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再生 *2

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なんどでも ともに






昨晩は、トルコ航空機がオランダで墜落。
そのニュースを私が知ったのは、昨日のブログを更新した直後。
記事の中には、昔あった夏の出来事を書きましたが、夏と飛行機といえば思い出すのがこれ。
多くの犠牲者を出し、日本中に衝撃を与えた日航機の墜落。1985年8月12日。あれも夏でした。
私は、このことを文章にしたことがあります。


---2005年8月12日 HPにて。---

*御巣鷹のこと*


あの夏の宿題の答えを見つけるために‥


夜の7時から4時間ずっと見続けた。
日航機が御巣鷹山に墜落した事故のTVドラマ、ドキュメント。


今でも覚えてる。
〝飛行機がレーダーから消え、調査中〟とTVに流れたニュース速報。
その飛行機が落ちたのは‥・もしかしたら・・・、という直感。
そしてそれが現実になったこと。
あの日、父と妹が出掛けていて、別に飛行機に乗る予定ではなかったけれど
そこに居ない家族がいるということだけで、無性に不安だったこと。
もちろんそれは杞憂で、家族は予定通り帰宅するのだけれど。

それから暫くの間にニュースが伝えた出来事は、私の中に大きなものを残していった。
それが何なのか分からなくて、上手く言葉にすることもできなくて‥
ずっとずっとやり残した夏休みの宿題のようだった。


子供がかかりつけの近所の医院の医師は、若かりし頃に警察医だったそうで、
その事故の時、現場で検死に立ち会ったそうだ。
時々、そんな話をしてくださって、待合室に置かれているいくつかの物がそれを伝えている。
年に数回だけれど、そこに行くと私は、あの日を、あの宿題のことを、思い出す。


20年という節目に大きく取り上げられた事故。

その飛行機に搭乗されてた方のご家族が過ごしたあの日、過ごしてきた20年‥。
忘れた日はきっと1日もなかったはず。
「前を向いて歩いていかなかきゃいけないという事がとても辛かった」
その言葉に‥決して知ることの出来ない悲しみや重みを感じる。

それでも、少しずつ前に歩いて来た人々が教えてくれたことは
深い悲しみと絶望の中で、何かのきっかけとなったのはいつも人との出会いだったということ。

20年の節目が、20年後の私に教えてくれたこと‥。
そのことが生きる勇気を与えてくれる。

夏休みの宿題が少しだけ解けた気がした。

でもその宿題は全部片付けないで、少しだけ残しておいたほうがいいような気もした。
かけがえのない命の尊さを忘れないために。

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夏と飛行機、この繋がりはまだあります。
長男が小学生最後の夏休みに、自ら選んだ本で書いた読書感想文、
その本が『ユキは十七歳特攻で死んだ』ー子犬よさらば、愛しきいのちーというものでした。
このことは、昨年2月、6回にわたってエントリーした文章の中で触れています。


様々なことが螺旋を描くように繋がっているように思えました。


下の写真も、web上で見つけて、気になって保存したもの。
(こう書くと、何枚も保存しているようですが、そんなことはなくて、前に出したものとこれだけです)
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これは、2008年7月1日、新幹線に落書きがあったというニュースの写真です。
落書きの色合い等が、直前にUPしたこの写真に少し似ていると思いました。
書かれていた「Hack」という言葉も調べてみました。
そうこうしているうちに、「89」という数字が思い浮かびました。


これもすぐには分からなかったけれど、昨年の8月8日は、私にとって一つのターニングポイントだった気がします。

この日、長男が行った学校のプールには、赤い旗が掲げられており、プールは中止になっていたということでした。
雨の日などにそういう目印をしておくのですが、その日はお天気もよく暑い日でした。
だというのに、何故プールが中止になったのかは、その日は息子も「謎」ということでした。
理由はだいぶ後になって、友達のお母さんから聞いて知りました。
午前の部で、外部からの下着泥棒が発生していて、午後のプールが中止になったそうなのです。

また、この8月8日というのは、最近話題にもなった、浅間山噴火の警戒レベルが1から2に引き上げられた日でもあります。
そして、10日に小規模な噴火がありました。
このことも知ったのは、もうちょっと後だったのですが。

そして、私が8月8日に撮った写真は、これでした。


つまり、「89」は、私にとっては8月9日に思えたのです。
8月9日に撮った写真は、この花火の写真でした。
この写真をUPしたのは、8月29日だったのですが、このちょっと前にやはりweb上でほんとに偶然に辿りついた歌があります。
浜田省吾さん作詞作曲の「僕と彼女と週末に」という曲です。
その時、私はこの歌をまったく知らなかったのですが、とっても気になって、気になる言葉も入っていたりしたので、その日何度も聴きました。
そして、とてもいい歌だなぁと思ったのでした。
8月29日エントリーの「花火」は、この歌を聴きながら、この歌と、魚と猫の出てくる「だいすき。」というタイトルの絵本をベースにして書きました。

だからなに?という、この続きは、この歌のこの詞と、以前にここで書いたこの歌のこの詞にかえて。 


 「いつか子供達に この時代を伝えたい

どんな風に人が 希望(ゆめ)をつないできたか」


「真白な帆をあげて 旅立つ船に乗り

力の続く限り ふたりでも漕いでゆく

その力を与えたまえ 勇気を与えたまえ」 


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<2019年2月13日追記>
夢とか出来事と自分を繋げてしまう感じは、見る人が見れば危ない人にしか見えないかもしれないし、おおかた理解不能なんだろうと思う。
自分でも考えすぎだなぁと思うこともある。
でも夢って見ようと思ってみれるものではないので、それはそれでやっぱり意味あるものだと思う。
私が一時期夢日記を付けていたことがあり、その頃はほぼ毎日のように夢を見ていて、睡眠から半覚醒な状態でもメモしなくちゃと思い筆記していたけれど、今はほとんど夢をみない(覚えていない)。
ごくたまにしか見ないからメモ体制になく、せっかく見ても少しして「あれっ夢みたけどなんだったっけ?」と忘れてしまう。
身体というか脳のどこかにスイッチが入らないと、あんなに夢を見てメモすることなんて出来るものではないなぁと最近しみじみ思う。
裏を返せば夢とか出来事とかに対する特異的な反応が起こることがあるということ。
今年は期待したのに初夢すら見なかった。今年初めての夢は1月23日。詳細はメモしていないけど一言二言だけメモした。1月24日も見て、やっぱり一言メモしたけど、今となってはそのメモの字が読み取れず、どんな夢か思い出せない。
今年の夢の記憶はまだその2日だけである。

御巣鷹山の記事に書いた若かりし頃に警察医だった近所の医院の医師は数年前に亡くなり、医院も閉院しました。





by yumimi61 | 2009-02-26 23:57 | photo