by and by yumimi61.exblog.jp

2017年 09月 01日 ( 1 )

中曽根康弘―小林蔦子<明治大学・早稲田大学教授であった小林儀一郎の三女>
(長男)中曽根弘文
(長女)中曽根美智子・・明治大学専務理事双川喜一の孫にあたる弁護士双川喜文の長男と結婚
(次女)中曽根美恵子・・元NHKアナウンサー。鹿島家娘婿の子で鹿島建設社長であった渥美健夫の長男と結婚

※中曽根康弘の妻の父である小林儀一郎の息子・小林義治は日本工業新聞社社長、産経新聞社専務であった。
また中曽根康弘の長女の息子であり双川正文はフジテレビのプロデューサーである。
このように中曽根家はフジサンケイグループと無縁ではなさそうだが、フジサンケイグループは「新しい歴史教科書をつくる会」や日本会議と関係がある。

「新しい歴史教科書をつくる会」
 ①残留組
 ②離脱組=日本教育再生機構(2006年発足)、改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)

「新しい歴史教科書をつくる会」=扶桑社(フジサンケイグループ)⇒2007年に関係解消
 ①残留組―自由社
 ②離脱組―扶桑社・育鵬社(扶桑社が新たに設立した子会社)
※豆知識―育鵬社の「鵬」は中国の伝説の鳥である。

上記のように「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂した。
離脱組が安倍内閣をバックに新たに結成した日本教育再生機構(2006年発足)と改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)には日本会議が関わっている。
しかし残留組が組んだ出版社の社長で、つくる会の顧問もである加瀬英明は、日本会議の監事及び代表委員でもある。

ということで完全に分裂しているわけではないと考えられる。


中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>
(長男)中曽根康隆・・慶應義塾大学卒、JPモルガン証券入社、2013年より国会議員(父)秘書
(長女)中曽根文子・・慶應義塾大学卒、川鍋一朗(日本交通3代目社長)と結婚

※中曽根弘文の妻が前川喜平の妹であるが、前川真理子は美智子皇后と同じく聖心(カトリック系の学校)出身であるらしい。
ちなみに中曽根弘文議員は「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員」に属している。

※中曽根弘文・真理子夫妻の長女(前川喜平からみると姪)は、日本交通社長・川鍋一朗の妻である。
日本交通は日本交通公社(現JTB)のことではなくてハイヤー・タクシー会社である。
日本交通と川鍋という名を覚えているだろうか?
千葉県勝浦の森・安西というカジメ拾いの漁師コンビの姻戚関係に出てきた。

森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。

安西八郎兵衛(勝浦の貧しい漁師)
 |
安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
 |
安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚
安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚
安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

中曽根弘文・真理子(旧姓:前川)夫妻の娘の結婚相手である川鍋一朗の父は川鍋秋蔵の息子である。

森為吉(勝浦の貧しい漁師)
 |
森矗昶(豪農の娘と結婚隣家の安西直一に仲人を依頼し、以後ビジネスパートナーとなる。森コンツェルン創始者)
 |
森暁(昭和電工社長、衆議院議員)・・・外務官僚で貴族院議員であった室田義文の孫と結婚
森清(昭和火薬社長、衆議院議員)・・・1965年河野一郎亡き後、中曽根康弘らと対立し森派を形成
森美秀(昭和火薬社長、衆議院議員)森満江・・・父森矗昶のビジネスパートナー安西直一の息子の安西正夫と結婚
森睦子・・・三木武夫首相と結婚
森三重子・・・三重県知事や衆議院議員であった田中覚と結婚(田中は再婚)



中曽根弘文は慶應義塾大学卒。
長男の中曽根康隆も慶應義塾大学卒。
長女の中曽根文子も慶應義塾大学卒。その夫である川鍋一朗(日本交通3代目社長)も慶應義塾大学卒。

(川鍋一朗の父母)川鍋達朗―広瀬為宇
※広瀬為宇は、集成社取締役・日本陶器社長であった広瀬治郎の娘

(広瀬為宇の父母)広瀬治郎ー藤山桜子
※藤原桜子は、王子製紙取締役・大日本精糖社長などを務めた藤山雷太の娘

(広瀬治郎の父母)広瀬実光ー鄭沽龍
※鄭沽龍は北京公使館書記官であった鄭永昌の娘。鄭永昌は唐通事の鄭家8世鄭永寧の息子。

唐通事
唐通事とは、江戸時代の長崎や薩摩藩、琉球王国などに置かれていた中国語の通訳のこと。長崎においては、慶長9年(1604年)に在留明人の馮六官を唐通事に任じたのが初例とされ、以後日本語の出来る在留中国人とその子孫が一子相伝を原則として任じられた。
確実に両国の言語が理解できる環境を維持するために代々継承という形を採ったのだろうと思う。
鄭家と鄭永寧
長崎で唐通事を務めていた鄭家の初代は父親が中国人で母親が日本人のハーフであり、以後その子孫が継いできた。
鄭永寧は鄭家の8世にあたるが、彼は養子である(本姓は呉)。幾つの時から鄭家で育ったのかは不明。ともかく鄭家と血の繋がりはない。
そしてこの8世鄭永寧の時代は明治維新とともにやってきた。
長崎から東京に移り、1869年(明治2年)に外務省入りした。
以後、呉家は外務省や東京外国語学校で学び、外交官や三井物産などで働いた。



少し話がずれるが、「呉」という姓は中国によくある姓である。
また広島県には瀬戸内海に面して呉市が存在する。

(呉市は)地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている。第二次世界大戦中は、帝国海軍の拠点でもあり、当時は全国10大都市に数えられるほどの実に40万人を越える人口を抱えていた。

呉市山手の通称「山手の谷」はもともと被差別部落ではなかったが、1889年の軍港開設と共に海軍に納める牛豚肉のための屠場が設けられ、続いて火葬場や海軍の監獄、野犬処理場等が作られ、この付近に住む人々が賤視されて被差別部落になったとされる。山手の入口にある上山手橋には地獄橋の異名があった。

瀬戸内海沿岸に散在する部落について、「瀬戸内海ですと、村上水軍ですとか、塩飽水軍などの名前を聞くはずですが、村上水軍の一番の支配者の人は部落ではないのですが、水軍のかなりの部分は、現在でも被差別部落民です」(『江戸の非人 部落史研究の課題』本田豊、三一書房、1992)、「海岸や沖合警備の名目で瀬戸内の島々に政策的に配備された部落は、豊臣秀吉によって壊滅させられた村上水軍の系統を引くものではないか―そのように私は考えるのだ」(『日本民衆文化の原郷』沖浦和光、解放出版社、1984)との考察がある。

部落差別は江戸時代の身分制度の名残だとされてきたが、どうもそうではないらしい。

士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で、紀元前1000年頃には既に見られる。意味としては、漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった意味で使われる。
近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。また、近代以降には「士農工商」が近世の身分制とその支配・上下関係を表す用語として認識されるようになった。しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。

広島県は原爆が投下された町だとされるが、実はそこには福島という名のかなり大きな被差別地区があった。

県内には414ヶ所あるいは422ヶ所の同和地区があったが(解放同盟広島県連副委員長の本山清によると450ヶ所)、中でも最大の被差別部落は広島市西区の福島地区(福島町、南三篠町、都町)であり、規模の大きさは全国で五指に入る。広島県社会課による1925年の調査によると福島地区の戸数は894戸を数えたが、1945年8月6日の原爆投下で多大の被害を受け、福島町の人口の6割以上が被爆した。






[PR]
by yumimi61 | 2017-09-01 15:03