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2016年 09月 02日 ( 1 )

「ドイツ国家社会主義労働者党」と「国家社会主義ドイツ労働者党」、似たような名前の2つの政党は別物である。
1つはチェコ発。結成時期は第一次世界大戦前。
1つはドイツ発。結成時期は第一次世界大戦後。

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1903年チェコで設立された「ドイツ労働者党」(Deutsche Arbeiterpartei)
 ↓
1918年に「ドイツ国家社会主義労働者党」(Deutsche Nationalsozialistische Arbeiterpartei)に改称
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1919年ドイツで設立された「ドイツ労働者党」(Deutsche Arbeiterpartei)
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1920年に「国家社会主義ドイツ労働者党」(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei )に改称・・・ナチ党、この政党の一党独裁政権がナチス政権であり、その政権の時代をナチス・ドイツと呼んでいる。
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1903年のチェコはオーストリア・ハンガリー帝国領だった。
そこで結党した「ドイツ労働者党」は汎ドイツ主義を支持していた。
ドイツ国が盟主としてゲルマン民族による世界制覇の実現を目指した運動。
ここでまず一つ問題になりそうなのが「ゲルマン民族による世界制覇」の解釈である。
ゲルマン民族を支配層として世界を統治することが世界制覇なのか、それともゲルマン民族以外は必要ない、つまりゲルマン民族だけが生き残る世界が世界制覇なのか、あるいは全く別な考えがあるのか。
ともかく、この場合は民族が大事になる。
世界制覇を実現する過程においては盟主国ドイツの存在は重要かもしれないが、重点は民族に置かれている。
何故チェコで結成された党がドイツやゲルマン民族の話をしているのかと言えば、チェコにもドイツ人が住んでいたからである。多民族国家なのだ。チェコに住んでいたドイツ人(ゲルマン民族)中心に結成された党ということになる。
ドイツ労働者党という名称からすれば社会主義運動を推進・支持していた党であるように受け取れる。
「ドイツ主義の支持」が賛成反対の意思表示程度のものだったのか、それとも社会主義よりむしろ汎ドイツ主義に傾倒していたのか、そのあたりのことはよく分からない。

第一次世界大戦中の1918年に「ドイツ国家社会主義労働者党」に改称された。
(「国家」と訳している部分は、英語では'National'にあたる語だそうであり、「国民」や「民族」とも訳せる)
すでに述べてきたように、1918年というのはロシアでチェコスロバキア軍が勢力を拡大した時期である。
それに乗じてアメリカ人を妻に持つ学者で政治家のトマーシュ・マサリクなどがチェコの独立運動を展開し、「チェコスロバキア国民会議」を結成した(これが戦後に共和国を成立させ政権とななる)。

チェコ人やスロバキア人はスラブ民族であってゲルマン民族とは違う。
従って「ドイツ国家社会主義労働者党」への改称は、台頭してきたスラブ民族(チェコスロバキア人)に対抗するものだったと考えられる。
スラブ民族vsゲルマン民族という構図。



第一次世界大戦後の1919年1月5日にドイツで「ドイツ労働者党」が結成された。
これは皇帝が退いて亡命し、ドイツ社会民主党が帝政から共和政に転換した時期。
しかし昨日書いた通り、共産主義インターナショナルに加盟していたドイツ社会民主党は社会主義(共産主義)推進者とはならず、別の社会主義(共産主義)政党を弾圧した。
では「ドイツ労働者」と労働者の味方であることを標榜し、社会主義のように見えるこの政党はどうだったのか?
これも社会主義(共産主義)支持・推進政党ではない。反社会主義政党である。
第一次世界大戦後、ドイツでも社会主義者たちが蜂起してバイエルン(首都はミュンヘン)にバイエルン・レーテ共和国という名称の社会主義政権を成立させた。
ドイツ語の「レーテ」はロシア語のソビエトと同義であることから、「バイエルン(ミュンヘン)・ソビエト共和国」と意訳されることもある。つまりロシアの社会主義政権に呼応した政権である。

しかしすぐに打倒され崩壊してしまうのだが、その打倒に貢献したのがトゥーレ協会という秘密結社だった。
この秘密結社もバイエルンをベースに、「国家主義」と「反ユダヤ主義」を掲げて勢力を拡大していった。
ドイツ労働者党はトゥーレ協会のメンバーによって設立された政党であり、反社会主義なのだ。

トゥーレ協会
1918年1月に右翼政治結社・ゲルマン騎士団の委託を受けたルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフにより、騎士団の非公式バイエルン支部として設立された。正式名称を「トゥーレ協会・ドイツ性のための騎士団」といい、鉤十字(ハーケンクロイツ)と剣をシンボルマークとした秘密結社であった。
表向きの協会の目的はゲルマン古代の研究であったが、実際にはゲルマン騎士団員ギド・フォン・リストによって神智学を元に提唱されたアーリア主義を範として、民族主義と結びついた異教的神秘主義・人種思想・反ヴァイマル共和国的扇動、反ユダヤ的プロパガンダを広めることだった。


ゲルマン騎士団
反ユダヤ主義者テオドール・フリッチに指導された帝国ハンマー同盟の秘密組織として、ヘルマン・ポールら何人かの著名なドイツのオカルティストたちによって1912年に結成された。
思想的には、グイド・フォン・リスト、アドルフ・ヨーゼフ・ランツの影響が大きく、スワスティカ(鉤十字)をシンボルとし、フリーメーソンに似た階層的な兄弟団組織(ロッジ)を有していた。その参入者たちには民族主義的な北方人種優越のイデオロギーと反ユダヤ主義を、オカルトや魔術的な哲学と同様に教えていた。


まずゲルマン教団という神秘主義信奉者の会が設立された。(オウム真理教団みたいな感じだろうか?)
そこでテオドール・フリッチという反ユダヤ人主義者が「ハンマー」とう言う雑誌を刊行していた。
1905年、その雑誌の読者を中心にドイツ各地に「ハンマー会」が組織された。
フリッチの指導の下、各地のハンマー会を結集させて「帝国ハンマー同盟」を設立した。(レーニンらが再結党させたロシア社会民主労働党みたいな結集のさせ方?)
その中にイニシエーション儀式を重視した秘密結社の設立を望む人物がいて、フリッチの許可を得てハンマー会の内部にロッジを設立した。このフリーメイソン的な秘密結社がゲルマン騎士団である。

帝国ハンマー同盟やゲルマン騎士団に強い影響を与えて、信奉者を多く抱えていた2人の人物。
2人ともドイツではなく、オーストリア・ハンガリー帝国出身である。民族的分類は不明。
2人ともカトリック教徒の家庭に生まれ育っている。

・グイド・フォン・リスト
1848年にオーストリア・ハンガリー帝国(オーストリアのウィーン)の裕福な商家に生まれる。両親は熱心なカトリック教徒。
彼はゲルマン神話に惹かれ、オカルトに取りつかれるようになる。
成人すると本を書いて生計を立てるのだが、その内容はドイツ人(ゲルマン民族)に関するもので、ドイツの民族主義者から歓迎された。
そのうちだんだんオカルト色が強くなってくる。
古代ゲルマン民族の秘密結社に「アルマネンシャフト」というものがあり、その継承者がカバラ研究学者やテンプル騎士団や薔薇十字団、フリーメーソンだと主張。
「アルマネシャフト」に基づく理想国家は、北極で誕生したアーリア人(ここでアーリア人が出てきていた!)が特権階級の支配層となり、非アーリア人は奴隷とするというもの。
民主主義なんてもってのほかで、生粋(混血禁止)アーリア人による世襲制の王制国家を樹立すべきという考えを持っていた。

・アドルフ・ヨーゼフ・ランツ
1874年にオーストリア・ハンガリー帝国領(ウィーン近郊の村)で生まれる。両親はカトリック教徒。
ランツは1893年にシトー派の修道士となってゲオルクという名を与えられ、ハイリゲンクロイツ修道院に住んだ。 1894年、同修道院でテンプル騎士団の墓石が発見されると、自分はそのレリーフから「啓発」を受けたと主張し、彼独自の「青い目、金髪のアーリア民族至上主義」「劣等人種」論を展開し始める。 彼は1899年に修道院を去った。ランツ自身はこれを「神経過敏がひどくなったため」としているが、公文書には「肉の愛」が理由として記録されており、この件がのちの反フェミニズム傾向に関与している可能性もある。
シトーもカトリックの修道会。

1904年、彼は著書『神聖動物学 Theozoologie』を発表し、その中で病人や「劣等人種」を去勢して強制労働させるだけでなく不妊手術を施すことを主張した。 そして一方でアーリア人を「神人 Gottmenschen」と称賛した。 神聖動物学は、今日では未確認動物学と呼ばれる分野の学問をも含んでいる。
ランツは、自分のグノーシス主義的人種イデオロギーの拠り所を、聖書に求めた。 すなわち彼は、最初イヴを神聖な存在だと記述していたにも関わらず、彼女が悪魔と交わった結果「劣等人種」を生んだとしたのである。 さらにまた、彼は金髪の女性が主に「有色男性」に惹かれるのはこのせいであり、これを避けるには「人種隔離」しかなく、そうすれば「優等人種たるアーリア人のキリスト教徒が「再び有色の肌の獣人を支配」して神性に到達できると主張した。 この本の複写がスウェーデンのヨハン・アウグスト・ストリンドベリに贈られると、ランツはストリンドベリから熱狂的な返事を受け取った。 ストリンドベリはランツを「預言的発言」と讃えたのである。


つまり、イヴは金髪女性(白人・優等人種)で、彼女が有色人種の男性(悪魔・獣人)と交わったせいで、劣等人種(白人と有色人種の混血)が生まれたということ。
それを防ぐために人種隔離の必要性を説いた。
こんなことを聞けば、大抵の有色人種は黙っていないだろう。しかしここはひとつ冷静になってほしい。
これを比喩的な文章と考えれば全く受け入れられない話でもないのだ。
それはそう、優性遺伝に関することである。
金髪や白色の肌は有色肌よりも遺伝的に劣性である。白人と有色人が交わって生まれた子は有色になる。
要するにそれが進めば白人はいなくなる、淘汰されてしまう。
この弱い白人を、絶滅を防ぐために人間が保護しようとすれば、優生保護ということになる。
これはあくまでも肌の色に注目しただけの話で、劣性遺伝には遺伝病などを発症するものがある。
その場合には延々と同じ民族や近親者で交わることのほうがリスクが高くなる。



この組織全体に関係しているのが神秘主義なのだが、神秘主義と共産主義は相反する思想である。(それはこちに書きました
神秘主義も元々の意味から変異して、黒い貴族の周辺で好まれ、キリスト教とユダヤ教の垣根を超えて結合した。ロスチャイルド家は神秘主義(オカルト)を信奉していたと言われている。(それはこちらに書きました
リストとランツ、2人のベースにはローマカトリックがあり、良くも悪くもアイデンティティの形成に影響を与えないわけがない。
カトリックとユダヤ教はその成り立ちからして対立して当然である。(イエスはユダヤの出身)

ナチスの原形にここにある。



第一次世界大戦中の1916年、大元のゲルマン教団が分裂している。
同じ神秘主義信奉者であっても、相容れないものがあったということであろう。
この分裂の際にドイツ労働者党に続く側で活躍したのがゼボテンドルフ男爵。

ゲルマン教団>帝国ハンマー同盟>ゲルマン騎士団>トゥーレ協会→ドイツ労働者党(ヒトラ―入党し改称)
   ↓
1916年分裂

男爵と名乗っていたが貴族出身ではなく、ドイツのザクセン生まれで労働者階級の出身。
成人後はオーストリア、エジプト、トルコなどを放浪する旅に出る。
1900年25歳の時にトルコに定住して働くが、そこで友人を介してイスラム教神秘主義に出会う。
彼と神秘主義と仲介したのはユダヤ人であった。その紹介で中東のフリーメーソンに入る。
彼が特に魅せられたのがイスラム教錬金術。
錬金術と神秘主義は一緒に語られることも多いが、本来の錬金術とは化学的手段で安価な金属から高価な金属に変化・精錬する技術のこと。物質の存在や変化が神秘と言うならば、みな神秘主義に該当してしまうが(人間の存在、出生や成長は神秘みたいな感じで)、一般的に化学技術は神秘とは言わないだろうと思う。
それなのに神秘主義に結びついた理由は、錬金術が金属を超越して、その対象を他の物質や、人間の肉体や魂にまで広げたからである。
より完全な物を作る試みが錬金術と呼ばれるようになった。
例えば魂だったら、魂の浄化や魂のステージアップなどを通じて完全を目指す。
不老不死の研究やより良い動植物を生み出す研究も含まれる。
遺伝子組み換え、体細胞から生命を創りだすなんてことも錬金術に含まれるのだ。そう、STAP細胞も。

ゼボテンドルフ(偽)男爵は1902年にドイツに帰国するが、詐欺事件を起こして逮捕される。(科学もひとつ間違えば詐偽ですからね)
その後またトルコに戻り、1911年にはトルコ国籍を取得。
そこで彼は1912年にトルコ在住のドイツ貴族ゼポテンドルフ男爵家の養子になったとして、男爵を名乗るようになる。本当に養子になったのかは定かではない。
1913年に再びドイツに帰国。そしてゲルマン教団に入る。イスラム教的なものが取り込まれたのかどうか。
1916年教団が分裂し弱体化した時に復興させた貢献が認められて、バイエルン支部の長となった。
こちらの派閥から「トゥーレ協会」は生まれた。


よく世界の陰謀説に登場する「イルミナティ」という秘密結社がある。
1776年に「完全可能性主義者の会」という名称で設立された。それが同年中に「パヴァリア啓明結社(イリュミネ)」に改称された。
この結社もドイツのバイエルンで誕生している。
バイエルンはドイツ語的な地名で、ラテン語や英語的にはバヴァリアである。
イルミナティの創立者がバイエルン生まれ。
その父親は進歩的なイックシュタッド男爵の甥で、有名な法学者であった。
イックシュタッド男爵はドイツ中から学者を呼び集め、バイエルンのインゴルシュタッド大学内に科学アカデミーを創設したのだが、その時に招聘されて教授となった。
インゴルシュタッド大学は1472年にバイエルン大公によって創立されたが、プロテスタント系ライプツィヒ大学と対立して長らくイエズス会の支配下に置かれていた。
つまり集められた学者はみなカトリック・イエズス会の配下にあった。
イルミナティの創立者はイエズス会神学校に学び、インゴルシュタッド大学法学部に入学して、カトリック・イエズス会系の学者たちから教えを受けた。20歳で法学の学位を取り、若干24歳にして教授となった。


イエズス会は宗教改革でカトリックが危機に陥った時に創立されたものだが、1769年に就任したローマ教皇によって解散に至った。
これは反イエズス会(反カトリックではない)だったヨーロッパの諸王室から強い圧力を受けたからと言われてる。
その解散命令が却ってイエズス会系の学者達を団結させ、非イエズス会の学者達に様々な圧力を加えるようになったそう。つまりイエズス会系学者が非イエズス系学者を迫害したというのだ。
イエズス会の庇護のもとに育ったイルミナティの創設者はこの頃に反イエズス会の思想に染まったという。
だから彼も迫害された人物なのだということになっている。
イルミナティは急進的な社会改革思想を持つ結社で、自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を主張する結社であるが、その設立はイエズス会学者から迫害が動機にあったという。
でも・・もし・・・反イエズス会の思想に染まっていなかったとしたら?
すなわち、非イエズス会学者として迫害されたのではなく、イエズス会解散命令によってそれまでの利権を失い、それを迫害と言っているのだとしたら・・・?彼はイエズス会信奉者ということになる。
イエズス会はローマカトリックのローマ教皇下にあったが、解散させられたことを恨んでいれば、反キリスト(反ローマ教皇)や反王制となっても不思議はない。

君主制や独裁制に反対する思想は労働者を中心とした社会主義者だけでなく、イエズス会信奉者にもあったということ。
つまり部分的には(君主制打倒という目的においては)、この2つが繋がる可能性がある。

また「トゥーレ協会」を生じたゲルマン教団の派閥がもしイスラム教の影響を受けているとすると、反カトリック思想を持ってもおかしくはない。(反ユダヤ思想はもともとも持っていた)
反カトリックや反ユダヤという点、完全可能性主義(錬金術)においては、バイエルンの秘密結社「イルミナティ」と繋がる可能性も否定できない。簡単に言えば、イエズス会とイスラム教から影響を受けた結社の融合。
by yumimi61 | 2016-09-02 12:38