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2016年 07月 31日 ( 1 )

まず第一に、「ヒトラーの思想」や「優生思想」という言葉が曖昧で、誤解を与えたり焦点をぼやけさせる。

「思想」という語に対応する英語は"thouguht"である。直訳すると「考え」ということ。
考えという用語の英語には、"thouguht"の他に"idea"や"thinking"がある。
「考え」という意味において一番無難で一般的に使われるのは"idea"である。
"thouguht"は解釈が2通りあって、1つはひらめきや思いつきなど、もう1つは深い考え。
"thouguht"という用語だけではどちらか分かりにくいが、文章の中にあれば形容詞や文脈で判断が付く。

「ヒトラーの思想」と言うと、ヒトラーの考えということになる。
私達はヒトラーと直接会って話をしたわけではないので、ヒトラーの考えなど知る由もない。
何やらスピーチしているような映像を見たことがあるような気もするけれど(気のせいだろうか?)、なにせドイツ語が理解できない。そもそもドイツ語を話しているのかどうかも判断できないレベル。
正直、ヒトラーのチョビ髭くらいしか記憶には残っていない。
ということで、これがヒトラーの思想だったと、誰かに吹聴されたものを、ヒトラーの思想だと思い込んでいるに過ぎない。
でもいくらヒトラーが独裁者だったとはいえ、大掛かりなことはヒトラー一人で出来るわけがない。
実行者が多数いたはずである。でも実行者の名前を挙げ連ねることも出来ない(知らない)。
では何と言うのが妥当か。それは「ドイツ」や「ヒトラー政権」、あるいは「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」、ナチス(Nazis))のイデオロギーであるナチズム(Nazism)ということになるだろう。
普通に考えれば、独裁者1人を相手に戦うならば、独裁者がどんなに強くても10人もいればクーデターは成功するだろう。
独裁政権になにより重要なのは独裁者ではなく、それを支える無数の支持者や協力者である。

ヒトラーは『わが闘争』という本を出版したことで知られている。
ヒトラーは1923年11月に起こったドイツの中央政権転覆を目指した「ミュンヘン一揆」(クーデター)の首謀者の一人だった。
ナチス党員が参加していた一揆だったのだ。
ドイツは第一次世界大戦(1914-1918)で敗北し、ドイツにとっては(何故か関係のない)多くの国が敵国となって、それに伴って天文学的な賠償金を課せられるなどしたため、国内には不満が鬱積していた。
ヒトラーはミュンヘン一揆まで全く無名の人物だった。
このミュンヘン一揆は失敗に終わり、ヒトラーは投獄されたのだが、この獄中で『わが闘争』の執筆を開始する。
従っておそらく執筆はヒトラーの発案ではないであろう。
刑務所の管理者は「彼(ヒトラー)はこの本が多くの版を重ねて、彼の財政的債務や法廷費用支払の助けとなる事を望んだ」と記したそうだ。
誰かが本を書くことを勧めたのであろう。
執筆を開始したと言っても、ヒトラー自身が書いたものではない。
ヒトラーが話したことを(口述)、同じ刑務所にいた人が書いたそうだ。それはつまり、ヒトラーには執筆能力が無かったということになる。
能力というか、言語的な問題があったのかもしれない。
前にも書いたが、ヒトラーはドイツ生まれではない。多民族国家であったオーストリア生まれのオーストリア人であった。
出生地はオーストリア・ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州であり、国籍としてはドイツ人ではなくオーストリア人であったが、民族としてはドイツ人である。1932年にドイツ国籍を取得してドイツ国の国民となっている。

オーストリアは多民族国家なので種々の言語が入り込んでいるが、多くはバイエルン・オーストリア語である。
オーストリアとドイツのバイエルン地区で使われいた言語で、母語話者数は約1200万人と日本語の母語話者数の約10分の1程度である。
バイエルン・オーストリア語はドイツ語の一方言と見做す学説も存在するので、ドイツ語に近いことは近そうだ。
当初ヒトラーは『Viereinhalb Jahre (des Kampfes) gegen Lüge, Dummheit und Feigheit(虚偽、愚鈍、臆病に対する(闘争の)の4年半』というタイトルを希望していたらしいが、出版担当者に却下されたそうだ。
これは要するにヒトラーの自伝なのである。
オバマ大統領がまだイリノイ州の州議会議員にすらなっていない1995年に、『マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝』を書いたのと同じ。将来大物になることを予見したのか、自身の原風景を描いた。

『わが闘争』には1部と2部があって、1部が自伝で、2部が国家社会主義運動(ナチズム)についての記述である。
1部は、1925年7月に「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の出版局から発売された。
2部は、1926年12月に発売。
主に支持者が購入するのだから最初から大ヒットしたというわけではない。
「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の支持拡大とともに販売数は伸びて行った。
ヒトラーは多額の印税収入を得てホクホクだったらしい。
ナチスが権力を掌握後はもはや怖いものなし。
国民のバイブルするようにという上からのお達しにより、お役所はこの本を買って結婚する全ての夫婦に配布する勢いだったという。
(ヒトラーはこの時まだオーストリア人である)

無名な外国人が、クーデターに失敗したにも関わらず、ヒーローになりつつあって、大金も手にした。
こうなればアメリカンドリームならぬ、ジャーマンドリームと言ってもよいだろう。
(トルコにもドリームが生まれるかな?)


外国(英語圏)では「優生思想」という言葉はほとんど使われない。
「優生思想」ではなく「優生学(eugenics)」である。
eugenics thought という使い方も一般的ではない。
優生学
応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される。1883年にフランシス・ゴルトンが定義した造語である。

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フランシス・ゴルトンは、チャールズ・ダーウインの従兄弟。

eugenicsの'eu'はギリシア語のeusを起源としていて、goodやwell(良い、善、上手)というような意味を持つ。
'gen'もギリシア語で生む(産む)という意味。
eugenics=eu(良い)+gen[e](遺伝)+-ics(~学)

「安楽死」はeuthanasia。
eu(良い)+thanas(死)+-ia(名詞化) である。
thanasはギリシア語のthanatos(タナトス;死)由来。

'eu'は科学分野において本物(genuine)という意味を持たせる分類学上の名称(造語)として重宝されている。

優生学があれば、劣性学(dysgenics)もある。
種属退化学(cacogenics)なんていうものもある。
dysは悪・不良・困難といった意味があり、euの対義語。
cacoも悪・誤りという意味がある。


優生学は学問である。
勉強や学習と言えば義務教育や高校で学ぶことが含まれていもいいが、「学問」と言うと、大学・大学院レベルで学ぶ知識となる。
なかには大学では扱われず大学院レベルというものもある。
そうなると、基本的に、学士・修士・博士でしか語れない話となるわけで、部外者が何を言っても戯言。
何か言いたければ博士号を取ってからにしろだとか、学会員(創価学会じゃないですよ)になってからにしろだとか言われてしまうわけ。この学問が社会を作っている。
学問の分野は大きく分けて、基礎科学と応用科学がある。文系だから科学とは無縁ということはない。すべてどちらかの科学内に分類される。

学問の一覧は、大学・大学院レベルで学ばれる知識を分類したものである。それぞれの分野には下位分野があり「(例)物理学→素粒子物理学」、この下位分野にはそれぞれ学術雑誌、学会があることが多い。
学問の分類には図書分類法のような分類法がなく、日本とアメリカ、ヨーロッパなど地域や教育機関ごとに差異がある

(素粒子物理学は日本の得意分野なのです)

■基礎科学の分野
●人文学―哲学、 宗教学、文学、言語学・言語
●社会科学―政治学、経済学、心理学、社会学、人類学・考古学、歴史学、地理学、地域研究
●自然科学―物理学、宇宙科学・天文学、地球科学、化学、生物学
●形式科学―数学、統計学、計算機科学、システム科学

■応用科学の分野
芸術学・芸術・デザイン、法学、行政学、軍事学、経営学、家政学、メディア研究、教育学、工学、建築学、交通科学、農学、医学、歯学、薬学、医学・歯学・薬学以外の健康科学、図書館情報学

~学(例:物理学)の中でもさらに細分化されていて(例:素粒子物理学)、1つの学にそれこそ何十という分野がある。
それを下位分野と言っているが、この下位分野には学会があることが多い。原子力村(原子カムラ)ではないけれども、学会村(学カイムラ~)があるのである。
心理学が基礎科学なのか?とか、応用科学の医学に含まれる基礎医学は基礎科学ではないのか?といろいろ疑問はあるかもしれないが、あくまでも分類なのでご容赦ください。


哲学者と思想家が一緒に語られることが多いせいか、「思想」という言葉を使うと「哲学」を彷彿とさせるのだが、優生学(優生思想)は哲学とは関係ない。
優生学は応用科学に含まれると書いてあるが、現在は優生学という分類はない。
関係する分野としては、遺伝に関係することなので、人類学、生物学、医学、農学、工学といったところだろうか。

元々の優生学は遺伝病が広範囲に広がって社会に弊害を生まないように、遺伝子レベルでの根絶を目指した学問だった。
それを民族単位で展開しようとしたのが「民族衛生学」。それぞれの民族には固有の特色や問題があるはずだという考えがベースになっている。

日本には現在も「日本民族衛生学会」がある。
本学会は、昭和5年(1930)、永井潜(生理学)らによって創設され、その目的は、所謂、社会・文化的背景を考慮にした医学研究及び社会啓発を目的とする当時としては先覚的な理念に基づいている。
この理念は福田邦三(生理学)、勝沼晴雄(公衆衛生学・人類生態学)らに引き継がれ、現在では、ヒューマンエコロジーを基盤とする包括的医学研究の育成・推進を図り、健康と福祉の向上に寄与することを目的としている。
即ち、健康現象を研究するにあたり、人間と環境との係わりを包括的に記述、分析する方法に関心を持つ医学研究集団である。DNA、細胞、臓器、人体、集団、民族を分析的のみならず統合的に研究し(differentiation & intergration)、一方、環境については「人間が作った環境(culture)」を「自然の環境(nature)」に対比する。
特に後者は、文化を精神文化(culture)とし物質文明(civilization)と対比する人文・社会科学の定義ではなく、「自然環境=自然」に対比する「人間が作った環境=文化」とすることによって、「文化」を生物科学的に定義した。これによって人文科学ではない医学が「文化」を取り扱うときに困惑していた問題を整理できた。

なお、創立当時の世界情勢によって本学会が民族主義的優生学の学会と誤解されることもあったが、当時、圧倒的に優勢だった要素還元主義・人体機械論及び決定論的パラダイムから距離を保ち、包括主義・人体有機体論及び確率論的パラダイムを志向する学会であり続けて今日がある。

日本民族衛生学会についてより>

上記ホームページに記載されている名誉会員名に鈴木庄亮という名があるが、私はこの教授に公衆衛生学を学んだ。
1981年、東京大学人類生態学助教授を経て、群馬大学医学部公衆衛生学教室の(3代目)教授として赴任。


たぶん優生学が学問の中だけで存在していたならば問題にされることはなかったのだろうと思う、
政治と結びついたことが不幸の始まりと言うか、誤解を生んだと言うか、変質してしまったと言うか、なんというか。「優生学」自体が偏見の目に晒されるようになった。
また政治と結合したことで、政治学、法学、社会学、行政学、経済学、軍事学、教育学、芸術学など多くの分野に関係することとなり、結果的にそれが社会に影を落とすこととなった。

「ヒトラーの思想」や「優生思想」というとユダヤ人虐殺(ホロコースト)に直結して、それしか思い出せない状態となる。
でも考えて見てほしい。
優生学は農学では早くから取り入れられていて実用化されている。
遺伝子操作は今日もっとも持て囃されている科学である。
遺伝子操作をして悪いものを作ろうなどと考えている人はそうそういないはずである。
自然に任せるのではなく、自らの手で操作してまで良いものを作りたい、それが「優生思想」でなくて何なのだ?
デザイナーズベビー、出生前診断、みな優生思想に立ったものだ。
出生前診断には中絶がセットになっている。安楽死は許されないが中絶は許されている。
もっと言えば「生まれてくる子が五体満足でありますように」「健康ならば良い」といった願いや祈りも優生思想である。
難関校やブランド校に子供を入学させたいとお受験に熱心になる。我が子を地元の低俗な公立になんか通わせられない、これも立派な優生思想である。
社会は優生思想で満ち溢れている。
優生思想が悪いなどと言う欺瞞はたくさんだ。


ナチスは、その単位が個人や家族ではなく、国家であった。
優秀な子供を誕生させたい、優秀な子供を育てたい、勝ち組な家族になりたい、国家レベルでそれを実現しようとした。
ナチスが優秀だと信じていたのは北方人種(北欧人)とアーリア人。
北欧はゲルマン人の発祥の地だから関係があるが、何故にアーリア人?と思う。
アーリア人
広義には中央アジアのステップ地帯を出自とし、南はインド亜大陸、西は中央ヨーロッパ、東は中国西部まで拡大したグループ。狭義にはトゥーラーン(中央アジア)を出自としたグループを指す。
イランはアーリア人の国という意味だそうだ。
次第にヨーロッパにも移動したとはいえ、民族的にはアーリア人=ドイツという構図にはならない。これではドイツの中央アジア信奉になってしまう。

もうひとつの考え方が言語。
インドのサンスクリット語と古代ローマ帝国が使用していたラテン語が似ているということで、これを合わせて「インド・ヨーロッパ語」とし、この言語を使う民族を「インド・ヨーロッパ語族」とした。
そして「インド・ヨーロッパ語族」のルーツは全てアーリア人であるという学説を発表したのが、ドイツ生まれの学者(後、イギリスに帰化)。
この学説が流行したために民族ルーツが霞んで、インド・ヨーロッパ語族がアーリア人だと定着してしまった。

さらに悪いことに(?)、音楽家ワーグナーが「アーリア人の中で一番優秀な民族がゲルマン人」と主張。
これがドイツで熱烈支持されることになる。

ドイツでは、作曲家ワーグナーなどが、アーリアン学説を肯定した上でドイツ人が最も純粋なアーリア人の血を引く民族であると主張する事で、近代になって形成されたに過ぎない自民族の権威付けに用いた。
ゴビノ―のアーリア人種至上主義は、ヒューストン・ステュアート・チェンバレン(ワーグナーの娘エヴァの婿)の『十九世紀の基礎』(1899年)に継承され、そこでは理論はさらに先鋭化され、アーリア人種の中でもゲルマン人こそ最も優秀な民族であると主張された。『十九世紀の基礎』はドイツでベストセラーになり、彼の理論は後にナチズムのイデオロギーを支える重要な柱となった。
20世紀初頭のドイツ人は、「アーリア人種」という神話を「民衆思想の一部」となったといわれるほど広く受け入れ、「金髪、高貴で勇敢、勤勉で誠実、健康で強靭」というアーリア人種のイメージは彼らの理想像となり、アーリア人種論はヒトラーの思想形成にも影響を及ぼした。ドイツ民族こそがアーリア人種の理想を体現する民族であり、ドイツ的な「精神」が「アーリア人種」の証とみなされた。アーリア人種はドイツ民族と同義語になり、人種主義はドイツ・ナショナリズムを統合するものになっていった。


ヒトラーもこの影響を受けており、主に文化芸術分野や経済分野からユダヤ人を閉め出したいと考えていたようで、優生学とは観点が違う。

ヒトラーは『我が闘争』で、人種は大まかに三段階に分けられ、最上位がアーリア人種で、中でも雑種化していない純粋民族であるゲルマン民族が最も上等であるとした。アーリア人種、ゲルマン民族は唯一文化を創造する能力を持つとし、「文化創造者」と呼んだ。ユダヤ人をこの対極にあるとして「文化破壊者」とした。
ヒトラーは、ゲルマン民族を純粋民族として保ち、存続させるために国家が存在すると考えた。
ナチスドイツは、数世紀の歴史を持つ反ユダヤ主義(ユダヤ人はイエス・キリストの殺人者)が人種主義と結びついた「反セム主義」を元に政治的経済的イデオロギーを形成し、「アーリア・北方人種」に対するユダヤ資本主義の脅威という強迫観念となった。ユダヤ人を経済活動から排除する「脱ユダヤ化」と共に、ユダヤ人資産のドイツ人への移譲とその活用を目指す「アーリア化」が行われた。



外国では、「優生思想」とは言わず、「優生学(eugenics)」。
日本で言うところの「ヒトラーの思想」は、外国では"Master race"や"Superior race"と表現する。by Naziなどを付け加える。ヒトラーよりもナチス・ナチズムが用いられることが多い。

Master は、支配者、指導者、巨匠、主人、勝者などという意味。修士号やキリスト、原版などという意味もある。
Superior は、上位、上級、上等、優勢などという意味。

要するに、ナチスドイツは「ドイツは凄い」「アーリア人、ゲルマン民族、最高!」というプロパガンダにレース(大会)を利用した。
プロパガンダはラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。
競わさせて勝利させたのだ。
特にナチスドイツは、ユダヤ人の劣るものが身体で、苦手なものが運動だと思っていた。
そこでスポーツに力を入れた。
「ダメなかっこ悪い勝てないユダヤ人」「いけてるカッコいい勝者のアーリア人・ゲルマン人」を演出し大衆に見せることで優越民族であることを強調した。ドイツの人々は熱狂した。
最大の見せ場は1936年のベルリンオリンピックだった。

・ナチスドイツで開催された「ベルリンオリンピック」
今では当たり前となっている開会式の「聖火リレー」は、ヒトラーによって初めて行なわれたものである。
また、巨費を投じた競技施設と五輪史上初の選手村、擬似軍隊的な開会・閉会式、国家元首によるおごそかな開会宣言、「民族の祭典」というキャッチフレーズ、初のテレビ中継大会などなど、期間中の華麗な演出はまさに現代オリンピックの原型となった。
この「ベルリン・オリンピック」は、ナチスの力を世界に誇示する場となり、「ヒトラーの大会」とさえいわれた。


・ヒトラーの祭典…1936年ベルリン・オリンピックの熱狂した様子
1933年にアドルフ・ヒトラー率いるナチスがドイツの政権を奪取し、その3年後の1936年にはベルリンで夏季オリンピックを開催しました。
アーリア民族の優秀性とヒトラーの権力を誇示するプロパガンダとして大いに利用された、ベルリン五輪当時の様子をご覧ください。
ドイツの総力を挙げ、短期間でスタジアム、選手村、ホテル、さらには鉄道やテレビ中継まで整備されました。


ナチスドイツはオリンピックの高揚を上手く利用して、オリンピック開催の年に国家唯一の青少年団体への加入(10~18歳の青少年全員)を義務付ける法律を制定した。
オリンピックで終わりではなかった。そう、戦争が待っている。
前身組織は、1926年に組織された、放課後に学校外で活動する地域の党青少年教化組織・ヒトラーユーゲント(ヒトラー・ユース)である。
やがてこれがドイツの兵力を支える存在となる。
by yumimi61 | 2016-07-31 12:33