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2015年 07月 12日 ( 1 )

昭和 百拾陸

あまり大きな声では言えないけれど・・・違うと思うの・・・ごにょごにょ・・・


武蔵国と相模国

先日のこちらの記事の「高句麗の流れ」の中で高麗について触れた。
武蔵国高麗郡(現在 の埼玉県日高市・飯能市)は高句麗の遺民たちが住んだところと言われており高麗神社 ・高麗川などの名にその名残を留めている。

高麗という名称は神奈川県大磯町にも残っていて、ここもかつて高句麗の遺民たちが住んだところだったらしい。
船で相模湾にやってきて大磯から上陸したと考えられている。
逃げていたのかわざわざ反対側まで来たということになる。
江戸時代に編纂された『新編相模風土記』に「高麗の名は古く当地辺りに高麗人が往したところにちなむ」と記されているという。

神奈川の高麗と埼玉の高麗は直線上にある。
横田基地がカバーする空域とも重なる。
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下記図はかつての武蔵国。現在の埼玉県、東京都と神奈川県の一部とでなる。
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今の神奈川県はほぼ相模国からなっており、横浜や川崎はかつて武蔵国の領域であり別の地域だった。
開港場所は神奈川港にしろ横浜港にしろ武蔵国側になる。久良岐という名称の地だった。
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どうして7月4日ではないのか?

日米修好通商条約に記されている神奈川港の開港日は7月4日である。
しかし今現在日本で横浜港の開港は7月1日となっている。
横浜市が開催している横浜開港祭は旧暦の6月2日を採用し、現在の暦でも6月2日に行っている。


第三條
下田箱館(版本館ノ次ニのノ字アリ)港の外次にいふ所の場所を左之期限より開くへし
  神奈川 午三月より凡十五个月の後より   西洋紀元千八百五十九年七月四日     
  長崎  同斷       同斷
  新潟  同斷凡二十个月の後より      千八百六十年一月一日  
  兵庫  同斷凡五十六个月の後より    千八百六十三年一月一日
若し(版本「し」ナシ)新潟を開き難き事あらは其代りとして同所前後に於て一港を別に撰ふへし


開港日だけでなく条約施行日も西洋暦で1859年7月4日である。日本が当時用いていた暦(旧暦)では6月5日。

第十三條
今より凡百七十一个月の後即千八百七十二年七月四日に當る双方政府の存意を以て兩國の内より一个年前に通達し此條約并に神奈川條約の内存し置く个條及ひ此書に添たる別冊ともに双方委任の役人實驗之上談判を盡し補ひ或は改る事を得へし

第十四條
右條約の趣は來る未年六月(版本五)日即千八百五十九年七月四日より執行ふへし此日限或は其以前にても都合次第に日本政府より使節を以て亞墨利加華盛頓府に於て本書を取替すへしもし無餘儀子細ありて此期限中本書取替し濟すとも條約之趣ハ此期限より執行ふへし


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左資料出典:http://www.h2.dion.ne.jp/~jiemon/j-a.pdf
右は新暦旧暦変換で調べたもの。


ところが何故か日米修好通商条約を調べると締結日はどれも安政5年6月19日(1858年7月29日)となっている。百科事典なども。
7月4日はアメリカ独立記念日(Independence Day)(The Fourth of July)である。
アメリカの独立が気に入らない人と江戸幕府の開国が気に入らない人が歴史を改ざんしたのではないだろうか?


不可解な日にち

法律には「制定」「交付」「施行」という日が付いて回る。
条約ならば「制定」に変わって「締結(調印)」と「批准」があり、その後に「交付」と「施行」がある感じだろうか。
日本の憲法記念日(5月3日)は施行日を選んでいる。
日米修好通商条約も施行日を選べば1859年7月4日である。
施行日を締結日と言うのはやはりやや違和感があるだろうか?
アメリカ独立記念日の異議を唱えた人の話はこちらに書いたことがある。

上に載せた縦書きの資料においては「日米修好通商条約」というタイトルの下に、安政五年(一八五八年)六月十九日締結、と記されている。

横書き青字で転載した文章の出典はこちら「六月十九日調印日本國亞米利加合衆國修好通商條約并貿易章程」(日米修好通商条約)。
元資料は『大日本古文書 幕末外国関係文書之二十』(東京帝国大学文学部史料編纂所、昭和5年1月31日発行;東京大学出版会、昭和47年12月20日覆刻)だそうである。
こちらは「六月十九日調印日本國亞米利加合衆國修好通商條約并貿易章程」というタイトルの下に次のように記されている。
江戸に於て調印萬延元年四月
三日華盛頓に於て批准書交換


これはアメリカと批准書を交換した時のものであろう。
1860年2月(安政7年1月)、米艦ポーハタン号と咸臨丸に分乗した一行はアメリカへ向かった。
同年5月23日(万延元年4月3日)、ワシントンの国務省において、使節団正使の新見正興(豊前守)らと国務長官のキャス(L. Cass)との間で批准書交換が行われた。
条約の内容自体は締結時と同じもののはずだ。

条約第14条、上に転載した部分の続きで条約の最後の部分は調印について書かれている。
誰がいつどのように調印したかということになる。
注目すべきは「アメリカ合衆国独立」という言葉が入っていること。

本條約は日本よりハ大君の御名と奥印を署し高官之者名を記し印を調して證とし合衆國よりハ大統領自ら名を記しセケレターリスフハンスタート(版本官名ト注ス)ともニ自ら名を記し合衆國の印を鈐して證とすへし尤日本語英語蘭語にて本書寫ともに四通を書し其譯文は何れも同義なりといへとも蘭語譯文を以て證據となすへし此取極のため安政五年午六月十九日即千八百五十八年亞墨利加合衆國獨立の八十三年七月二十九日江戸府に於て前に載たる兩國の役人等名を記し調印するもの也
                              井上信濃守 花押
                              岩瀬肥後守 花押


ただ日付のところの意味がよく分からないのだ。
この部分。
安政五年午六月十九日即千八百五十八年亞墨利加合衆國獨立の八十三年七月二十九日江戸府に於て前に載たる兩國の役人等名を記し調印するもの也

安政五年午六月十九日(安政5年6月19日)を西暦でも言い直すのだが、そこがおかしい。
1858年のアメリカ独立の83年7月29日というのはどういうこと?
アメリカ独立記念日に調印(締結)したのではないかと考えられるのだが、この部分には7月4日とは書かれていない。
文章の意味自体良く分からない。
1858年7月4日に調印し、1年後の1859年7月4日に施行したというのが一番腑に落ちる気がする。
批准書を交換したのは1860年であるが、相手国のある条約の批准とはいったいどの段階をクリアすればよいのだろう。
批准書を交換して初めて効力が生じるならば1860年5月23日となる。









by yumimi61 | 2015-07-12 14:20