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2015年 07月 14日 ( 2 )

日本国憲法の秘密-3-

憲法第9条の読み方

前にも書いたが日本国憲法の第2章は第9条ただ1つしかない。
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第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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マッカーサー総司令官が提示したという3原則。
私が簡潔にまとめた言い方では、「世襲天皇制」「国権発動の戦争放棄」「絶対君主制」となる。
2番目の「国権発動の戦争放棄」が9条に化けた。
原則のうちの1つが、最終的に11章103条となった日本国憲法の1条に当てられたのだ。
3分の1と、103分の1若しくは11分の1の重みがイコールなのだから、いかに「国権発動の戦争放棄」が大事かということが分かる。
また残りの2つの原則は「世襲天皇制」「絶対君主制」で、どちらも天皇の関係することなのだから、これはまさに「君主の君主による君主のための国」と言えよう。

9条決定までの変遷を見ていきたいと思うだのが、先に現9条を読み解いてしまおう。

ます最初の一文。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

これは日本という国家が国家権力を用いて、武力行使や戦争を行ってはいけないと述べられている。
ただ条件として「国際紛争を解決する手段として」と書かれている。
日本は外国に対して武力行使や戦争を行うことは永久に出来ないが、国内は規定されていないので構わないということなのだろう。
内紛や内戦では国家権力を用いて武力行使や戦争を行うことは出来る。
よその国に迷惑を掛けずに内輪で揉めている分には構わない、どうぞご勝手にといった感じ。(実際にはそうは言わず、争いなんかやめなさいくらいなことは言うと思うけれども)

それからこれも重要。
「国権の発動たる戦争」は放棄すると述べているだけで、「戦争」を放棄するとは言っていない。
戦争は出来る。ただ日本という国が独断で勝手に戦争を引き起こすことは出来ないのだ。
他国や国際機関が法的権限を発動して始める戦争に参加依頼されるようなことがあれば参加は可能。
まさに集団的自衛権による戦争はOKなのである。
また独断ではなく相談の上で国際的にゴーサインが出れば日本独自でも戦争が出来るかもしれない。

簡単に言うと、「日本は外国相手に独断で勝手に戦争をしない(するな)」ということになる。

二項。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

キーポイントは「これ」という指示語。
「これ」が何を指すか?
ずばり、第二章タイトルになっている「戦争の放棄」である。
前項では出来ない戦争と出来る戦争があることが述べられていた。
要するに全部を戦争放棄しているわけではない。全部を戦争放棄されたら困る。
だから陸海空軍その他の戦力は「戦争の放棄」を保持しないと言っているのだ。
また日本という国としても戦争自体を放棄したわけではないということを高らかに宣言している。
国際的に戦争の参加依頼や了承があれば、日本は戦争をする。
それを拒否すること(戦争放棄)は国家権力が認めない。


憲法は二の次

最近話題になっていたことは、「安全保障関連法案の合憲性」であった。
でも安全保障関連法案というのは、関連というだけあって1つではない。
こんなにも関連法案はある。

我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するために一部を改正する法律案

○ 自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)(第一条関係) 
○ 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(平成四年法律第七十九号)(第二条関係)
○ 周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(平成十一年法律第六十号)(第三条関係)
○ 周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律(平成十二年法律第百四十五号)(第四条関係)
○ 武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)(第五条関係)
○ 武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律(平成十六年法律第百十三号)(第六条関係) 
○ 武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(平成十六年法律第百十四号)(第七条関係)
○武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律(平成十六年法律第百十六号)(第八条関係)
○ 武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(平成十六年法律第百十七号)(第九条関係)
○ 国家安全保障会議設置法(昭和六十一年法律第七十一号)(第十条関係)
○ 道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)(附則第三条関係)
○ 国際機関等に派遣される防衛省の職員の処遇等に関する法律(平成七年法律第百二十二号)(附則第四条関係)
○ 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(平成十六年法律第百十二号)(附則第五条関係)
○ 武力紛争の際の文化財の保護に関する法律(平成十九年法律第三十二号)(附則第六条関係)
○ 原子力規制委員会設置法(平成二十四年法律第四十七号)(附則第六条関係)
○ 行政不服審査法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成二十六年法律第六十九号)(附則第七条関係)
○ サイバーセキュリティ基本法(平成二十六年法律第百四号)(附則第八条関係)
○ 防衛省設置法(昭和二十九年法律第百六十四号)(附則第九条関係)
○ 内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)(附則第十一条関係)
○ 復興庁設置法(平成二十三年法律第百二十五号)(附則第十二条関係)


「安全保障関連法案の合憲性」というだけでは論点がぼやけてしまうが、集団的自衛権が合憲かどうかということならば合憲である。
憲法は文章化していない国さえある。理想的な姿を描くものではあるが、そのぶん総論的で抽象的で曖昧さを残している。
従って法的拘束力は実はそれほど高いものではなく、それは他の法律に譲る場合が多い。
実際に活動するうえで問題になってくるのは理念や概念である憲法よりも、狭く細かい固有の法律のほうだろうと思う。

もしも一切合切戦争を放棄するのであれば「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」ではなく「陸海空軍その他の戦力を保持しない。」と書けばよいのだし、自衛の部隊しか認めないというならばはっきりとそう書けばよいものをそう書かなかった。
憲法が軍隊や戦力を否定しているわけではないからである。
勝手な戦争(侵略戦争とでも言うのかな?)を強く禁止しているだけなのだ。
ということで自衛隊も全く問題なく合憲なのだ。
しかし自衛隊法という固有の法律で何か制限しているものがあるとするならば、そちらに縛られる。
だからそれを変えるのだし、それで不十分ならば固有の新法を制定すればいい。
そうやってきたからこそ今日まで一度も憲法を変えずに済んだのだ。
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自衛隊法の改正案の一部分(改正後はライン部分が消される)



-------ここから下は7月15日に書きました。

11の呪い!?

「安保法制」や「安保法案」「安保関連法案」という曖昧な言葉を使うのでよく分からないのではないだろうか。
安保と言えば、「日米安保のことでしょう?」と思う人もいるだろう。
日米安保と言えばアメリカなので、アメリカ悪しアメリカ憎しになっていく。とりあえずデモっておくか、とか。
悪いことにTPPの問題も報じられる。
こちらに書いた通り、TPPの大元の目的は「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」だった。
そこに経済大国を自認するアメリカと日本が参加し、もうまるでその2か国のための協定のような印象しかない。(日本語正式名称は「環太平洋パートナーシップ協定」なのでヨロシク)
そこへ持ってきて4月末に安倍首相がアメリカ議会でわざわざ目立つように英語でなんか演説し、「夏までに成立させます!」なんて宣言し(たんだよね?私演説全部聞いてないから一応)、アメリカと一心同体のような演出をしたから余計にタチが悪い。
畳みかけるように5月14日に関連法案を閣議決定した。
その後に国会で審議していて、今日可決したという流れ。

5月14日前後にはどの記事も「安保法制11法案」と書いていた。
新法案1と改正案10で11法案である。(これについてはこちらの記事がわりと分かりやすい)
新法案(新しく一から法律を作るということ)は「国際平和支援法案」である。
改正するという残り10の法律名全てを列挙している記事は私が見る限りなかった。

内閣官房のホームページを見るとこのように書いてある。
政府は平成27年5月14日、国家安全保障会議及び閣議において、平和安全法制関連2法案を決定しました。

「安全保障法制(安保法制)」ではなく、「平和安全法制(略せば平安法制?)」なのである。
平和安全法制が何かと言えば、「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」である。

●平和安全法制整備法―我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律

●国際平和支援法―国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律

5月14日に閣議決定し、国会に送られ、今日決定した法案はこの2つということになる。
「平和安全法制整備法」の中で改正する法律は10どころではなくて20ある。その20の法律を上に列挙した。(PDF
法律名に自衛隊や武力という言葉が入っていて、いかにも安全保障的な法律が10というだけの話なのだ。
会社や何かの団体の決め事など一般的な感覚からすると、改正が妥当かどうかを1つ1つ検討しながら改正案を作成し、それを委員会なり総会で1つ1つ順序だって発表説明する。
質疑応答や必要ならば修正を行い、最終的に承認を得るという形を取る。
国会を見ているとそうではない。
「今日はこの改正部分の審議を行います」という司会進行はなく、質問者が何の脈絡もなく自分のしたい質問をしているように見える。
だからどの法律のどの部分を審議しているのか全くといって分からない。

そうは言ってももう決まったこと。議席数や過去の事例を見れば可決されるに決まっていた。
国会議員には個人の自由意思なんてないに等しいから。
何かあった時にはみなアメリカを憎むのか知らないけれど、「国際平和支援法」という新法は国連絡みの法律である。(え?国連の本部もアメリカじゃないか?そうだね)






by yumimi61 | 2015-07-14 23:26

日本国憲法の秘密-2-

自由のない国へ

1945年8月15日 玉音放送、終戦。

1945年10月4日 この日、GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
総司令部は、治安維持法の廃止、政治犯の即時釈放、天皇制批判の自由化、思想警察の全廃など、いわゆる「自由の指令」の実施を日本政府に命じた。
マッカーサーは、東久邇宮内閣の国務大臣であった近衛文麿に、憲法改正を示唆した。
翌5日、東久邇宮内閣は、この指令を実行できないとして総辞職し、9日に幣原喜重郎内閣が成立する。


つまり日本政府は自由を良しとはしなかった。自由を選択しなかったのである。
近衛文麿というのは、熊本県知事や総理大臣を歴任した細川護煕氏や日本赤十字社社長や国際赤十字赤新月社連盟会長を務める近衞忠煇氏の祖父、また島津家第32代当主・島津修久氏の祖父でもある。
島津でピンときた方もいるかと思うが、あの薩摩藩の島津家である。
幕末の薩摩藩の最高権力者(藩主ではない)で、京都に進出し公武合体を推進し、江戸に出向き神奈川で生麦事件を起こした島津久光は島津家の27代当主であった。こちらの記事の「スイカの名産地」に登場した。
島津久光の曾孫が昭和天皇の皇后であり、現在の天皇陛下は玄孫にあたる。
第32代当主・島津修久氏も島津久光の玄孫にあたり、天皇陛下は「はとこ」になる。妻は西郷隆盛の曾孫だそう。

島津と言えば島津製作所も思い出しますね?
ソニーが不採用にした会社員がノーベル賞を受賞したということで話題になったあの会社です。
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現在の『丸に十の字』の社章は薩摩の島津家の家紋に由来するが、創業者の初代島津源蔵は京都の出身である。大名の島津家とは血縁がないが、創業者の祖先である井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から家紋と「島津」の姓を与えられた。そのときの経緯は以下の通り。
薩摩の島津義弘が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉から与えられた播州姫路の領地に立ち寄った。その際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一は領地の検分などの世話をした。それに対する褒美として“島津”の姓と“丸に十の字(くつわ)の家紋”をもらった。


話は戻って近衛文麿であるが、彼は第一次世界大戦のパリ講和会議の際、西園寺公望元首相にお供した。
こちらの記事に「鉄は熱いうちに打て」で2か月の船旅ですよ~と書いた。ノーベル賞のことも書いた(平和賞だけど)。
それから2か月半後に両陛下がパラオを訪問され巡視船に宿泊された。そのことをこちらに書いた
近衛文麿は日本放送協会(NHK)第2代総裁でもある。


哀しき最期

近衛文麿は第二次世界大戦終結後、東久邇宮内閣にて国務大臣として入閣した。
しかし1945年12月6日にGHQから逮捕命令が伝えられ、A級戦犯として裁かれることになった。
巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の1945年12月16日未明に服毒自殺した。
歴代総理の中では最も若くして亡くなり、また唯一の自殺者だそうだ。
戦犯として裁かれることが決まってからの言い訳に昭和天皇は「近衞は自分にだけ都合の良いことを言っているね」と言い、その死に際しては「近衛は弱いね」と吐き捨てたらしい。(ひょっとして切られた?)

近衛文麿は戦中、東條英機ら陸軍統制派に「共産主義信奉者」というレッテルを貼り、全責任を負わせて講和に持ち込むべきと主張していた。

東條内閣打倒を図った近衛は、1945(昭和20)年2月天皇に奉呈し、敗戦必至との認識のもとに、恐ろしいのは敗戦よりもそれに伴う共産革命であり、政府は国体護持(天皇制擁護)を絶対の課題とすべきであると主張した。それが近衛上奏文である。
<大東亜戦争の黒幕③ 近衛文麿の上奏文と日本敗戦革命より>

東條総理(1941-1944年)は総理大臣・陸軍大臣・内務大臣を兼ねており、「東條幕府」と揶揄されることもあった。
東條の前の総理大臣が近衛文麿だったのだ。
近衛の「共産主義」レッテル張りは常軌を逸していて、陸軍は左翼の巣窟、官僚も左翼、右翼もじつは国体の皮をかぶった左翼と、とにかく気に入らない者は全部左翼認定して、これを排除すべしとした。


東京湾に散る

1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立った。
その夜マッカーサーは東條英機陸軍大将の逮捕と戦争犯罪人容疑者のリスト作成を命じた。
アメリカ政府は占領政策を円滑に進めるために天皇の存在は欠かせないと判断していたため、昭和天皇の責任を追及する気はなかったという。
1945年9月11日、GHQから出頭命令が出た。
最初に指名(逮捕)されたのは主に東條内閣の閣僚だった。
近衛文麿は同年12月第4次の逮捕者であり遅い方になる。

東條英機は出頭命令の日1945年9月11日に拳銃自殺を図ったが未遂に終わった。(撃たれた説もあり)
東條を救ったのはアメリカ人だった。
銃声が聞こえた直後、そのような事態を予測し救急車などと共に世田谷区用賀にある東條の私邸を取り囲んでいたアメリカ軍を中心とした連合国軍のMPたちが一斉に踏み込み救急処置を行った。銃弾は心臓の近くを撃ち抜いていたが、急所は外れており、アメリカ人軍医のジョンソン大尉によって応急処置が施され、東條を侵略戦争の首謀者として処刑することを決めていたマッカーサーの指示の下、横浜市本牧に設置された野戦病院において、アメリカ軍による最善を尽くした手術と看護を施され、奇跡的に九死に一生を得る。
新聞には他の政府高官の自決の記事の最後に、「東條大将順調な経過」「米司令官に陣太刀送る」など東條の病状が付記されるようになり、国民からはさらに不評を買う。
入院中の東條に、ロバート・アイケルバーガー中将はじめ多くのアメリカ軍高官が丁重な見舞いに訪れたのに比べ、日本人は家族以外ほとんど訪問者はなく、日本人の豹変振りに東條は大きく落胆したという。



A級戦犯容疑での逮捕者は全部で126名(5名は逮捕・出頭前に自殺)に上った。
この中に安倍総理の祖父となる岸信介がいる。倒閣の仕掛け人だったらしい。
東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留された。しかし、即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であることなどの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている。

逮捕者のうち28名が起訴となり、残りの者は不起訴となった。
起訴された者のうち死刑(絞首刑)が言い渡された者は7名である。
総理大臣・東條英機以外は、満洲、中国、ビルマでの戦いを指揮した者。
7名のうち2名は中国・南京事件絡みでの有罪判決で、しかもそのうち1人は軍人ではない総理大臣経験者である。
3名は中国への侵略の罪(満洲の関東軍絡み)、1人はイギリス植民地だったビルマへの侵攻の罪である。

終身刑は16名。
終身刑とはいえ、病気で先に亡くなってしまった人以外は1955年前後、終戦から10年あまりで釈放された。
こちらに書いた長州五傑の1人・山尾庸三の孫にあたり戦争時に昭和天皇側近であった木戸幸一も終身刑であったが、1955年に釈放され神奈川県の大磯に隠退した。
近衛文麿とは学習院時代からの学友であった。


起訴された日は1946年(昭和21年)4月29日で、これは昭和天皇の誕生日となる。
開廷したのは1946年(昭和21年)5月3日。この日は翌年憲法施行日となった。
死刑は1948年(昭和23年)12月23日に執行された。これは現天皇陛下(当時皇太子)の誕生日である。
この日付の一致については、前東京都知事の猪瀬直樹氏が『ジミーの誕生日—アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(2009年11月発行)という著書で語っているようだ。
昭和天皇の誕生日に起訴し、皇太子殿下の誕生日に死刑執行したことは、日本人にショックを与えるためGHQがわざとやったんだという内容だと思われます。
何かが終わり、また何かが始まる。始まったのは天皇家。力強い一歩を踏み出した。そんな感じではないかと私は思います。
(ちなみに猪瀬さんは「ミカド」という言葉が好きだと思う)

九死に一生を得た東條英機は、1948年12月23日、死刑執行によって命が絶たれた。
東條を含め処刑された7人の遺体は横浜市西区の久保山斎場で火葬され、遺骨はアメリカ軍により東京湾に捨てられたそうだ。
日米修好通商条約を締結した横浜で焼かれ、日米修好通商条約によって開かれた横浜港近くの海に散った。
捨てる(投棄)と散灰はどこがどう違うのだろうか。


兎死すれば狐これを悲しむ

よく靖国神社参拝が話題になり問題視されることがある。
問題なのは靖国神社にA級戦犯が祀られているかららしい。
しかしそこが神社であるならば、寺ではなく遺骨があるわけでも墓があるわけでもないだろう。
誰かの記念館でもない。
神社の神の大元は自然なものであるからして木でも石でもよいのである。
神と信じて祀ったならば何でもよい。それぞれの心の問題である。

靖国神社は明治天皇が建立したものというのはご存知でしょうか?
以下靖国神社のホームページより。

【起源】
靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日に建てられた東京招魂社。
明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建したのです。この招魂社が今日の靖国神社の前身で、明治12年(1879)6月4日には社号が「靖国神社」と改められ別格官幣社に列せられました。


【御祭神】
靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。

靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られています。

このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているのです。


246万6千余柱の神が祭神となっているのが靖国神社なのである。
柱というのは神を数える単位であり、〇人や〇名と同じ。
要は戦没者の名簿かなんかを神社に置いているということなんだと思う。
神社が勝手に名簿を集めて、神に祀り上げてしまうのである。(遺族の了解を取っているのか知らないが)
戦争に行って無事に帰還し寿命で亡くなった場合は神にはなれない。戦死しないとダメなのである。
人は「死」に弱い生き物だから仕方ない部分もあるが、取り方によっては戦死を称えているようにも思う。

そんなに多くの人(神)が狭いところにいたら、意見も合わないこともあるだろうし、喧嘩をすることもあるだろう。
内紛や内乱ってこともあるかもしれない。
同じ国にいても、それどころか家族だとしても、意見の不一致というものはあるわけであり、靖国神社というのはなかなか不穏な場所である。
というのは冗談半分にしても、これだけ多くの人を祀っていれば、「私は幕末の志士のために参拝する」「私は日露戦争を戦った軍人のため」「私はA級戦犯」「私は従軍看護婦」「私は名もなき民間人」と目的は様々となる。
「ほらみなさい、肯定も否定もしきれないだろう!」という靖国神社(天皇家?)の作戦勝ち。
ともかく靖国神社は「明治時代からの日本」つまり「天皇制」を信奉する場所である。
またA級戦犯14名が祀られたのは1978年(昭和53年)のことで、この時の官房長官は安倍晋太郎、そう、安倍首相の御父上。
日本航空123便が群馬県の山中に墜落した3日後の1985年8月15日、群馬県高崎市出身の中曽根首相が公式参拝した。
これが後々まで禍根を残すことになった。


責任の所在

1945年10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。
逮捕されて裁判に掛けられ生きるか死ぬかという人あれば、かたや意気盛んに憲法改正案を練っている。
皮肉なものである。だから死刑囚も神にして祀ってあげるのだろうか。
戦争の話になるとよく「政治家は戦争が始まったって戦争に行かないんだからいいよな」というようなことが言われる。
でも「戦争の責任も取らないんだからいいよな」と言われることはあまりない。
政治家は戦争の責任を取るのだろうか?
責任とは何だろう?死ぬことだろうか。
死刑になった7名のうち6名は軍人だった。東條英機は軍人でありながら総理大臣でもあった人だ。
これを見る限り、やはり大きな責任が課せられるのは現場を率いる人間なのだろう。
日本国憲法には「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」という条文がある(66条)。

私はオウム真理教の裁判でもずっと違和感を感じていた。
麻原代表(死刑囚)の側近であり幹部であり広報担当だった上祐氏はいろいろ知っていたと考えるのが一般的だ。
あれほどテレビに出て、オウム真理教を宣伝し、正当性を主張していた人物である。事件を止めることはなかった。
でも重大事件に直接関係していないからと大した罪にはならなかった。
一方、サリンの運び屋を命令され担当すれば、それだけで死刑になる勢いである。
果たして本当に両者にはそれほど大きな違いがあるのだろうか。
麻原は指示はしたとしても直接手を下したということはないだろう。
それでも彼が死刑であることに疑問を持つ人間はほとんどいない。
天皇は、総理大臣は、戦争の責任を取るのだろうか?


違憲のもとに行ったことは天皇の責任に非ず(私の解釈)

マッカーサー総司令官が前述の三原則を持ち出してきたのが1846年2月3日。
マッカーサーの部下たちがそれをベースに草案を作成し、完成したのが2月12日で、翌日13日に日本政府に提示した。
その後、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」を作成し、3月6日にマッカーサーの了承も得た。
この改正案が帝国議会で可決されたは10月7日。
10月12日、政府は枢密院*に諮問した。

*枢密院
「枢密」とは機密や政治上の重要な秘密のこと。
「枢密院」は内閣から独立した天皇の諮問機関。憲法問題も扱ったため「憲法の番人」とも呼ばれた。1888年(明治21年)創設、1947年(昭和22年)に廃止。
「枢密院」はもともと軍制を掌った中国歴代王朝の国家機関の名称だった。
イギリスではイギリス女王の諮問機関として「Her Majesty's Most Honourable Privy Council」が今なお存在している。
日本の宮内庁はどんなものなんでしょうか?

10月29日、天皇臨席の枢密院本会議にて日本政府改正案を全会一致で可決した。
同日、天皇が憲法改正を裁可し、11月3日に日本国憲法が公布された。
すなわち現在の日本国憲法を最終的に許可承認したのは天皇である。
この承認が貰えなければ全ては水の泡。
「天皇の条約勅許を取れ」というのと同じこと。
ここで戻されずに簡単にゴーサインが出たということは、天皇の意向に沿った憲法に仕上げたということに他ならない。






by yumimi61 | 2015-07-14 12:23