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2016年 09月 15日 ( 1 )

1939年8月23日、ドイツとソ連が「不可侵条約」を締結。
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。⇒第二次世界大戦勃発と言われている

1940年9月27日 「日本国、ドイツ・イタリア閒三国条約」(昭和15年条約第9条、日独伊三国同盟)締結
1940年10月28日、ムッソリーニとヒトラーが会談。

1941年4月13日、日本とソ連が「日ソ中立条約」を締結。
1941年6月22日、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。

1941年7~8月、日本に対する包囲網的な経済制裁開始。
1941年11月26日、日本に対して「アメリカ提案(Ten Points・ハルノート)」が提示される。
             (アメリカと日本は1941年春頃から衝突回避交渉を行っていた)
1941年12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃。 ⇒太平洋戦争、第二次世界大戦へ拡大



真珠湾攻撃前の1941年11月、日本はドイツに、対米戦争に関する単独講和禁止協定締結の申し入れている。
衝突回避交渉が続けられている中、一方では戦争を行うことを前提に単独講和禁止の申し入れをしていたのだ。
これに対して12月4日、ドイツ・イタリア協議のもとに作成された単独講和禁止協定案が日本に提示されている。
それから4日後にハワイの真珠湾を攻撃した。
この時にはまだ協定は締結されていない。勇み足である。

1941年夏頃から大西洋上のドイツとアメリカの海軍は緊迫していて、いつ戦争が始まってもおかしくないような状態にはあった。
ただどちらからも宣戦布告はなく、ドイツはアメリカとの戦争は可能な限り回避したいと考えていた。
ドイツのヒトラーはアメリカの挑発にも乗らず自制心を保ち続け、偶発的な衝突を避けようとさえしていた。

第一次世界大戦で敗北したドイツは最後アメリカに負けたようなものなので、それが頭を過ったのか。
ドイツ・ナチス政権の一番の敵はイギリスだった。
ドイツはイギリス側にアメリカやソ連が味方すれば戦況は不利になることを分かっていたのだと思う。
従ってアメリカやソ連を敵に回したくはなかった。
そのドイツがなぜ自ら不可侵条約を破ってソ連に侵攻したのだろうか。

1940年9月27日 「日本国、ドイツ・イタリア閒三国条約」(昭和15年条約第9条、日独伊三国同盟)締結
1940年10月28日、ムッソリーニとヒトラーが会談。
1941年4月13日、日本とソ連が「日ソ中立条約」を締結。
1941年6月22日、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。


1941年4月13日、日本とソ連が「日ソ中立条約」を締結。―これが影響しているのではないか。
このあたりにドイツと日本の微妙な同盟関係が見えてくる。
同盟を組んではいたが、当時のドイツが積極的に親日だったかと言えば、そんなことはない。
「唯一無二のゲルマン民族」という差別的な人種観を持っていたヒトラーが一番親日だったくらいのレベルである。
ドイツにとって東に位置し、大きな野心を抱く日本は、ソ連とアメリカの警戒心や軍事力を分散させるのに好都合だったのだ。
第一次世界大戦の際にドイツの軍事力を分散させようと連合国が使った手である。
ドイツは日本には「日ソ中立条約」なんか結ばずに対ソ戦を行ってほしかった。要請もしていた。
「日ソ中立条約」はドイツにしたら日本に裏切られた形となった。


なぜ同盟を組むか。心の拠り所が欲しいから?
仲間や戦力を増やして相手への圧力とするという狙いはある。
でも戦いにおいてもっと大事なのは、作戦や共同戦線だろう。
これには軍の指揮系統を統一する必要がある。国家という枠組みを一時的に超えなければならない。
例えば現在でも韓国軍の戦時作戦統帥権はアメリカ軍が所有している。
同盟を組んだとしても、それぞれの国が勝手な判断で好きなように行動すれば、同盟の意味合いは薄くなってしまう。
ただこの統帥権を巡っては同盟国内でもぎくしゃくする可能性はある。
本当に友好的であったり、職業的な割り切りで実力を認めて容認できればいいが、強い権力を持つ国ほど難しい。
天皇が統率する皇軍(日本)がドイツ軍やイタリア軍の指揮下に入るとは思えない。
「唯一無二のゲルマン民族」を掲げるドイツ軍がゲルマン民族ではない日本軍の指揮下に入るとも思えない。
嫌うもの(共産インターナショナル)が同じだったという仲間であり、誰もが自分が一番だと考えていた。
従って仲間でも目先を変えれば相容れない同盟である。
共産インターナショナルを嫌っていたという共通項以外にも共通点があるとすれば、それはカトリック(ローマ教皇)信奉だろう。
だからローマ教皇が枢軸国の上に立って総帥権を握れば上手くいったかもしれない。
カトリックが世界制覇を目指すならば、聖公会(イギリスなど)も正教会(ギリシャやロシアなど)もユダヤ教(イスラエルやアメリカなど)もプロテスタント(アメリカなど)もイスラム教(中東など)も仏教(インドや中国など)も無神論(ロシアなど)もみな敵になってしまうけれども。


1941年12月11日、日独伊単独不講和協定締結。

日本・ドイツ・イタリアが単独不講和協定を締結したのは、真珠湾攻撃の後のことだった。
同じ日、 ドイツはアメリカに宣戦布告した。
1940年に締結された日独伊三国同盟は、当時行われていたドイツのポーランド侵攻によるヨーロッパの戦争と日中戦争に参加していない国から攻撃があった場合には相互に支援するという内容の条文が含まれていた。
攻撃があった場合、つまり防衛的意味合いが強く、こちらからの攻撃を想定した条約ではない。
従ってドイツは日本の真珠湾攻撃に乗らないという選択肢もあった。
しかしそれでもし日本がアメリカにあっという間に叩かれて講和してしまい、三国同盟から離脱するようなことがあれば、ドイツはアメリカとソ連の両方の大軍、その他の国も敵に回すことになってしまうかもしれない。
これもドイツにとっては第一世界大戦と同じような状況である。
それならば単独不講和協定を利用したほうがまだましと考えたのだろうか。
ともかくドイツは「真珠湾攻撃」でも日本に裏切られた形となったのだ。

アメリカとの衝突回避交渉の中においての攻撃、日独伊三国同盟の協議に基づかない攻撃、日独伊単独不講和協定締結前の攻撃、まさに「奇襲」だったのだ。


1942年1月1日、連合国共同宣言調印。

連合各国が持てる全ての物的人的資源を枢軸国に対する戦争遂行に充てること、ドイツ・日本・イタリアと各国が単独で休戦または講和をしないことが盛り込まれた。
ドイツ・日本・イタリアが別々に休戦・講和することを禁じるものではない。
連合国側が単独で休戦や講和に応じることを禁じたものである。
 ・ドイツvs連合国 
 ・日本vs連合国
 ・イタリアvs連合国
宣戦布告は枢軸国という同盟に行われているわけではなく各国に対して行われている。
つまりドイツに宣戦布告していても日本には宣戦布告していない国もあるし、その逆で日本に宣戦布告していてもドイツには宣戦布告していない国もある。
よって各国の宣戦布告数と連合国の数は必ずしも一致しない。
連合国共同宣言の最初の署名国は26か国。1945年3月までには署名国は47カ国となった。

●1942年1月1日署名
【4大国】中華民国 ・ソビエト連邦・イギリス・アメリカ合衆国
【他の国々】オーストラリア連邦・カナダ・コスタリカ共和国・キューバ共和国 ・ドミニカ共和国・エルサルバドル共和国・グアテマラ共和国・ハイチ共和国・ホンジュラス共和国・インド・ニュージーランド・ニカラグア共和国・パナマ共和国・南アフリカ連邦
【亡命政府】
ベルギー王国・チェコスロバキア共和国・ギリシャ王国・ルクセンブルク大公国・オランダ王国・ノルウェー王国・ポーランド共和国・ユーゴスラビア王国

●1942
メキシコ合衆国・フィリピン独立準備政府・エチオピア帝国
●1943
イラク王国・ブラジル連邦共和国・ボリビア共和国・イラン帝国・コロンビア共和国
●1944
リベリア共和国・フランス共和国臨時政府
●1945
ペルー共和国・チリ共和国・パラグアイ共和国・ベネズエラ共和国・ウルグアイ東方共和国・トルコ共和国・エジプト王国・サウジアラビア王国・レバノン共和国・シリア王国・エクアドル共和国

ここで問題になるのがソ連である。
1942年1月の段階ではソ連は日本に宣戦布告していない。日ソ中立条約が活きていた。
ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年8月9日である。
ドイツには1941年6月に侵攻されており戦争に突入している。ソ連はこれにたいしては自衛権が主張できるだろう。
対ドイツということもあってソ連は最初から連合国共同宣言に署名している。
つまり連合国の一国であるソ連は単独でドイツ・日本・イタリアと休戦や講和に応じることは出来ないはずだ。
しかしソ連は日本と連合国の講和条約(サンフランシスコ条約)に署名していない。
ソ連は連合国共同宣言に違反しているのだ。
これが今でも尾を引いているわけだが、連合国共同宣言は残念ながら条約とは性質が異なる「共同宣言」であるため法的拘束力まではない。
by yumimi61 | 2016-09-15 12:37