人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

2017年 09月 03日 ( 1 )

少し前に「ブログについて」という記事を書いて、その中でHTML編集の改行が面倒だと愚痴ったのですが、今日の先ほど、AUTO改行(自動改行設定)ボタンなるものがあることに気が付きました。
前からあったんでしょうか・・・だとしたら申し訳ない m( 〃..)m

これからはサクサク改行できそうです。
と思ったら新たな問題。プレビューをクリックすると、新たな画面で表示されるのではなくて同一画面で表示される(以前は新たな画面だった)。要するにそれまでの編集画面が消えてしまう。
戻るボタンで戻っても当然編集画面は真っ新おニューな状態で打ちかけた文字はなくなっている。
記事はどこに行ったのかと探してみると、どうも下書き一覧に自動的に保存されているようなのですが、そういう仕様なのでしょうか?(下書き保存ボタンではなくてプレビューボタンだけをクリックした)
しかしながらプレビューにて自動保存された下書き記事を編集し、改めてプレビューなり下書き保存なり投稿しようと思っても出来ない。
コピペし新規投稿画面に貼りつければ良いと言われればまあそうだけれども若干面倒ですね・・。
下書き保存をクリックし、下書き完了アナウンスがあったものは出来る。
書きかけて消えてしまうようなことがないように、公開前にまめに下書き保存しなさいということでしょうか。と同時にプレビューには気を付けろということでしょうね!?

ついでに凄く私事なのですが、ここ何年か私はブログ記事を一回で完成させて投稿するという形式ではなくて、一回の記事を何回かに分けて投稿しています。
最初は新規投稿ですが、2回目からの投稿は記事編集画面にて入力しているということになります。
「プレビュー・公開・下書き保存」のボタンが出てくるのは新規投稿画面のみで、記事編集画面では「プレビュー・保存」だけであり、記事編集画面では保存をクリックすれば保存だけでなく自動的に公開されてしまいます。
編集にて長文を足している時などは打ちかけた文字が消えてしまうということも発生するわけですが下書き保存が有効ではないのです。

================================
中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>
(長男)中曽根康隆・・JPモルガン証券入社、2013年より国会議(父)秘書
(長女)中曽根文子・・川鍋一朗(日本交通3代目社長)と結婚

中曽根弘文は慶應義塾大学卒。
長男の中曽根康隆も慶應義塾大学卒。
長女の中曽根文子も慶應義塾大学卒。その夫である川鍋一朗(日本交通3代目社長)も慶應義塾大学卒。

(川鍋一朗の父母)川鍋達朗―広瀬為宇
※広瀬為宇は、集成社取締役・日本陶器社長であった広瀬治郎の娘

(広瀬為宇の父母)広瀬治郎ー藤山桜子
※藤山桜子は、王子製紙取締役・大日本精糖社長などを務めた藤山雷太の娘

(広瀬治郎の父母)広瀬実光ー鄭沽龍
※鄭沽龍は北京公使館書記官であった鄭永昌の娘。鄭永昌は唐通事の鄭家8世鄭永寧の息子。


          広瀬実光・・・鄭沽龍 藤山雷太・・・江川みね
               |          |
              広瀬治郎・・・・・・・藤山桜子 
                       |
中曽根弘文・・・前川真理子  川鍋達朗・・・広瀬為宇
      |             |
    中曽根文子・・・・・・・・・川鍋一朗

e0126350_14580354.jpg

【ここでちょっとブレイク】
ブログ編集の問題はパソコンとスマホでは表示のされ方が違うということもある。パソコンで見るブログではこちらの意図した状態に反映されていないが、スマホで見るブログではちゃんと反映されているということがあるのだ。(私はほとんどパソコンで編集や投稿をしているけれども)
上の図もパソコンだと意図したもの(編集画面の図)とは線が一部ずれて表示されてしまうがスマホではきちんと表示されている。
下側のは図としてアップロードしたもの。


藤山 雷太(1863年9月13日(旧暦文久3年8月1日)- 1938年(昭和13年)12月19日)
佐賀藩出身の明治・大正・昭和の実業家、貴族院勅選議員。東京商業会議所会頭、芝浦製作所所長、大日本製糖社長、藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井財閥・安田財閥・共同の各信託会社の相談役・取締役等を歴任し、藤山コンツェルンを創立した。正五位勲三等。
1919年(大正8年)に藍綬褒章、1923年(大正12年)に紺綬褒章を受章。次いでフランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受章。安南(現在のベトナム)国王からはグラン・オフィシェ・ド・ランテン勲章を贈られた。


【ここで勲章(褒章)について一言】
褒章は、明治14年12月の「褒章条例」(太政官布告第63号)公布により、紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章が制定されたのが始まりで、以降、大正7年に紺綬褒章、昭和30年に黄綬褒章、紫綬褒章が制定され、現在に至っています。

褒章は天皇が授与する栄典である。法的には、戦前は大日本帝国憲法第15条の「其ノ他ノ榮典」であり、戦後は日本国憲法第第7条7号に該当する国事行為(同7条柱書き)であることに基づく。詳細は褒章条例(明治14年太政官布告第63号)により定められる。

戦前の絶対君主(独裁)の仕来たりが今なお重宝がられているという事実。
少なくとも反体制や戦争に反対する人が貰って喜ぶものではないと思うが。
「税金の無駄遣いになると思うので辞退します」と言えばいいのに。



私は藤山雷太についても以前書いている。東芝に関係した人である。

東芝の前身となる田中製造所は東京逓信工業よりも全然古い会社で、天才発明家と言われた田中久重が1875年(明治8年)に設立した。
1881年(明治14年)に創業者が死去。田中製造所は養子が久重を襲名して引き継いだ。
ここまでは家業であった。
しかし事業(電信機の製造)は行き詰まり、1893年三井銀行がこれを引き受け芝浦製作所と改称し、1904年に株式会社芝浦製作所として再出発した。
この時に三井銀行から芝浦製作所に送り込まれたのが藤山雷太。
芝浦製作所は1909年にアメリカのGE社に資本の1/4を引き渡して技術提携。GE社はモルガングループ企業。


藤山雷太は森永製菓創業者の森永太一郎と同じく佐賀県伊万里の出身。
慶應義塾の出身で福沢諭吉の計らいで出世した。


福澤諭吉を介して、福澤の甥であり山陽鉄道社長であった中上川彦次郎の知遇を得て、黒田清隆、大隈重信、鳩山和夫らと知り合ったという。
その後、中上川によって三井銀行に採用され、若輩ながら抵当係長という重要ポストに付けられた。その後、雷太は中上川の妻の妹と結婚し姻戚関係となった。
藤山は王子製紙の専務取締役に就任している。ということで王子製紙も三井系企業。

1909年(明治42年)に渋沢栄一に推挙され大日本製糖(現在の大日本明治製糖)の社長に就任。
この倒産寸前と評される大日本製糖を台湾での生産拡大などの経営方針で僅か2年ほどで再建させ、その後、朝鮮製糖、内外製糖、東洋精糖を合併し、規模を拡大させた。

三井退社後から、この間、駿豆鉄道社長、日本火災保険副社長、歌舞伎座取締役、出版社泰東同文局社長を歴任。帝国劇場の創立にも関わる。1917年(大正6年)から1925年(大正14年)には東京商業会議所の会頭を務め、日本商業会議所連合会会頭にも就任した。1923年(大正12年)に勅選貴族院議員となる。
この間に拡大させた企業群は『藤山コンツェルン』の基礎となる。



藤山雷太は森永製菓創業者である森永太一郎と同郷。
森永太一郎はファーストレディ安倍昭恵の曽祖父である。
彼女とその母もカトリック系の聖心出身。
森永製菓が森永乳業とは兄弟会社であるが、森永乳業はまた森永ヒ素ミルク中毒事件を起こした企業。(森永製菓はグリコ森永事件の被害企業)


美智子皇后は聖心女学院の中等科・高等科を経て聖心女子大学を卒業した。
国連難民高等弁務官など国連活動を行った緒方貞子も小学生の時にアメリカから帰国してずっと聖心であった(聖心女子大学卒)。現在はやはりカトリック系の上智大学の名誉教授でもある。
中曽根弘文の妻(前川喜平の妹)もずっと聖心だったらしい。
安倍首相の妻である安倍昭恵も聖心女子学院初等科・中等科・高等科を経て、聖心女子専門学校を卒業した。
聖心女子専門学校は英語科と保育科があり、彼女は英語科。
(トランプ大統領、英語科を卒業したからといって英語が話せるわけではありませんよ!)(それと電話会談って簡単に言うけれど、そんなに簡単なことではありませんよね?お得意のフェイクニュース?)
聖心女子専門学校はどちらの科も募集を停止したようなので、そろそろ閉校するのだろう。
明治天皇時代の教育勅語を暗唱して日本国イエーイ、安倍首相頑張れ~みたいな森友学園の籠池夫妻と安倍夫妻は意気投合したこともあったようだが、神様とか祈りとかはイエス・キリスト(あるいはローマ教皇?まさか天皇じゃないでしょ?)に通じると思われ。


第一次安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
この時に教育基本法を改正した。
安倍晋三の妻である安倍昭恵は当然公のファーストレディだったわけである。
しかしこの内閣は1年しか続かなかった。安倍晋三は突如その座を降りたのだ。
夫人である安倍昭恵が大学院へ進んだのはその後のことである。
なんでもファーストレディになってはじめて勉強してこなかったことを恥じたそうなのだ(負い目に感じた?)。
富裕層階級の、とくに聖心女子大学卒のレディたちによる陰湿なイジメでもあったのでは?
「同じ聖心として恥ずかしいですわよね~」とかなんとか。
それで昭恵は大学進学を考えたらしいのだが、一から学生やるのも・・(勉強したいんじゃないんですかっ!)
編入はどうかしら!?(短大ならともかく専門学校からの大学編入は無理ですっ!)
じゃあ大学院は?(えっ大学飛ばして大学院?そんなのダメに決まってるでしょっ!)(え?いいですよ、どうぞどうぞ!?)
安倍昭恵は立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程を2011年に終了し、修士号を得たらしい。
修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活 —NGOの寺子屋教育支援—」!?
(いやいや待って、おかしいでしょっ!なにこれ、忖度?御意向?圧力?お金?来る者拒まず?)
立教大学はアメリカ聖公会系の大学。聖公会はイギリスのキリスト教。
昭恵の祖父・父・弟が立教大学出身のようだ。やはりキリスト教徒一家なんでしょうかねぇ?



中曽根文子の夫・川鍋一朗の母は広瀬為宇で、広瀬為宇の母方の祖父が藤山雷太、父方の祖父が広瀬実光。
広瀬実光は日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)の社長だった人物。
日本陶器合名会社は6代目森村市左衛門と異母弟である森村豊が創立した会社である。
その後さらに、日本碍子(日本ガイシ)、東洋陶器(現:TOTO)、日本特殊陶業を設立した。
森村家はもともと旗本屋敷などに出入りする武具商であり、広瀬家は土佐藩主の家臣の家系で、仕事柄両家は親しい間柄にあった。
実光の父親・広瀬実栄は明治維新後、近衛第一大隊長として新政府に出仕したが,1873(明治6年)に板垣退助と共に下野。
板垣退助に近い存在であったということは、吉田茂の実父と言われている竹内網のこともよく知っていたであろう。
広瀬実栄は森村市左衛門が開業した森村銀行銀行の初代頭取となる。


ところで森村市左衛門や森村財閥を覚えているだろうか。
日本銀行創設者の松方正義の14男が7代目森村市左衛門(森村学園創始者、日本ゴルフ協会初代会長)の養子であったため、松方正義の家族について書いている時にページを割いた。
森村豊は渡米の船が一緒だった群馬出身の生糸貿易商・新井領一郎(旧名:星野良助)と知り合い、パートナーシップによって生糸輸入販売の会社(森村・新井商会)を設立した。
松方正義の9男の妻は新井領一郎の長女であり、夫妻の娘の1人は駐日アメリカ大使でライシャワー事件で有名なエドウィン・O・ライシャワーと結婚した。(過去記事
森村財閥の基礎を作ったのは6代目と異母弟、森村家にとって恩人となった新井領一郎。
森村家を継続的に支援していたのは慶應義塾創始者の福沢諭吉。

森村市左衛門6代目は貿易の専門家として日本銀行設立時の監事であった。
また教育・社会活動にも非常に積極的で、とくに、慶應義塾大学、日本女子大学、高千穂大学には多額の寄付を行った。

日本女子大学とはNHKの朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデルだった三井家のお嬢様・広岡浅子が創立したとされる大学。
創立にあたっては、東京専門学校(現・早稲田大学)の創立者大隈重信が創立委員長となり、総理大臣伊藤博文、学習院院長近衞篤麿、文部大臣西園寺公望、財界人渋沢栄一、岩崎弥之助等各界の重鎮の多大な支援を受け、広岡浅子の働きかけで三井財閥から東京・目白の地(現在地)を寄贈され開校。(『わたしの大学』日本女子大学より引用)

大隈が日本女子大学の創立に関与しているため早稲田大学にも寄付を行っている。
また日本女子大学・学習院大学・学習院女子大学・立教大学・早稲田大学は学生交流協定を結んでおり、上記の関係を今に引き継いでいる。
高千穂大学の創始者・川田鐵彌は土佐(現:高知市)生まれ。
高知県尋常中学校と東京帝国大学(現:東京大学)を卒業して文部省に入り、 陸軍幼年学校の教官や東京専門 学校(現:早稲田大学)の講師をしていたという人物。
1903年(明治36年)に高千穂学校を創立した。戦後に大学となった。


松方正義の14男が養子入りした7代目森村市左衛門の妻は長州五傑の1人井上勝の長女。
松方正義の10男(日本銀行金沢支店長、日本特殊陶業監査役、共立原料各監査役)の妻も井上勝の三女。
井上勝の実子は女子のみで、次女の夫(松浦勝純)が井上家に養子に入る(婿養子・井上勝純)。
井上勝純夫妻の娘は東大名誉教授・鈴木竹雄の妻となる。
鈴木竹雄は鈴木商店(現:味の素)の2代目社長(創業者の弟)・鈴木忠治の三男。
鈴木商店とは味の素の前身で森&安西コンビへの出資者であり、昭和電工の創業者の1人。
ぐるぐる回ってまたこのコンビというかトリオというかに戻ってきましたね。







by yumimi61 | 2017-09-03 14:12