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2016年 01月 15日 ( 1 )

昨日に引き続き紋章の話です。

明日嫁ぐ私に~(幾らなんでも間に合わない?)

キリは古くから良質の木材として重宝されており、下駄や箪笥、箏(こと)、神楽面の材料となる。また、伝統的に神聖な木とみなされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきた。

桐紋の図柄では草花のように見えるが、桐(キリ)は樹木である。
神聖な木と見做されていたかは分からないが、桐から作る桐箪笥(きりたんす)は一昔前の嫁入り道具だった。
桐箪笥に一揃いの着物を入れて嫁いだのだ。
桐生は織物の町であり、そういう意味でも桐が似合う。
桐の木は成長が早いので、女の子が生まれたら桐の木を植えて、嫁ぐときにその木を使って箪笥を作ることが可能だそうである。
世界に1つしかない自分だけの桐の木。それで作った世界で1つだけの桐箪笥。
桐箪笥を嫁入り道具にするという風習があったので、洋服の時代になって桐に拘らなくっても箪笥は長いこと嫁入り道具を代表する物であった。
核家族が主流になりつつあり、家も小さくなって賃貸が多くなり、収納の方法が変わったため、昨今は箪笥は流行らなくなったが、私の祖母や母の時代にはまだ箪笥には思入れがあったと思う。
女の秘密は大抵箪笥の中に隠されていたものだ。
そのせいか、私は箪笥を持っていないが箪笥には何か特別な感じを持つ。
引き出しの中に置かれた匂い袋には子供心に色香を感じたし、今ならば懐愁を感じることだろう。
女にとって桐は神聖な木だったのかもしれない。
しかし桐は珍しいという意味において特別な木ではない。

翼(よく)のついた小さい種子は風でよく撒布され、発芽率が高く生長が早いため、随所に野生化した個体が見られる。アメリカ合衆国でも野生化して問題となっている。


勝ち馬に乗る

足利尊氏や豊臣秀吉など武家が桐紋を天皇から下賜されたという話はどれくらい信憑性が高いのか分からないが、天皇から与えられたとするならば、それは恩賞の類ではなかろうか。
恩賞とは、近世以前に行われた合戦において、主君が武士が戦功を挙げた 家人や武士に対して表彰し、所領もしくは官途状、感状、物品の授与、格式の免許、 官職への任官の推薦を行うこと(関連用語→恩給)。

事実、旭日章にも用いられている。
旭日章は1875年(明治8年)4月10日に日本で最初の勲章として制定されたものである。
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1888年(明治21年)1月4日には、勲一等旭日桐花大綬章(現:桐花大綬章)を旭日章の最上位として追加制定した。
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もうひとつ考えられるのが引出物である。
現代で引出物と言えば、結婚式に出席してくれた人(御祝儀をくれた人)に持たせるお土産(お返し)である。
結納の際に結納金や指輪や時計(貴金属)などを両家で交換しあう慣習もまだ残っている。
家庭の慶事に対して戴く祝儀にもお返しをする。
現代ではこのお返しを内祝いと言うことが多いが、もともとも内祝いや引出物とは祝儀を貰う貰わないに関係なく、宴席を設けたり贈り物をすることであった。
昔はそのような婚姻や内祝いの時に馬を引いて行った。馬は財産の1つであり、贈り物になったのである。
そのうち馬代(うましろ)として貨幣や物品が贈られるようになった。
それが引出物という言葉のルーツと考えられている。
箪笥や反物は引出物(引く物)という言葉にもよく合う品物である。

伊達家は沢山の家紋を持ったことで知られているが、純粋に伊達家の家紋と言えば、一番最初の堅三つ引き両である。
引き出物として笹紋を上杉氏から貰うより以前はこの家紋をしようていたようである。

「竹に雀(仙台笹)」は上杉定実より養子縁組の引き出物として伊達実元に贈られたものが原型であり、現行の紋は伊達宗家がこれを変形したものである。本来の所有者である亘理伊達家をはじめとする伊達各家が用いる「竹に雀」の紋は、宗家の紋より竹の葉や節の数などが少なくなっている。中央には「阿吽の雀」がおり、左側の雀が阿形で腹を見せて飛び、右側の雀が吽形で背を見せて飛んでいる姿であることが多い。笹かまぼこやすずめ踊りなどはこの家紋に因んで命名されたものである。伊達泰宗が商標登録した。

ただこの家紋が波紋を呼んだ。
伊達家を二分する天文の乱に繋がり、伊達家に迎えにきていた上杉家の家臣らは伊達実元を置いて越後へ帰ってしまい、養子縁組(実元の上杉家入り)は破談した。
骨肉の争いを繰り広げた伊達家と断絶してしまった上杉家。
守護大名・上杉家の名跡は守護代に譲られた。その守護代が長尾景虎、後の上杉謙信である。
養子縁組の叶わなかった家紋が伊達家の代表家紋になっているというのは何とも不思議なことであるし、縁起が良いものでもない気がするが。

ともかく贈られたものは家紋とは違うと思うのだ。
結婚式の引出物に夫妻や両家の名入の品を戴くことがあるが、それを受け取ったからといって、私が夫妻の名や両家の姓になるわけではない。

婚姻や養子縁組の当事者両家において、相手の家紋に合わせて家紋を変更するとすれば政略結婚だろう。格下の家が格上の家の一族になるということ。

図柄でならば、図柄が有名になれば、それに肖り何かに用いるということは多々あると思う。
星や月や十字架や矢や鷲など様々な国の国旗や紋章に使われているように、そうしたことが個人の家レベルで行われても不思議はない。


下草の紋


天皇家は足利家、織田信長、豊臣秀吉の例に倣い桐紋を徳川家にも与えようとしたが、徳川家はこれを固辞したため、葵紋の権威が上がったともいわれる。

葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科(馬の鈴草)のフタバアオイを図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっている。 その賀茂氏との繋がりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家が清和源氏の末裔ではなく賀茂氏の末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。


桐を描いたとされる桐紋は、実のところ桐ではないのかもしれない。
偽物(間違い)の紋は受け取れない、それが徳川家が桐紋を拒否した理由ではないのか。
ではあの植物は何か?
私はツワブキ(石蕗)だと思う。木ではない。下草である。日本の庭でよく見かける。
ラジオ深夜便の皆さん、そう思いませんか?

キク科ツワブキ属に属する常緑多年草(冬でも葉が緑のままで、1年や2年で枯れること無く、よく生き残れる草)である。毎年、キクに似た黄色い花をまとめて咲かせる。葉柄は食用になる。

つやのある大きな葉を持っており、初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日〕まで)のころに黄色い花を咲かせる。
日本の公共放送局である日本放送協会(NHK)のラジオ番組・「ラジオ深夜便」では、日本の季節に合わせて このツワブキの花を12月5日の「誕生日の花」とし、その花言葉を「困難に負けない」としている。

「ツワブキ」という名前については、艶葉蕗(つやはぶき)、つまり「艶のある葉を持ったフキ」から転じたとする説のほか、厚葉蕗(あつはぶき)、つまり「厚い葉を持ったフキ」から転じたとする説もある。ほかには「ツワ」・「イシブキ」・「オカバス」・「オバコ」などとも呼ばれ、沖縄方言では「ちぃぱっぱ」、奄美方言では「つばしゃ」・「つば」、宮古方言では「つぱぱ」、八重山方言では「ちゅぶりんぐさ」(頭の草)と呼ばれる。

現在の中国の標準名は「大呉風草」(拼音: dàwúfēngcǎo)であるが、「一葉蓮」、「活血蓮」、「八角烏」、「金缽盂」などの異名がある。台湾語では「乞食碗」(khit-chia̍h-oáⁿ、キッチャッオワ)または「山菊」(soaⁿ-kio̍k、ソアキオッ)と呼ばれる。

韓国語では「털머위」(トルモウィ)と呼ぶが、毛の生えた蕗を意味するが、葉の裏に毛が多いことによる。朝鮮語では「말곰취」(マルゴムチュイ)と呼ぶが、馬のオタカラコウを意味する。



菊をぐっと小型化したような黄色の花が咲く。星野富弘さんの絵のツワブキ
だから天皇は菊とツワブキの花をセットで持ち、下草で小型の花のツワブキを下賜していたのではないだろうか。
2つの紋を使い分けていたのは権威者だからこそ。
ツワブキがいつの間にやら紫の花が咲く桐になってしまった、あるいはそう解釈されるようになった。
それに納得がいかなかった徳川家はツワブキの葉によく似た葉を付けるフタバアオイをモチーフに自家の紋を作成した。
フタバアオイもやはり下草である。葉のつけ根の部分から柄を出して目立たない暗赤褐色の花(萼)を付ける。葉っぱはハート形。花言葉は細やかな愛情。

三つ葉葵が架空であるという件については、1つに茎には2つの葉しか付けなくとも、下草として群生していれば葉が2つとか3つとかはあまり関係ない。
葉は沢山あるように見える。その中から3つの葉を選んだに過ぎないのでは。





by yumimi61 | 2016-01-15 11:17