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2016年 11月 07日 ( 1 )

ポツダム宣言
6.There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.

6.平和と安全と正義の新しい秩序は無責任な軍国主義が世界から駆動されるまでは不可能であると私達は強く主張する。日本の人々を欺き誤らせ世界征服に着手させた権勢や権威権力は永久に排除されなければならない。

12.The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.

12.これらの目的が達成され、日本の人々の自由なる意思に従う平和的で責任ある政府が確立されれば、連合国の占領軍は直ちに日本から撤退する。


日本がポツダム宣言にアクションを起こしたのは長崎原爆投下日の翌日8月10日のことである。
「天皇の国法上の地位を変更しないこと」を条件にポツダム宣言を受諾するとの回答を発した。

8月12日、アメリカの国務長官バーンズより日本側が提示した条件に対しての回答があった。
宣言で譲歩することも代案もないと言っているのだから、日本側の条件を呑むわけにはいかないはずだ。


ポツダム宣言はかなり厳しい調子で綴られているが、肝心なことについては曖昧な表現に逃げている。
日本のほうが単刀直入に質問するという展開。裏切られないための再確認だろうか。
バーンズ国務長官はその質問(天皇制の維持・天皇の地位)に対しても直接的な回答を避けている。
天皇制を排除すべきだと思うならばはっきりとそう言えばいい。
それが出来ないということは勝者(強者)と敗者(弱者)の立場がすでに逆転していることを示す。
バーンズ国務長官も自由なる意思の表明、自由な表現が出来なかったのかしら?

但しバーンズ国務長官は天皇が権威権力を持っていないと判断していたわけではないことがよく分かる回答文である。
2)は日本を動かしていたのは天皇であったということの証拠になろう。

バーンズ回答文

 1945年8月11日付 (ジェイムス・バーンズ国務長官)

1)降伏のときより、天皇および日本国の政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、その必要と認める措置をとる連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。

2)天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸・海・空軍官憲、および、いずれかの地域にあるを問わず、右官憲の指揮の下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終止し、武器を引き渡し、また、降伏条項実施のため最高司令官の要求するであろう命令を発することを要請される。

3)日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜、および、抑留者を連合国の船舶に速やかに乗船させ、安全なる地域に輸送すべきである。

4)日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。

5)連合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられた諸目的が完遂されるまで日本国内に駐留するものとする。



1945年8月14日23時、ポツダム宣言受諾を連合国に通達した。
1945年8月15日12時、ラジオの玉音放送で日本の降伏を国民に知らせた。
1945年9月2日、降伏文書調印。(休戦に至る)
1947年5月3日、日本国憲法施行。(占領下)
1951年9月8日、連合国48か国と日本がサンフランシスコ条約に調印。(戦争終結)

このあたりの手順もドイツやイタリアに比べると非常に甘い。
また降伏を受け入れるにあたり通常は国内でも軍隊の反乱や市民の暴動などを危惧すると思うのだが、そうしたものに対する準備を全くなく、14日の夜に通達して翌日の正午には呑気に発表している。
その挙句、降伏文書調印は9月2日ときている。戦争終結に向けて戦闘が中止され休戦となったのは9月2日ということになる。
8月15日が終戦記念日の根拠はどこにもない。前にも書いたかもしれないがどう見たって8月15日は玉音放送記念日だろう。
by yumimi61 | 2016-11-07 14:02