反抗精神から生まれたが、カトリックに親和し戦争に向かった国々では独裁的な権力の下、反抗を徹底的に弾圧し、反抗精神を封じ込めた。


 それから、みんな、しばらく、黙っていた。かっぽれまで、思案深げな顔をして、無言で首を振ったり何かしている。
「それからまた、自由思想の内容は、時々刻々に変るという例にこんなのがある。」と越後獅子は、その夜は、ばかに雄弁だった。どこやら崇高な、隠者とでもいうような趣きさえあった。実際、かなりの人物なのかも知れない。からださえ丈夫なら、いまごろは国家のためにも相当重要な仕事が出来る人なのかも知れないと僕はひそかに考えた。

「(略)
十年一日の如ごとき、不変の政治思想などは迷夢に過ぎないという意味だ。日本の明治以来の自由思想も、はじめは幕府に反抗し、それから藩閥を糾弾し、次に官僚を攻撃している。
君子は豹変(ひょうへん)するという孔子(こうし)の言葉も、こんなところを言っているのではないかと思う。
支那に於いて、君子というのは、日本に於ける酒も煙草(たばこ)もやらぬ堅人(かたじん)などを指(さ)していうのと違って、六芸(りくげい)に通じた天才を意味しているらしい。天才的な手腕家といってもいいだろう。これが、やはり豹変するのだ。美しい変化を示すのだ。醜い裏切りとは違う。
キリストも、いっさい誓うな、と言っている。明日の事を思うな、とも言っている。実に、自由思想家の大先輩ではないか。
狐(きつね)には穴あり、鳥には巣あり、されど人の子には枕(まくら)するところ無し、とはまた、自由思想家の嘆きといっていいだろう。
一日も安住をゆるされない。その主張は、日々にあらたに、また日にあらたでなければならぬ。
日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を攻撃したって、それはもう自由思想ではない。便乗思想である。真の自由思想家なら、いまこそ何を置いても叫ばなければならぬ事がある。」

「な、なんですか? 何を叫んだらいいのです。」かっぽれは、あわてふためいて質問した。

「わかっているじゃないか。」と言って、越後獅子はきちんと正坐(せいざ)し、「天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい。」

 固パンは眼鏡をはずした。泣いているのだ。僕はこの嵐の一夜で、すっかり固パンを好きになってしまった。男って、いいものだねえ。マア坊だの、竹さんだの、てんで問題にも何もなりゃしない。以上、嵐の燈火と題する道場便り。失敬。



🙌 天皇に関する表現で問題になるとしたら、上に抜粋した部分あたりではないかなぁと思う。
特に最後に抜粋した天皇陛下万歳の部分は、『パンドラの匣』初版(1946年)では掲載されていたが、改訂版(1947年)では削除された部分と言われている。

河北新報社本と双英書房本では61箇所の異同が指摘され、多くは句読点や送り仮名、漢字表記や改行など文法上の改訂であるが、天皇に対する表現など内容の解釈に関わる部分もあることが指摘される。

全体的に天皇に対する内容の解釈が非常に難しいのだが、特に天皇陛下万歳の部分は’陛下’と相まって分かりにくい。

(万歳は)元々は中国に於て使用される言葉で「千秋万歳」の後半を取ったもの。万歳は一万年で皇帝の寿命を示す言葉であり、本来皇帝に対して以外では使わなかった。諸侯の長寿を臣下が願うときは「千歳(せんざい)」を使っていた

バンザイと発音するようになったのは大日本帝国憲法発布の日、1889年(明治22年)2月11日に青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという。
それまで日本には天皇を歓呼する言葉がなく、出御にあたってただ最敬礼するのみであったが、東京帝国大学の学生一同で皇居前に並び明治天皇を奉送迎しようという議が起こり、これに際して最敬礼では物足りないので歓呼の声を挙げようという話が教師の間で持ち上がった。
そこで、フランス語の「ヴィヴ・ラ・フランス(Vive la France=フランス万歳)」や英語の「セーヴ・ザ・キング(Save the King=国王を護りたまえ)」のような唱和の言葉を考えることになり、和田垣謙三教授の提議した「万歳、万歳、万々歳」の唱和が決められた。しかし、当日最初の「万歳」が高らかにあがると馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の「万歳」は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わった。これを聴いた人々は「万歳」を再唱したと思ったようで、以後、めでたい時の歓呼の声として「バンザイ」が唱えられるようになり、「万々歳」は闇へと葬られた。

「天皇陛下万歳」は、天皇の永遠の健康、長寿を臣下が祈るものである


明治以降終戦まで天皇は軍隊のトップだった。だから軍隊の兵士は天皇の臣下になるだろう。行政のトップも天皇だったので、官僚も臣下になるだろう。
そういう職業的な臣下(部下・家来)がトップの歓心を買うということは、現代社会でもいたるところで見られるだろうと思う。
職業的な主従関係は、その職業とは関係ない人には関係ない。
でも徴兵令や徴用令で国民総動員すれば、国民は全て天皇の臣下であると言ってもおかしくはない。
つまり国民がみな「天皇陛下万歳」をするということは、国民が絶対君主制を認めているようなものになる。

しかし前にも書いたように’陛下’は尊称ではない。臣下のことである。
だから「天皇陛下万歳」は、「天皇と臣下、ともに万歳」とか「天皇!(呼びかけ)、臣下は万歳です」というような意味にも取れる。それは、戦争が終わったので、もう国民は早死に(無駄死に)する必要はなく長生きできます!という皮肉と受け止められなくもない。

それから、万歳のポーズは、何気に投降のポーズにも似ている。
反抗すると殺されちゃうかもしれないから、万歳して(手に武器を持っていないことを見せて)機嫌を取る=投降(降参)の意を示しているとも取れる。

戦後の検閲だとするならば、それはGHQが行ったものである可能性が高いので、削除させたのはGHQということになる。
太宰は小説内に「アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない」と書いたわけだが、GHQはその記述を許さなかった。
GHQはどんな解釈をしたのだろうか。

👑 私は「十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。」という部分も気になる。
神秘主義ってイギリス王室のことを指しているような気がする。

1945年の10年前なら1935年だけど、1943年ならば1933年である。
なぜ1943年なのかと言うと、この部分は戦後に改稿したのではなく戦時中に書いた『雲雀の聲』の中の表現ではないかと思うのである。

1933年というのは、日本が国際連盟脱退した年。
日本は満州事変を契機に中国への侵攻を開始し、満州全土を制圧して、1932年3月に傀儡政権満州国を建国した。中国政府は国際連盟に満州国建国の無効と日本軍の撤退を求めて提訴した。それを受けて国際連盟はリットンを代表とする調査団を派遣。リットンはイギリスの御方である。報告書は「日本の侵略」と認定した。
明治維新の頃から日本(反幕府勢力)はイギリスから支援を受けていた。庇護下にあったと言っても良いだろう。
反幕府勢力とそれに続く日本のトップは実質的にはイギリス君主だった。
ところが親密な理解者だったイギリスが日本の味方をしなかった、つまり日本はイギリスから「醜い裏切り」にあったというわけである。
だったらこちらも反抗してやろうじゃないか、日本の自由思想家たちはそう思い、それを実現した。
そして今度こそ名実ともに天皇が日本のトップになるのだ、いや世界のトップになるのだ(ローマ教皇がいるからNo2かな?宗教は別扱いか?)という喜びを表現しているというふうにも読み取れる。
そして、アメリカは日本の自由な叫びを認めてくれると言っている。アメリカは君主国ではなく共和国である。しかもかつてイギリスの植民地だった。アメリカは日本の味方になってくれるでしょ的な表現で、ひょっとしたら日本とアメリカの間で何らかの密約が成立したのかもしれないとも勘ぐれる。
関係の捻転を漂わせている文章である。




by yumimi61 | 2019-10-12 12:02