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やがてそこに。


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2018年 02月 01日 ( 1 )

まだ紙のお金(紙幣)が存在しなかった時代。
目利きであり立派な金庫を持っていた金匠や両替商は保管料を徴取して、それらのお金(金銀鋳貨)を預かるビジネスを思いついた。ここから紙幣や小切手の原形が生まれた。
この形態が一番早く普及したのはイギリスである。1600年代17世紀のこと。
ヨーロッパ本土では利子を禁じているイスラム教の影響も少なくなく、割引手形の導入もなかなかスムーズにいかなかったが、離島という地の利もあったのか割引手形が真っ先に普及したのもイギリスであった。

この手形割引が1694年に設立されたイングランド銀行(イギリスの中央銀行)の収益の大きな柱となっていく。
そしてやがて手形割引市場を主軸とする短期金融市場がロンドン市場を世界屈指の金融市場へと押し上げることになった。

金匠が発行していた預かり証(金匠手形)はゴールドスミス・ノートと言われる。
ゴールドスミス・ノート
17世紀のイギリスで金匠によって用いられていた約束手形。これが銀行券の始まりとされている。
当初は金匠が金を受け取って、それと引き換えに同等の金といつでも引き換えるという証書であった。当初はこの預り証が譲渡される場合には誰某にその権利を譲渡すると裏書きされていたものの、後に裏書をされないで流通されるようになっていき、これが現金通貨の代わりを果たすようになっていった。

当初は金匠の側に預り証と同額の金が準備されていたものの、後には預かっている金の貸し出しをするようになっていった事から発行している預り証の総額よりも保管している金の総額の方が少なくなっていき、金匠は保管業者から銀行業者へと変わっていった。後に金匠の信用が高まるにつれて、金匠は自己の責任において金の取引が行われていないのに預り証を発行するようになっていき、預り証は銀行券の原初形態となっていった。
後にイングランド銀行が発行した銀行券は、このゴールドスミス・ノートを倣ったものであった。



「金匠」を英語で言うと'Goldsmith'(ゴールドスミス)。
鍛冶屋の中で特に金および貴金属の加工・細工に関する仕事に従事する金細工職人のことを金匠(Goldsmith)と言った。
中世ヨーロッパでこの職人らはギルドと呼ばれる組合組織を結成していた。現代の労働組合のイメージとは違って非常にお金持ちな組織である。
ゴールドスミスをドイツ語で言うと、'Goldschmidt'(ゴールドシュミット)となる。

その職の代表格がゴールドシュミット家。家名が職名になったのか、それとも職名がそのまま家名になったのか分からぬが、彼らはドイツ出身のユダヤ人家系である。

ゴールドシュミット家(Goldschmidt family)
金融業の著名な門閥であり、もともとはフランクフルトのユダヤ系ドイツ人の家系のゴルトシュミット(Goldschmidt Haus)であった。
起源は14世紀にさかのぼり、ほとんどのメンバーは1614年のフェットミルヒの反乱の後にフランクフルトを離れている。そして、18世紀まで戻ることはなかった。

ファミリーはマインツのおなじユダヤ系のビショフスハイム家と特に深く関係していた。ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった。近年ではゴールドスミス・ファミリーとしてロスチャイルド・ファミリーとの関係も深まっている。ビショフサイム家も同様で、ロスチャイルド家と姻戚関係である。

なお、ビショフサイム家はカモンド家とも姻戚関係である。カモンド家もユダヤ系で現在のトルコ・イスタンブールを起源として、オスマン帝国において1863年に帝国銀行ができるまで御用銀行家であった。1870年にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の世襲会計係を創設した。この家は二度の大戦により断絶している。しかし、ビショフスハイム家・ゴールドシュミット家・ロスチャイルド家は健在である。



金匠、手形、ドイツ出身のユダヤ人家系ゴールドシュミット家、イングランド銀行(イギリス中央銀行)は、深い関係があるということになる。
この繋がりに大きく関与しているのがフランスであり、やがてイギリス・フランスどちらにも家を置くロスチャイルド家との関わりを深めていく。

イングランド銀行(イギリスの中央銀行)
1690年、同行成立以前から、フォンテーヌブローの勅令でフランスから流れたユグノー資本が英国債の売れ行きに貢献していた。4年後に創立したとき、世界は大同盟戦争とウィリアム王戦争、そしてザームエル・オッペンハイマーの活躍する大トルコ戦争のさなかにあり、同行は政府への貸付を主要な業務とする商業銀行であった。多くのユグノーが毎年の選挙で理事となった。
同行は政府を通してイギリス東インド会社・ハドソン湾会社などへも貸付を行っていた。ユグノー出身で6代目総裁のジェームズ・バトマン(James Bateman)はロンドン市長と南海会社副社長を務めた


ユグノーとイギリス政府、ロンドン市との強い繋がり。

ユグノー
ユグノー(フランス語: Huguenot)は、フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義)またはカルヴァン派。フランス絶対王政の形成維持と崩壊の両方に活躍し、迫害された者は列強各国へ逃れて亡命先の経済を著しく発展させた。その活躍は、まずとびぬけてイギリスでみられたが、ドイツでは順当な規模であった。

ユグノーとはつまりカルヴァン派である。
カルヴァン派はスイスを経由して長老派となった。
カルヴァン派については前に記述した。

キリスト教(カトリック)は個人の蓄財を悪しきこととして認めていない。お金持ちは救済されない。天国へ行けない。そんなにお金があるならば教会に寄付しなさいと言うわけである。(そんなカトリック教会は当時腐敗していた)
ところが宗教改革で蓄財は良いことと言った人物がいた。
フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンである。
物事を比較する時には基準がないといけない。
基準もなく神に選ばれし人物かは分からないではないか。基準はお金である。お金が貯まる人は神の恩恵を受けている人であるから神に選ばれた人なのだと説いた。
お金や蓄財は悪である、欲にまみれている、汚い、人間を堕落させる、そう教えられ思い込んできたのに、そうではないと言う。
人々は神の救済を願い、また選ばれた人になりたいがためにお金を貯めるようになった。
目的は物を買うためではない。だから貯めたお金は出て行かない。
こうしてヨーロッパには銀行が続々誕生しお金が集まり資本となった。

銀行がお金を貸すのは王族や皇帝である。戦争なんかすると莫大な費用がかかる。貸し付ける額が違う。
大金を貸すからには土地や建物など担保をとっておく。返せなければ金貸しに渡るということ。
金融家の中には貴族の称号をもらった者もいた。(黒い貴族などと呼ばれる)
当時は貿易の要であったヴェネチアに本部を置く銀行が多く、ここで育った金融家がこぞってスイスに移ってスイスは金融立国となった。
カトリック教会や王族・皇帝が保有していた権威や権力や不動産をお金で絡め取った。
(思想や信条ではなく金融業で成り立っているのでその利害によってOKにもNOにもなる)

●カトリック
●プロテスタント(福音派・キリスト原理主義))⇔リベラル派
   ルター(ドイツ) ・・・ルター派(ルーテル教会)
   フルドリッヒ・ツヴィングリ(スイス) ・・・戦死。一応後継指導者がいたが勢いは失った。
                                           ↑呼びかけ ・・・カルヴァン派(長老派教会)
                                     カルヴァン(フランス→スイス) 


ツヴィングリが生きている時(1484-1531)には戦争をするほど反カトリックであったが、後に蓄財を橋渡しに融和した。カルヴァン派(長老派教会)はそれほど反カトリックではないということだ。宗教的な繋がりよりも金銭的な繋がりが強くなっている。利害によってOKにもNOにもなる。そうとなれば反カトリックが隠れ蓑にもなる。

(イングランド銀行の続き)
1701年の株主は1903人であったが、このうち107人が総裁の資格たる4000ポンド以上の株式を保有していた。その107人は、創立時の出資者を多数ふくむ。ユグノーはセファルディムを参加させるようになった。筆頭はソロモン・デ・メディナ。総裁資格をもつ107人のうち、およそ9分の1がユダヤ人であった。

セファルディムとは中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に住んでいたユダヤ人の子孫を指す。
イスラエル・パレスチナから離散したユダヤ人の内、スペイン・ポルトガルなどに定住した人々をセファルディムと言い、ドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々をアシュケナジム(ヘブライ語でドイツを意味する)と言う。
これがユダヤ教社会の二大勢力である。
ともにヨーロッパ定住者であったわけだが、イスラエルや現代社会ではセファルディムがアジア人または中東系ユダヤ人(東洋系ユダヤ人・オリエンタル系ユダヤ人)、アシュケナジムが白人系ユダヤ人を指す語として区別されている。

イベリア半島は強力なカトリック圏であった。
そこもイスラム勢力に支配された時代があったが、1492年スペインでの大規模な排撃によってイベリアの最後のイスラム政権を滅ぼした。
この時にセファルディムと呼ばれるイベリア半島にいたユダヤ人の多くは地中海近辺の南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住を余儀なくされ、少数ながらオランダやイギリスに移り住んだ者もいて、今日に至っている。
この歴史から考えれば、セファルディム(ユダヤ人)はイスラム教とは上手く共存していたが、カトリックとは出来なかったということになる。
そのセファルディム(ユダヤ人)を、反カトリックを隠れ蓑にしていた可能性のある金銭的繋がりの強いユグノー(カルヴァン派)に支えられて始まったイングランド銀行が取りこんでいったことは興味深い。

後世において有名となったユダヤ人は白人系ユダヤ人が多かったせいか白人系ユダヤ人が優位に立っている観があるが、同時に聖書に出てくるユダヤ人に白人はいないとも考えられている。
また上記のように移動しているのでユダヤ人のルーツは本当のところよく分かっていない。近年では人種ではなくてユダヤ教という宗教集団であるという説が有力視されたり定義されている。


18世紀後半、将来ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの義父となるレヴィ・バレント・コーエンをふくむユダヤ人が、最初アムステルダムにいながら、やがてロンドンに定住するまで、東インド会社の破綻した事業を買収していた。

1800年8月から1816年8月までの各16ヵ年においては年平均60万ポンドの割引収入をあげて準備金を蓄え、イングランド銀行は1816年に金本位制を採用した。やがてロスチャイルドが台頭し、各国の外債発行とイングランド銀行の準備金補填に関わった。銀価格低下の時期にアルフレッド・ド・ロスチャイルドが理事を務め、大不況 (1873年-1896年)にあえぐ世界経済の梶をとった。

第一次世界大戦ではJPモルガンが戦時国債の独占代理人を務めた。1934-1935年、イングランド銀行は植民地の中央銀行設立に関わった。






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by yumimi61 | 2018-02-01 14:37