by and by yumimi61.exblog.jp

やがてそこに。


by yumimi61
プロフィールを見る
画像一覧

2018年 02月 02日 ( 1 )

離散したユダヤ人
セファルディム(アジア系・中東系・東洋系・オリエンタル系ユダヤ人などと言われている)
スペインやポルトガルなどイベリア半島に移住(イスラム支配時代)→(イベリアがカトリックに奪還される)→地中海近辺の南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住、少数はオランダやイギリスに移住
アシュケナジム(白人系ユダヤ人と言われている)
ドイツ語圏や東欧諸国に移住した

※後世においては、セファルディムとアシュケナジムのユダヤ人同士対立もみられる。


ユダヤ人はカトリックとの相性が悪かった。イスラム教徒とは共存できていた。
ドイツのアシュケナジムのユダヤ人もカトリック教徒に襲撃され、ユダヤ人が壊滅状態となるような歴史も残っている。

ドイツ(民族大移動のゲルマン人)はカトリック教皇のお墨付きによって皇帝を立て国を形成し発展した。カトリックもまた移動してきたゲルマン人によって確固たる権威を築くことができた。
ゲルマン人(皇帝)とカトリック(教皇)は持ちつ持たれつの関係であったということになる。
そのような環境にあったが、1400年代(15世紀中頃)のドイツでは教会が腐敗し、教会も皇帝も権威が失墜しかかっていた。
そんな状況の中、イスラム国であるオスマン帝国などが進出の機会を狙っていた。
ドイツやカトリック側から見れば、イスラムやユダヤへの敵対心が非常に高まった時代である。
イスラムはともかく、ユダヤ人は例え憎くてもその経済力が国(地域)の運営に不可欠であり追い出すことが出来ない。
追い出したいけれど追い出せない、それが積極的な隔離(ゲットー)という手段に向かっていった。
その隔離を逆差別に感じる人もいた。ユダヤ人だけ特別扱いでずるい、いわゆる嫉妬というやつである。
また「不可欠であるユダヤ人の経済力」という認識の恩恵に与ろうと他所からユダヤ人ゲットーに(自称?)ユダヤ人移民が流入した。
多くの移民が流れてくるとゲットー周辺では治安や衛生状態に問題が生じ、ユダヤ人はカトリック教徒から増々嫌われ反ユダヤ主義が強まっていく。

こうした時代を経て16世紀に宗教改革が起こった。宗教改革を先導したのはやはりドイツだったのだ。
改革によってプロテスタントのキリスト教が生まれる。
カトリック教会はいよいよピンチとなる。
この時に蓄財は良いこと(蓄財するものが神に選ばれし者)のカルヴァン派も生まれ、スイスの金融立国を経て、長老派となる。
これら改革派(プロテスタント)はアメリカにも進出した。
このピンチの時代にカトリックで結成されたのがイエズス会である。そしてカトリックもまた世界進出という策に舵を切った。
イエズス会は1534年にフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1549年にはザビエルが極東アジアの日本にもキリスト教(カトリック)を伝えた。





[PR]
by yumimi61 | 2018-02-02 14:49