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やがてそこに。


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発酵

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目を閉じれば簡単になくなる現実に それでもちゃんと生まれるものがあるのなら






スコップを持つと今も時々思い出すことがある。
何歳ぐらいだったのだろうか、飼っていた金魚が死んじゃったときのこと。
私はとても悲しい気持ちでその金魚を花壇の隅っこに埋め、石を乗せた。
ところが数日後、ある感情がどんどん膨れ上がっていてもたってもいられなくなった。
土に埋めた金魚はどうしたんだろう、どこにいっちゃうのだろう、あのままあそこに居るんだろうか・・・
ある日、私は決心した、掘り起こすことを。
母の園芸用スコップを使って、石を乗せたその場所を掘った。
けれど、どれだけ深く掘っても、金魚の姿は見えなかった。
範囲を広げて、あっちこっち掘ってみたけど、金魚の欠片も見つからなかった。
いなくなっちゃうんだと思った。
悲しくて泣くだとか、怖くなって怯えるだとか、そういう特別な感情よりも、
もっと静かで淡々としていてその実ものすごく衝撃的な発見だった。
そしてどこかで安心もしていた。


生きていたものは土に返る。
その後も、メダカや金魚、ザリガニにハムスター、いくつもの命を庭に埋めてきた。


飼っていた生き物の命と一緒にするなと叱られそうだが、コンポストを持ちたいと思ったのは必然だったような気がする。
生ゴミもまた土に返る。生ゴミになる前は生きていたのだ。
そのことをどうしても自分の目で確かめたかった。
今、うちには二つのコンポストがある。もう何年も生ゴミをゴミとして出したことはない。
生ゴミの上に薄く土をかぶせ、また生ごみを入れ、また土を重ねる、そうして少し寝かせたら、すべては消えてしまう。
そして、その変わりに美味しい土が出来上がっている。
頭では分かっていても、何度経験しても、その姿を見るときにはいつも圧倒される。
訳もなく嬉しくなる。土をとても愛しく思う。それくらい感動的な出来事なのだ。


先日も一つ寝かせていたほうのコンポストを開けた。
生きた土の中で、菌糸を纏った小さな芽がすくっと立っていた。
この暗い器の中で、僅かな光を頼りに生まれたいのち。
この芽が何の芽だろうかとか、そんなことはどうでもよかった。
スコップで大切に掬って、庭に移した。



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by yumimi61 | 2008-03-06 18:17 | photo