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2018年 02月 05日 ( 1 )

ゴールドシュミット家は17世紀にフランクフルトのユダヤ人ゲットーを離れるも18世紀に戻っている。

フランクフルトに戻ってきていた時代のゴールドシュミット家の主要人物が前記事にも書いた次の親子である。

Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

<彼の息子>
・Leopold Benedict Goldschmidt/レオポルド・ベネディクト・ゴールドシュミット (1830–1904)
・Adolphe Benedikt Hayum Goldschmidt/アドルフ・ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1838–1918)
 ドイツのフランクフルト→フランスのパリ→イギリスのロンドン
・Maximilian Goldschmidt-Rothschild/マクシミリアン・ゴールドシュミット=ロスチャイルド(1843–1940)
 ドイツのフランクフルト→ドイツのベルリン 1878年ロスチャイルド家(ナポリ家)と婚姻関係を結んだ。

息子らは19世紀終盤(1893年)にフランクフルトの銀行を閉じてフランクフルトを再び離れた。

ロスチャイルドの5人の息子は5か国に散らばって事業を展開した。
フランクフルト(ドイツ)、ウィーン(オーストリア)、ロンドン(イギリス)、ナポリ(イタリア)、パリ(フランス)。
一族の発祥の地となるフランクフルトは父の遺訓に従って長男が継承した。いわばフランクフルト(ドイツ)がロスチャイルド家の本拠地である。
しかしながらのそフランクフルト家(ドイツ)と、一族が爵位を得たきっかけとなるナポリ家(イタリア)は1901年に閉鎖に至る。
何故かというとフランクフルト家(ドイツ)に後継ぎとなるべく男子が生まれなかったからである。ナポリ家(イタリア)から2人養子を取ったが、その養子にも男子が生まれず1901年に亡くなった。それ以上養子などの策を打たず途絶えてしまった。
フランクフルト家(ドイツ)とナポリ家(イタリア)、ロスチャイルド家の伝統を築くに相応しい家が途絶えた。
後継の問題があったことは確かであろうが、同時にフランクフルト(ドイツ)での事業が上手くいかなくなってきたのではないだろうか。

ゴールドシュミット家がフランクフルトを離れたのが1893年。
ロスチャイルド・フランクフルト家を閉鎖したのが1901年。

要するにこの頃よりドイツはいわゆる国際金融資本に依拠しない発展を遂げていたと考えられる。
そして1914‐1918年の第一次世界大戦へと繋がっていく。
この頃のドイツと積極的に取引を行っていた日本の財閥は住友財閥。

ドイツは第一次世界大戦の敗北と世界恐慌によってナチス政権に主導権を握られることになった。
第一次世界大戦におけるドイツの敗因は、軍事的作戦による失敗ではないとする「背後の一突き」論がある。
現に戦争そのものはそれほど劣勢ではなかった。しかし戦争遂行反対論によって革命が扇動された。
一突きした側に入るのは、革命を扇動していた共産主義者、革命後に政権を主導した社会民主党らということになるが、ここにユダヤ人も含まれる。このユダヤ人とは国際金融資本のことなんだろうと思う。
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by yumimi61 | 2018-02-05 16:07