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2015年 11月 23日 ( 2 )

共に選ばれし者

イエスに香油をかけたのは、ルカでは罪の女、マルコとマタイでは女、ヨハネではイベリアのマリヤだった。
少し前になるが、新約聖書「ヨハネの黙示録」にある数字「666」に関する記事を書いた。
その時に、YouTube(ヨハネの黙示録666の正体)をリンクした。
そこにこんなことが書いてあった。
  聖書で「女」は「教会」だ(-ペト5:13)

そうだとすれば、イエスに香油をかけたのは、教会ではないのか?

ペトとはペトロ(ペテロ、シモン・ペテロ)のこと。
「ペトロの書」あるいは「ペテロの手紙」と呼ばれるもので、ペトロが書いたとされている2通の手紙である。
新約聖書に含まれる。
しかしペトロの書であることには疑義もある。

ペトロ書 5章13節
汝らと共に選ばれてバビロンに在る教會、なんぢらに安否を問ふ、

口語訳 あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。
塚本訳 (君達と)共に選ばれたバビロンの人達と私の子マルコスから君達によろしく。
前田訳 バビロンに住む共に選ばれたものとわが子マルコからよろしく。
新共同 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。
NIV She who is in Babylon, chosen together with you, sends you her greetings, and so does my son Mark.

辞解
[バビロン] ローマを指す風刺的称呼(緒言参照)。「教会」なる語は原語になく唯「共に選ばれし者(単数女性名詞)」とあるのみであるため、これをペテロの妻(B1)と解する説がるけれどもこれを教会と見る方が優っている。

黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1ペテロ書より>


破壊

マルコ福音書の香油の場面もひとつのヒントになっている。
「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
壺を壊したとあるのだ。
英語ではbrokeという単語が使われていることが多かった。

女は香油のことは噂には聞いていたが、精油やアラバストロンのことはよく知らず、使い方も分からなかったのだろう。
「非常に高価で純粋なナルドの香油」は金持ちが所有していたものだったのだ。
金持ちの持っていた香油とはおそらく精油であり、容器はアラバストロンだろう。
女も油や軟膏が入っている容器ならば見たり使ったことがあったかもしれないが、アラバストロンは使ったことがなかった。

現在市販されている精油も滴下できるような口(内蓋)が付いていて、さらに外蓋を閉めるという仕様になっているものが多い。
物によってはすんなりと滴が落ちずにイライラすることもある。
中味が少なくなると余計に落ちづらくなって、ついには中蓋を取ってしまうことがある。
女は「もうなによ、これ、全然出てこないじゃない。どうやって使うのよ!」と爆発して、アラバストロンをぽっきり折るか壊すかしてしまったのだろう。
目の前に頭があれば、頭で叩き割ったということも考えられますね。
傷心ならぬ傷頭(床頭)・・・

容器を壊せば、入っていたものはその場で全部出る。
頭で叩き割ったのであれば、嫌でも頭に注がれるだろう。
マルコとマタイに出てくる女はそうやってイエスをキリストにした。
容器で頭を叩いたことが致命傷だったかは分からないが、イエスは死んだ。


儀式の精油

ユダヤでは王など権威者が戴冠する時に油を注いだそうで、これをメシアと言った。
メシアがキリストの語源であるからして、キリストも同様の意味を持っていたはずだ。
油(oil)という言葉からオリーブ油や軟膏と解されているが、儀式に使われていたのも精油だろうと思う。
多くの中から選び抜かれた(抽出された)ものであり、そこには命の精や霊が凝縮されており、生命力を感じさせる。高価で香りもよく効能もある。精油には(物によるが)消毒や腐敗防止効果も期待できるため魔除け(厄予防)の縁起担ぎにもなる。
名誉ある地位にぴったりではないか!と精油が選ばれたのではないだろうか。
儀式であるから精油は薄めずに使っていたかもしれない。
ただし上からドクドクバシャバシャと注ぐという使い方ではないはずだ。滴を散らばせたのだ。
お清めの塩をパラパラと身体に振り掛けるようなイメージである。


裏切りの意味

福音書の香油の場面は、イエスが死ぬ直前の出来事として描かれている。(ルカ福音書は性質が少し違う)
イスカリオテのユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの死(十字架に磔)と続く。
福音書の中でイエス自身が香油は死の準備だと言っていることからも分かるように、キリストになることは死と引き換えなのだ。
そうした意味でもイエスとラザロは重なる。

ラザロが死んだふりをして金持ちを殺したことをイスカリオテのユダは見抜いていた(知っていた)。
イスカリオテのユダはイエス一行の会計係を任されていたという。
ゆえに不正ができる立場にいて金に汚かったというようなことが言われる(書かれている)。
ユダは金目当てでユダヤの祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束を取り付けた。
高価な香油をイエスの足に塗ったマリヤとイエスをユダが非難した頃の話である。

ヨハネによる福音書では、このイスカリオテのユダを「イスカリオテのシモンの子ユダ」と紹介している。
十二使徒のリーダー格ペトロはシモン・ペトロとも呼ばれて、洗礼者ヨハネの子か弟子ではないかと考えられている。
熱心党(熱心者)のシモンという十二使徒もいた。
イエスの兄弟にもシモンという名の人物がいた。
イエスが滞在して女に香油をかけられた場所はらい病のシモンの家だった。

また十二使徒にはもう一人ユダという人物がいた。
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』で「タダイ」と記された人物と、『ルカによる福音』において「ヤコブの子ユダ」と記された人物がおり、伝統的にこの二つの名前が同一人物のものとして解釈されてきた。
タダイと呼ばれるユダは、西方ではイエスを裏切って自殺したイスカリオテのユダとの混同を避けるために意図的に軽視されてきたようで、「忘れられた聖人」とさえ呼ばれた。それは西方の信徒たちがユダの名において祈りを捧げるのを避けたためであった。西方ではユダは敗北者の守護聖人になっている。


「ヤコブの子ユダ」とあるが、ヤコブは旧約聖書において約束の地の継承者であり、イスラエルという名を与えられた者でもある。
【約束の地 継承者】ノアーセムーアブラハムーイサクーヤコブ(イスラエル)ー12人の子(イスラエル12部族)

ヤコブの子12人の兄弟の中にユダとヨセフという名がある。
(全員の名は前に書いたのでこちらを参照してください) 
・ユダ  ヨセフを殺すことに反対し、商人に売ることを提案し売った。ユダの子孫からイエスが出る。
・ヨセフ 兄達によって商人に売られる。エジプトへ。 

ユダとヨセフは異母兄弟である。ヨセフは後から生まれた。
ヤコブが最初に恋に落ち、結婚まで14年も待たされ、挙句なかなか子供の出来なかった姉妹の妹ラケルとの間に出来た最初の子。(これはこちらに書いたもの
ヨセフは父ヤコブから特別に愛されたため、上の異母兄弟たちから反感を買うことになった。
殺すとか売るとか物騒な話が出てくるのはそのせいである。

洗礼者ヨハネをヨセフの子孫、イエスをユダの子孫とすれば、イエスはヨセフ(ヨハネ)を嫌う血が流れていると考えることもできる。

シモン・ペテロは洗礼者ヨハネの子か弟子。
「イスカリオテのシモンの子ユダ」は、ヨセフ(ヨハネ)とユダ双方に関係あるような名前である。
はたして彼にはどちらの血が流れていたのか?
ヨセフ(ヨハネ)の血を引きながら何らかの使命を帯びてユダという仮面をかぶった(かぶらされた)のか、それともユダの血を引きながヨセフ(ヨハネ)を愛したのか。
どちらにしても「裏切り者」という言葉が似合ってしまう人物なのだ。
そして、ユダヤ教のもとに生まれながら、キリスト教の祖になってしまったイエスもまた、裏切り者なのである。

ちなみに十二使徒にはヨハネという名の弟子もいる。
イエスが一番愛した弟子はこのヨハネらしい。
イエスがユダの血を引くならば、父親から溺愛された子に憧れと憎悪という相反する気持ちを持つ人物として描かれてもおかしくはない。
ヨセフ(ヨハネ)の血を引くリーダー格のシモン・ペテロよりも、ひょっとしたらヨハネの血は引かず名前だけ真似てみたヨハネという弟子を愛したということかもしれない。
宿命と運命と複雑な心境が絡み合っているわけですね・・。


元の状態に戻ることに反抗しながら(反!復)、それでも何度も同じことを繰り返してしまう(反復)、それを運命と言うならば

洗礼者ヨハネを何故ヨセフの子孫と考えたかと言うと、名前が一番似ていたから。(ヨしかあってないじゃないか?)
もうひとつはイエスの養父がヨセフという名前だったからだ。
養父と洗礼者という存在は共通点があるのではないだろうかと思ったのだ。

一般的にイエスはユダの子孫と言われている。
養父がもし12部族のヨセフの子孫であるならば、母マリアがユダの子孫だったか、実の父(神様の子ですよ?)がユダの子孫だったかである。
ユダはヨセフにとって、救いであり(殺すことには反対してくれたから)、裏切り者でもある(商人に売ってしまったから)。


JとGに隠された秘密

※名前対照表(左から原語カナ、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語)

 ヤコブ James(ジェームズ) Jacobus(ヤコブス) Jacques(ジャック) Giacomo(ジャコモ)
 ヨハネ John(ジョン) Johann(ヨハン) Jean(ジャン) Giovanni(ジョヴァンニ)
 ユダ  Judas(ジュダ) Juda(ユダ) Judas(ジュダ) Giuda(ジュダ)
 イエス Jesus(ジーザス) Jesus(イエズス) Jesus(ジェジュ) Jesu(イエズ)
 ヨセフ Joseph(ジョセフ) Josef (Joseph)(ヨーゼフ) Joseph(ジョゼフ) Giuseppe(ジュゼッペ)

頭文字がJの聖書主要人物を挙げてみた。
但しイタリア語では頭文字がGとなることが多い。イエスだけがJを維持している。
日本語での呼び方は英語ではなくドイツ語に近い。

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フリーメイソンのシンボルの1つ。
フリーメイソンリーのシンボルマークの一つ。定規とコンパスは石工職人のギルドだったことの名残。
上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、男と女、陽と陰、天と地、精神と物質など世界の二元性の融和を表現している。
中央の「G」は至高存在を意味し、神(GOD)と幾何学(geometry)、栄光(Glory)、寛容(Grandeur)等を意味する。また「G」にはグノーシス(Gnosis)の意味も込められている。
フリーメイソンにおいて個々の建築道具は人間の美徳と対応し、直角定規は道徳、コンパスは真理、こては結束と友愛、槌は知識や知恵を象徴している。


フリーメイソンは、石工組合以外に、キリスト教で言う反キリストの『悪魔の子』=『天上のルシファー、その王の称号がヒラム(フラム)の子=ツロの王の子=自らをルシファーの子と名乗る人々』と示すとの意味と捉えている人達もいる。

1つの目が描かれている「プロビデンスの目」もフリーメイソンのシンボルマークだ。

こちらはグノーシス主義のシンボルマークと言われることもある「太陽十字」。
e0126350_14455159.jpg


福音書は正典として認められた以外にも多くあったらしい。
しかしそれらの福音書はイエスよりもイスカリオテのユダのほうが偉い人物に描かれていたそうで、だからみなボツになったようだ。
要するにそうした書は異端として切り捨てられたわけだが、異端の方が実は多かったりして?
でも時代が進むにつれて異端という名の正統は闇に葬られ、少数異端がいつの間にか多数正統になっていた。ということかな。
グノーシス主義も最初はキリスト教の異端児的存在だったと言われている。






by yumimi61 | 2015-11-23 18:08
ハブ

聖書は英語で書かれたものではない。しかもかなり古い時代に書かれた書物である(はずだ)。
一字一句間違いなく転写され、正しい解読のもとに、後世に伝わってきたのかどうか、やや疑問が残る。
そうした根本的な問題を抜きにしても、英文の聖書はすでにそれ自体が訳文である。
日本語に訳されたものは、英文の聖書から訳したものだと思うが、違うのだろうか?
ともかく訳文の訳文の訳文の訳文といった感じで幾つかの翻訳を経て、今日の聖書がある。

日本語訳文はそれほど多くのパターンがあるわけではないが、キリスト教本場英語圏では幾つもの聖書(訳文)があり、それぞれ少しずつ表現の仕方が違っている。
こちらのサイトはハブ空港ならぬバイブルハブ。
いろんな言語で聖書が読める。
日本語は1つの訳のみ。英語では複数の訳が提示される。
上でリンクしたのは先日載せた「ルカ7章37節」の英語版。


まず日本語で見比べてみよう。
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―ジャパニーズ・イングリッシュ ルカによる福音書より
(ルカ 7:37)
するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
Behold, a woman in the city who was a sinner, when she knew that he was reclining in the Pharisee’s house, she brought an alabaster jar of ointment.

(ルカ 7:38)
泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
Standing behind at his feet weeping, she began to wet his feet with her tears, and she wiped them with the hair of her head, kissed his feet, and anointed them with the ointment.

— ルカ7:37-38(新共同訳による)
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
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点線内は先日掲載したものだ。
下記はバイブルハブ日本語版より。

(ルカ7:37)
見よ、罪人である一人の女がその町にいたが、彼がファリサイ人の家で横になっていると知ると、香油の入った雪花石こうのつぼを持って来た。
(ルカ7:38)
泣きながら後ろから彼の足もとに進み寄り、自分の涙で彼の両足をぬらし始め、自分の髪でそれらをぬぐい、その両足に口づけし、それらに香油を塗った。


上で赤字で示した箇所の別の表現。
an alabaster jar of perfume
a beautiful alabaster jar filled with expensive perfume
an alabaster flask of ointment
an alabaster jar of perfume
an alabaster flask of fragrant oil
an alabaster vial of perfume
an alabaster box of ointment
an alabaster jar of fragrant oil
an alabaster jar of perfumed oil
an alabaster vase of ointment
a bottle of perfume
an alabaster cruse of ointment
an alabaster box of myrrh
an alabaster-box of ointment
a flask of perfume

ヨハネ12:3の「高価で純粋なナルドの香油一斤」はどうだろうか。

その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。

そこでマリアは,非常に高価な純正のナルド香油一ポンド12オンスまたは約340グラム相当のローマ・ポンドを取り,イエスの両足に塗り,自分の髪で彼の両足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

about a pint of pure nard, an expensive perfume
a twelve-ounce jar of expensive perfume made from essence of nard
a pound of expensive ointment made from pure nard
about a pint of expensive perfume, made of pure nard
a litra of fragrant oil of pure nard, of great price
a pound of very costly perfume of pure nard
a pound of ointment of spikenard, very costly
a pound of fragrant oil--pure and expensive nard
a litron of very expensive perfume made of pure nard
three quarters of a pound of expensive aromatic oil from pure nard
an alabaster vase of ointment of the best Indian spikenard, very expensive
a bottle of very expensive perfume made from pure nard
a pound of ointment of pure nard, very precious
a pound of ointment of right spikenard, of great price
a pound of ointment of pure nard of great price
a pound weight of pure spikenard, very costly


perfume(香水)では駄目だ

イエス・キリストのキリストという言葉は油(膏)を注がれた(塗られた)者という意味なのだから、キリストがキリストであるためには油が注がれたり塗られていなければならない。
新約聖書はイエス・キリストの話であり、それに支えられてイエス・キリストは信仰されているのだ。
もし油とは全く関係なく神聖を謳うのであれば、キリストという名(称号)でなくても良かったはず。
そして確かに新約聖書にはイエスが油を注がれる場面が描かれているのである。
そこがperfume(香水)では、油ではなくなってしまい、「キリスト」がぼやけてしまう。
香水にすることでイエスが真のキリストでないことを暗に伝えているというならば話は別だが。


混せ物では駄目だ

上に書き出したヨハネ福音書の香油の説明(英語版)では、"essence of nard" "pure nard"という言葉が使われている。
これはたぶん「精油」のことだと思う。
しかし精油そのものを持ってきたという表現はほぼ見られない。
唯一この表現"a pound weight of pure spikenard, very costly"が精油のみと受け取れる。
他は全て、精油入りの軟膏、精油入りの香油、精油入りの香水としている。

イスカリオテのユダが見積もった価格を信じれば、混ぜ物ではないはずだ。
精油を混ぜて使う時にもそんなに多くを混ぜるものではない。油や水に数滴混ぜて使用するものである。
女が持ってきた油や水の総量が500mlくらいだったとしても、そこに含まれる精油は僅かとなるので、イスカリオテのユダが言うほど高価にはならない。
オリーブや石油が採取できる地域だから油がとても高価だったとも思えない。
本当に高い価格のものならば100%精油だったと思う。ピュアオイル、ピュアエッセンス。
もし混ぜ物でそれほど値の張らない物だったならば、ユダに「なぜこの香油を売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と指摘された時に、女やイエスは「そんなに高価なものではない」と否定すればよかった。
しかしそうしていない。


ミステリー

もう一度香油の場面比較を載せる。前と少し違うのだがお気づきだろうか?
福音書並びの順番である。
成立が早い順にしてみた。
どれか1つを読むだけでは分からないのだが、4つの福音書を読むと見えてくるものがある。
4つの福音書の記者は2人か1人ではないだろうか。
2人にしても1人にしても1人は洗礼者ヨハネに近い(ヨハネ側)人物。
洗礼者ヨハネに近い(ヨハネ側)人物は福音書の中でイエス一派の嘘を暴こうと試みた。もちろん嘘を嘘と書いているわけではない。

●マルコ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

●マタイ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「高価な香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

●ルカ
・パリサイ人の家
・シモン、その町の罪の女
・罪の女が「香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

●ヨハネ
・ベタニヤ ラザロのいた所
・ラザロ、マリヤ、マルタ
・マリヤが「高価で純粋なナルドの香油一斤」を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。


ラザロという名の人物は、ルカ福音書16章20節に登場する。
金持ちとラザロ」という場面である。

(ルカ16:20)
ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
A certain beggar, named Lazarus, was laid at his gate, full of sores,


―バイブルハブ日本語 ルカ16:20
その門の前には,ラザロという名のこじきが,できものだらけの身で横たわっていて,

バイブルハブ英語 ルカ16:20

「金持ちとラザロ」のラザロは、イエスによって生き返ったラザロと同一人物であろう。
この場面があったからこその推理になるが、ラザロは金持ちを殺した。
自分が死んだ後にである。死んだふりをした後にということである。
死んだ人間が人を殺せるわけがないのでアリバイが成立する。
そしてラザロは復活した。
金持ちは孤独な人間だったのだろうか。金持ちの家や物をラザロは我が物にした。
マリヤとマルタはラザロの姉妹である。皮膚の病気である兄弟ラザロを不憫に思っていた。
たぶん有り合わせの物でラザロの皮膚をケアしてあげていたのであろう。
そこには母の面影もある。
イエスはその兄弟姉妹を愛していたのだ。
イエスとラザロも同一人物かもしれない。


ゴーストバスターズ

ヨハネ福音書以外は香油が何に入れられていたか記述されている。
日本語では「石膏の壺」と訳している。バイブルハブ日本語では「雪花石膏」と訳されていた。
英語では"alabaster"となっている。

アラバスター(Alabaster)は美しい白色の鉱物の変種のひとつ。
その特徴的な美しい白さゆえに、アラバスターは白いものの形容として、例えば英語では"alabaster skin"(白く滑らかな肌)といった表現で詩や歌などで使われている。

アラバスターとよばれる石には2種類あり、それぞれ石膏(CaSO4・2H2O)と方解石(CaCO3)という2つの異なった鉱物の変種である。現代ではアラバスターは石膏のものをさし、方解石のアラバスターは一般に古代のものをさす。
両者の違いは硬さによって簡単に判別できる。石膏のものはモース硬度が1.5から2であり、爪で傷つけることができる(爪の硬度は2.5)。一方、方解石のものの硬度は3で爪で傷つけることができない。さらには、方解石のアラバスターは炭酸カルシウムなので塩酸にとけるが、石膏のものは反応しないことでも判別できる。


上にも詩歌で使われていると書いてあるが、アラバスターは欧米の文学作品にて完璧な美や富を象徴する物として使われる。有名どころでは『赤毛のアン』にも登場する。
しかしそう聖書ですでに使われていたのだ。
「黒い貴族」という言葉が影を落としたのか、それとも人類は全てアフリカから生まれたという学説「out of Africa(アウト オブ アフリカ)」が影響を及ぼしているのか、人間は白肌への憧れが強い。
日本ではアラバスターという言葉はあまり用いられないが、女性ファッション誌や美容雑誌及びインターネットサイトや記事、広告などでよく「陶器肌」という言葉が用いられている。
どういう意味合いで使っているのか最初よく分からなかったが、白くてつるつるすべすべしていて、均一で曇りの無い透明感のある肌らしい。
前に私は「便器だって陶器よ」と書いたことがあるのだが、お掃除は欠かせないということですね。(せめてお茶碗と言って?)
世界は肌の色の差別(人種差別)に厳しくなって猛反対するようになったが、白肌バンザイ観は相変わらずといったところ。
日本人の日除けブームなどは狂気的でさえある。
だから白皮症や白斑症という疾患があるにもかかわらず、また多くの人が当たり前に白髪になるにもかかわらず、肌が白くなったマイケル・ジャクソンを漂白したと非難したのだ。白肌への憧れの裏返しだろう。
健康的に黒い肌が真っ白に漂白できるならば、それこそノーベル賞ものではないのか?

ただ白い物へ憧れる気持ちは分からなくはない。
何故かと言うと、この世界に「白」という天然色は存在しないから。

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アラベスク

精油(ピュアオイル・ピュアエッセンス)を入れていた容器は「アラバストロン」ではないだろうか。
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左) ルーヴル美術館 クラシック時代のギリシア美術(前5-前4世紀) 「アラバストロン」
右) GICガラスミュージアム C4~5世紀頃のアイシャドウの容器 「アラバストロン」

精油は酸化や変性をしやすいので保存や取り扱いには注意を要することは前述したが、精油は揮発性であり油脂とは性質が違う。
常温常圧でも蒸発してしまうものである。
そういった性質を踏まえれば、保存容器も何でもよいというわけにはいかない。
通気性がなく容器の素材と化学反応を起こしにくいもの。そして蓋があることはもちろん、開口部も極力狭くしなければならない。
開口部が狭いことは外気との接触を少なくし蒸発を防ぐ。
また精油は幾滴か滴下して用いることが多いので、滴が垂れるくらいの開口部が使いすぎを防ぐ。
口が大きく開いた容器であれば、必要以上に使ってしまったり、高価な精油を無駄にこぼしてしまうこともあるだろう。
精油容器に蓋がないのは論外。




by yumimi61 | 2015-11-23 00:21